ACとは
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アダルトチルドレン(英:Adult Children)とは、親がアルコール依存症の家庭で育って成人した人[1][2]。Adult Children of Alcoholics(ACOA、ACA)の略語で、こちらがもともとの意味である。アメリカでアルコール依存症治療との関わりの中で生まれた言葉である[1]。親や社会による虐待や家族の不仲、感情抑圧などの見られる機能不全家族で育ち、生きづらさを抱えた人。Adult Children of Dysfunctional family(ACOD)[3]。「機能不全家庭で育ったことにより、成人してもなおトラウマ(外傷体験)を持つ」という考え方、現象、または人のこと。
・・・と書かれているけど、もしや私はAC?と思い始めた私にとっては、いまいちピンときませんでした。
私が自分をACと認められたきっかけは、カウンセラーさんの勉強会での事。
ACとは: 現在の生きづらさが親との関係に起因すると認めた人。
「私は親の被害者だ」と自分で認められた時、初めて「私はACです」と言える。
「自分が被虐待児だと認めること、自分の責任ではなく、親の責任だと認められること。そう思えないうちは、ACと名乗れないのよ?」
と、カウンセラーさんが言っていたとき、笑いながらも泣きそうになってしまったのを覚えています。
当時の私は、「自分はACかどうか」を一生懸命調べていました。
自分の苦しさの理由と対策を知りたい一心で、心療内科にも行き、カウンセリングにも行きました。
進んでいくうちに、ACっぽいな…と薄々感じながらも、「気のせいなんじゃ?自分が弱いからこんなことになったんじゃ?」という認めたくない思い、そして何より罪悪感とで、ゴチャゴチャでした。
答えが欲しくて、勉強会にも参加しました。できることは何でもやって、「誰かわたしを救って」と思っていました。
でも、この話を聞いて、ACだって誰かに決めてもらうことじゃなく、「自分で思えるかどうか」「自分で認められるかどうか」なんだという事に気づきました。笑えるくらい衝撃的でした。
「私はACだ」って思うことって、絶望的な事じゃなかった。
やっとスタートラインに立つことなんだ。
その日から、「私はACだ!」と認めようと決めました。
そしたら、お先真っ暗だと思い込んでいた私に、少しだけ明るい兆しが見えたような気がしました。進む先があるかもしれないと思えました。
次に続く。