こんにちは。

 

私は20代後半でうつ病になった事をきっかけに、心身ともに健康になるためには、親との関係を見直していく必要があることに気づきました。

その経過で、ACの自覚と、自分の生きにくさの原因も知りました。

 

当時は、うつ病もACも私にとってはマイナスでしかないと思っていましたが、今は、どちらも私の人生に必要なことだったと思えます。

 

うつ病の真っ最中は、「死んだほうが楽なんじゃないか」と毎日思っていました。

自分を責めて、呼吸が苦しくなって涙が出て、そんな自分も嫌で、また自分を責めて・・・

この苦しさから抜けられる日は、一生来ないと思っていました。

 

そんな時期もありましが・・・

 

今、私幸せに生きています。

 

お金持ちになったとか、成功者になったとか、そういうことじゃないんです。

変わらず、イライラしたり、モヤモヤしたり、悲しくなったり、辛い時もたくさんあります。

 

でも、私自身の実感としては、「いつでも、“イマ”が一番幸せ」なんです。

 

そう思うようになったきっかけがACの自覚うつ病の発症だったのです。

 

今は「あの時ちゃんと苦しいと反応してくれてありがとう」と自分の体に感謝しています。

私は自分がACだと気付けて、うつ病になったことも良かったと思っています

それがあっての今の私なので。

 

もし、今苦しいと感じている人や、私と同じような体験をしている人がいたら、ちゃんと、その苦しい時には終わりが来る事を、知ってもらえたらと思います。

 

今はそう思えなくて当たり前です。私もそうでしたから。

 

私の場合は、うつ病と診断されましたが、他の病名が付けられる可能性もあるし、そもそも、何の診断も受けていない人もいると思います。

 

でも、「なんか苦しいかも」って自分の気持ちを感じられて、どうにかしていこうって思えて、自分なりもがき続けてみたら、いつかちゃんと「あんな時もあったな~」と思える日が来ます。

 

そんな事を知ってもらえたら良いなと思ってブログを書くことにしました。

 

このブログが、誰かの役に立ったら良いなと思います。

そして、ここで書いていくことで自分自信もまた学んでいきたいと思います。

 

 

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次に続く。

うつ病は人によって症状が違うと思います。

これは私の場合。

 

【 行動 】

①仕事への熱量が異様に高く、休みなく働く。

②休日も仕事のことばかり考えている。

③仕事の夢ばかり見る。

④疲れているのに、休もうとしない。
⑤仕事がはかどらなくなる。何も進んでいないのに時間だけが過ぎる。

 

【 気持ち 】

①今の自分のままではダメだ。

②あれもこれも自分のせいに違いない。

③自分には価値がない。

④自分の存在を消したい。

 

【 身体症状 】

①肩、首周りが常にスッキリしない。

②なんだが疲れやすい。

③唇のしびれ。

④一瞬気を失うような感覚が起こる。

⑤毎日のように理由もなく涙が流れる。

⑥生理が止まる。

⑦夜間過呼吸のような症状が出る。

 

 

身体症状の変化に不安になり、周りの人から通院を勧められ病院に行きました。

でも、心の問題だと思っていなかったため、脳神経外科、整形外科、総合病院(精密検査)に順番に行くも原因が分からず、最後の総合病院で、「ここまで検査して何もないという事は、心の方かも知れない。心療内科に紹介上書きます」と言われました。

「え!?私が心療内科に行くの?マジ?」という感じでしたが・・・

辛くて仕方なかったので、自宅近くのメンタルクリニックへ行き、緊張緩和の薬を飲み始めると、唇のしびれと、気を失うような感覚になる症状が消え、びっくり。

 

「(薬が効くってことは)私、結構ストレスフル状態かも」

 

とやっと思うようになる。(遅い。)

しかし、その時にはうつ病と診断されていなかったので、そのまま仕事を続けていきましたが、ある時、夜中に自宅の包丁で自分を傷つけたい衝動にかられ、そんな自分が怖くなり泣きながら友人宅へ駆け込むという事がある。

 

もはや、自分で自分をコントロールできない状態を自覚し、メンタルクリニックへ行き、医者に話をすると、

 

「明日から、仕事お休みしましょう」と医者の一言。

 

私は泣きながらその場に崩れ落ちました。

安堵の涙だったのを今でも覚えています。

誰かに「休みなさい」と言ってもらわないと、止まれなかったんでしょうね。

「とりあえず、病名はうつ病にしときますかね」という医者の軽い言葉で、うつ病と診断されました。

 

自分で身体症状を感じてからうつ病診断までは2ヶ月位の期間でしたが、振り返ると4、5ヶ月前位の時点で、周りから「大丈夫?」と心配される事が多くなっていたので、自覚がなかっただけで、周りの方がもう変化に気づいていたんだと思います。

 

このあと仕事を休職するのですが、休職した途端うつ病症状が一気に押し寄せます。

 

 

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次へ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前回の記事、AC②を経た子どもが成人になると・・・

 

・進学、就職、結婚などで原家族を離れる

・経済力を身に付け自立する          

      ↓

   不適応を起こす

  (うつ病などの精神疾患)

 

これまで機能不全家族の中で身につけたコミュニケーション方法や思考回路で、社会に出て人と関わると、適切な距離感を保てなかったり、様々な不適応を起こします。

 

それらを、「自分の性格のせいでは?」「自分が弱いから?」「自分のマイナス思考が原因?」と、自分に原因を探し、自分を責め、より深く傷つき自信を失っていく。

「あーやっぱり私はダメなやつ」「価値がない人間」と思い込んでいく。

 

私の場合・・・

「家族のために自分がいる」⇒「誰かの為にならなくてはいけない」

「自分の気持ちは押し殺すもの」⇒「自分の気持ちが分からない」

「自分の気持ちは伝えてはならない」⇒「気持ちの伝え方を知らない」

「みんなに愛されなければならない」⇒「誰にとっても良い人でなければならない」

 

などなど。挙げだしたらキリがないほどです。

 

社会の中で、特に仕事や人との関係の中で、自分の気持ちは二の次で、誰にとっても良い人で、誰かのために自分の犠牲はいとわないなんて、無理な話ですよね。

 

でも、これしか方法を知らないので、なんとか頑張り続けて適応しようとしました。

自分の心身を削っている事に気づかず、やはり体は正直に反応してくれ、私はうつ病になりました。

 

 

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次へ続く。

※以下の内容は私が勉強会で知った内容です。

人によって見解の差があったり、「これが正解」というモノではないという事を前提に読みすすめてくださいね。

 

【 ACの特性 】

 

①生い立ちで日常的に暴力・暴言があった。

 このような家庭で育った女性は自傷的になりやすく、男性は攻撃的(他者を支配)になりやすい傾向がある。

 

②人の言葉が信じられない。

 小さい頃から親が嘘ばかりついていた、もしくは親の言うことを信じられない状態であったため、「人は嘘をつくもの」と信じるしかなかった。

 

③予定を立てるのが苦手。

 親の状況はいつどう変化するか分からない、不安定な状態で生きてきたために、常にビクビクしており、先のことがわからない状態が当たり前だった。

 

④否認(あったことをなかったことにする)がある。

 親のケンカが、朝になると無かったことになっていたり、否認が日常的にあったため、「紛争→解決」というプロセスを知らない状態にあり、それに慣れてしまっていた。

 

これらの特徴があるハイリスクファミリーの中で生きるための方法として“親を支える子”になろうとする。

自分が親を支えれば、「家族は壊れない」「他人から褒められる」「母もご機嫌」になる。

これで、親と子の役割の逆転が起こり、ACが生まれる。

「ACになる人の実際は、良い子、静かな子が多い。そして、親は離婚の相談を子どもにするようになっていく」とカウンセラーさんは言っていました。

 

 

私の場合、親から暴言や暴力は一切なかったので、①は当てはまらないと思っていました。でも、後々になって、母との共依存関係によって自分の意思は抑圧されまくり、母が何も言わなくても母の思うとおりの言動をする子になっていたので、分かりにくいのですが、コントロールによって暴力を受けるのと同じような心理的効果があったのか・・・と後々学びました。

 

特に、③については悩んでいました。手帳に予定を書き入れるのがしんどくて、友人との旅行などの楽しい予定も憂鬱に思えて、待ち合わせも基本的に遅刻し、ドタキャンも良くしていまいた。

「自分はどうしようもないルーズな人間」と思っていましたが、これにも理由があり、対策を立てられる事を知ってからは、遅刻もドタキャンもなくなっていきました。

 

“親を支える子”でいることは、当たり前のことだと思っていました。

この話を聞いて初めて、自分にも「親と子の役割の逆転」が起こっていた事を知りました。

今思うと簡単ですが、家族の中で必死に役割をこなしていた私には、そんな視点持てるはずもなく、この時のカウンセラーさんの話は衝撃の連続でした。

 

自分の置かれていた環境を、初めて客観的に捉えられたときでした。

「私、こんな苦しくなるのは、当たり前だわ」と、ちょこっと思えていきました。

ある意味、大発見でした。

 

 

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次に続く。

 

 

 

 

ACとは

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アダルトチルドレン(英:Adult Children)とは、親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人[1][2]。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語で、こちらがもともとの意味である。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である[1]。親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)[3]。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと。

 

 

・・・と書かれているけど、もしや私はAC?と思い始めた私にとっては、いまいちピンときませんでした。

 

私が自分をACと認められたきっかけは、カウンセラーさんの勉強会での事。

 

 

ACとは: 現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人。

 

「私は親の被害者だ」と自分で認められた時、初めて「私はACです」と言える。

 

「自分が被虐待児だと認めること、自分の責任ではなく、親の責任だと認められること。そう思えないうちは、ACと名乗れないのよ?」

 

と、カウンセラーさんが言っていたとき、笑いながらも泣きそうになってしまったのを覚えています。

 

当時の私は、「自分はACかどうか」を一生懸命調べていました。

自分の苦しさの理由と対策を知りたい一心で、心療内科にも行き、カウンセリングにも行きました。

進んでいくうちに、ACっぽいな…と薄々感じながらも、「気のせいなんじゃ?自分が弱いからこんなことになったんじゃ?」という認めたくない思い、そして何より罪悪感とで、ゴチャゴチャでした。

答えが欲しくて、勉強会にも参加しました。できることは何でもやって、「誰かわたしを救って」と思っていました。

 

でも、この話を聞いて、ACだって誰かに決めてもらうことじゃなく、「自分で思えるかどうか」「自分で認められるかどうか」なんだという事に気づきました。笑えるくらい衝撃的でした。

 

「私はACだ」って思うことって、絶望的な事じゃなかった。

やっとスタートラインに立つことなんだ。

その日から、「私はACだ!」と認めようと決めました。

 

そしたら、お先真っ暗だと思い込んでいた私に、少しだけ明るい兆しが見えたような気がしました。進む先があるかもしれないと思えました。

 

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次に続く。