当日だったらいろいろ書きたいことあったんだけどな。やっぱ、思ったことはその日のうちに無理しても書かなきゃ温度が下がるよね。はい、しもとりです。
というわけで、東京芸術劇場主催のストリートパフォーマンスアカデミーがはじまりました。
以下、引用。
東京芸術劇場は、劇場前広場を持ち、また池袋西口公園に面した立地を活かし、実際に屋外でパフォーマンスする場を提供しながら、ストリートアーティストのレベルアップを支援したいと考えています。
本当に“おもしろい”パフォーマンスを、一緒に創り上げていく為のアカデミーです。
本当に“おもしろい”パフォーマンス。。。
・・・ごくり。
お、俺もおもしろいパフォーマンスつくってやるんだ。
めらめら。
と期待を胸に初日へ。
最初は
ちゅうさんのパフォーマンス。in西口公園。
はじめてみた。
んで、芸術劇場に移動してプロデューサーのレクチャー&ちゅうさんのワークショップ
・・・生徒、みんな現役ばっかりやないかい!
そして、憧れていた人とか目標にしてる人とかもいたりして、
「すげ。あれだけのものを作っても自分たちのパフォーマンスに対して疑問を持ち、さらなる進化を求めているんだ。俺もはやく追いついてやるぜ」なんて思ったり。
んで、はじまって・・・
以下、何個か引っかかった言葉。
「すごいやつはいっぱいいるんだ。
でも、おもしろい人はほとんどいない。」
「技の魅力よりやっている人のおもしろさで勝負するのさ。」
外の無言と計算された舞台の無音
街の雑踏音は日常そのもの、その中に異物というか非日常の人間がいるからこその面白さが大道芸の勝負どころ。
だから大道芸でウケてたことを劇場でやってもそんなにウケなかったりする。
それは、舞台という空間が持ちうる虚構性、なんでも起こる場という想定の範囲内ゆえだったりする。
・・・確かに!
4月の舞台でto R mansionでさえ劇場でやると空間に溶け込んで異質物感が路上より薄まるんだ、ってことが衝撃だった。
・下手くそをキープしてるストーンズ ←そうなの?
僕は一生懸命やってる人だけど所詮たいしたことができないキャラというのがやりたい。
できないやつが一生懸命やってやっぱりできないっていう世界をやりたい。そして、人間はそれでも生きてるんだという真実。それが出発点。これだけでも十分、頭をかち割られたような言葉の数々だったが、
さらに価値観の転換を強いられた。音に関して。
元々はまずサイレントでできあがった作品に効果音をつけたのであり、音ありき、音に頼っての作品作りは亜流。
音を土台につくると音の世界観に支配されるし、音にあわせなきゃ成り立たなくなる。
80年代くらいまでは音を自由に使えなかったし、自由に編集したりすることもできなかった。
光洋さんとか40代超えの大道芸人はそこのとこで勝負してきたんだから俺も音をベースにしない作品作りをしてみたい。
もちろん、音と技で演出する力も必要だけど、「音が使えなきゃできません」は三流だろ。
ぬぬ。おっしゃる通りやがな。でも、でも、俺、音使いたいよ!
続く。