現代のマイルス・デイヴィスと言われ、10代でプロデビューを果たし、自身のバンドを率いてグラミー賞に輝いた稀代のジャズトランペット奏者・ロイ・ハーグローヴ。
'18年、49歳で夭折する直前、欧州ツアーのステージに立つロイと、彼の生きざまを語るミュージシャンのインタビューで構成されたドキュメンタリー。
…本当は、ロイ・ハーグローヴ最後の欧州ツアーの映像を、長年の女友達が初監督作として撮るはずだったそうです。
がっ!
ロイをここまで育てた白人マネージャーが、音源や映像使用許可を出さなかったので、まさかの
ジャズミュージシャンのドキュメンタリーなのに、本人既存の演奏映像なし。
即興演奏映像のみ
…というトンデモな話になってます…へぇ。
ハーグローヴの音楽そのものは好きで、彼の才能も好きなんですが
彼をビジネスと精神面で支えた2人の人間のアンバランスさ、
寄らぬ神に祟りなしで、傍らから見ていた同業者の問題が浮き彫りになる映画
…でございました(涙)
才能を優先させた故に、彼に社会性や問題解決能力を植え付けなかった(周りが解決してくれるだろーと考えるか、面倒なコトからは逃げちゃう)ように、 仕向けてしまった、マネージャーと、
自称長年の友人(自称ロイの最高の理解者)という女監督さんの在り方?に、
ギモンをもたざるを得なかったブログ主です。
素晴らしいミュージシャンなのに、興行小さかったのは、ドキュメンタリーって理由だけじゃーなく、そういう理由なんだろなと。
そんなワケで。
予告編こちら、あらすじいってみる。
'69年テキサス州ウェーコ生まれのロイは、著名なトランペッターのウィントン・マルサリスに見出されプロデビューを果たす。
ロイが高校生のころ、通っていた地元のブッカー・T・ワシントン高校で、ウィントン・マルサリスと演奏する機会があったからだった。
その頃を思い出しマルサリスは『本物に許される力と輝きが見えた』と語る。
21歳のときに初のアルバム『ダイアモンド・イン・ザ・ラフ』を発表。正統派の高い演奏力とファッションでジャズマニアだけでなく、名前の知られた巨匠に起用された。
ソニー・ロリンズ、オスカー・ピーターソン、ハービー・ハンコックなどの巨匠に起用される一方、自身のバンド『ロイ・ハーグローヴ・クインテット(RHQ)』を率いる辣腕ぶり。
大御所のハービー・ハンコック曰く『彼には驚かされた』
キレッキレのファッションで、大御所相手にモノともせずソロをキメるグラサンのロイ。
…『グラン・ツーリスモ』のヤン・マーデンボローを彷彿とさせる。
どの業界にも通じる稀代の天才であり先駆者がもつ特有のものに近い。
この頃ロイはボブ・マーリーを目指していたらしく
ラップやフリースタイルをやろうとして『才能がない』と諦めたらしい。
1997年発表のアルバム『ハバナ』でグラミーの最優秀ラテン・ジャズ・アルバム賞。
成功の階段を駆け上がるロイの才能を幼い頃に既に見出していたのが、トロンボーン奏者のフランク”クワンバ”レイシーは、'76年、幼い頃のロイに遭って衝撃を受けた。
8つか9つのロイが、拭いていたのは大人顔負けだったそうだ。
『ソバ屋のジャズ』こと『モーニン』で有名な、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーの最後の一員だったクワンバが、凄いというのが。
ジェームス・ブラウンが居ないと氏ぬと豪語してる、ベーシストのクリスチャン・マクブライドは『次世代のスターになるはずだった』ロイの才能を惜しむ。
自身のクインテッドを率いつつ同世代のR&Bやヒップホップのアーティストらと交流。
高校の同級生でR&Bアーティストのエリカ・バドゥをはじめ、ディアンジェロ、クエストラヴ、モス・デフ(ヤシーン・ベイ)たちと共に、'03年ジャズ~ファンク~ヒップホップ~ネオソウルを縦断する音楽集団『RHファクター』を結成。
主要メンバー数人と流動するメンバーで構成し、アルバムリリース、ライブを行った。
'02年には『Directions in Music: Live at Massey Hall』で最優秀ジャズ・インストゥルメンタル・アルバム賞を獲得。2000年代のジャズ界における“新世代トランペット奏者”の最右翼として注目を集め
RHファクターとして活躍する中、'06年『ナッシング・シリアス』でビバップを披露。
クエスト・ラブ(ザ・ルーツドラマー)は、どんな音楽のスタイルでもロイはロイだったと言う。
ビックバンド、トリオ、異端フュージョン、ファンク『彼の中に様々な人格があった』。
取り囲む人々を自分の才能で楽しませることが救いだったロイ。
そんな彼を不治の病が襲っていた…。
以下ネタバレです。
ネタバレですっつーても、監督の編集がマズいのか、だらだらとジャズの巨匠のインタブーとロイ本人の映像、過去のフィルムが差し込まれているだけなんすが(爆)
監督とマネージャーがモメてるので、本来ならインタブーを受けるべきクインテッドの面々もインタブーを受けていない(汗)
これはロイの晩年のブルーノートの演奏で、ピアノの海野さんが出てるんすが、白人のマネージャーが海野さんのインタビューを入れるのを許可しなかったんすね、何故か判らんのですが。
他のクインテットのメンバーであるアミーン・サリーム、ジャスティン・ロビンソン、エヴァン・シャーマンは出てくるので何で、という。
監督はロイやエリカ・バドウの高校の同級生で友人というエリアン・アンリ。
がっ!
監督自身、ロイと出逢ったのは、UCLAの学生時代(唖然)
ヘェっ( ゚д゚)?!
ウチの田舎の同級生にジャズミュージシャンの卵がいるじゃーんqqqq仲良くしとこーqqq
このコメッチャスゴいんだからー
…ってノリでロイをあっちこっち連れまわしていた学生+就活生時代の監督(涙)
監督は大学卒業後、音楽業界に就職。
テンプテーションズの来日公演で、'99年に日本に来たらしい。
クインシー・ジョーンズと仕事をした後、PR会社に転職。
今回が映画初監督作という経緯なのだそうだ。
なんだろう??
映画観てモヤっとしたのが
ドキュメンタリーが公平かつ客観的視点になっていないぞ?
女々しくて身内でキャーキャー盛り上がってる作りが、やらしーなーqqqq
と感じて後味悪くなったことです。
女性でもキャサリン・ビグロー(『タイタニック』とか『ターミネーター』とか『アバター』の監督の元嫁)みたいに雄々しくて、良い裁判を傍聴した後のスッキリ学べる感じがない…のです、へぇ。
特に、ロイのマネージャーのラリーとの口論のシーンを映像に入れちゃった点。
メディア相手のインタブーには『ラリーは悪い人じゃない、意見が食い違っただけよ~qqq
私たち(←そこ強調)を判って貰えなかっただけ。』を、アピールしてる監督。
…そんなことを言うから、出演者の中で唯一の白人であり、著作権を握るラリーの地雷に触れたのでは、と思います。
口論の後で、ロイと監督が、ラリーを追い払ったみたいなアングルの映像になってるのも頂けない。
リアリティショーみたいだし。
『ストレイト・アウタ・コンプトン』じゃーないけれど、
白人マネージャーが、一部メンバーだけエコ贔屓+他の面々とロイヤリティ問題で大揉めという話(後に、この映画に対抗するかの様に、別のドキュメンタリーまで作られている)もあったり。
『エルヴィス』みたいに、稀代のスーパースターを、自他共に認める悪徳マネージャーの視点から語るというトンデモ映画もあるけれど。
ロイ自身、ラリーについては『父親のようなものだ』と監督に伝えてはいるけど、全く伝わってない、哀しいかな。
映画観てて感じたのは
ラリーは社会のルールも全く判らないロイが、才能を自由に発揮できる様にお膳立てしていたのではないかと。
ツアーの最終日、マルセイユで監督とロイが勝手に打ち合わせしている所にラリーが入ってきて『おいおいそんな事知らされてないぞ』な感じで始まった口論。
ま~そりゃ、マネージャーなんだし。
監督も監督で、アンタはアフリカ系アメリカ人を判ってないと口を尖らせて反論するから、白人マネージャーのラリーも堪忍袋の尾がキレて
オレはレイシストじゃない!
な、なんだろうね???
監督はそこまでしてマネージャーよりチョイ優位に立ちたかったんだろうか??
そうだとすれば、この映画はフエアじゃないし、題材にされているロイにとっても内心面倒だろうと思う。
監督が監督で無意識かつミョウチクリンな特権意識があるとすれば、 マネージャーのラリーにも問題はあるかと思う。
ラリーは無名時代のロイを育てて有名にするまで→ 『チーム・ジンバブエのソムリエたち』に置ける南アフリカのヘッドコーチJVの様な存在。
ロイが有名になってジャズの巨匠を引っ張ってくるようになってから→オワコン状態の昔の巨匠ドウニ・ガレ…の様な性格になっていたのだろうと、察してしまうのだ。
マネージャーからしてみたら、面白くなかったろうなぁ(しんみり)監督の存在は。
旦那の前に、馴れ馴れしく『自称何10年の付き合いの愛人です』って糟糠の妻押しのけて現れたKY女の様に映るかもしれないじゃんqqqq
誰だろうこの女?ロイの友達、ロイのミュージシャン関係の友達は巨匠から新人までごろごろ居るし皆オレ通してる。
この女どうしてロイだけ話通してオレには話何も通さないの?厚かましくねぇ?
何、映画、ラストツアー撮らせろ、音源映像全部くれ?
お前は礼儀知らずのバカなのか???
…という理由で、映像その他モロモロなかったんだろうと、考えております。
『最後のマイウェイ』だって、演じたジェレミー・レニエは歌声まで再現したのに、 歌の音源だけ『クロードの生前の音源』にすり替えられたって言うし。
『長年のお友達だからいいよねw』なノリが、マネージャーの地雷を踏んだんだろうと思う、この監督さん。
ロイもロイで監督の存在は、楽しめる、癒される時に居てくれる人だったんだろうなぁと。
苦しい部分やビジネスのサポートをしてくれたり陰の部分をみるのはラリーやセッションを共にするミュージシャンだけだったと思うのだ。
ロイは亡くなる10数年前から透析を受けてという事実は、死後明らかになったのではないでしょうか。
チャドウィグ・ボーズマン並に周りに気を遣っていたんだろうなぁ。
エリカ・バドウは『背中の痛みが取れないと言い出したのが、きっかけだったと思う』と当時を振り返っていました。
監督は銀幕に正直な姿をさらすべきだとして、ロイに透析している姿も撮影させて欲しいと頼んだそうなんすが
その話はやめよう
…と切り上げられてしまったそうで。
身内として体調を気遣うぐらいなら構わないのだろうけど、撮影は行きすぎなんじゃないかなと。
インタブーで、どうしてラリーは彼に本格的な治療を受けさせなかったのかと咎めているんですが、 そりゃーとうの昔に忠告したけど、諦めたんじゃないの???
映画の中で即興でトランペットを奏でるシーンや街中を散歩するシーンは、撮影クルー忍耐の賜物。
6時間待って、やっと45分撮影できた
とか、それでもカットしないといけないシーンもあったりとか。
2日に1回の透析を受けながら、街では鼻歌歌いながらヨレヨレ散歩するロイ。
背中に痛みを感じ、入退院を繰り返しながら苦しさを表に出さず、死が来るその時までステージに立ち続けたいと望んだ。
だからこそマウスピースつけてトランペットを持った途端別人に変われたんだろう。
『完全なるチェックメイト』では稀代のチェス・プレーヤー、ボビー・フィッシャー放蕩が描かれていたけれど、 これにも通じるかもしれない。
イタリア?のツアーで窓辺に座ってインタビューを受けるロイは、 スタンダードナンバーを口づさみながら、歌詞を覚える大切さを語る。
詩の美しさにより、正しいメロディが判るから、スタンダードが好きなのだと。
ロイ自身、ああだこうだギャースカピースカ、カメラの前で口論して『ワタシがオレが一番ロイに貢献してるんだ!』という人間のために音楽を続けているのではなく。
アフリカ系アメリカ人が、音楽ビジネスだけでなく、音楽そのものの可能性を広げられたら
…と考え、行き急いでしまったんだろうと考えさせられるドキュメンタリーでした。