☆空飛ぶ もとちくれった 出張所☆ -14ページ目

アル・ジャディ

ここずっと、ブログを始めたときのことを考えています。
よくみなさんがコメントにくださるように、ブログには好きなことを書き
あるがままの状態で、休みたいときは休み、書けないときは無理しない。
そういう気持ちは私も持っています。
そのことに疑問を感じているわけでもなく、それを懸念してどうこうではないのです。

私は以前も書いたけれど、ブログにおける信条は特に持っておらず
ここで発する言葉はパソコンのこちら側でも発する言葉であり
生きる上での信条と変わらぬものは持っています。
人の権利を侵さない。それだけ、と言ってもいいかもしれません。
出来るだけ誰も不愉快に思わないようにしたいけれど、確実にそうすることは「知らない」以上は無理です。
そして万人を知ることは私には出来ない。
万人を知ることが出来ないからといって、声の大きい、大多数の「それ」に従うつもりも別段ありません。
万人を知ることが出来ず、手立てがないからといって、1人不愉快と何万人不愉快とを
比べてどちらがいいかという選び方は好きではありません。
ならば、自分が信念だと思うものを選びたい。仮にそれが穴だらけで間違っているとしても。
納得して選んだ以上、それに付随する責任(この言葉は使いたくないけど)は自分でとる。
とれなくてもとる。

別にうつうつとしているわけではないのですよ。
全然普段と変わりないのです。
改めて自分としてはどうなのか考えているだけなのです。ここに書くことが。
今日書いている内容とは主旨が違うのですが、ブログの機能の話からもそれを考えました。

私がブログを見るのは、主に「個人の考え方」「そこに至る過程」を知りたい
「違う」ことを知りたい、心の動きを参考にしたいからです。
それらを知って、違いを糾弾したり、嘆いたり、評価したいわけではありません。
「違う」ことは評価の対象ではないです。必ずしも好悪につながるわけでもないですし…。
そして、それらを「知る」こととは一部分だけというわけではないので必然的に長くかかります。
これには終わりがある、と考えるほうが不自然かな、とも思います。
かと言ってそれがずっと続くかと言えばそうとばかりも言い切れません。
ふと「もういいや」と思うことも少なからずあります。
だからこそ、好悪が私の中では大事な要素なのかもしれません。

私の「何か」を無理やり変えようとしたり、誰かの「何か」を押し付けたりされなければ
明らかに戦闘民族の私ですが、人を否定したり、攻撃したりはしません。
それさえなければ多分私は、お腹いっぱいのロバくらい幸せにのん気に生きています。
ただ、ひとたび戦闘態勢に入ったときは、軍神マースのごとく闘いますが。

少し前にchargeupさんちで、マニュアル人間という記事を読み、その文章にすごく考えさせられました。
(記事はこちらです:http://blogs.yahoo.co.jp/chargeup2003/18247915.html )
マニュアルを持つも持たぬも、私は特にこれといって思うところはありません。
それを人に当てはめて押し付けるわけではなく、自分の中で確立させていくのは
生きていれば誰もがしている作業なのかな、とも思います。

「分類もダメ、決めつけはダメなどと、だって決めつけないとその先に進めないではありませんか。科学実験だって仮説から入ります。仮説が正解でなければ修正すればよいし、物事には必ず例外があるのに、そんなグラグラの意識で何ができるのでしょう」

と書かれた一文を読み、ぽんと膝を打つ思いでした。
そう、私は分類も出来るだけしない、決め付けに至っては自分の中ではナシとしています。
確かに、だからこんなにグラグラの意識なのかも!と思ったのです。
ただ不思議なことに私もまた仮説を立て検証し、修正したり例外を組み込み自分の中で
何かを確立していっています。
それで考えたのが、何故私は分類を出来るだけせず、決め付けはナシとしているか、ということなのですが
分類は多分出来るだけしない、と考えているだけで恐らくかなり細かくしているのでしょう。
どちらかというと「決め付け」をナシ、と捉えていることの方に注目したのですが
私は決め付け=決定事項であり、覆さぬものとして捉えているようです。
そして覆さぬもの、として捉えるためそれを全てのものごとに対処する軸にしていくことを
したくない、そう考えているのではないかと思ったのです。
そう考えると、私のこのブログの性質を見てもわかるように関心事が「人のあり方」なわけですから
そこにこれを当てはめていくと、その「決め付け」が相手をも決め付けてしまうということを
懸念する、ということになるのかな。だからナシなのかもしれません。

ところが、これを「人のあり方」などに限定せず、きちんと世の中の出来事を俯瞰して考えると
自分もきっちり「決め付け」を必要としているのですよね。
例えば「会社に行くためのドレスコード」こんなこと事細かに社員規定に書いてありません(よね?)
この例はテレビを見たり、街を行く人を見たりして自然と覚えるのかもしれませんが
たまに暗黙の了解的に「女性はパンツスーツを履くべきではない」的なルールのある会社もあります。
そういうのは何かしらマニュアル的なものを必要としているし、どこかで何かで知ったことをふまえ
決め付けて(決めて)いかねばなりません。

で、ここまで書いていてもわかるように、すでにこの考え方自体が「決め付け」の一つでもあるわけです。
ということは、「決め付け」が他者に「押し付け」となって向かわなければ
よいと思っている、そう考えても良さそうです。
そして自分の中ではその決め付けを必要とし、そして持っているのでしょう。

私は生きるうえでの成長過程をある程度、仮定(しゃれじゃないよ♪)しています。
最終的にはソクラテス、とよく言っていますが、利他的にもなりたいのです。
思いやり、という言葉には非常に懐疑的な思想を持っています。
思いやる、という行為はそう簡単に出来るものではないと考えているからなのですが
これは極論なのかもしれません。
私にとって思いやりとは万人に向けることが出来るものだからです。
Aさんに出来て、Bさんには出来ない、それは私の中では思いやりではない。

ただですね、上に書いたようにこれもまた最終的には利他的なソクラテスを目指す過程でしかないのです。
その過程は仮説によって支えられており、私は毎日それを検証しているのです。
それはそんなに短いスパンでほんの少しの事例を見て決定できることではないのです。
私の中では。
当然、どこかでこの考えも変化を得ることは充分考えられます。
常々、私が私の書くことを人と共有したくない、と言っているのはこのへんの意味があるのですが
人の思考は、常に変化の一過程でしかないと捉えているので
その一部分を知り、あーだこーだと変化を迫られる必要はないし、
そでなくても、他者と議論してその過程を過ぎたいというわけでもない
とそういうことが言いたいのですが、書けば書くほどわけがわかりませんね。

つまり考え方を「間違っているから改めろ」
「あなたのここは問題だから、それをどうにかするためにお話しましょう」と言うのは
「転んだら痛いから転ばないように」と抱え込まれることと同じ、
または「転んでみなさい、こうです。こう転んで、そうそう角度はどれくらいでしたか?
傷は?その傷の様をなんというか知っていますか?それは擦り傷ですよ」と背中を小突かれながら
無理やり経験させられるのと同じように思っているということです。
うーん…。誤解を招きそうだなぁ。「私が」望んだか望まないか、そして助言を求めているのか
話の中でひとつのヒントを得ているだけか、そういう違いを言いたいのですが…。
上手く説明できなかった。

転んだ痛みを経験しないで生きるのは転ぶことの本質を知るチャンスがないということで
それは私にとってはとても恐ろしく、つまらないことなのです。
私にとって、転んで、その時どんな風に感じるのか、どんな痛みなのか、どんな傷なのか
それが治るのにどれくらいかかるのか、それらを知ることが、そして自らの意思で経験することが
私の人生のアル・ジャディ(北極星)なのです。






2005年12月13日(火)AM:10:36に上げた記事です。

融通をやたらめったら要求される職場と、融通を効かすということが良くない職場とあるとは思いますが
マニュアルを重要視する人を煙たがる人は結構多いかもしれません。
その多くは個人的にいい意味、悪い意味を兼ねた「いい加減」さを責められたくないという
自己保身だと思うのですが、マニュアルが通用しないことも、まああるだろうなとは思います。
対人関係のマニュアルは血液型分類や、○○人の真っ赤なホントシリーズ的な要素を多分に含んでいて
細微な感情のひだには対応しきれないであろうという推測です。
恋愛とか職場の人と上手く付き合う方法、とかですね。占いに近いような気もします。
でも職場でマニュアル、と呼べるものを作れる能力のある人間(あまりいないと思う)がいて
それを「マニュアル」として指導の要にするならば、マニュアル外の個人的応用は
ゼロに近くするのが企業努力だと思います。
あいつはマニュアル人間だ、とか言って人を見下そうとする人だってファッション雑誌とか買って

ファッションじゃなくモードに踊らされてたりするし。自分も充分マニュアル人間だよね。

そしてまーだ、ブログについてごちゃごちゃ考えてます。
けれど、結構な時間を費やし、自分へのメリット、公の場におくことへの自己感覚を徹底して考えられたのは
後々とても良かったと思いました。
思いやりにしてもブログにしても説教族にしてもそうだけれど、みながこう思うべきとか
それが絶対的な唯一の真理などとは思っていませんが、自分の中の美意識が納得する形を追及するのは
私にとってはものすごく大事なことだな、と最近改めて思いました。
同じく、私と同じ思想の人が素晴らしい人だとか、そういう評価的なものとも一切関係ありません。
だけど、表現が追いつかないこと、言葉が足りないこと、魔法使いの言語体系などが
誰かしらに対して「それは違うんじゃないの」的、思想の転換を提示したくなる気持ちを呼び起こすことも
かなりの確率で多いのではないかと、年末に思いやりのことを書いて思いました。

こうやって、人は自己認識を組替えてゆくのだな。精神分析的に言えば。
それが出来ないと病気とみなされるのはいかがなものなのか。
昨日お休みしたので、ちょっと長く追記してみましたが、ここ2、3日4時間以下の睡眠なので
脳みそが熱いです。今ひとつ自分が何を考えているのか実感していないような感じです。

胡弓の音色

自宅のすぐそばに結構大きな公園があります。
小学生男子たちが、私の大好きなだんすぃワールドを繰り広げている公園です。
なかなか広々としており、木でできた遊具にぶらんこ、今はなんだかわからない様子の砂場
遊歩道に東屋があり、緑もわりと豊かです。

シルバー人材センターの方でしょうか、おじいさんたちが毎日午前中は掃除にきています。
今の時期は、たむろする若者達や、帰りたくない恋人たちが愛を語らうことも少なく
ゴミも少ないのですが、枯葉がすごいことになっています。
赤や黄色の葉っぱは、自宅から眺めると、それはそれは美しく
風が吹くとはらはらと舞い散る様は胸を打ちます。打ちますが。

落ちて山となっていると遊ぶにはちょっと不便です。
犬を散歩に連れてくる人もとても多いので、枯葉の山にしーっとされることも多いです。
ただの枯葉の山なら、手袋でもして掴んで投げたり、きれいな葉っぱを探したりもいいですが
しー、のかかった葉っぱはちょっと…(笑)
放火なども懸念されてでしょうけれど、おじいさんたちが毎日その枯葉を掃除してくれます。

そこの公園に、毎日午前中来る、とても雰囲気のあるおじいさん。
おじいさんは手に、皮で出来た袋と魔法瓶、巾着に入れた竹皮に包まれたおにぎりを持っています。
公園につくと何かの儀式のように、念入りに手を洗い、日本手ぬぐいで手を拭き
皮の袋から胡弓をとりだして、お昼におにぎりを食べるまで弾きつづけます。
ほとんどはメロディー自体も聞いたことのない曲なのですが、まれに童謡や唱歌を弾いたり。

初めて気付いたのは、洗濯物を干しているときでした。
どこからか聞こえる弦楽器の音色は古いラジオから流れているようで
私はどこから聞こえるのか、それが何なのか知りたくてたまらなくなりました。
物悲しく響き渡る音色は、私の中にある何かを激しく揺さぶります。

毎日、頭の中で色々なことを考えます。
自分の心の動き、「自分」という個人が確立できること、子供の成長
結婚した後のこと、両親のこと、人の心のこと、違いのこと、世界のこと
妄想、楽しめること、新作の本、ずっとずっと考えます。
今、私は何かを書き記すことや、外へ向けた表現、何かを考えるということに迷っています。
迷って、休んでは考え、考えては悩み、悩んでは疲れて、疲れて迷い。
くるくると落ちる落ち葉みたいに考えたことは山となって
山には子供が触れたり、犬がしーっとしたりして哀しくなったり。

そんな風に過ごしているせいか、その音は私の何かを荒々しいほどの勢いでわしづかみます。
けれど、掴みかかられたことに怯えたり、苦しんだり、嫌な気持ちにはなりません。
むしろ心地よいのです。
どきどきしながら洗濯物を干し、私は靴を履いて外に飛び出します。
公園の中を小走りに、枯葉を蹴り上げ、音のもとへ。

おじいさんは一心に何かを弾いていました。
近づいてそれが何か知りたいけれど、色々な思いが混じり躊躇します。
少し離れたところにあるブランコに乗ってゆらゆらと揺れながら聞くことにしました。
ゆれながら、おじいさんの弾く楽器をじっと見ます。
不思議な形に見える楽器と、おじいさんの細やかに動く指先に魅せられ
いつもすぐに気持ち悪くなるブランコも気になりません。

2時間近くそうしていたのですが、ふいにおじいさんが弾くのをやめて
楽器を袋に収め、魔法瓶から湯気のたつ何かを注ぎ、そおっと飲みました。
巾着から竹の皮で包まれた白いおにぎりを出して、一つつかむとぱくりと食べました。
もぐもぐと咀嚼して飲み込むと
おじいさんは手におにぎりをもったまま立ち上がり、大きくのびをしました。
人を黙ってじっと見つめているのは、落ち着きません。
まして食事風景はなおのこと、まじまじと見ていられません。

思い切って声をかけてみることにしました。
それなりに高く揺れていたブランコから、えいっと飛び降り
たたたたた、と走っておじいさんの近くへ行きます。

「こんにちは」
「はい、こんにちは」
「あの…」
「…?何か?…や、もしかしてうるさいですか?」
「いえ!違います。あの、その楽器の音色がとてもきれいで、気になったのです」
「そうですか、それは嬉しい。この楽器を知っていますか?」
「知らないので、なんと言う楽器なのか教えてもらえないかと思って来たのです」
「なるほど、そうでしたか。これは胡弓という中国の楽器ですよ」
「胡弓…」

楽器の名前を聞いたことはありましたが、実物を見たのは初めてです。
まして弾いている人を見たのも初めてです。
おじいさんと少し話をして、満足し私は家に帰りました。
それから毎日、おじいさんが弾きにくるのを楽しみにするようになりました。
家事をしながら、仕事をしながら、ブログをしながら
毎日胡弓の音色を聞いています。

何かCDでも買おうかと思ったのですが、やめました。
私は楽器を奏でている人を見るのが大好きです。
ショーアップされた、舞台の上よりも
練習、というか一人で誰かの目を気にせず、一心不乱に
そして内側から何かを搾り出すように楽器を弾く姿に心を奪われます。

これも「楽しい」の一つなのでしょうか。
でも私は何故か悲しくもあるのです。





2005年12月12日(月)PM:0:58に上げた記事です。

おじいさん、今年も来てくれるでしょうか。
おじいさんにであったのは秋口だと思っていましたが、もう冬ですね。
今現在はこれから梅雨が明けて夏本番、というところですが。
おじいさんとの会話は、何故かとても胸はずむもので、とても良い一日を過ごした、と
私はその日、とても満足して眠りについたのでした。

イルミネーション

昨日、遠出をする用事があり、もう日も落ちてからの帰宅途中
どこかの少し大きめな公園で、結構大規模に飾り付けられたイルミネーションをみかけました。
あんまりキレイだったので、ちょっと寄って覗いてきました。

東京はこの時期、いろいろなところでイルミネーションがまたたき
それは、年々大掛かりでキラキラ度が増していっているような気がします。
最初は表参道だけだったような?
私は思い切り日本人で、しかも信仰をもたぬ人間ですが
イベントとしてのクリスマスは大好きです。

クリスマスソングも大好きだし、ツリーやリース、ケーキも、みんな好きです。
特にプレゼントを贈りあったり、カードを贈り合ったりする習慣もないけれど
クリスマスの時期は街を歩くのが楽しいです。
キラキラ輝くイルミネーションは妙にわくわくさせてくれます。
信仰を持たないのに、美しさだけを享受するのは、誉められたことではないでしょうけど。

娘はもともと、光が瞬くのが好きで、昨晩見たイルミネーションにも心を奪われていました。
普段はなんじゃかんじゃと一人でちょこまか動き回り、ごちょごちょおしゃべりしていますが
昨晩はじーっと光を見つめ、ちょっと不安になるほどでした(笑)

こんなにたくさんの場所で、有名なイルミネーション、大規模なイルミネーションがある東京ですが
実は今まで、一度も見に行ったことはありません。
寒いのが嫌いなのもありますが、以前の職場はとても忙しかったので
見に行く時間が取れなかったし、人ごみが嫌いなのもあって行かなかったのです。
毎年、テレビで見て「そんな季節になったんだぁ~」と思うだけでした。

あの、神戸にある、有名なルミナリエ?でしたっけ、あれの東京バージョンのミレナリオ?
あれを毎年、ちょっと見てみたいな~、と思いつつまだ見てないし。
だから昨日見た公園では、とても感動しました。すっごくキレイだった。
都心部じゃないから、周りも暗くて光が映えて、とても美しかったです。
ああいう場所は恋人たちのもの、みたいなイメージがありますが
場所柄ファミリーが多く、お年よりのご夫婦も結構いらして、ほのぼのとしていました。




2005年12月11日(日)AM:10:32に上げた記事です。

ヤフーでは、この時撮った娘と私の写真を載せました。ほとんど見えてないものですが。
今年もどこかでキレイなイルミネーションを見たいなーと思います。
光の瞬き、娘が大好きなので一緒に楽しみたいです。
夏は花火でも…と思ったのですが、花火って相当近場か、テレビじゃないと
あんまりはっきり見えないですよね。特に子供の目じゃ漠然とした光になってしまうような。
手持ちの花火は突進しそうで不安だし、と思って近所のオモチャ屋さんで叩き売られていた
色々ないろに光る「ウチワ」を買いました。
夜、寝る前に部屋を真っ暗にして、娘と眺めています。なかなか幻想的です。

突然ですが

非常にかきあげが食べたいです。
玉ねぎと小柱、何か青菜でも少し入った、カリっとしてジューシーなやつ。
うどんでもいい、かきあげ丼でもいい、なんでもいいから食べたい。
熱いお番茶と、浅くつかった辛子漬けのおつけもので。
水菜と薄揚げとシラスの和風サラダもつけたりして。いひひ。

私の料理は超スタンダードメニューに始まり、超実験的メニューで締まっています。
昨晩は超実験的メニューでした。
私の三ヶ月メニューには作夜は「ロールキャベツ」と「何か」と書いてありました。
それは冷蔵庫やストックのもので「何か」を作れ、とそういうことなのですが。
さて。

何故か最近アジア方面の料理が気になっています。
サルサが食べたい。
そこでサルサロールキャベツにしました。
コンソメ&トマトで煮込み、適当に下味をつけてサルサをかけて食べるというものです。
ロールキャベツは、まあちょちょいのぱーですが
サルサは作ったことがありません。

エル・トリートのサルサの味が好きなのであれをベースに考えて
適当ににんにくやら青唐辛子やらセロリやらピーマンやらスパイスやらで作りました。
辛味は苦手な私が作るのでかなりマイルドです。
辛い方がよければと青唐辛子でスープを作って、足せるようにしました。
ソゲー辛そう(スゲーのことです。猫が言うのでうつりました)

出来は、まあいいでしょう。それをかけていただきます。
「何か」は辛いとこから「タイ風はるさめサラダ」に。
超適当(笑)
ナンプラーと白醤油、スイートチリソースで即席ドレッシングです。

せっかくなのでタイ風チャーハンぽくドライマンゴーと紅茶でご飯を炊き
タイ食材コーナーで見つけた、白身魚のデンブとパイナップルを混ぜて出来上がり。

はっきり言って、パイナップルとドライマンゴーの入ったご飯は
「おえー」と思いながら作りました。作るな、そんなもの。
でも刻んだ青唐辛子をすこぉーし入れて、ナンプラーをたらしたアーモンドオイルでいためたら
あら、不思議、美味しいじゃないですか。
ちょっと辛いのがミソなのか。
グレープバルサミコをハチミツとペリエで割って一緒に飲みます。

娘が風邪気味で食欲がないため、娘の食事が別ものになったのでちょっと暴挙に出てみました。
そんな無国籍風の食事をした昨晩。

朝起きたらむしょうに和風なご飯が食べたい!!!
朝は納豆とサケ焼いたのに、はまぐりのお吸い物とお海苔かなんかを食べたい!!
で、夜はかきあげ、と。
突然ですが暴力的なほどに欲求が湧きました。
ふう。





2005年12月10日(土)AM:10:49に上げた記事です。

昨日ね、夫の実家からおばあちゃんが作った野菜が届いたのです。
娘が大好きなトマトに始まり、ナス、キャベツ、キュウリ、などなどがぎっしり。
んで、その中にもんのすごいデカい何かが新聞にくるまれて横たわってるんです。
「…夏大根?」と思って新聞をはずすと…
ズッキーニでした。すんげーデカい。50cmは余裕にある。太さも娘の胴くらい。

何に使おう、と悩んで、とりあえず夏野菜カレーにしました。
トマトベースにナスと玉ねぎ、鶏肉、にんじん、ズッキーニ、を入れました。
いつもはバターで炒めることが多いのですが、アーモンドオイルでかりっとジューシィに揚げて
じゃがいもも揚げて、投入。
いつもは娘に合わせて甘口なのですが、娘のは別に作り、久しぶりに辛口の
さらっと仕立てにしてみました。付け合せは撲殺キュウリ、と呼んでいる中華風即席漬け。
それに夏大根とホタテの貝柱のサラダにしました。
トマトとモツァレラチーズのマリネも作って、美味しく夏の晩御飯をいただきました。美味しかった!

体型維持と健康な身体

またしても筋肉記事です。
あっ!待って!帰らないでぇ~!筋肉マニアじゃないのー!
ここらへんで、そろそろはっきりしておきたいのだけれども。
私は筋肉マニアではなく、格闘マニアです!…あれ?

筋肉は好きなのではなくて、必要だから経験を活かした知識を持ってるだけです。ふんがー。
ぼでぃびるだーとか好きじゃないしぃ~。
使う分の筋肉と、それなりに均整のとれた形になっていれば良いのです。
もちろん格闘家とかプロレスラーだったら話は別ですよ?熱く語ります(笑)
ほらそこの人!好きなんじゃん、とか言わない!

さて、今日はおもろいことと美味しいもの、感動するのが大好きな
素敵な「ぱぱん」である、最近ちょっと「えっちキャラ」が定着してきた
firoswi兄さんから質問をいただきました(笑)


週1の筋トレに意味があるのか。
それよりは少しづつでも毎日自宅で何かした方が効果あるような気がする。
自宅で何かするとしたら。
最低どれくらいの時間をかけたら効果があるか?
箇所は腹筋背筋に上腕筋くらい。

ざっとこんな感じです。
まず、兄さんのことを少し。
兄さんは、大黒柱ですから、ウイークデーは朝から夜までお仕事をなさっています。
週末は主にご家族とおでかけしたり、おうちでのんびりしたり?
で、兄さんはお酒が大好きで、美味しいものが大好き。ここ重要ですね。

兄さんは長身で食べても肥満することなく、がっしがっしと大食するそうです。
お写真を何度か拝見したところ、全然太ってはおらず特に減量がしたいという感じではなさそうです。
ということは、引き締め&体力、体型、健康キープという感じでしょうか。
アンチエイジングですね。

こんな感じで踏まえた上で進めさせていただきまっす。
まず週1の筋トレに意味があるのか、ということですが、ある人とない人がいます。
というのはですね、10年近くスポーツらしいスポーツをしていない人が
週1で筋トレ、運動したとして、筋力アップや減量はかなり微々たるものです。
というか効果はないも同然です。
つまりインターバルが長すぎて維持できないのですね。
しかし、ずっとある程度のトレーニングやスポーツをしていた人や
身体を使う仕事などに就いている人など、普段、筋肉がある程度あって、かつそれを使っている場合。
これは効果は得られると思います。ギリギリ維持できる、といった程度になると思いますが。

筋トレにも段階と向き不向きがあり、進め方や必要な運動は同じ人でも進む過程で
割と緻密に変わってきます。
それ以外にも、特定のスポーツをするためのもの、健康や体型維持のためのものと
筋肉の用途によっても変わってくるので、この辺を選び、進めるのが大事です。

そのあたりも踏まえ、自宅で少しずつでもいいから毎日続ける方がいいかどうかは
ライフスタイルや目的によっても変わってくる、という答えになるわけです。
当然一定のライン(いくつかありますが)以上のものを求めると自宅では維持
または向上は難しくなってきます。
ですが、最近何もしていないし、ちょっと運動できる程度には身体を維持したいなー、
そこから始めるのであれば、自宅で出来ることは、本当に沢山あります。
筆頭は「走る」なんだけど。これ言うと一気にみんな脱力するみたいで
2度とその話題が出なくなります。イヤなんですよね、走るのって。

でもなぁ、走る、ってものすごく万能なのですよ。
面倒に感じるけど、逆に走ることによって、走らない場合より、
しなくていいことがものすごく増えるのです。
結果、楽に鍛えられるし、減量も可能。それでも嫌われるんですよね~。
もちろん私も大嫌いです。仕方なくやることもあるけど。

ということで、走る以外に出来ることを。
えーと、まず腹筋はクランチというのを。
これはですね、床に寝転び、足は膝を90度にまげた状態で上げます。
_| ̄  こんな感じ?足首のあたりは何かの上に乗せておいてOKです。
慣れたら浮かせたままでもOKです。
そこから肩甲骨を浮かせるくらいまで首を起こし、目は臍あたりを見ます。
腰や首、腕を使って普通に身体を起こすと意味がないので
おなか部分の筋肉に意識を集中してください。これを20回。

終わったら、今度はそのままの体勢で右手を左足のつま先に触れるような形に10回。
これは逆も同じように10回やってください。これで前面と側面部が使われます。
そして下腹部へ。これは最初の体勢のように、足を膝を90度にまげた状態で上げます。
上げて、今度は床につかないギリギリまで伸ばしながら下ろす。これも10回くらいでOKです。

その後背筋ですね。背筋はうつぶせになり手足は上からみたエックスの字みたいなかんじにします。
その体勢で空を飛ぶようにピコピコと身体を反らせてください。これは50回くらいかな。
そして上腕部、これは腕立てです。腕立ては出来れば50回くらい、2、30回くらいでも良いです。
腕立てで得られる効果は胸筋と腕全体の筋力アップなのですが
腕を広くすると胸筋、狭くすると腕全体が鍛えられます。

大変基本的で地味なトレーニングなのですが、プロ選手でもこれは基礎トレに使います。
有酸素運動と違ってこれらは時間は関係なく、回数、そして意識がとても大事です。
このフルセットが簡単に出来る場合は、きちんと筋肉を使っていないか
充分な筋力があるということなので、今度はその先が必要になってきます。
例えば、身体をシャープにみせたいのか、バルクアップ(筋力アップ)したいのか。
どちらの場合もこの先は「油落とし」=「走る」ことが必要になります。
シャープに見せるためには油(脂肪)を落とさないとカットが出ないですし、
この基礎トレ以上のことが必要なパンプアップ(筋肉を張らせる)であっても、油を落とさないと
格闘家の身体ではなく、プロレスラー的な身体になってしまいます。

筋肉というのは繊維で出来ています。
イメージとしては「裂けるチーズ」を想像してください。
その裂けるチーズ様の繊維を酷使して、外側の部分が切れる、それが筋肉痛の状態です。
筋肉痛の状態になると身体がそれをカバーするために補強しようとして
その裂けるチーズ様の繊維が太くなっていくのです。
簡単に言うと、これが筋肉の増えるメカニズムです。
実際は増える、という表現ではなく、筋肉が大きくなるということです。

それでもって筋肉が増える際に身体がカバーしようとする時、油を使うわけですね。
ただし、筋力アップよりもシェイプをしたい人には向かない方法です。
シェイプするにはもっと効果的に油を燃焼する有酸素運動が良い、ということになります。
ある程度筋肉がついていると、代謝が上がるので基礎代謝が上がります。
基礎代謝が上がると油の燃焼量が増え、痩せやすい体になる、と。
そして老廃物を排出し、細胞、水分のターンサイクルが整うため若々しさも保てるわけですな。

これが最も効果的に出るというのは「裂けるチーズ様の繊維を酷使」=筋トレになるわけです。
よくいろいろなグッズで簡単に痩せたり、筋力が上がると言われますが
幻想です。仮にそれに効果があるとしても一時的なものでしかないと思われます。
そんな簡単に出来たらスポーツ選手もうはうはですね(笑)

こんなかんじでいかがでしょう?
得意なネタなので、また長くなってしまいました。ふー、熱い(笑)
最近末端部分が冷えて仕方がないのは如実に筋肉が落ちている証です。
私、最近体脂肪はかってないんですよね~。いやだ、いやだ。
現実から目を背けたいちょっちぷんでした。まずはオマエがやれって話ですね。ふっふっふ。



2005年12月9日(金)AM:11:16に上げた記事です。

うーん、いいこと書いてるなぁ、ちょっちぷんてば(自画自賛)
こんなことが普通に出来るなら誰も苦労しないって話ですね。
普通に出来ないから楽しいというのもありますが。

最近、コマメに身体メンテナンスをしようと、チェックしているのですが
古傷の膝と股関節が今ひとつです。
そこで加圧トレーニングをちょっとしようかと…。
ずっと加圧でパンプアップ&バルクアップは、私は個人的には実践的でないと感じているのですが
リハビリや、一時的にケアするにはすっごく良いのではないかと考えています。
友人がトレーナーなのですが、痛いらしいので悩みます。痛いの嫌い。

ちょっと見てみたい

この間、どこかで雑誌をパラパラと見ていたときに見つけた邦画。
「東京ゾンビ」
主演は浅野忠信と哀川翔らしいです。
柔術マニアの二人は世界一強くなりたいと練習に励んでいるそうですが
そこに現われる夢の島(だったかな?)から生まれたゾンビたち。
そのゾンビたちと戦うというストーリーらしいです。

…ゾンビって(笑)しかも柔術って(笑)原作誰だよ!
と思ったら格闘技マニアのはなくまゆうさくさんだそうで。
なるほど。
なぜにはなくま氏が世界最強を目指す主人公がやっているのが柔術にしたのかが気になります。
映画見たらわかるのかしら?

お二人のちょっとしたインタビューも載っていたのですが
映画のために柔術の稽古をしていてハマってしまったそうで
柔術は楽しいだろうなぁと思いました。
総合や打撃系格闘技と違って柔術は極めの格闘技(といっていいと思う)なので
俳優さんのように顔に傷がついては困る人や、体力にいまひとつ自信が持てない人
お仕事してるみなさんにも楽しめる格闘技じゃないかな~。

しかし、柔術か~。…何かのアンチテーゼか何かかしらん。
気になるな。
でも映画館に行くのはアレだな(笑)ビデオを待つか。
原作がはなくま氏ってことで微妙にB級臭が漂う気がするのはもちろん私の偏見です。





2005年12月8日(木)AM:10:43に上げた記事です。

はっ!!忘れてた!今日レンタルビデオ屋さんに言ってチェキってこよっと!
私は制作費が世界一とか、世界中が泣いたとかいう大作も見ますが、
よくある主演俳優や、原作のよさ、大金具合に頼り、胡散臭い話運びや心理描写のものならば
全部が胡散臭いB級といわれるものの方に愛着を感じます。

あんまり映画観ないんだ、実は(笑)動画にあんまり魅了されないのです。
テレビも映画もほとんど普段見ないけど、バラエティは夫が見ているのでチラ見しています。
バラエティはチラ見でも笑えるところがいいですね。

ところで私はしゃべりが上手い芸人さんが好きです。
今1番好きなのは「ますだ・おかだ」です。あとあるあるさん。「レギュラー」です。
コントが上手かったり、リフレインフレーズ使いの芸人さんもおもしろいけど、やっぱりしゃべりが1番。
漫談とか、中身はまったく聞いていないのにリズムと抑揚に聞き入ってしまうこともあります。

…って何のはなしやぁ~!ぱぁぁ~!(おかだ風に読んでください)

妄想戦隊スペーストルネードが6人になった日

【第二幕!】ホワイトがちょっちぷんを連れ帰っている頃、ブルーとレッドが土産物屋を大改装していた。ありふれた店、その扉一枚向こうには8人分のカプセル寝室、会議室、カレー調理場に座敷牢。ブルー「座敷牢?それにイスもベッドも多すぎよ。8人分なんて」レッド「新入が二人、イエローの嫁が一人増えるんだ。牢に手錠と縄を入れておけ。ミユキ殿が喜ぶだろう」
2005/12/12(月)午前11:37 わたりとりさん

そのときトルネードレッドに着信アリ。ホワイトからだ。「もうすぐそっちに着く。ちょっちぷんも一緒だ」レッド「あ~その前にイエローを嫁さんごと拉致って来てくれ。ブラックもいるなら楽勝だろう。新入二人の歓迎準備はこっちでやっておくから」ホワイト「了解」。電話を切ったホワイトはちょっちぷんと共に、イエローを捕らえて放さない愛の・・・もとい悪の巣窟へと向かった。
2005/12/12(月)午前11:43 わたりとりさん

「どうする?ホワイト、他の妄想もどうやら繋がっているみたい」「うむ、レッドも乗り気だし、イエローを拉致らないことには全員そろうことなく歓迎会をするはめになる。それは避けなければ」「そうか、じゃあ早く連れ戻そう。イエロー鎖につながれてるみたいよ。どうやって助けようか」二人はあれこれと打ち合わせをしながら悪の巣窟へ向かっていった。しかし二人とも悪の巣窟がどこにあるか知らないことにまだ気付いていないのであった…。
2005/12/12(月)午後1:14 ちょっちぷん

そこへイエローから着信が。「もしもし?ホワイト?あのさ、撮影が押しちゃってるから少し遅れるよ。え?拉致?ミユキと?ははは、何言ってるの。それは今撮影中の映画だってば!とにかく帰りは遅くなるから、レッドたちにも伝えておいて欲しいな」プツッ「…聞いたか、ちょっちぷん」「うん…とにかく帰ってレッドに話そうよ」二人は店へと急いだ。
2005/12/12(月)午後10:38 ちょっちぷん

その頃、別の時空では、雨降らし担当の海風がせっせと水蒸気を陸へと運んでいるところだった。そこに突然、どこからともなく中年のおばさんが飛んできた。・・・ゴン・・・「イテッ!」「イテじゃ無いわよ。痛いのはこっちよ。ねえ聞いてよ、アタシが店番やってたらね・・・」いきなり話し始めたおばさん、「俺、忙しいんだけど・・・」の一言すら言わせる隙を与えない。
2005/12/13(火)午後11:52 うみかぜさん

しかたが無いので、生返事をしながら仕事をしていると、「ねえ、ちょっとあんた、聞いてんの?」と怒り始めた。やっとこっちがしゃべれる番だ。「聞いてるよ。近所の嫁さんが色黒で5色なんだろ?こっちはいそがしいんだ。」おばさんの顔が鬼の形相に代わった。きんきん響く声で叫ぶ。「違うわよ。話めちゃくちゃじゃない。何にも聞いてないじゃない。」そして、最後の一言を叫んだ。「あなた、地獄へ落ちるわよ!」その瞬間、海風は突然開いた時空の穴に落っこちた・・・。
2005/12/14(火)午前0:04 うみかぜさん

海風はくるくると回りながら落ちていった。ぴゅ~~、ドスン!「ぎゃー!!人がふってきた!!!」「落ち着け、ちょっちぷん!」二人は落ちてきた海風に話し掛けた。「大丈夫か?…おまえは、レインボーじゃないか!?」「…イテテテ、はぁ?レインボーなにそれ?おれは海風だけど」「本当だ!レインボーだ!レッドが見せてくれた履歴書にあったよね」「キミ、トルネード戦隊に履歴書送っただろう?」「トルネード戦隊???…ああ!そう言えばそんな名前の気象会社に送ったような気がする」
2005/12/14(火)午前10:11 ちょっちぷん

「気象会社じゃないよ!ヒーローだよぅ!」「ヒーロー?…ぷっ(笑)」「何故、笑うんだ?」「今時ヒーローって…しかもなんで勝手にレインボーなの?」「…経歴が多様だったからさ。まあいい、とにかく一緒にきてくれ」海風は何がなんだかよくわからないままに、ちょっちぷんとホワイトに連れられ、痛む腰をさすりつつ歩き始めた。
2005/12/14(火)午前10:12 ちょっちぷん

「そこに虹がある、と。我ながら傑作だ」レッドは仕上がった原稿を、誤字脱字などないよう推敲した。「レッドー、レインボーが来たよー」「そう、虹だ」「違う、レインボーだよ」そこへブルーが「レッド、牢につなぐ手錠と縄これでいい?」と帰ってきた。海風ことトルネードレインボーは驚がくした。
2005/12/15(水)午後10:33 chargeupさん

「な、何をするつもりなんだ!」脱兎のごとく逃げ出そうとするレインボーに驚き、取り押さえようとする面々にレインボーは更にパニック状態になった。「落ち着け!」「たすけてー!」暴れるレインボーに困っている仲間を見てレッドが言った「仕方ない、ちょっちぷん、STCで少し眠らせよう」ちょっちぷんは俄然張り切った。
2005/12/15(水)午後11:27 ちょっちぷん

STCで昏倒したレインボーを座敷牢に放り込み、残り四人は茶をちびちび飲みながら今後の計画を立てた。「ところでちょっちぷん、すっかり馴染んでるんだけど。ブラックに覚醒したんだっけ?」「まだよ。でももうどっちでもいいじゃん」「確かにどっちでもいいかも・・・」そのとき表から人の声がした。客らしい。そういえば店番置いてなかったよ。こんなときに、だーれ?
2005/12/26(月)午後4:48 わたりとりさん

「あーこの店の建築業者は誰ですかね?あ、我々は建築物調査機関のものですが、最近巷で許可の偽装が多いので立ち入り検査です」わいわいと出て来た4人は顔を見合わせた。「私ですが」レッドが前に出て言った。「ちょっと待ってよ、偽装は頭髪のことじゃないの!?うちには頭髪の偽装なんて関係ないよ!」「しっ!ちょっちぷん、そんなこと誰も言ってないだろう!…こんなときイエローがいたらなぁ」
2005/12/27(火)午後0:28 ちょっちぷん

イエローは映画の撮影が脚本家の遅筆により中断し、休暇をもらった。「思ったよりいい役じゃなかったなー、このままフケちゃおうかな」ところでみんな今どこにいるんだっけ。イエローはちょっちぷんの携帯に電話した。
2005/12/27(火)午後9:45 chargeupさん

「あ!噂をすれば!みんな~イエローから電話だよ!」ちょっちぷんの声に続き「イエロー!いったいどこで油を・・・」「ねぇねぇ頭髪偽装ってさ・・・」「あっ座敷牢からヘンな声が・・・」「ちょっとーレインボーが起き・・・」まるでわからん。最後にちょっちぷんが怒鳴った。「どうでもいいから早く来なよ~待ってるよ。プツッ。ツーツー・・・」どこにいるかまだ聞いて無いんだけど。イエローはGPSを確認し、四人が集う例の店へと向かった(向かってよいのか?)
2006/1/14(土)午前0:43 わたりとりさん



2005年12月12日から2006年1月14日までの妄想です。
写してみると、第2弾は初めの方に雑談のような打ち合わせのような感じのコメントが結構あって
妄想コメント自体はあんまりなかったのでした。
今後、レインボーことうみかぜさん、イエローことカッタウェイさんの妄想が炸裂するのを期待しています。
キレンジャーカレーも発売されたことですし…。

しかし、昨日キレンジャーカレー探したのですが、出会えませんでした。
ううーむ。地元の規模の小さいスーパーでは注目されていないのか。
大型スーパーならあるのかな??ジャスコとか?なんとなくダイエーはあるような気がするのは何故だ。

妄想戦隊スペーストルネードが行く

まさかの戦隊入り希望者(?)海風さんにコメントをいただけたので加筆してご紹介いたします。
この妄想の元はhttp://blogs.yahoo.co.jp/chocchipun/10855231.html こちらの記事のコメント欄です。
トルネードブラックは私ちょっちぷん、ホワイトには魔術師chargeupさん、
レッドは賢者わたりとりさん、ブルーは我らが良心そらさん、
イエローはイメージには反してスマートな紳士カッタウェイさんが担っております。
戦隊の名前となったトルネードは、私ちょっちぷんの新携帯の名称
ブラックトルネード(P506ic)からとりました。
文中に出てくる「ナメクジ」くんはちょっちぷんが夫の実家へ行った際に出会った
体長15cmはゆうにある巨大ナメクジにいたく感動したのでお供に加えることになりました。
虫は怖いのですが、ナメクジは足もないし、メカメカしい身体ではないので
そんなに怖くはありません。毒がなければつかめます。多分。掴みたくないけど。
以上、加筆してご紹介させていただきました!海風さん、トルネード何になっていただけますか?
あっ!待って!帰らないで~!妄想が始まるよ~!


そもそも私は何をしようとしていたんだっけ?
ちょっちぷんは考えた。そうだ。説教族を倒そうと思っていたのだった。
ブラックは自分がトルネードブラックであるという記憶を封印されたときの衝撃で
人格が二つに分かれてしまったのだ!
変身前のちょっちぷんは自分がトルネードブラックだということを知らない。
トルネードブラックに変身できたとき、その時は人格が分かれていることに気付いているのだ。

「番外編が入り乱れて混乱しちゃったわ。こうなったら全部一緒にしなくては」
混乱していて一緒にした方がいいのは、ブラックの記憶なのだが。ちょっちぷんは知らない。
「ブルーが言っていた小説って何だろう?Cがつくんでしょ?」えーとえーと…。
「おかしい、何も思い浮かばないわ、小説じゃなければカレーかと思ったんだけどな」

はっ!!!!

「…なんてこと!私としたことが!!私も愛読してる小説だわ!それしかない!!」
そう、それはスペーストルネード達の愛読書、レッドの執筆する小説。
カピタル・フォレストだった。
「くく~っ!我が頭ながら呪わしいわ!私の頭にはまるでチーズのように穴があきまくってる!」
自分の頭に絶望し突然ミット打ちを始めるちょっちぷんだった。

そこへホワイトが現われた。
「ちょっちぷん、よせ。ミット打ちなんてしていると余計に頭が揺れて穴が増えるかもしれないぞ」
「あ、ホワイト!店番はどうしたの?」
「レッドにまかせた。今ごろ小説を書きながらのんびり店番しているはずだ」
しばしカピタルについて討論する二人。
「それより、ちょっちぷん、この先どうするんだ?説教族と戦うのか?」
「そりゃそうよ。せっかくスペーストルネードも手に入れたし威力を試したいんだもん」
「…おまえ」
「え?何?」
「説教族を倒したいよりも、スペーストルネードを試したいほうが強いな」
「バレたか」
あきれるホワイトを尻目にちょっちぷんは堂々と言い放った。
「だって、楽しみがなくちゃ人生は疲れるだけなんだもん」
「まあそうかもしれないな、好きにするがいい」
「うん。そう言えばこの間ナメクジに聞いたんだけど、説教族の顧問って細木数子なんだって!」
「…うむ、それは信憑性があるな」
「だけどね、ナメクジはこうも言ってた」
「なんだ?」
「説教族は攻撃対象が定まってるときは結束するけれど、反撃されたときや対象がないときは
 説教族同士でも闘うんだって!必ずしも一致団結というわけじゃないみたいよ」
「ふむ。確かにそういうニオイはあるな、そこをついて一気に攻めてみようか」
「うーん、どうかな?レッドやイエローやブルーにも相談してみようよ」
「そうだな」
二人はスペーストルネードのアジトとなった土産物屋へ向かったのであった。


続く

最も多くのコメントがついている妄想リレー小説(笑)
とうとう50コメントを迎えたため、新しく妄想記事を書きました。
まったく整合性もなく、何がなんだかわからないままに進むお話ですが
何故かとっても楽しい、締め切りのないスペーストルネードたちの冒険です。
説教族を倒そうとしているはずですが、あっちへ行ったりこっちへ行ったり
寄り道も激しく、途中他の妄想も飛び出し、行方がまったくわかりません。
これからも楽しく妄想します(笑)





2005年12月8日(木)AM:10:41に上げた妄想です。

妄想リレーの第2弾です。他社のブログから、みーさんがいらしてくれました。
みーさん、お元気かな。
そしてなんと、この記事でうみかぜさんがトルネードレインボーとして入隊してくれました~パチパチパチ
うみかぜさんは、現在「イレギュラー満タンで」と言ったがために宇宙空間へ連れ去られ
リアルスペーストルネード状態であります。
きっとレインボーに変身して、勝ちまくると思います。←適当こくな
本当のことを知りたい方はhttp://blogs.yahoo.co.jp/umikaze_engineer へ!

この記事はヤフーでの更新をやめても消さずに続けます。
そして妄想が50個たまるたびに新記事、という果てしなく他力本願なブログにします。

またしてもヤツが来た

実は密かに2000コメント頂戴いたしました。
またしてもヤツが…そう、ジャポネッサ猫ちゃんです。ぱちぱちぱちぱち~。
どうもどうも。おめでとうございます。あ、いえ、こちらこそいつもどうも。ぺこぺこ。

さて、よくよく縁のあるヤツです。
今日は記念にヤツとの出会い、そして私の「友達観」を書きます。
またか、と言う感想はナシでお願いします。

ヤツとは小学校5年生からの付き合いで、かれこれもう20数年になります。
一口に20数年とは言いますが、それはそれは色々とありました。
私と猫は、価値観やものの見方、時間軸や家族との付き合い方
異性との付き合い方、かなり違います。

よく二人で色々なことを話していると、ふと
「私たちって今出会ったら多分お互い嫌いだよね」
という見解に落ち着きます。
本当に多分お互い
「けっ、いけすかないヤツ」と思うんじゃないかなぁ。
それでもいつかは仲良く…
などという幻想は捨ててください。無理です多分(笑)

私たちが仲が良いまま大人になれたのは、ひとえに私の努力の賜物
ということはなく、タイミングなんじゃないかなぁと思います。
たまたま子供のころに出会い、家も近く、親同士も割合気が合って(というか距離の取り方が似ていた)
同じ小学校、同じ中学へ進みました。
まだ自分が何を考えているのかすらわからない思春期に、私たちに合った距離で
そして共通の好きなものを一つもち、お互いに広く浅い交友関係を持たない。

そういういくつかの偶然の産物と、そしてまあ何かがあったんでしょうなぁ。
私と猫は何度もケンカして、何度も絶交し、何度も泣いて
何度もお互いに絶望したにも関わらず今も一緒にいます。
もっと若い頃にはお互いに盲目的な恋をしたり
親に絶望したり、たくさんの時間をともに過ごしました。
私にとっての友達の定義は、以前にも書いたので、ここではそれは省略します。

私が結婚するとき、真っ先に考えたのはこの人のことでした。
社会人になった後、しばし間が開いたこともありましたが
基本的にこの人と私は一ヶ月のうち2、3回は一緒に週末を過ごし
ほとんどのイベントを一緒に遊びました。
だから、結婚したらそれが出来なくなってしまう。
そうしたら私たちはどれくらい会わないんだろう…と暗い気持ちになりました。
実際に一緒に過ごす時間は減りました。
それでもこの人は私の一番大事な友達で、夫、娘を含む私と
以前とほとんど変わりなく一緒に時を過ごしてくれています。

夫に出会う前に、私のディープなものを真っ向からぶつけさせてくれたのはこの人です。
私の投げるいくつもの火のついたボールを必死に受け取ろうとしてこぼしたり
投げ返されたり、受け取ってもらったり。
こいつがいたからやり過ごせたことは計り知れません。
母が死んだこと。
父の癌闘病。
妹との生活。
生きる孤独感。

何度も何度も生きるのが面倒になり、一人ぼっちに哀しくなりました。
生きることが怖かった。
誰かの人生に責任を持つのが怖かった。
拭っても拭っても拭いきれない怖さがたくさんあった。

この人はとくにこれといって何かを私にしたわけではありません。
こっちがどんなに辛かろうと、自分も辛いときは私のことなんて忘れてたし
私がどんなに泣いていても、ライブにはでかけていくし。ぶつぶつ。
いわゆる献身的だとか同情的だとか思いやりがあるだとかというのとは違います。
いや、それがまったくないわけではないですよ。
ただ、それがベースなわけではない。
自分を大事にしている中に私も含んでいる。
私たちの共通認識に「自己犠牲が必ずしも思いやりではない」というのがあり
思いやったがために一緒にいたわけではないのです。
好きで一緒に過ごすことを大事にしていたことが
端からみて「思いやり」と呼ばれたこともある。
ちょっとー冷たいんじゃないのー?と思うことだってあります。本当に普通に。
だからといって、私はコイツを嫌いにならなかった。

こいつは私に、他のだれもしてくれなかったことをしてくれた。
この人だけが私に全部をぶつけさせてくれたのです。
全部と言ってもいいと思う。
汚いもの、理不尽なもの、凶暴なもの、わがままや、いろいろなもの。
ぶつけさせてくれるから、ぶつけたからといって
それがすべて望み通りになるわけではない。
ないけれど受け止めてはもらえる。
それがどれくらい私を支えてくれたか。
生きてていいんだ、と心から思えました。

私には一般的な定義での友達は少ないとも言えるし、顔は広いので多いとも言えます。
友達って何故必要なんだろう、と悩んだこともある。
だけど一般的な定義の友達はいてもいなくてもいい、どっちでもいいと、今は思う。
今はもう、どうでもいい。
そのままの私と、言わば炎のキャッチボールを含むお付き合いを
なんの因果かしてくれる人がいれば、私はこいつを大事にしたのと同じように、その人も大事にする
「そんなのやーだよ」と言われてもそれはそれで構わない。
何かが違っても、何かを育てることも出来ると知ったから
違う、というだけで友達になれない、とも思わない。
だからといって友達探し、をするつもりもない。
友達が欲しいんじゃない。私は「その人」を好きでいたい。

以前にも言った「勝手に好きでいる」ことで、その好きな人の投げる炎のボールを今度も受け取る。
取りこぼして、ボールを投げてはもらえなくなるかもしれない。
避けたことを怒って、もう投げないと宣言されるかもしれない。
それでも、私は私を曲げたくない。
賛同できないことは賛同しないし、何とも思わないことを思ったふりもしない。
そんな私は冷たく、キツイ人だと思う人もいるだろう。
違いを押し付けられたときに発する、私の言葉は拒絶にも取れるし、無意識を刺激し不安を煽るかもしれない。
そんな私は無神経なのかもしれない。

それでいいと、今は思う。私は私であって、他の誰でもない。
その人が感じる私を、私の感じる私に修正しようとはしたくない。
変わることを、その人がただ知っているだけの常識的人間へと変化を迫られたら、闘うけれど。
今のいろんなところが欠けた私を、多面体の私を知ってもらうように努める。
それがどんな風に受け取られても、私は私でしかない。
私には友達が必要なんじゃない。
私に必要だったのは、猫個人です。

私は「好き」という言葉をよく口にします。
好きだと感じるからなだけなのだけれど
それがいつまでもそうかはわからないけど
これからも友達、という誰かじゃなく、私が「あなた」を好きでいたいのです。

この先、何度、コイツがキリ番を踏んでももうコイツ用の記念記事は書きません(笑)
まあ、死ぬまで仲良くケンカしようよね。





2005年12月8日(水)AM:10:40に上げた記事です。

○○というコメントはなしで、とか言ってるけど、ヤフーではコメント拒否設定でした。なんやそれ。
猫は私にとって特別な存在です。もう多分全部語った。
あとは猫本人ともっとたくさん、いろんな話をしていくことと思います。

ブログでは細かく触れたことがないけれど、もう一人、私には大切な友達がいます。

その子もまた、私にとってかけがえのない人で、猫とは違った形で密接に結びついていると感じています。

いつかそれも書いてみたいな。

今日、まだ写したの4記事しかないのですが、これから出かけなければ&次が妄想記事なので
タイムアウトです。ここで打ち止めにします。明日は妄想からスタートだ。頑張るぞー!おー!

すみません

今日はブログがまともに機能しておりません。
まともどころかコメントも新記事も吹っ飛びます。
かうんたーだけがなぜかがっつんがっつんあがっていて
ちょっちぷん怖い。ガタガタガタガタ

あしたになったらできるかも、と一縷の望みをかけ
きょうはこのまま寝ます。

お友達の家に行くこともままならないのはどういうわけか。
行けば行ったでコメントさせてもらえないわ
トラバさせてもらえないわ、酷い有様です。しくしくしくしく。

コメント入ってないように見えるけどカウンターだけはまわったり。
でもよそのおうちへ行っても、コメント出来ませんでした。がっくし。

今日はあきらめて、もう寝ます…。
じゃおやすみなさい~

【妄想族のみなさまに重要な業務(?)連絡です】
昨晩私は何を間違えたか「50コメント達成したので新記事を」などと書きましたが
よく見たら、私のそのコメントこそが50個目になってしまっとりました…(笑)
なので、今削除してやりました。はからずも予告チックになってしまいましたが
あとひとつ妄想をいただいた暁には新記事にします。
黙って50コメントを待とうと思っていたのに、哀しい結末に…しくしくしく。
せめて50個目は自分以外の人にお任せしたいのです~。
どうぞよろしくお願いします(他力本願)





2005年12月5日(月)PM:11:49に上げた記事です。

この記事があるということは、もうすぐ次の妄想記事が来るのだな。
ひぃ~、コメント欄はどれくらいになっていたっけな~、どきどき。
でも写すのは楽しいです。