くだらないああくだらないくだらない
ここらで一休みしましょう。ふぅ。
そらさんの作ったフルーツチーズケーキを食べて(勝手に)コーヒーでも飲みましょう。
自慢できるうんちくは持ってませんが、コーヒーを一日に5杯くらいは飲みます。
夏場はアイスコーヒー。インスタントも可。おじいちゃんも可。ピタゴラスイッチです。
お茶も好きだけれど、やっぱりコーヒーかなぁ。
紅茶は冬しか飲まないし。でもコーヒーって喉が渇いては飲まないです。
喉が渇いたときは別。嗜好品です。コーヒーは。
よく会社で「え!?コーヒー飲めるの!?」とかいう不思議なことを言われましたが
どうやら、コーヒーが似合わないらしいです。
ミネラルウォーターとか野菜ジュースとか100%ジュースが似合うと言われます。
なんじゃそりゃ。似合う似合わないもないような気もしますが。
あとね、ベッドより布団。ベッドはどんなにいいベッドでも身体が痛くなります。
一千万級のウォーターベッドとやらに寝てもだめ。
慣れもあるのかなぁ。
格闘技を好きになって、身体の歪みが気になってたまらなくなってからは
ますますベッドが苦手になってきました。真っ直ぐになれない気がして。
あと私、うつぶせで寝るので、そのせいもあるかもしれません。
冬の掛けは、綿毛布、またはカシミア毛布、上掛けは羽根で。厚みの程よいものがいいです。
布団のシーツはコマメに替えて、枕は高すぎず低すぎず、通気性がよくて
丸洗い可能、タオルケットは絶対綿で、洗いたてでかりかりに乾いていること。
パジャマは出来るだけ露出が高いと感触が楽しめます。が、お腹も冷えます。
湿気吸収シートを敷き、あまり重ねず、必ず防虫ホコリ避け用のカバーにIN!
INする前には日光に当ててその晩は布団乾燥機をかけて、翌日陰干しを一日してから。
ニオイのつかない防虫剤と共に収納。息が出来るように余裕を持たせてしまいます。
これで来シーズンも素敵なお布団と再会できます。
畳屋さんが、お外でイグサを編んでいるとフラフラと吸い寄せられてしまいます。
パン屋さんと同じくらい吸い寄せられてしまい、畳替え欲求が高まります。
畳でお昼寝するのって、なんであんなに気持ちいいんでしょう。
でも畳が古くなってくると、ちくちくがついて、ちょぴりいやですが。
何それ…どんな記事やねん。
2005年9月1日(木)PM:1:38に上げた記事です。
畳とお布団最強ですね。愛を感じます。
洋風の素敵なお部屋もいいなーと思いますが、居間か応接間あたりで。
自分のくつろぎスペースは絶対たたみがいいな。
もしくはコルク張りも可。おじいちゃんも可。相変わらずピタゴラスイッチ見てます。教育テレビです。
そして次は、とうとう「神秘の水中基地」が来てしまいました。
突然ですが
またしてもバトンです。
そして回さない。一体何の意味があるんですか。
楽しいかもしれませんからね、試してみましょう。
芋を掘ってるつもりが、気が付いたらキュウリもいでた、みたいな気がしてならない
ちょっちぷんのフェチ・バトンです。
Q1 あなたは何フェチ?
この答え、当然「筋肉」と思うでしょうが…
かりかりに乾いたタオルフェチです。頭からぐるぐる巻きになって転がるのが大好きです。
Q2 異性を見るときまずどこを見る?
顔のバランス
Q3 最近プッシュできる部位?
プッシュ…ってどういう意味だろう…押せるとこ?
イチオシ!ってことかな。かかと。つるつるだから。
Q4 異性の好きな部位5つ
①広背筋
②ハムストリング
③大臀筋
④僧帽筋
⑤まゆげ
やっぱり筋肉フェチじゃん!という声が聞こえてくるような来ないような…
違います!ただ好きな部位とやらが思いつかなかっただけです!
Q5 フェチを感じる衣装は?
フェチを感じる…?盗んだものの、このバトン難しいことが書いてあります。
えーとえーとラッシュガードとスパッツですかね。
ショートスパッツでお願いします(?)ある意味ロンスパも可。
あとレスパン?昔の(笑)←レスリング詳しい人しかわからない
2005年8月31日(水)AM:11:37に上げた記事です。
バトンも楽しいです。自分語り大好き。
問1のかりかりタオルですが、不思議なことに娘も大好きです。
かりかりに乾いた洗濯物があるとダイブしてきます。やめろー。
それでもってもっと不思議なのは寝初めの体勢がまったく同じなのです。
模倣なんて全然しないのに。不思議だー。遺伝子レベルに組み込まれているのか!?(多分、違う)
あと、私は決して筋肉マニアではありません。本当よ、そらさん(笑)
この話題では、必ずそらさんの認識を変えようとするのが、最近の私のお約束です(笑)
そしてそらさんは「やっぱり…」と確信を深めていく、というネタです。
行き止まり人生
ここのところ行き詰まっています。
思考は霧のように散ってしまうし、散ったものは元に戻せない。
説教強盗というタイトルの記事にいただいたコメントに返した言葉通り
精神的なもの、心や感情、気持ちのことをぐだぐだぐだぐだ考えたところで
「アナタそうなのですか?」「はい、そうです」などとなるわけもなく
かと言って、人それぞれ全く違うものであることに定義づけをすることなど出来るはずもなく。
行き詰まり感いっぱいです。まあ、自己満足は出来ますけどね。
私は人に何かを「してあげる」ことが出来るほど成し遂げたことも経験も、豊かではないです。
誰かに何かをしてあげたい。それは素敵なことだと思います。単純に。
だけど早々出来るものでもない。
自分のためにしていることを、きちんと達成することによって
誰かにイヤな思いをさせたり、誰かを苦しめたりすることが減ればいいな、とは思います。
多分私は偽善者なのだと思いますが、やっぱり好きな人が苦しんだり
悲しんだりしているのを見るは、胸が痛みます。
何も出来ることはないのに、胸が痛みます。
それと同時にある特定の条件が加わることによって嫌いになった人に(相当に嫌いになったら)
「苦しめばいいんだ」「悲しみで気も狂わんばかりにわめけばいい」と思う気持ちも生まれます。
そういうのを偽善というのか、もうわかりません。偽善てなんだ?
自分自身は人を羨み、妬み、比較し、嘆いたり、悲しんだり、苦しんだりしたくない。
そうしている人を見れば自分を投影し嫌悪することもあります。
しかし共感することもある。そうだよね、わかるよ、その気持ち、と言いたくなることもあります。
ものすごく偽善的な言い草ですが、人を憎んだり、恨んだりするのはひどく疲れます。
日常でも、ちょっとした諍いや、誤解、言葉の足りなさが怒りを生みます。
そういう時、怒りにとらわれているときは、それに没頭できるのですが
怒りが静まり始めると、ただ、疲れます。
そういう空気に嫌気がさして、もうどうにでもなれ、と思います。
だけどそこで「私が悪かった」とは言えません。だって悪いと思っていないから。
悪いと思ったら、少しは意地を張っても、結局は謝るし、修正もすると思います。
良い悪いで判断することではないケースも多いですが、
悪いと思えなかったらどうすればいいのでしょう。解決はしないものなのでしょうか。
いや、そんなはずないじゃないですか。
人間誰一人として同じ生き物じゃないのですもの。
共感するところが多い人もいるし、まったくない人もいる。
でも尊重することくらい出来るだろう、おい。と思います。
良い悪いじゃないのなら、お互いがお互いを尊重すれば済む話のような気もします。
私は怒りやマイナスの要素をほとんど全て暴力に(格闘技)変えてぶつけます。
作り事とわかっている映画や小説の暴力シーンは見られませんけど。
戦場のメリークリマスで斬首されるシーンをうっかり見てしまい、
3日間液体以外喉を通らなくなったけど。
でも格闘技が好きなのは、MMAと言われながらも殺さぬルールで守られ
鍛え、やりたいと思う人だけがやるからです。
相手が及び腰のスパーリングは本当にいやです。
人に何かをしてあげることなど出来ぬ、と思うなら自己満足してりゃいいじゃん
と頭の中でもう一人のちょっちぷんが言います。
でもさ、それでいいの?ちょっちぷんは思います。
それで今日も迷います。
2005年8月29日(月)PM:10:51に上げた記事です。
暗いタイトルやなぁ…(笑)
この時はかなり行き詰まっているようですが、徐々にまた進んでいます。
生きているだけで人は「善」を押し付けられます。
だから「善」てなんなのかな、というのが大きなテーマでもあります。
思いやり、やる気、社交辞令、説教。
これらはみんな私が文章の中でテーマとした、自分の思考の最中心部であり
思考の根幹であり、「芋」に繋がっています。
「善」の一般的定義が何かは関係なく、私の中にある美意識に合致するものを探す。
そして、それが正しいか正しくないかはわからない。
けれど、それは特別なことではなく、日常であり、非日常でも持てなければならない。
余裕のあるときに、好きなものやことにだけ、持てるものは欲望でしかない。
欲望は悪いわけではなく、ただ「自己愛」に他ならないだけであり
私の美しく、恥ずかしくない形のものではないというだけのこと。
欲望でしかないことが恥ずかしいのではなく、
それを絶対的善きもの、と押し付けることが恥ずかしく卑怯に思えるのです。
ソバウド・ハラペーニョの憂鬱
ソバウドは、ちょっちぷんの夫にFFACのACって何の略?と聞いた。
夫 「ア***ト・チルドレンだよ」
ぼそぼそっとした答えだった。
ソバウドは驚いた。
ソバウド 「何!?アダルト・チルドレン!?そんなに深いテーマなのか!?」
夫 「深い?そうかな、深いかな。深いかもしれないね」
ソバウド 「主人公がそうなの?」
夫 「みんなそうだよ」
ソバウド 「なんだって!?」
夫 「なんで驚くの?冒険がテーマなんだから、みんな冒険するんだよ多分」
ソバウド 「……アドヴェント?」
夫 「そうだよ、そう言ったでしょ」
ソバウド 「そうか…アドヴェントか…それは正しいテーマだ…」
夫 「?」
ソバウドは思った。ミラ・ジョヴォヴィッチのことをみら・じょびぼびっちとか言う
ちょっちぷんの夫を信じられないから、聞き間違いが起きたのだろうか。
ジョン・ボンジョビすらぼん・じょんぼびになる、ちょっちぷんの夫…。
まあいい、FFACは
ファイナルファンタジーアドヴェントチルドレンだということはわかったのだ。
ちょっとした聞き間違いだ。ぼそぼそ言うから聞こえなかったのさ。
ソバウド・ハラペーニョは暗い思考を吹き飛ばし、ブラジルの音楽をかけ始めた。
今年も、少し寂しい浅草のサンバカーニバルを見たんだ。
母国のカーニバルとは、そりゃ天と地ほども違う。
だけど日本でもサンバはあるのさ。
ソバウド・ハラペーニョはビールを飲みながら母国ブラジルを思い出しニヤリと笑った。
夫 「ソバウド、明日も早く起きるんだから早く寝たほうがいいよ」
ソバウド 「ああ、このビールを飲んだら寝るさ。歯を磨いてな」
夫 「おやすみ」
ソバウド 「おやすみ」
2005年8月28日(日)PM:11:16に上げた記事です。
仲良くしていただいていた、笑い男さん(ヤフーは閉鎖されています)の記事を読んで書いた記事です。
実はこのソバウドシリーズ、私の中ではかなりのお気に入りです。
常にソバウドネタで何か書こうとしてしまうので、意識的に封印しています。
何ヶ月かに1回くらいの割合でさりげなく続けたいシリーズです。
全体テーマは「うわ…コメントつけづら…」です。
幸せってなんだっけ?
ポン酢醤油があることです。(古っ)
確かにないより幸せだわ。鍋にはポン酢!
たまねぎにもポン酢!竜田揚げにもポン酢だよ!
何か。
ブログに書きたい。書こう、と思うことがいくつかある。
その中には自分で自分の何かを探す。
自分の過去を検証して、前に進む。
ということも含まれる。
前々からよくあることだけれど、停滞期みたいなものなのか
何かを考えても、ほんの少し何かに気をとられたり
ほんの少し視点を変えたりするだけで
考えていたことが、ぱーーーーーっと霧のように散ってしまう時期がある。
慌ててその散らばったものを拾うけれど
何かが足りないのか、それを再度形作ることが出来ない。
そのいくつも散らばった何かがたくさんあるけど
何一つ形にならない。
私の毎日には、たくさんのことがあって
たくさん考えたいことや、考えないと無くしてしまいそうな感じがすることがあって
それが多すぎるのか、全部やめてしまいたくなるときもある。
捨て鉢になったり、悩みすぎてどうこう、という感じではないのだけれど
ちょうどいい言葉が思いつかない。
面倒になる。
それが一番今のところ合っているような気がする。
実際日々は何も考えず、何も悩まなくとも時間は過ぎて
深く思考したり、深く悩んだり、「何か」を得ようとしなくとも
自然に得るものもある。
たまに、「よく考え、壁に当たった人ほど深みがあって熟成する」という
ことを見聞きするけれど、最近それが本当なのかなぁ、と思うことも多い。
それは夫に出会ったせいが大きいと思うのだけれど
夫はハッキリ言って、格闘技のこと以外はほとんど悩まない。
人間関係で辛いことがあっても、それを思考して乗り越えたり
自分を熟成させて乗り越えようなどとは露ほども思ってはいないと思う。
だけど、上手く言えないけれど、私は夫よりも人生を楽しんで
一人で立っている人を見たことがない。
もう随分前だけど、サークルで知り合った人はみんな所謂エリートという人で
官僚になったり、物産系に就職したり、医者や弁護士になった。
キレイで育ちの良い奥さんをもらい、いっぱいボーナスをもらって
ジャグヮ(笑)に乗って、素敵な靴を履いている。預金は常に八桁はくだらない。
でも幸せじゃない、と言う。
あるフランス領の沖合いでタコを輸入していた人は心を病んでしまった。
ボクは今まで挫折をしたことがない、思った通りの人生を歩んできた
と言っていた先輩は自殺してしまった。
今まで手に入らなかったものはない、と言っていた人はお子さんが
犯罪を犯してしまい、ノイローゼになってしまった。
両親がアルコール中毒で、虐待されて育った人は一生懸命
自分を取り戻そうとして闘っている。
だけど普通(ってなんだろう)の家庭に育った人を見下す。
わりと幼いころから「うつ」と闘ってきた子は、いつも世を憂えている。
私は自分が人生に何を求めているのかよく考える。
いっぱいいっぱい考えると「怠けたい」に尽きる気がしてくる。
だらだら、と好きなことをして、好きなものを食べて
好きな人とだけ会って、好きなだけ眠って
雨が降ったら遅刻して、風が吹いたらお休みしたい。
努力なんかしたくない。
会う人全員に好かれたい。
楽しいことをしていたい。
それだけ。別に成長なんかしなくてもいいやぁ、と思う。
でも人に迷惑をかけるなら、それはイヤだなぁ、じゃあ頑張ろう、とも思う。
お荷物のように生きるのはイヤだから、なるべく自分のことは自分でやる
出来ないことをしてもらったら、感謝する。
自分にしてもらったことは還元したい。
怠け者ですから、こんなもんです。
私はよく人に働きものだね、とかキレイ好きだね、と言われるけれど
それもこの怠け心がそうしているのです。
働かないと怠けられないから、怠けるために働くし
汚くしていると、いつか片付ける日に大変だからキレイにしておく。
働きものでもなけりゃ、キレイ好きでもない。
いろんなことを知りたいと思ったら、知りたい気持ちとはかりにかけて
努力するときもある。
やりたいなーと思ったら、やりたい気持ちとはかりにかけて
努力するときもある。
でもそんなの努力でもないかなぁ、とも思う。
何が自分にとって幸せなのか、まだわからない。
けど、夫を見ていると羨ましくてたまらない。
夫みたいに生きていくのが、もしかしたら私の理想なのかな、と最近思う。
だって夫はいつも「おれって幸せだなぁ」って言うんだもの。
2005年8月27日(土)PM:3:26に上げた記事です。
この記事もある意味完成されています。好きです。
万人にとっての幸せとは何か、ではなく「ちょっちぷんの幸せ感を味わいたい」ということです。
これもあれよね、相対的な幸せとか世間が認める幸せじゃなく、自分が置かれた状況を
そっくりそのまま受け入れること、セルフ・エスティームにおける幸せ、それが私の幸せってことよね。
人の価値観に則って生きていると勝ち負けや優劣にこだわる気がする。
てんてんてん…
ついこの間、話したことなのですが。
なかなか親しくしている人が私と会う時に決まってする話があります。
「幸せでいいな~」
彼女は私の夫を、どこか見下しているようです。
高収入ではなく、細かい議論が出来ない。
安定した職業に就かず、また就く気もない。
人の心の機微がわからず、友達甲斐がない。
というようなことをよく言います。
だけど。
育児にしっかり関わっている。
私を尊重する。
家庭の関係がよい。
自信に満ち溢れている。
から、羨ましいと言います。
会話の締めは「ちょっちぷんは幸せだよね~」
なんだかよくわかりませんが、羨ましいそうな。
これをよく私なりに分析しています。
彼女自身を私から見ると、ものすごく抑圧していて
感情を素直に表現することに恐怖感があるように見えます。
だから、ものすごく他人に対して攻撃的に見えます。
まずは対峙する相手をくさして、自らの立つ場を作ろうとする。
「なんであんなダサい服平気で選ぶのか神経がわからない」
「貧乏な暮らしが出来る人の気がしれない」
「飲みたいときに飲めない人生なんか生きる価値がない」
「小難しいこと話されてもバカだからわかんない」
こういう言葉をよく言います。
あんまりしつこいと聞いてるだけでイライラします。
それをわざわざ告げることにどんな意味があるのか、私はそっちのほうがわかりません。
そして私を怖い、と言います。なんでだろう?
こういう話をして私が彼女に対して怒るとき、それは彼女がお酒を飲んだ勢いで
夜中や、娘の寝る時間に、飲んでいる場所から電話してきたときです。
大抵
「明日しらふで電話してこい」
と言って切ってしまいます。
相手にしてたらキリがないし、真剣に話したところで翌日
「ごめーん、昨日私電話したぁ?酔っ払ってて覚えてなーい」
と言うので時間の無駄ですから。
私は飲めないので、飲む楽しさを知りません。
でも楽しく美味しく飲むお酒は羨ましいですし、
飲めたらいいなぁ、と思うこともしばしばあります。
私にとって、お酒を飲むのは娯楽に位置付けられていますから、楽しくなけりゃ意味がありません。
でも、普段抑圧している感情をぶちまけるために飲む人は嫌いです。
酔って絡む、ってやつです。
しつこくされると暴れ出したくなります。
て言うか、ちびっちゃいちょっちぷんですが、持てる限りの怖さをフルパワーで青い炎にします。
いつもは楽しく飲めるけど、今日は出来ない、というのなら我慢もします。
見なけりゃいいのです。黙っています。話を聞いてというのなら黙って聞きましょう。
でも、いつもそうだと背後から勝手に青い炎が出てしまいます。心が狭いですから。
彼女はそういうタイプで酔っては乱暴な口調で誰にでも絡み最後は泣いて寝てしまいます。
日々、何か我慢ばっかりしているのだなぁ、と思います。
だから一切我慢などしない夫を見ると羨ましい反面腹立たしいのかな、と思います。
「いいよねぇ~能天気で、何も考えてないんでしょう」
「悩みがなくて羨ましい」
「言いたいこと言って楽しいでしょう」
と言います。
人のことに興味のない夫は「うん」と言います。
でもさ、夫は言いたいことを言って非難されても受け取るし
言いたいことを言うために生じるリスクは負ってるよ。
そもそも言いたいこと自体が人様への要求でもないし。
誰かに認められたり、理解されたり、敬われたりすることを求めもしない。
自分が自分のまま生きることを求めているだけだよ。
何にも悪いことしていないのに責められてるみたいだよ。
と、夫が大好きなちょっちぷんは思います。
夫と出会う前、結婚するならこんな人、的な話をした時
ちょっちぷんも夫みたいな人、話だけ聞いたら絶対イヤだな、って思っていました。
結婚生活はこうであって欲しい。
結婚相手はこういう人がいい。
幸せはこういう形。
いっぱい希望も欲望もありました。
今持っている幸せは、それとは全然違う。
お互いが実家で享受していた生活レベルではないし
夫は高学歴でも高収入でもない
活発な議論があるわけでもなければ
日々の瑣末なルールなどは全く価値観も違う
人生観も違えば、生活観も違う
嗜好も違うし、美的な価値観も違う
だけどさ、夫は私の太陽だよ。
いま、独身時代に望んだ理想の形の生活が出来る、理想の相手が現われて
「ちょっちぷんさん、結婚してください」と言ってくれても、私は夫がいいよ。
私と夫は二人でいるとき、どこも曲げはしない。だから幸せなんだもの。
幸せの形は様々で、自分が一番欲しいものを求めて
それぞれ生きていけばいいじゃん。とちょっちぷんは思います。
きつい人生だろうが、苦しい人生だろうが、人は人、自分は自分。
2005年8月26日(金)PM:2:37に上げた記事です。
自分の心にある卑怯だったり、打算的だったり、飾り立てたりしていることだったりを認められず
人のせいにするやつ嫌い。
悪意があったわけじゃないんだよ、と言って人にしたことを自分にされると怒るやつも嫌い。
バットケイブでラオウを育てる
歯は痛いし、外は雨、湿度はすごいし、はぁ~…。うんざりします。
ブログも重いし、相変わらずコメントは入りづらくなっています。
変な掛け声入れないと押し出されてきません。北斗の拳並です。ほぁたっ!!
カッコイイわ…ケン。
あまりにも重いし、この閑古鳥ブログの記事を整理しようと思い
みなさんのマネッこして、ちょこっとお引越ししようかな。
ま、引越しって言ってもくだらないブログですから、そうそう残しておきたい記事もなし。
でも記念に残しておこうかな、という程度。新規更新もする予定はありません。
いろいろあちこち巡ってみました。その数20件近く。
一番可愛い背景がある、これまたブログ全体が閑古鳥なとこに巣を作りました。
よいしょよいしょと記事を写し、こちらの記事を削除し、してるのですが。
驚いたのはそちらのブログ自分以外誰も来ないんです(笑)
一気に20記事くらい上げたのに。
誰一人ですよ!いや超閑古鳥!イケてます。何でも書けます。
よし、あそこを悪の洞窟にしよう。あそこでラオウを育てます。
今まで公開しなかった記事もあそこなら安心です。
娘の写真でも載せられます。いや、載せないけど(笑)
夫の練習仲間の写真はばんばん載せられます。
元オリンピック選手の筋肉とか
柔術黒帯選手の筋肉とか
背中に水牛飼ってる男の筋肉とか
ビッグアプセットかました風俗好き選手の筋肉と脂肪とか
筋肉ばっかりかよっ!!
だってアノヒトたち出たがりなんですもの。
他の人はブログなんかに自分の写真載せられたら怒ります。
でもアノヒトたちみんな「載せて載せてぇ~」って(笑)
変態集団。
リングに上がってる人なら当たり前か。
2005年8月25日(木)PM:1:45に上げた記事です。
北斗3兄弟(あと1人いたっけ?)で言えばラオウ派です。
バットケイブ計画は頓挫しました。
こんなこと書いてるから、そらさんに筋肉マニアだと信じられてしまうのだ。
そらさん、それは誤解です(笑)
大好き!えーと6だっけかな?
天気悪いなぁ。
なんか台風が近づいてるとか…?
梅雨でじめじめ鬱陶しい天気が続いて、やっと梅雨が明けたら即猛暑。
暑くて暑くてバテバテになって、やっと涼しくなり始めるかな、と思いきや
台風オンパレード。秋の長雨ですか。
やな季節!
私は秋が好き。でも雨は嫌ーい。
家にいるときに雨が降るのは好きって言う友達は結構いる。
雨は詩的な感じだし、雰囲気がある。
でもやっぱり晴れた方が好きかな。
洗濯物もガリガリに乾くくらい湿度がない秋の晴れた日。
自転車に乗って買い物に行ったり。
自転車、大好き。
車ほどかさばらないし、停めるところにもそれほど苦労しないし
自分の足で漕いで、結構遠くまで行けちゃう。
秋の晴れた日は自転車に乗ってどこかへ行く。
普段は通らない道を通って、普段は見上げないところで上を見て
なんだか知らんが気持ちイイ!
春は次に夏が来るからあまり好きじゃない眠いし。
夏は暑いし、やたら空気のテンションが高くて虫が多いから嫌い。
秋は次に冬が控えていて、なんかちょっと寂しいような気もするけど好き。
冬はぴりっと乾燥しているからお肌には良くないけど好き。
秋と冬には自転車にたくさん乗る。
春と夏は汗をかくし、服が汚れるから乗る機会は減る。
自転車に乗っていると不思議と鼻歌を歌いたくなる。
そういえば、近所に「怒鳴りながら自転車に乗るオジサン」がいるなぁ。
結構昔からいるような気がする。
一人でずーーーーーっと怒鳴ってなんだか怒っているオジサン。
「天ちゃんがミサイルを落とした!」
とか言ってた。よく考えると怖いな、このオジサン。
人が近くにいるとボリュームがだんだん下がってすれ違う時にはすでに囁きレベルなんだけど。
あんまり気にしたことなかったけど、何か怒りの琴線に触れることが多いのかしらん。
自転車に乗っている人の何割かは大抵口がパクパクしている。
あれは歌を歌っていると信じてたけど、実は何かに怒りを感じているのかも。
とりあえず私は自転車に乗るとゴキゲンでぐんぐん漕いでどんどん走る。
車は嫌いじゃないけど、自分の足で漕げる自転車の方が好き。
おしゃれな自転車じゃなくてもいい。
いわゆるママチャリでいいから、少し遠くへ行ってみたくなる。
自転車。赤くて可愛い籠がついている、ちょっぴりスピードが出るタイプ。
で、ハンドルからサドルにかけては絶対に1本!
細いのと太いのが2本ついてるのはダメ。嫌い。
1本だけ真っ直ぐに少し下の方についているのが好き。
プジョーの赤いのは可愛いかったなー。
自転車乗りたいなー。
でも今日は雨だから家でおとなしくしていよう。
2005年8月25日(木)AM:10:34に上げた記事です。
へっへーこの後、クリスマスにママチャリを買ってもらいました。
パウダーピンクというかベビーピンクというか、すごーく可愛い色でお気に入っています。
あ、気に入って、の前の「お」はミスタイプではありません。
子供を前に乗せるには向いていないけどプジョーの自転車、いいなぁ。欲しい。
最近、とっても好きなブログが2つできて、そのうちの一つのオーナーさんの愛車らしい。
ちょっと悔しい(笑)
太陽の男
コメント数の半数近くがトコロテンを押し出す掛け声に占められている閑古鳥ブログです(笑)
全然コメントが反映されなくてグレそうです。おるぁ!グレています。
コメントが出るなら、どんなヤツにもマウント取ってタコ殴りです。
近くに人がいると更新しづらい、という話をこの間したばかりで
私も夫がいるときは、更新しづらい、と言ったら
こっそり見てるのかな?という疑問があったのですが。
見てません(笑)
アイツは人に興味がない男なのです。孫悟空ですから。
孫くんはブログなんて多分見ません。
恋人が携帯を目の前に置いてオフロに入ってもこっそり見ることはありません。
基本的に興味ないから(笑)
ウインドウに開いてあれば、たまに見ていますが
ま、ここに書いていることは基本的に夫とも話したことはあるので
再度読むほどでもないのでしょう。
しかも、こういう話をしても大抵夫は「きょとん」としています。
何でそんなことをいちいち明文化して整理するのかわからないようです。
理屈は通じない男です。孫悟空ですから。心と身体で勝負です(笑)
ウチの夫婦、携帯電話をフリーで使います。
夫の携帯がない時は、出かけるとき私の携帯を持って行きます。
どっちがどっちを持っても構わない、という感じなのですが
この話をすると大抵の人はたまげます。
私もそんなこと夫と会うまで信じられませんでしたよ。
えー!あーりえーなぁ~い!です。
隠し事があるとかないとか以前に信じられない、と言われます。
でも面倒じゃなくて結構良いです。
コレもまた太陽を守護神に持つ最強に自己チューな男である夫の素敵な性質のせいでしょう(笑)
2005年8月24日(水)PM:3:57に上げた記事です。
携帯電話を手帳やメモ帳的に使ったりパーソナルなもの(それが普通だと思う)として使う場合は
こんなことしてたら、混乱しますね。
ちょっちぷん夫婦は携帯電話をカメラ、アドレス帳つきの固定電話子機とみなしているような感じです。
これも夫がアウトローな職に就いているからでしょう。
うちの孫くん、今日もトレーニングに行きました。
最近、格闘スタイルを変えたせいか体脂肪率が5%を上回ることが多いので
単純運動量を増やしたみたいです。
コンタクトスポーツには脂肪もある程度あったほうが良いと思うんだけどな。
「芋」についてもう少し
ドラえもんを生み出す芋。
なんのことだかさっぱりわかりませんね。
もっと抽象的に例を出して例えると、とっつきやすく、わかりやすいのかもしれません。
が。これを例を出して例え、抽象的にぼかしていると、途端に嫌われます。
その良い例が「平気でうそをつく人たち」の本のエピソードです。
なので出来るだけ、ストレートに書いてみようと思います。
ドラえもん=他者をスケープゴートする行為
芋=自己の完全像を守るために他者をスケープゴートしようとするメカニズム
現在、私の中ではこういう風に位置づけられています。
何故、このテーマは嫌われるか。
それはきっと誰の中にもあり、日々行われ、瑣末で、かつ抽象的な、部分、部分に
巧妙に組み込まれていることで、蓄積され、少しづつ蝕むことだからでしょう。
この「芋」はきっと、どの人の中にも棲んでいて、自然とそれを叩き、戒め
生きられる人もいれば、この「芋」に支配されきってしまう人もいる。
「芋」に気付き苦しんでいる最中の人もいれば、気付いても苦しまぬ人もいる。
全ての中間の人もいれば、様々な形があります。
何がどうなったら、「良い」のかはわかりませんし、それは定義しない方が良いような気がします。
定義すれば、それは結局マジョリティーであるかマイノリティーであるかにわかれますし
マイノリティーが「悪い」に属されてしまう可能性が高く
そうなれば、そこにまた新たな論点が生まれ、ただただ少数派を圧迫していくだけだと思うので。
一つ一つの違いを楽しんで生きていきたいし。
ただ、私は私の中にいる「芋」が暴走し、私を支配するのは許せない。それだけのことです。
そう思うことすら違う、と感じる人もいるでしょう。
そのどちらが良いか悪いかということを言いたいのではありません。
どちらに転んでも、自分が選ぶ、ということを言いたいのです。
そしてそれは必ずしも大多数の意見を取り入れなくとも良いことだと思っています。
感じるのは自分でしかないですから。
例を上げるのなら、自分がいいでしょう。
数日前、私がよくお邪魔するブログで「頭の良い人」について書いてありました。
対比したものも書いてありました。
上の文章を読むと、頭の良い人についてのみ書いてあるようですが
実際の文章は、一つ大きなテーマがあり、それはまた別のことなのですが
対比したもの、を簡潔に表せば「バカ」になるのかな。
対比したもの、にどちらかと言えばかなり近い私は
読んだ後に注目していたのは、頭の良い、悪い、についてでした。
しかも一般的、もしくは自分の定義するところの、良い、悪いではなく
自分が「良い」か「悪い」か、です。
ここに一つ「芋」が生まれる土壌があります。
上手く書けるかな、ちょっと頑張ってみます。
私の思う「頭が良い」と、その方の思う「頭が良い」は違います。
私の思う「バカ」と、その方の思う「バカ」は違います。
そして私は「頭の良い人」が好きか嫌いかと言えば、好きではなく
「頭の良い人」になりたいか、なりたくないか、と言えばどうでも良い。
これは大前提であります。
なのに。
その方が書いた「バカ」に見える条件をあげた方に自分を投影しています。
それは、虚栄心やナルシシズムに支配された
他者に認められ敬われること、への欲求が為したのでしょう。
ここで、その文章を読み、虚栄心やナルシシズムに支配された場合の頭の中で変換されたら
「あんたバカみたいに見えるよ」
なんだと!むきー!じゃああんたは何なのさ!となります。
これを実際に私が意識できるレベルで思考したか、と言えば
そんなことはなかったのですが、無意識レベルでは、ないとは言えません。
あったから同一視したのでしょう。
しかし、現実には誰もそんなことは書いていません。
その方にはその方の、私には私の、形があります。
そして、自分がいつも書いているように文章は常に誰かに語りかけていると
決まっている代物ではないのです。
ただ、思うことを書いている、自分で自分に語りかけている、様々な形があります。
わかっているのにそれはストレートに同一視させる何かに入り込みます。
ここまでは、私の場合あってよいことです。
自分に「何故?」と問うことの出来る場所であり、思考だからです。
しかし「芋」に支配されているとしたら、これを論じて叩き潰さねば気が治まらないでしょう。
人に認めさせることでしか、自己の完全像は守れませんから。
上に書いたように、頭の中で起きた「自己を他者によって否定されたと勘違いする変換方法」しか
知らなかったら即「なんだと!むきー!じゃあ…」と続くでしょう。
そうなったら、他者の思考を捻じ曲げてでも自己の思想に変換することに没頭してしまいます。
違うものは違う。それは曲げられるものではないのです。
それを何度も、強く、正論に聞こえる言葉で、曲げようとすることで
曲げられそうになった人は深く傷つきスポイルされ心を閉ざしてしまいます。
そんなことこそあってはならないと思うのです。
違いを感じ「何故?」と問う、会話する、結果としては違うまま終わる、表現が違うだけだった、
発想方法を変えることによる答えの改め、これらは傷つくこともありますがスポイルはされません。
むしろ理解は進むのではないかと思います。違いを受け入れていますから。
私の思考を例えにとって、文章を書いたのですが、これを読んで
そう感じた文章、というものに注目する方もいると思いますが
文章自体には何ら問題もなく、決め付けも、押し付けもそこにはなく、その方自身も素敵な方です。
好きでよくお邪魔させていただいているのですから、その他の文章も素敵です。
そこから様々なものを見出して、糧にしていますので、その辺は誤解されると困ってしまいます。
素敵じゃない人の文章は何度も見にいけません。
2005年8月24日(水)PM:3:24に上げた記事です。
うん、なかなか良く書けています。と自画自賛。たまにはいいべ。
この記事は思考の流れやスタイルがよく出ていて自分では満足のいく文章です。
今読んでも「そういうこと」と完結できます。
成長過程の文章だと追記が長くなりますが、ある種の完結を迎えた文章には追記があまりないです。
細かく揚げ足をとりながら、重箱の隅をつつけば色々あるんですが。