とても残念ですが、私は差別も偏見もしている人間です。

 

今、世界中で人種差別の問題がニュースやSNSで流れています。多くの人が、様々なことを感じ、考え、行動しています。

 

今日、Twitterで1つの動画を見ました。

 

45歳、31歳、16歳、3人の人の話。(日本語訳版) by yösuke@avril24th

 

そして、泣いてしまいました。

 

16歳の彼は、このやり取りで何を感じ、何を思ったのか。

 

大人が言う言葉は、子どもに思った以上の影響を残します。

16歳の彼の10年後、彼が「自由」であって欲しいなと思います。

 

この動画で、母の言動に大いに影響を受けて生きている自分を振り返り、自分より年下の世代に影響を残している自分をちゃんと認識しなくてはと思いました。

 

そして、差別に対しては、自分が差別も偏見も他人に対して持っているという事実を、もう一度考えようと思いました。

 

わたし、先日、背の高いがっしり体型の黒人の方が職場に来たとき、「ちょっと怖そう」と思ったんです。

どこの誰かも知らない人に対して、私が勝手に思った正直な気持ちです。

その後、「あれ?なんで怖いんだっけ?」と考えても、わかりませんでした。

 

もっと前になりますが、障害者の方と過ごした時、私は勝手に「かわいそうな人」と決めつけている自分に気づいたんです。

それまでは、「私は障害者への偏見はない人間だ!!」と思い込んでいました。

 

でも、障害者の方たちが、自分自身の思うように過ごす姿を見て、楽しそうに過ごしていて、「あれ?障害者の方たち全然不幸そうじゃない」という事にびっくりしたのです。

 

このびっくりした自分にびっくりしました。

「私、がっつり差別してたじゃん」という自分に気づいてしまいました。

 

「差別しない」「偏見を持たない」って大切なことだし、私だってそうありたいと願います。

そのために今、多くの人が今様々な行動をしています。

 

 

私は、自分が差別も偏見もある人間なんだと、1人ひとりが気づくこと、認める事がスタートラインな気がするのです。

 

その上で、「なんで私はそう思うのか?」「なんで?」「なんで?」と自問自答して、自分の中にある差別意識が生まれる原因究明をしていく作業が大切なんじゃないかと。

 

私は「なぜ?」を繰り返し続け、差別意識は自分自身が作り出しているものだと実感しました。

自分で作り出しているのなら、私の中の差別意識は、自分でどうにかできるのだと思います。

 

あるものを「いけない事」と否定するのではなく、あることを受け入れていくこと。

その先に、「じゃあ、自分はどうありたいのか」がある気がします。

 

地球上に住むすべての人が、当事者なんだと思います。

 

もうしばらく、考えてみようと思います。