☆空飛ぶ もとちくれった 出張所☆ -13ページ目

クリスマスプレゼントで妄想

妄想戦隊の一員、海風さんからのクリスマスプレゼントのバトンをいただきました。パチパチパチパチ。
海風さんの記事はこちら⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/umikaze_engineer/21237121.html
待っていたというか、これなら熱く語れるわ~、という素敵なバトンです。わ~い!
ディープかつマニアックに、そして濃ゆ~いあたりを語らせていただきまっす!ビシッ!(敬礼)

さて、下書きが出来ていたにも関わらずなかなか投稿できませんでした。ふう。
ひょっとして12月って主婦にとって1年で1番忙しい月なんじゃなかろうか。
あっ!という間に1日が終わってしまいます。
今までのあの時間の余裕はどこに消えてしまったのか。
早朝から深夜、そして真夜中までかなり忙しく睡眠も相変わらず増えません。眠いよぅ。
寝不足が続くと何故か不思議な時間に眠くなりませんか?
昼食直後は、まあ普通としても夕方から晩の食事時に眠くて眠くてたまらなくなるのです。ふ~。
しかし、このバトンの中身を書いている間、ちょっちぷんは光を発するほどに輝き、
そして火がついたようにキーボードをカタカタカタカタ…!
眠くても、好きなことについて考えるのは本当に楽しいものです。ちっとも眠くなんてなくなります。
しかも書くことによって色々思い出し、あれこれ映像を出して見ちゃったり(笑)
なにしろ楽しい話題です。海風さん、本当に素敵なプレゼントでした。どうもありがとう!!


Q1、パソコンまたは本棚に入っている【私と格闘技】
実は、と言うほどのことはありませんが、ちょっちぷん、格闘技の本はほとんど読まないです。
読まないけれど2冊、気に入って手元に置いてある本があります。
読まないとはいえ、手に入れて目は通しましたが。

・寝技で勝つ柔道/柏崎克彦
 言わずとしれた、寝技の神様的存在、柏崎克彦さんが「近代柔道」という雑誌で5年間連載した
 ものをまとめた本です。格闘技を始めて、私は女子であることに悩み、限界や突発的な力のなさを
 実感し、組技に活路を見出しました。男子に比べ1発の重みがない分、鋭さと柔らかさ、そして
 しなやかさとスピードを意識した組技を身につけたいと思い、柔道の基本を勉強しました。勉強と
 言うとアレですが、手足の使い方、体重の乗せ方、連絡変化、を知りたかったのです。柏崎さんは
 柔道をやっている人の中でどんな位置付けか、詳しくは知りませんが、楽しそうな柔道をする印象が
 強く、「楽しい」がテーマな私にはぴたっとフィットする言葉もたくさんありました。
 今でもたまにパラパラとめくり夫を相手に基本の形を抑えつつ総合の組技の研究に役立てています。

・ブラジリアン バーリトゥード/井賀孝
 ブラジルの選手を中心に書かれた本ですが、中身はそれほどじっくり読み込んでいません。この本は
 なんと言っても写真がものすごく素敵なのです。カメラを構えた井賀さんの目は格闘技を愛する者の
 目で、それが写真に如実に現われ、今にも動き出しそうです。鮮やかなブラジルの空や果物、街並み、
 ブラジリアン達。見ているだけでブラジルが好きになるほどです。私の好きなノゲイラ(小さい方です)
 ペケーニョは身体が小さく、決して上手い選手でもなければ突出した打撃の持ち主でもなく、
 メンタルも決して強くはないと、私は思っていますが、彼は強いです。
 ※ペケーニョは本当に強い選手であり、修斗の、その階級のチャンピオンでもあります。
 彼の得意技のギロチンは、実はがちがちした力任せの、あまり美しくないギロチンですが、
 必ず極まります(笑)彼は小柄ながら、ものすごい力があるそうで、
 それを培うブラジルでの生活の一部がこの本には描かれています。
 日本にいるときはあんなにしょぼくれているペケーニョがブラジルの海を背に、こしみの(笑)をつけ
 魚を持って晴れやかに笑っています。ブラジルでの生活が彼を強くしているのは
 間違いないと思っています。もちろんブラジルでの練習環境が良いのは当然だけれど、それ以上に
 「ブラジルにいる」ということが彼を強くしているのだと感じる1冊です。

Q2、今妄想している【私と格闘技】
 妄想戦隊の一員のちょっちぷんですが、夫と出会ってからというもの、こと格闘技に対しては
 妄想を抱けなくなりました。不思議なことですが、シミュレーションするといつの間にか
 対峙しているはずの自分が、夫になってしまうのです。まあ、夫はプロの選手ですし、私は夫の
 スタイルがとても好きなので、それもいたしかたないのかなぁ、とは思いますが
 妄想の中ですらシウバやボブチャンチン、ムリーロ・ニンジャやBJと闘って、カッチョイイ
 ちょっちぷんスペシャルで勝つことが出来ないのは痛いです。(痛いか?いや、痛いよ!)
 
 そんなちょっちぷんが夫と出会った後、よく妄想しているのは
 「格闘技界の底上げ妄想」です。一つ団体を作り、広告業界を巻き込み、大型スポンサーをつけ
 独自の大会を持ちます。選手にはきちんとしたトレーナーかマネジャーをつけ、自由に
 タレントとしてではない売り込みと、タレントとは別のプロとして生きる
 ショービジネスへの視点を育てていただきます。
 そこからマーク層を取り込み、わかりやすく、浸透しやすいルール、誤解による残酷性の排除
 暴力とは一線を画した格闘技による琴線に接触するかしないかの「揺らぎ」を伝える。
 …そんなことを妄想しています。いつか実現したいです。
 海外のロトくじかなんかで158億円当たったらね☆わっはっは。

Q3、最初に出会った【私と格闘技】
 ううーん、難しい質問だなー。格闘技の定義をどうするかで変わりますが、ここはプロレスは別
 とします。となると…大道塾かな~。非常にマニアックですが空手道の一つの流派です。
 極真で知られるいわゆる空手とは大きく違い、大道塾の空手は路上のケンカを想定したものであり
 なんと寝技あり、ヒジあり、顔面あり、そしてなんとなんと金的(笑)ありです。サイコー!
 当然、素手でやりますので危険ですから練習や試合ではスーパーセーフと呼ばれる顔面につける
 面があります。しかし顔面に飛んでくる空手家の打撃を「見る」ことで無闇と恐怖するのではなく 
 向き合う心構えが出来ます。
 
 ちょっと特殊な空手道なので、ここで全容を説明しきれないのですが
 私が大道塾に魅入られているのは、ここの塾長「東 孝」さんに大きな理由があります。
 この方、なんて言うかはちゃめちゃなお人というか、やんちゃくれというか非常にカッコイイ
 もののふ、でありまして、「楽しむ」ことの重要さ、自己鍛錬の厳しさ、そういうことへの
 思想が、とても素敵です。息子さんを、当時流行った新歓コンパでの上級生による一気飲み強要で
 亡くされており、想像しがたい哀しみを経てなお、一層の強さを誇る現代の武士と
 私が勝手に思う人の一人です。また、ここの選手達が個性の強い、精神力の強い
 心の強い人ばかりで、一人一人が本当にかっこいいのです。
 
 彼らは全然聖人的ではありません。腹を立てたり、ぐちゃぐちゃと文句を言ったり、スネたり
 とても自然です。もちろん女性にはやさしいですが、やさしいばかりでもないと聞いたり(笑)
 まあ、やらしいんでしょうね。しかし人としてとても魅力溢れる方がとても多いです。
 特に、いつか機会があったら書いてみようと思っているのですが「加藤 清尚」さん。
 彼を知り、私は自分の弱さや憐憫にとらわれたものの見方を恥じたものです。
 私の知る限り、もっとも強い男はこの加藤さんかもしれません。怖いくらいです。
 夫と出会う前、私は大道塾に入会するつもりでした。しかし出会ってそれを告げると
 激しい猛反対に。結局思いはかなわぬまま、今も尚憧れつづけています。

Q4、特別な思い入れのある【私と格闘技】
 ここでもマニアックに行かせていただきます(笑)はい、これは「アブダビ・コンバット」です。
 最近ちょっと有名なドバイなど、アラブ首長国連邦をご存知でしょうか。
 アラブ首長国連邦にあるアブダビ首長国の第3王子が主催する組技の大会です。
 なんと、これで王子を魅了し、結果を残し、王子の寵愛を受けた選手は誕生日に
 家の前にロールスロイスが届いたり、ちょっとした贈り物として1千万クラスの
 ローレックスが届いたりします(笑)すげーな、王子。さすがアラブの王子はケタが違います。
 すみません、ちょっと大口叩きました。これほどの寵愛を受けたのはヘンゾただ一人だと思います。

 この大会は非常に不可解なルールがあり前半は1本以外は認めない、ポイントすら入らない
 空白の10分があります。ま、積極的に1本取りにいけ、というものなのですが
 ポイントが入らないため、逆に消極的になる選手も多く、その消極的さを隠すような
 テクニックを駆使した不思議な動きも見られます。中にはその消極的さが、もしくはそのルールが
 気に食わないのかもしれませんが、前半10分体育座りしてやる!と実際に座った選手もいたり。
 まあまあ、それはご愛嬌ということで(そうか?)この大会の熾烈なルール
 そして世界各国から、この大会のためだけに練習を積んだ猛者どもがわんさかやってきます。
 
 そのため実力が拮抗し、そしてポジショニングが重要なため、ほとんどの試合に膠着があります。
 なので、楽しむ人もごく限られています。プロ選手やマニアックなファンは注目しますが
 動きのある、ダイナミックでにぎやかなものが好きな人は退屈してしまうでしょう。
 私は組技が好きなので、毎年必死になって映像を入手するために奔走していましたが
 夫と結婚したことによって、苦労なく見られるようになり、うきうきでした。
 が、何故か毎年主催じゃなくなり、開催地も変わるとか、いろいろ変化があるようで
 若干、興を削がれた感は否めません。夫が総合の選手を引退した暁には是非とも
 1年くらいじっくりかけて参加してもらいたい大会です。
 
Q5、最後にバトンを回したい人とそれぞれのお題は?
 えっと、ジャポネッサ猫ちゃんに「私とHR/HM」というお題で。
 猫さん、よろしくお願いします。





2005年12月26日(月)PM:9:07に上げた記事です。

う~ん、暑苦しいですね(笑)夏に格闘技のことを知るのは暑苦しいような気がします。
観戦も、会場に入ったときは空調も利いていて、ほっとするのですが(会場にもよるけど)
リングの上が盛り上がり、観客も盛り上がるとヒートアップして暑くなります。

鈴の音が

メリークリスマス!

あなたにも

あなたにも

そしてあなたにも

いつも遊んでくれるお友達に

毎夜鈴の音が聞こえるように

メリーメリークリスマス

いつもありがとう

クリスマスだからって感謝しているわけではないけれど

クリスマスがきっかけだっていいんじゃない?

うん そうだ

いつもありがとう

あなたにも

あなたにも

そしてあなたにも

メリーメリークリスマス!

歌おう!

今日も 明日も 明後日も

歌おう!

毎日がクリスマスのように





2005年12月24日(土)PM:8:11に上げた記事です。

寒いときは毎日がクリスマスのように過ごすのもロマンチックじゃない、と思いますが
こう暑いと「クリスマスなんて出来るか!」という気分です。
昨晩、おそろしいほど早く寝てしまい、ついさっきまで寝ていました。
起きたら夫と娘が昼食をとっており、一緒にちょっと食べて、ぼうっとしていたら
夫と娘はお昼寝してしまいました。入れ替わりで寝ちゃった。

この隙に更新。

早く次に行かないと

昨日の記事に自分でダメージを受けているちょっちぷんです。
うう、こんなに上げたあとにも気にかかる記事書いたの初めてだ…。
私が書くことは大抵は普段から考えていることなので
「書く」ことにはそれほど時間はかからないのですが
上げるまでに時間がかかる記事は、書くにあたって自分の美意識と合致しているか
テーマ自体に興味を持っているか、を考えて、その答えを出すのに時間がかかります。
そこで「書く」となった後は比較的さささーっと書いてしまい
何度か推敲しますが、主に誤字脱字中心のチェックです。なのに誤字脱字が多い。
A型なのに校正は苦手です。間違い探しも苦手ー。ここでも極端さが現われる。

記事の中身はあまり削りません。
多分、読んでもらうには短く要点をまとめ、改行や文体にも気を配ると良いのでしょうが
思考の通りのものを書きたいので、削らないようにしています。
もうね、本当につくづく思いました。
私のためだけの文章だな~って。反省も含めて。
なので、なるべく自己の記録以外は気をつけて書くように、を
来年の抱負にでもしようかな。

それが済んだら、次はその文章を上げるのは何のためか考えます。
ここに一番時間がかかります。
自分の中でどこに結び付け、どことつなげ、足りない知識や、足りない思考回路の補足など
それが出来上がったら記事を投稿します。
この過程を経て記事を投稿すると、自分の中ではある程度整理がついているので
のちのちは、その記事内容にのみ集中できます。

こんなことやっても、無意味に疲れるだけかもしれないなーとも思ったりします。
実際、暗い人気のないシリーズ系の記事が続くと、段々頭の切り替えが素早く出来なくなります。
それはただ単に、私の頭が悪いせいかもしれませんが、思考が偏ってくるような気がします。
性格的に、それが続くと段々疲れて面倒になってきて、投げ捨てます。
まあ、後で多分拾うのですが、捨てた後どれくらいで拾うかは
深く考えたことがないので、わかりません。

自分の思考ですらこんなです。
本当に極端な人間です。

そんな極端な人間が、せっかくはずしたリミッターを活かして
今年の残りは、そっち系でひっかかっていることを全部書いてしまおう、と思ったのですが
予想外に疲れているようです。
寝不足も相変わらず続いているので仕方ないなーとも思いますが、迷うところです。

ちょっと書きたいと思っていること、後でわかりやすいように以前の分も足してメモしておきます。

☆社交辞令を使うときの自分の頭の中の動き(下準備済み)
☆「うつ」であるとき、ないとき、そして両方を兼ねているとき(書くこと自体を検討中)
☆擬人化する愛の危険と強さ(検討中)
☆妊婦となりたて母のイヤなことについて(ほぼ準備完了)
☆私が必要とする拒否と批判とは何か(…迷走中)
☆人間性について(手をつけてない)
☆ハムラビ法典由来資質「1回は10回」の核(第1段階考慮中)
☆残酷性と暴力について(第1段階考慮中)
☆性格とは(カオスから出られない)
☆生きる人の権利(ブログの最終記事)
★お墓について(ちょっとした憤り)
★辞書収集について(趣味です)
★音楽のこと(あっさりしたことをちょこっと)
★土地あれこれ(以前投稿したら消えたのでケチがついて取り掛かれない)
★心の中に生きる住人(邪悪と天使シリーズです。構想は出ている。新しく何人か住人を紹介しようかと)

こんなところかな。これ全部書いたらブログはお終いにするような気がします。
ちなみに白い☆は、きちんと整理しておきたい、または布石として書き始めたいこと。
黒い星は思いつきです。
余談ですが、私は格闘技をしていることと、格闘技を好む人間として黒い星は嫌いです(笑)
出来れば使いたくないんだけど、まあいいや。…○にすればよかったか。
黒い星は負け戦歴というかんじがして見ると軽くムカつきます。ちっ。





2005年12月21日(水)PM:0:05に上げた記事です。

…はぁ~。
写し作業を初めてから、途中でぼやいたりつぶやいたりしたものを含め
書こうと思ったものを細かくチェックしているのですが、すごい数です。
思いつきでものを言ってはいけないと思いつつ、行き当たりばったりで生きています。
最近数が多すぎて、もうどうでもいいや…と感じているのはヒミツです。

さて、写し作業ですが、現在リスト表示で残り5pです。
つまり4分の3終了しました。
全部終わったら、ちょっと考えてみて、もしかしたら今度はコメント欄も写すかもしれません。
修正の形で記事に繋げて。
今日はここまで。明日はもうクリスマスです。

お食事時は読まないで下さい

100人目のお友達にしていただいた、だんごむしさんの記事 にTBです。
だんごむしさんには初めてTBするのに、こんな記事で恥ずかしい…(笑)
ですが、どうしてもつなげておきたいエピソードが!

その昔、電車で通勤していたちょっちぷんが見た衝撃の瞬間の話です。
粘膜系に弱いかた、お食事中の方、二日酔いの方、気分の優れない方
心臓の弱い方はご覧になるのはやめて、もっと楽しいものを発掘してみてくださいね。
そして心細い方は保護者と一緒にご覧になってください。
しかし保護者の方にちょっちぷんがぶっ飛ばされたら困るので、出来ればこっそり見てください。
ちなみに、これを目の前で目撃した日、ちょっちぷんは一日なんとなく気分が優れませんでした。

何年前になるでしょうか、今年のように寒い冬のことでした。
連日午前様の帰宅となっていたちょっちぷん、その日はなんと徹夜明けで始発で帰宅途中でした。
寝不足と抱えたプロジェクトが動き出し、終わりを告げそうなことで
ちょっちぷんは緊張と疲れがピークに達し、電車の中などでうたた寝も出来ません。
早く家に帰って、ゆっくり朝湯につかって、心行くまで惰眠をむさぼりたい!!!!
多分目つきはギラギラしてたと思います。

車内はガラ空き、一両に4、5人しか座っていません。
なのに。なのに隣の車両から来たおっさん。
ちょっちぷんの隣に座ろうとします。
ちょっちぷんはちょっぴり人との距離は離れ目が心地よい神経質なタイプです。
気持ち離れている方が落ち着きます。
なので、普段はなるべく座らずに、出口から遠くても空いている車両を選んだりするのですが
まあ始発はそんなことせずとも人と触れ合うこともなく。
なのになんなの、このおっさん。
ちょっちぷんの警戒アンテナが激しく発動。
おじさんは、腕にコートをかけています。

コートをかけた腕をちょっちぷんの側に置いて座りました。
「怪すぃ…」
ちょっちぷんのアンテナが目盛りを振り切って警報発令!
じっとそのコート付近を見つめていると…
中からおっさんの手がするすると、ちょっちぷんのももふとに伸びてくるではないですか!!!!

「かっちーん」

ちょっちぷんの眠れる火の女神ペレが覚醒。

「おい…」

と声をかけつつ目からビーム!!
おっさん無言ですっくと立ち上がりすたすたと違う車両へ行こうとします。
むっか~~。
ちょっちぷんの中の軍神マース、戦闘態勢に。
すたすたと後を追いかけ、無言でストーキング。
おじさんの背後にぴったりついて歩いてガン見してやりました。

おじさんは歩きつづけ、次の駅に停車した瞬間にワープで降りていきました。
小娘について歩かれたくらいでビビって降りるくせに痴漢なんかするな!!!
イライラが治まることはありませんが、仕方なくその車両に座ることにしました。
ここからが本題です。前置きが長くてすみません、いつものことですが。

向かいに、朝帰りと思われる若い娘さんが一人、超ミニをぱかっと開き
お口もぱかっと開き豪快に眠っています。
まあ、始発だし、男子いないしいっか、と思っていたら
次の駅でやはり朝帰りと思われると酔いがさめかけっぽいオジサンが乗ってきました。
その若い娘さんの前に立ったおじさん、さっき痴漢に会ったちょっちぷん
ちょっぴり警戒心が働きましたが、ものすんごく眠そうなオジサン
寝たらだめだぁ~、と小さな声でつぶやいているだけで無害そうです。

若い娘さんの前でつり革につかまり腕に体重をかけてゆ~らゆ~らゆ~らゆ~ら…
明らかに眠っていそうだ…。
そうこうしている間にちょっちぷんが降りる駅に到着しました。
降りるため、件の二人がいるほうへ歩き、横にある扉の前に立つちょっちぷん。
ふと、横を見ると…
おじさんの口からよだれが「つつーーーーーっ」と垂れ
どんどんどんどん下降!!!
「あっ」という間もなく若い娘さんの手の甲へ
「ぽとっ」…
はっ、とした娘さんは…



とっさに手の甲を口に運び「ずずっ」



!!!!!!!!!




扉が開き、ちょっちぷんはぐらぐらする頭と、たった今見た光景に震える足をそのままに
降りて帰りました。



おえええ~~~~~っ!!!!!!!
ごめんなさいい!ほんっとにごめんなさい。
うぉえ~、今思い出しても気持ち悪いよ~!!

だんごむしさん、こんな変な記事繋げてごめんなさいごめんなさい。
次はもっと楽しいヤツを繋がせてください。
絶交しないで~~。





2005年12月20日(火)PM:0:44に上げた記事です。

おおー、ノーゥ!

もはやバトンでもない

pinkoおねいちゃんちから奪ったシークレット・バトンです。
内容が知りたいがためにもらってきました(笑)なるほど、そういうことだったのね。
おねいちゃんの答えはこちら です。

Q1:【カッタウェイさん】やさしくて、お洒落で、押し付けがましくなくて、一緒にバスケもできる

Q2:【タニさん】トムジェリ的日々を過ごせそう 
   【笑い男さん】全然違う分野で刺激的
  
Q3:【pinkoさん】あったりめえよ(笑)

Q4:【そらさん】トータルコーディネートをば(笑)
   【ひざこぞうさん】一緒に夢について語ろうではありませんか
   【MIHOちゃん】旅話を夜な夜なせがむのです

Q5:【pinkoさん】色使いが好みだからなおさら
   【カッタウェイさん】この方をおいて他にいないってほど

Q6:【チカラジャポニーサン】いつも記事みてても…(笑)
   【リヴァさん】だって自称…

Q7:【firoswi兄さん】人生そのものが…(笑)
   【だんごむしさん】多岐にわたることへの感じ方に涙する
   【ニコ丸さん】不退転の決意が見える
   【キラリンさん】日常に潜む不思議に出会える

Q8:そりゃあ…【firoswi兄さん】いわずもがな(笑)
   【かずさん】以前のブログで(笑)

Q9:【亀井議員】顔から漂ってる   

Q10:【ランス・アームストロング☆】あれくらい貪欲に求めるものが欲しい

Q11:【夫】それ以外考えられん!

Q12:【ひろちゃん】自分ウケ(笑) 
    【ナオ】自分は棚上げ方程式論者

Q13:【猫&自分】いい意味で、さいこー

Q14:【○○とか○○とか○○】危険すぎて書けないよ~

Q15:【わたりとりさん】何事も静かに治まるはず

Q16:【みやびさん】芯がしっかりしていて、経験をきっちり活かして…

Q17:知らない(笑)そんな人

Q18:【VIVAさん】聖母マリアから突っ込みが飛んできそう(笑)

Q19:【火崎さん】徹底的にしてくれそう☆ロンかなぁ?
    【めぐぽぽさん】HG(笑)

Q20:【チカラジャポニーサン】猫たちをふまえて…

Q21:【海風さん】猛獣使い状態に?
    【リヴァさん】不思議な笑いが生み出せそう

Q22:【chargeupさん】秘めたるものが大きい

Q23:【アクビちゃん】
    
Q24:【カッタウェイさん】愛独り占めだから(笑)   

Q25:【絶対にchargeupさん】ものすごい秘密に気付いていそう


なんで突然バトンって?それはですね、この数日の流れは
ブログ生活の終焉に向かっている道を真っ直ぐ歩いている気がしたからです。
このまま進めば納得して幕をひいてしまいます(笑)
なので悪あがきを。この道を行くかどうかはもう少し検討してからにしようと思って。
面白かった♪バトンの質問は、やってのお楽しみだそうです。




2005年12月20日(火)AM:0:05に上げた記事です。

これ、趣味悪いといえば悪いですよね。
お名前だけを答えれば、質問が何なのか気になるし、
でもバトンを受けてまではなぁと思うこともあるだろうし。
あとでお友達に回して困らせてしまいました。ほんと反省。
勝手に出演させてごめんなさい。決して悪い質問はなかったことは明言いたします。
いや、あったけど直接関係ない人物をあげました。
やった方は楽しいんだけどね^^

ハリモグラにモンキーを持たせてみたい

子供が生まれて一、二年、しかも子育てはほぼマンツーマン状態の女性が
冷静沈着、そしてスマートに色々なことを考えていると真剣に驚きます。
本当に頭がいいんだろうな~。
体力や状況に余裕がない状態で、多様な価値観を考慮した思考が出来るなんてカッコよすぎだ。

ということで、今日は男女をテーマにしてみようかな、と思っているのですが
まあ、いつものことですが、着地点がどこになるかはまったくわかりません。
巷には「女性はある事象単体よりも人に興味を持つ」という言説があるみたいです。
ふーん、そうなんだ。
この間書いた記事の中で私も「集」よりは「個」に興味がある、と書きましたが
その辺も関係あるのでしょうか。

そう考えると確かに会社でもそうだったかもしれません。
「政治」や「世論」「教育論」など多数の人が出す思考をまとめたもののことを語るのは
男性が圧倒的に多いような気がします。しかもすっっごく楽しそうだったな。
普段はぱっとしない、業績もいまひとつ、人との関わりも嫌う先輩が生き生きしていました。
私は「集」から入っても「個」から入っても長いスパンで見れば同じとこに行き着く、と思っていますが
男性諸氏は「女はこれだから…(笑)」というところに落ち着く人も多いです。

私は世で言うところのフェミニストでは特にない、と自分では思っていますが
どこかしら「女尊男卑」的思考もあることはあります。
私の中にある「どこかしら女尊男卑」的思考なんてのは、
よくある「男尊女卑」思想への反発だけなんだけど、男性は男性で素晴らしいし
女性は女性で素晴らしいものでいいんじゃん。と根幹では思う。
文化と同じく男女にも優劣などありません。ていうか文化にないのに人にあってたまるかですけど(笑)
比べる意味がまったくわからない。
しかし、比べられれば比べ返したくなるのが未成熟なちょっちぷんです。

どちらにも良さと邪悪なものはあるわけで、それを比べる必要性はあまり感じない。
というと、役割分担的発想に繋がるような気もするけど、役割分担的な発想は
「男性は働き、女性は家を守る」的発想に直結しやすいような気もする。
これもマジョリティかマイノリティかにわけるだけで、あまり意味はないように感じる。
マジョリティかマイノリティかというのは時と共に移り変わるし、道徳観念と同じ
時代によって変わるもんだ。そんなものわけてどうするってんだ。
もうちょっと普遍的なものでも教えてくれ。

生まれ変わったら男と女どちらがいい?っていう質問で
男性はほぼ8割方が「男性」と答えるのに大して、女性は半数は「男性」と答えるらしい。
これの大きな理由には絶対「損得」が含まれているように思うのは気のせい?
男性に向いた社会が根強いから「男性」という性別にこだわるような気もする。
何に使うか、損得抜き、差別ない状態で男女どちらがいいか、といったら
「出産怖いから男性」ってのはあるとしても、どっちでもいいような気もする。

この間何の番組かわからないけど、テレビで見た。
女性の方が力が弱い、とされているけれど、実は潜在能力としては男女それほどの差はないそうだ。
何故女性は非力なのかというと、「女性とは非力である」「女性らしさとは」という
無意識のリミッターがかかるからだそうだ。
その無意識のリミッターは男女とも何かしらあって、それをはずして…というのが
サイコ・サイバネティクス(舵学)の理念なんだろうな。
リミッターをはずすのは、至難の業だと思うけど、ある一部に限定することによって
集中し、はずすことも不可能ではなくなるのだろうな。

話を戻して「事象単体より人に興味を持つ」このことを考えると
確かにそういう傾向は自分にあるように思える。
何事も人が関わる以上、単体そのものの興味は突き詰めていくと人へのものにならないのかしら。
私が記事中に書いた「集」よりも「個」への興味というのもそのあたりに起因しているのだけど
私は興味のあるカテゴリってものがない。ないと言えばないし、あると言えばある、という感じ。
だから「事実」をただ書いたこと以外で、記事単体に興味を持つことは絶対的に少ないと思う。
事実以外の考察や提起されたものは、何故その事実をそう解釈し、何故それを提起する結果となったのか。
これが見えてこないと、興味は持てない。
枝葉の枝部分の興味を持てるのは根幹部を知っている者のみだと思うからなんだけど。
そこを考えると単体に興味を持つっていうこと自体がよくわからない。
思考や思想とは連続性の賜物であり、事象単体に語ることが出来るとは思えない。

小さな子供がいるから、育児には興味もあるし、教育のあり方にも興味はある。
日本に住んでいて、税金を納めているからその使われ方にも興味はある。
社会で働いた経験もあるし、これから働かないとも限らないから経済にも興味がある。
だけどそれのどれもない、と言えばない。それは何故か。なんでかなぁ~…うーん。
何でもそうだけど、結局その単体とされる事象は「集」のものであって
マジョリティではこうなっている、という一つの見解だからかもしれない。

その単体のものが「事実」のみで、それについてというのであれば話は別だけれど
じゃ、その事実について思考の「集」をまとめることが必要かというと、私は別段必要だとは思わない。
「興味」ってのはどう現われるのかな。
事実について考察したことを検証したり、統計をとったりマーケティングすると
行き着くのは「個」であるというところだと思うんだけどなぁ。
心理学と同じく、統計で出たものは傾向であって、真理ではない。
あ、その傾向を知ることが楽しいのが「集」への興味なのかな。
でも傾向を知ったところで自己がどう確立されるかは別だよなぁ。





2005年12月18日(日)PM:2:32に上げた記事です。

この一連の感情の動きには大変勉強させてもらいました。
当然、自分の心も含めて。ものすごく日本の文化が表れていたなーと。
当時いただいたコメントを改めて読み返して思います。

集への興味はやっぱりものすごく弱いです。
全体像の最大公約数的なぼんやりした印象をとうとうと語るのは趣味だと思うけど
人に「これが世界の常識!守れよ!」と押し付けといて「あたし一歩上?」みたいな人好きじゃない。

※「あたし一歩上?」てのは女性を指しているわけではなく電気グルーヴのパクリなだけです。

フローリフェラス・フローリッシュ

わたりとりさんの記事「イヤな奴とはこんな奴」へのトラックバックです。
記事はこちらです。http://blogs.yahoo.co.jp/wataritori_novel/20200673.html

この議論の発端はTB論であること。
その一TBにまつわる出来事により、ヤフーユーザーが他ブログサービスのユーザーに
レベルが低いとひとくくりされ嘲笑の対象になった。
ヤフーユーザーとひとくくりにされ蔑視の対象となったことに異論がある。
が、相互理解も流儀は違えど可能である、と感じる。
これらを前提に書きます。

上げるにあたり、TBであげさせていただきました。
わたりとりさんのところからいらした方には申し訳ありませんが読むに値するかといえば
多分値しないので、時間を無駄にさせてしまうでしょう。
中枢神経が麻痺した芋虫が書いたものだと思ってください。

この記事を書くのに、いろいろと考えながら何故書こうとしているのかを一番深く考えています。
ひょんなことからトラックバックさせていただきましたが
その後わたりとりさんがコメントで仰っていたように、議論に加われとは一言も言われていません。
しかも私はTB論はもとより、ブログ論には興味がないのです。
その私がこれを書こうとて、TBする意味合いはどこにあるのか。
ブログ論やTB論は、言わばサービスの使い方の総括がどこにあるか、ということだと認識していますが
私にとってそれは「個」の分野なのです。
個人で、個人が思う形でマナーややり方を心得ていく。それが何よりの近道だと思っています。
感じたことは身につきます。

それでは何故、こんなに迷ったか。そして何故上げることにしたか。
迷った理由は、わたりとりさんの記事中、コメントにもある「違う」流儀の人との相互理解。
ここにつきます。
様々なやり方で、流儀の違いがある中でも理解しあえることの楽しさに魅入られているからです。
しかし、重大な点がひとつ。自分が理解したい、理解されたいと思うかどうか。
これを散々迷ったのです。
一連の文章を読むと「個」であることの重要さとはかけ離れています。
村とか国とか、なんでもいいですが、その平均値をある一部ですり合わせることに、どうにも興味が持てない。
どこの国にも相互理解を得られる人はいるし、私は「集」には興味がありません。
「個」に非常に興味が偏っています。だから迷ったのです。

そして何故、普段一切こういったことを書かないのに上げることにしたか。
私は「わたりとりさん」という「個」に非常に強く惹かれているからです。
そのわたりとりさんの記事から加わることに大きな意味があるのです。私にとってですけどね。

たくさんあるブログサービスに垣根があることすら知りませんでした。
何故にヤフーだからとか、どこそこだから、という見方が必要なのか
レベルの低い私にはまったくわからないのです。
それは「個人」レベルの話のように見えるのです。

だから「ヤフーはこれだから」とどこで誰に言われても私は腹が立たない。
議論や、間違いの指摘、発端となったTBのマナーを否定するつもりはありません。
誰の中にもそれはあると思っています。
そのどれが正しく、絶対的価値があるのかは私は判断できない。
強いて言うなら「自分」にそれはあるべきではないかと思うのです。

当然、そう言いたいのですから、たとえどこでどんな形で批判や否定を受けても
それはまあ至極まっとうなことだと思っています。
批判や否定を個人攻撃とみなすレベルの低さ、とありました。
それを低レベルだとも思いませんが、受けることはまっとうであるとは思っています。
受けたところで、きちんと咀嚼し、もっともであれば訂正したり償うのは普通のことです。

ただし、それが思想的なものであるならば批判や否定をいちいち咀嚼しないこともあります。
それは「個人」のことですから。

疑問も出ました。
何故議論が必要なのか。これはすべてにおいてのことです。
「集」の議論の発端が「個」であることが多いのは何故か。
その「個」から何故「集」へと繋がるのか。
「集」を議論することの核になる思想がなんなのか。
加わってみたい議論としてこのあたりに興味を覚えます。

ところで一つとても似ていることを思い出しました。
プロレス業界用語の「マーク シュマーク スマート」という3階層のこと。
マーク層とは「会場に足を運んでくれるお得意様のファン層のこと、または一般の方」
シュマーク層は「ファンのなかのマニア層」
スマート層は「どうすれば興行が盛り上がるか?どうすればプロレス人気が復活するか?
       マッチメイカーの視点、興行論を含めプロレスを楽しんでいるタイプ層」

簡単に説明すると、こんな感じです。
これは私の一私見ですが、ブログと同じく、スマート層は黙して語りません。
同じ層の人と出会う独自のネットワークを持ち、そのほとんどは同じ層の人しか交わらない。
シュマーク層は常にプロレス業界の衰退を嘆き、「もっとマニアを増やしたい」と言います。
マーク層は無邪気に楽しみます。
シュマーク層の人は観戦方法や、観戦記、選手について、戦歴についての
「ルール」や「マナー」をとても大事にしています。
それらが浸透していないことや、マナーに反するマーク層を蔑視します。
そして不思議なことにマーク層が育つのもおもしろくは思っていないような印象も受けます。
以前マニアのことを書いた記事でも触れたのですが、いわゆる「マニア」層は
「マニア」が増えることによって、「ルール」や「マナー」が変化し崩壊していくのを
とても問題視しています。それによって排他的にならざるをえないのかな、という印象も受けます。
私はかなりのプロレス、格闘技好きですが、全体を俯瞰してみると
何故か「業界の底上げ」を望んでいるにも関わらず、マーク層の取り込みは拒否しているような感じです。
不思議です。マーク層が育たず、マナーやルールが浸透していないことを嘆くならば
排除するより前に、育てる意識は芽生えないのか。嘆くことはするのに?
…まあこれはプロレス業界独自のことなのかもしれません。
私は似ているなぁ、という印象を受けた、というだけのことです。

このことを書いたことは、私にとってはとても良かったです。
かなり深く考えました。これを書く前にひとつ制限字数いっぱいの文章を一つ書いたほどです。
よくよく考えて、こちらにしましたが、考えたことは様々なことへ及び
もともと持っていた「自分は何故書くか」にもたどり着きました。
極めて道中半ばとは思いますが、答えも出ました。

それによって、この先、対を為すと思われるアプローチ方法を持つ人との
コミュニケーションも視野に入りました。
これからしばらくは、それをしたいかどうか「個人」レベルで出来るかどうかを考えたいです。
「集」に対する議論は統計と推測の域を出ないことも多いので、それが重なりつづけた結果を
真理とすることには重きをおきたくはないな、と思っています。



2005年12月16日(金)PM:10:26に上げた記事です。

この時1番、なんとなく納得がいかなかったのは「彼ら」の一部の人たちが
ヤフー村の村民(だったかな)だからプ、みたいな嘲笑とともに、そこについた
主旨とズレたコメントを嘲笑っていたことです。
なんつーか、その嘲笑しているつもりのこととその行為のどこが違うんだ?と思ったのです。
どこでどんな風に表現し、どんな感想を持つのも、どんな風に人とコミュニケーションを取るのも
それは自由だと思っているけれど、誰かの尻馬に乗ってお祭り騒ぎするのも十分嘲笑対象だと思う。
そういう概念で言えば。
そういう人が後ろからわーわーついてくるとエレガントだったものも一気にモードになるよな。
で、モードになると安心する。それはとっても日本的な共通項の確立という点ではすごい普通だけど。
でも多分それが、ブログの醍醐味でもあるんだろうな。とも思った。

とりあえずこの一連のあれこれを見ていて最終的に思ったのは
「もひかん的資質の点でchargeupさんの左右と前に出る人はいないんじゃね?」てことでした(ギャル風に)

フローリフェラス・フローリッシュ

書こうか、書くまいか。リンク先は一応全て目を通しました。
朝には自分の整理も兼ねて書こうと決め、書きました。
さて次は上げるか上げるまいか。迷う理由はいくつかあります。
迷った理由の一つは、元々のTB論なのですが、私はTB論を持たない、ということです。
ある一部の定義を基準に「こういうもの」と決めて捉えるつもりはありません。
それに加え、そんな私がこんなことを書いてあげることに意味があるのだろうか、ということです。
たいした関心も持たない私が、ここで書くことにどんな意味があるのか。
いつも書いていますが、私の書くものは内省の記録で、提供できる代物ではない、ということ。
来てくださる方、登録してくださった方が私に何を見出してくれたのかはわかりません。
その方々には大変申し訳ないと思う気持ちもあります。
これといって提供できるものがないのですから。
せめて何かを思考するきっかけとなれれば嬉しいですし、そこから出る疑問や違いのすり合わせ的
議論は楽しくもあり、得るものは計り知れない。
提供できるしろものがない人間はブログなど持つべきではない、という考え方もあるようですが
そこについては私は特にそうも思ってはいませんので、こうして書いています。

一連のものを読んで、思い出したもの。
プロレス業界用語の「マーク シュマーク スマート」という3階層のこと。
マーク層とは「会場に足を運んでくれるお得意様のファン層のこと、または一般の方」
シュマーク層は「ファンのなかのマニア層」
スマート層は「どうすれば興行が盛り上がるか?どうすればプロレス人気が復活するか?
       マッチメイカーの視点、興行論を含めプロレスを楽しんでいるタイプ層」

簡単に説明すると、こんな感じです。
これは私の一私見ですが、ブログと同じく、スマート層は黙して語りません。
同じ層の人と出会う独自のネットワークを持ち、同じ層の人しか交わらない。(ほとんど)
シュマーク層は常にプロレス業界の衰退を嘆き、「もっとマニアを増やしたい」と言います。
マーク層は無邪気に楽しみます。
シュマーク層の人は観戦方法や、観戦記、選手について、戦歴についての「ルール」や「マナー」を
とても大事にしています。それらが浸透していないことや、マナーに反するマーク層を蔑視します。
そして不思議なことにマーク層が育つのもおもしろくは思っていないような印象も受けます。
以前マニアのことを書いた記事でも触れたのですが、いわゆる「マニア」層は
「マニア」が増えることによって、「ルール」や「マナー」が変化し崩壊していくのを
とても問題視しています。それによって排他的にならざるをえないのかな、という印象も受けます。

私はかなりのプロレス、格闘技好きですが、全体を俯瞰してみると
何故か「業界の底上げ」を望んでいるにも関わらず、マーク層の取り込みは拒否しているような感じです。
不思議です。マーク層が育たず、マナーやルールが浸透していないことを嘆くならば
排除するより前に、育てる意識は芽生えないのか。嘆くことはするのに?
結局のところ、マーク層が一般大衆化することで業界は潤い、そこに関わる人々への賞賛も
認められ、地位と名誉が確立されるのだと思うのです。
シュマーク層が支えるいわゆる「真実の価値」的なものは一般化はされないし進化や潤いはもたらさない。
スマート層に至っては価値を共有することを良しとさえしない面もあるでしょう。個の愛着です。
マーク層こそが、その業界を支えるといってもいいと思います。
マーク層が大衆化したからといって、それが確固たる地位を築くかというと、そうとばかりは言えませんが
大衆化し、そのマーク層の中でさらなるこの3階層が生まれたときにはきっと確立するのだと思うのです。
サッカーをずっとやりつづけ、流行っていないころからサッカーを愛している!と言う人が
ワールドカップで盛り上がるマーク層の人々を「にわかサッカーファンなんてファンじゃねぇ!」と
小馬鹿にするように、マーク層に階層が生まれる。
そのとき、その対象はある意味支えられ、地位を確立しているのにね。
…まあこれはプロレス業界独自のことなのかもしれません。
私は似ているなぁ、という印象を受けましたが。

さて、私がTBするときはどうするか。
相手の方の記事を読み「これは」と思ったら、まず相手の方の受け入れ土壌を調べます。
ある程度までにはなってしまいますが、記事やいらっしゃる方のコメント
コメントへのレスなどから、相手の方の土壌は大体のところわかるのではないか、と思っています。
その土壌によって、TBしたい、と思った自分の考えをもう一度洗います。
洗ったうえで、アプローチの方法や、伝え方を変えても議論や会話は出来ますし
その手法を変えることくらいは、伝えたいことが確固たるものである以上
私にとってはたいした手間ではないです。
必ずしも常に一定の定義が必要だとは思っていないことが理由です。

最初にまず感じたのは結構みんな「おらが村」的な「愛国」的な発想というか
「部族」的思想であるような印象です。「個」として「個」を語ることはあまりないのですかね?
ヤフーはこうだ、ああだ、とまとめて語るのも、
それに対極させるように、他の会社組織に属するものを、ああだ、こうだと語るのも…うーん。
議論の対象になる事物も特定の一人を例に挙げて「こういう人が多いのは問題だ」というものが
とても多いように感じました。
いちいち何もわかってないヤツらにシチ面倒くさい真似が出来るか、おるぁ!と思う気持ちも
わかるけど、そのやり方で若い芽を摘むことによって、余計に土壌を枯らす気もします。
なら、確信的にやっている人を見抜く目も当然持っているのでしょうから
その確信部を議論しても良いようにも思いますし、そうでない若い芽を摘むのは
結局のところ「楽しみ」でしかないように見えます。
それが楽しいのであれば、大義名分など必要ないでしょうし、TB論もブログ論も
その対を為す論と同じことのように感じます。
ある一個人から多数の人間を含むコミュニティ論に流れるのは、いまひとつノれないというか。
議論する側にはメリットがあるでしょうけれど、そこに興味を持ち、
その議論から何かを学ぶってことが果たしてそれほど有効かどうか。

コミュニティ論を論ずるのであれば、統計をとったり、マーケティングはかかせないと思うし
それこそ、その数字や取ったマーケ論も見たい。
私はブログのコミュニティに詳しくはないです。それもあって適当に語ることに迷いがあります。
適当に、というのはきちんとした手順(私なりの議論へのもの)、必要な知識を得る期間
一番はその事物への「関心」を持っているか、準備したかどうかなのですが。
「関心」ということに絞れば、正直それほどはないです。
私は「個」への関心がとても強く、マジョリティであることや「個」ではなく「集」としての
評価や、「個」が確立されていない状態でのスマート層への底上げには興味が持てないのです。
それは私が未成熟だからかもしれません。

そもそもその議論は何のために必要なのか。
これはこのことに限ったことではなく、議論が何故必要なのかはいつも気になります。
「よりよい形を為すため」というのは当然ですが、ではそのジャッジメントはどこで
誰がどのように決めて、それはどのくらいの期間を持ち、どのように浸透させたのか。
議論の前に必要なことが全て済んでいるのか、が気になります。

枝葉の部分を議論して楽しめるのは根幹部分の前提を知るものだけです。
根幹部を知らぬまま、枝葉の議論のみを見た人は洗脳されるか、排除されるだけです。
大変極論ではありますが、結局のところそこへ行き着くような気がします。
TB論を持つのは何故か、ブログにはルールがある、ではルールが必要なのは何故か…
そのあたりを突き詰めて考えていく過程は、これほどにブログ世界を騒がさないのは何故か。

というのも多数の人間が関することに、統一見解を見出すのは至難の業だし
ましてここ数年で飛躍的に伸びたネット社会での通念を浸透した、とは思えない、というのと
自分自身がたいしたユーザーではないということから、今現在はそうしているというかんじです。
統一見解を見出すことが唯一の解決方という考え方は、非常に危険な気がします。
確かにある程度の統一的見解は必要だと思いますが、結局そこを絶対的な唯一の真理として
しまう人って必ずいますよね。そのことによって、マイノリティは排除されてしまう。

私がわたりとりさんの記事に繋げた、あれを書いたのは啓蒙のためではありません。
より良いものとは何なのか、それを考えたただの私的な見解でしかない。
あちらで私は「テラ・インコグニタ」という言葉を使っていますが
人はそれぞれ「個」としての未開の地である、ということを強く意識して書いたからです。
かならずしもみんなが足並みをそろえ、みんなが賛成する定義で、みんなで!
という必要はない、と私は考えるからです。

それがいらない、と言っているわけではありません。まずはそこから、と思っているのです。
今回のことで読んだたくさんの文章に「個」を強く打ち出したもの
「個」としての文章はほとんどないように見えました。
いや、そことっくに過ぎてんの、僕達は。と言われるかもしれませんけど(笑)
だとしたら「個」である前提はどこに隠されてしまったのでしょう。

「個」として対峙する物事は「コミュニティ」にフィードバックできないものでしょうか。
進む道のりは、123456…と続くように思いますが、そうとばかりも言い切れません。
人によっては759271…と進む人もいるし、2468…と進む人もいる。
それぞれ進む順番は変わることのほうが多いように私は思っています。
だからある一人、もしくは何人かが「1」の地点にいるからといって
他の全てを知らないとは限らないし、どんな進み方でも進むことに変わりはなく
一つの事象を挙げて「全体的にこうである」と決め付けるのは、どうなのかなぁと思うわけです。

つまり「村」とか「国」とか何でもいいですけど、何かに属する人がそればかりではないし
スマート層ならスマート層として嘆いて嘲笑するよりは上手くリードするって選択肢だって
あるじゃん、と思うってことです。黙るんならずっと黙れ、嘆くんなら何とかせい。みたいな?
うおー!面倒くさくなってきました。こういう人間がこんなこと語っちゃいけないんです。
こういう人はスマート層に怒られたら「はい、すみません直します!」つって従ってりゃいいんです。
どんなものに触れようと、そこに何がしかの定義やルールが必要になってきて
多数の人と触れ合う際に発生するものに、何かが生じたら自分で自分のケツを拭えば
それでいいではないか、と思っています。

良くない、とされることが本当に良くないことなのかを論ずるのも楽しいんじゃないかなぁ。
同じくして良い、とされることが本当に良いのかを論ずるのも楽しいでしょうし。
わたりとりさんがコメントや文中で私に「私たちの流儀」とこだわって書いてらしたこと、
「内へ向かう」「外へ向かう」と書いてらしたこと、それを超える議論を生むものは何か。
私はそこが「好悪」なのですが、コメントにも書いたように「悪」にもきっかけは生じます。
惹き付けられる「個」があるかないか。
それは考え方のせいだと思いますが「ある事物」のみを語ること、ある一つの物事を議論するという
一通過点のみを見ては見出せない気がしています。
それもこれも「一つの物事」への関心よりも「個」への関心が強いからに他ならないと思います。
そんな私がこの文章を書いたので、大変まとまりなく長く穴だらけになっているような気がします。

一連のものを読み、周りを見渡すより先に自分の中を探りたい衝動にかられました。
どんなことでも自分に「本当に?本当に?」と問う作業によって私は伸びていきたい。
外へ向かうのはそれからでも遅くないと思ってしまう。
外へ向かう人たちは、内を覗いたあとで外へ向かっているのか。
内で出来ることがもうないのか、気になります。

なんなの?これ?本当に意味なくなった。感想文以下だわ。
これ書いててものすごい急速にブログへの興味というか、続けたい気持ちが失速しました。
私はブログをしていて楽しいのだろうか。
人生修行はリアル世界でも充分できます。楽しみはどこに見出そうか。
新たな内省も生まれ、疲れも生まれ、充足感も生まれました。





2005年12月16日(金)AM:10:45に上げた記事です。

これはこの次の記事のノーカット版です。長すぎて話がしっちゃかめっちゃかなのでカットしました。
せっかくなので、記念にここで公開しておこう。

牛の○○○ょすと○○○○(汚くてごめんなさい)

ここずっと、新しく記事を上げる際必ず一度非公開で上げています。
今毎日のように来ていただいている方にはなんとも申し訳ないのですが
迷いが大きく、そもそも持っていた「書きたい」という気持ちが書けないでいます。
交流のうえでは、まあ良いとしてもらえるかもしれませんが
新着でいらしていただくには適さない、というか出来たら違うところから来ていただきたいので
最近はずっとそうしています。
そうすると、新着には出ないみたいで、割とすぐに修正で公開するのですが
新着からいらっしゃるお客様はほぼ皆無です。
いらしていただく方の数はあまり重要ではないので、そうしているのですが。
じゃあ何故ブログに?ということを自分でもよく考えます。

さて、何故でしょう。異文化交流が出来たら楽しいというのもあります。
その人の辿った精神的成長の軌跡を知りたい、と思える人との交流は楽しいです。
かと言って、その他の交流は拒否するわけではないですが
何の意味があるのか、わからない交流は特にいりません。
じゃあ交流が主な理由でブログを始めたのか、と言えばそうでもないですし
うーんうーん、人間力というか生命力というか「生きてる!」というかんじがする人と
であってみたいのは大きな理由ですが、それだけでもないし。
そもそもは内省の記録です。その記録を公の場に記す意味は交流かもしれない。
とどのつまり、なんでも、誰でもそんなようにも見える。
とりあえず今は受動的にお客様を求めてはいない、というかんじです。
人間力溢れる、生命力溢れる、テラ・インコグニタを探し、
そして違うということを受け入れる土壌を培ってきた、という
「知りたい」を刺激する人を自分で見つけたいです。

ともあれ、非公開で記事を一度上げている結果
毎日、お気に入りしていただいた方とほぼ同数のお客さまにいらしていただいているのですが…
なんでしょう、今日は朝から謎の数となっています。
いつもならすでに夕方の訪問者の方の数です。不思議ですね、わたりとりさん(笑)
来てみたら、こんなブログでさぞかし驚かれたことでしょう。
全然理知的でもなく議論系でもない、ブログのなんたるかがまったくわかってない、みたいな(笑)
私にも、あの記事を繋げた意味くらいは見出してもらえる程度の筆力は、せめてあってほしいですけど。

ちなみに、言いそびれましたが私は私の記事がどこでどんな形で批判されても一向にかまいません。
記事中にもよく書いているように、誰かが感じた「ちょっちぷん像」を
会話や議論で変えたい、と思っているわけではなく
多面体の一部として、そして通過中の一時期として見てもらいたい、と思っているので
批判は意味をなさないと私は考えていますが、そうではない方もいるでしょうし。
その相手の方にもよりますが、一昨日に書いたようにその方の精神的な軌跡をある程度知り
何故そこに至ったのか知らない以上、一過程の思考について議論してもなぁとも思いますし
知りたい、と思うかどうかもわからない。
更に、その方の思考が最終的な固まったものであったとして
それが本当に全方向に向いているかも気になります。
思いやりと同じくして、どこでどんな状況でも同じ答えが出ない、というような
そういう一通過地点での批判への議論は私の通過点には必要ないからです。

ただそれが明らかに、私の書いたことが誰かの何かを侵害している、ということなら話は別ですが
主旨を知った際に、私が「そんなの知ったこっちゃねーよ」と思うことならば反論もしません。
これは先日も書いたけれど、ブログの性質上そうなるのでしょうね。

どうでもよい、と言いますか。私は非常に怠惰な人間なので面倒なことが大嫌いです。
勉強も嫌いだし、修行も努力も大嫌いです。誠実で公平ではありたいですが。
公の場であることを認識していただきたい、ということにはまあ気を配りたいですが
気を配るのもリアルの世界で配る程度と変わらない、ということです。
気をつけるべきは「誰かの何かを侵さない」これくらいです。
線引きの場所や定義について議論することは、私は利他的な視点を持ってからにしたいです。




2005年12月15日(木)AM:11:05に上げた記事です。

この記事は確かわたりとりさんの栞記事を読んでから書きました。
思い切りわたりとりさんに誤解させるような書き方です。
当時コメントをいただいて「あれっ?謝らせてしまった」と慌てて訂正させてもらいましたが
今読み返してみると、そう思われて当たり前だー!…うーごめんなさい~。
わたりとりさんが議論(本当は対話)をしましょう、と呼びかけた相手「彼ら」に向けての気持ちだったのですが
こんな書き方では誰にも読まれることすらないですね。

当時多分「わたりとりさんと議論(対話)するのはいいけど、こんなに画一的な人たちとは話すのもやだ」と
思っていたのではないかと思います。
けれど、少し時を経てみると、ここでこうしてきっかけをいただいたことで
私の自分自身のブログやトラックバック、文章での人との望む関わり方など
自分について深く考えて、今の私が持つ答えに行きつけたのは本当に幸運でした。
いつもありがとう、わたりとりさん。

つまらないお話

今日も元気に眠いです!
師走も中盤に差し掛かってきて(気付いてなかった)みなさん今年を振り返っているような。
振り返った記事でも書こうかと思ったのですが、やめました。
私にはまだ早いのだ。ぎりぎりになってからにします。

それで、とりあえず今年から始めたブログの整理とやりのこしをまずは片付けようかな、
以前、何回か「これから○○について書きたい」とか「記事にしようと思うこと」など
書こうとして書けないままのテーマがいくつか残っているので
今年の残りはそれを書こうかと思います。

屁理屈ばっかこねても、どうせハナクソみたいな文章にしかならないしなぁ、と思って
お蔵入りしたものあり、ちょっとどうなの?テーマとしては危険じゃない?と思って
しまいこんだものあり、なんにせよ、はっきり言って牛のうんちょすみたいなもんです。
多分それが続くことと思います。

つまらないと思いますが、もう年内は店じまいしたと思い堪忍しとくれやす。
て書くと、本当に毎日毎日ぐだぐだと昨日みたいに何とも言いようがない記事が続くと
思っちゃいますよね。そんなには続かないような…。
ちょっと自分でいくつ食べかけのクッキーがあるかわからなくなっちゃいました。
見つけるたびに食べきろうと思っているだけなので、そんなには続かないと思われます。
それでも屁理屈こねこね系のぐだぐだと無駄に長い文章が増えますが
2005年もあと少し、もう少しよろしくお願いいたします。






2005年12月14日(水)AM:9:55に上げた記事です。

あーこの頃も眠かったのだな。
で、今は写すにあたり実は書いたけど色々考えて公開しなかった記事をこっちで公開するか悩み中です。
迷ったらとりあえず写して暗闇カテゴリーにぶち込んでおこうと思います。
のちのちいつのまにかひっそり公開するかもしれません。
ところでアメブロにはブログを丸ごとダウンロードできる機能はないのかな。
そういう機能があるところにも写せば良かったかなー。