ちゅんとたそがれをみる
今日も夕焼けが綺麗だった。
明日も雨、という予報だったのにな。
小さなときに見た夕焼けはこんなに赤紫がかっていただろうか。
ハワイの火山が噴火してその塵のせいで夕焼けの色が変わったと、何故か私はずっと信じている。
昨日は夜更かしをしてしまって変な時間に起きたから稽古が終わった後とてつもなく眠たくて、帰りの電車でぐっすり眠ってしまった。
起きたときに軽く寝違えていたくらいに深く首を垂れて。
帰ると日が短くなったことでちょっとものがなしい気持ちを覚えた(ように見える)ちゅんが、ずっとかまってほしくてわーわーいっていた。
ほら、すごい夕焼けだよ。
と角の部屋に連れてゆくと、やっぱり夕焼けを見ながらわーわーないた。
羽根の変わる時期であたまと首がいつもよりつんつんしてる。
ご飯をたくさんたべ、お風呂という楽しみにも目覚めて、ちゅんはすくすく成長してる。
みぎしたのほうに小さく見える山の影は、富士山。
舞台稽古
舞台の稽古が進んできた。
ここ何回かの舞台はヨーロッパにいってたからいつも帰ってきてから、途中からの参加になっていたけれど今回はいちからつくりあげている。そこにいるということがどんなに大事か、身に染みる。
探ってつくりあげてゆく過程に身をおくことでそれがどこから生まれたうごきなのかがわかるから、自分で納得がいく。納得がいけば追求できるから安心できる。安心できれば自信にもつながる。
自信がなければなーんにもできない私にとってこれがいちばん大きい。
今日は目の調子も悪いのでコンタクトをしないで踊った。
本当は細かいところがみえないから不安にもなるのだけれど、ぼやけた視界で踊るとからだを感じようと思える。
ちゃんとおなかのなかまで指でさぐって、たぐりよせて外に動きがあらわれる感じ。
どの動きにもそれができるわけじゃないけどときどき。見えないからこその感触がそこにある。
まだどんな感情で踊りたいのかわからない。
それはこれから。
またひとつ違うなにかがつかめるんだと思うと嬉しい。
踊るのが好きなんだなー。
レッスンはさぼるくせに。
レッスンも好きなんだけど、さぼるのも好きなんだな、たぶん。
だめなやつ。
なにからも逃げないなんてぎゅうぎゅうに考えないでもいい。
ときどき逃げて、また追い掛けなくなったら後悔して追い掛ければ。
初、お笑いライブへ行く
今日は友達が演出してる芸人さんのライブを見にいってきました。
芸人さんは一緒に芝居をしていた仲間うちのひとりなんだけど、みんなより早く卒業した私とはすれ違っている。…のに、色々話を聞いているからなんだか勝手に思い入れがあって、身内の気分。
私は芝居をやっていたとはいえそれは遊びの範疇をでていなかった。だからそこから芸能界でやってゆくことがどれだけ大変かも全然しらない。
大変さはわからないけれど情熱だけは知っているつもり。
だから笑いながら、その演出の友達を隣にして、いま何を感じて舞台を見ているんだろうなということにこころが行き、思わずしみじみしてしまう。
お笑いを見にきてるのに、なんだかじんわり涙がうかんだりして。
これからもっといろんなひとに見てもらえるようになるといいなぁ…。
ということで大西らいおんをみなさんよろしく!
帰りに仲間とお好み焼き。
なんて居心地がいいんだろ。同時になんだこの緊張感。
おおきな喧嘩もいっぱいした、恥ずかしいとこもお互いたくさん見せたし、知ってる。集まるたびに馬鹿な会話しかしないけど。
一緒に同じ時間のなかで苦労して笑った仲間って、すごいな。
これもあって私は舞台が好きなんだろう。
どきどきして、うまく眠れないかもしれない。
第2回 竹ノ輪展
昨日は友達の主催する竹ノ輪展を銀座のギャラリーに見に行ってきました。
感想は…
すごく好きなものだらけ。
好きなものをたくさん集めたお部屋のようでした。
el fogさんの音楽もここちよくそれを流している瓢箪型のスピーカーも可愛く。
はたぼうさんの絵は何度かmixiのページからHPに忍び込んで見せていただいていたんだけどやっぱりすごく好きだった。
メッセージカードを購入。自分で持っておく分と、だいじなときに贈る分と。
はたぼうさんの絵からはグリム童話みたいな少しダークででも甘い物語がたくさん生まれてきそう。
書を体験できるスペースがあったので書を残してきました。
久しぶりの習字はへたっぴいすぎて驚いた。
なのでせめて、あらんさんのすずめちゃんと一緒に。
ほかにも、素敵な絵やかわいすぎる小鳥のバッチ、あらんさんの絵を初めて生で見ちゃったし、watoさんのレシピカードも買っちゃったし、はちみつもおいしかったしランプシェードも素敵だし…
器と、夢をたべる獏の絵も素敵だった。
この絵本をいただけないかとお願いしてしまったので、そのうち届くといいな。色とか線とか構図も素敵でなにより、描きたいものの選び方が素敵だと思った。
今回は9日で終了してしまいましたが、次回は10月にカレンダー展を開催するとのこと。
アーティストの皆さんが日本の四季へおもいを馳せ、できあがるカレンダーが楽しみです。
スケジュール帳とか、つくってほしいな。
などと、ここでもお願いしてみる。
なんだか期待していた以上に好きな空間、好きな作品ばかりだったのでお薦めです。
10月、ぜひぜひ。
■竹ノ輪HP (イベントのページ)
Moments '07/Dance theatre LUDENS
ベルギーの友達が泊まりにきていたときにすこしだけお会いしたかたの舞台を見に行った。
以前このカンパニーの映像か、岩渕さんの作品をみていたのでなんとなくイメージを持っていたのだけれど実際見てみると、あれ、こっちか、という感触だった。
ひととひと、とか、物体とひとのからだ、といった別のものがお互いに牽制しあったり引き寄せられたり。
その関係のことをずっと感じながら見ていた。
対象は舞台の上空だったり床すれすれのところだったり、体の関節だったり、もしくは舞台上をとびだして、観客だったりもする。時間だったり。
関係、というものが生き物のようにずっとこの作品のなかでかたちやおおきさを変えてうごめいていたような、気がする。
意思とかエネルギーがぱっと鎖されたり、めまぐるしくバトンされていったりする様子をただなんとなく視界に入れていると、絶妙な軌跡が、絶妙なスピードで埋めていっているなあ…ということを頻繁に感じた。
踊りを見ているというよりはなんだか、現象をグラフィックにしたものを見ているみたい。
私はひとのからだの動きの複雑さやからだが発する温度、ひかり、リズムをどうしても求めてしまうのだけれど、こういうちりばめられた記号のような作品も面白いなあ、と思った。
友達とも話したのだけれど、舞台上にからだの軌跡が残る物体をつかう作品って、うまくいくととても美しい。
からだを動かすことで空間にひろがる軌跡は錯覚のように一瞬のものだし、空気の流れとか指し示す方向は見ているひとにも感じられるけれど、それがたとえば砂とか(今回の舞台では砂や空缶だった)絵の具とか障害物とかが線として残ったり押しのけられてかたちになったりすることがその舞台上に残っていることを効果 的に使えたら面白い。
安易に使うと多分面白みよりも「これがしたいのね」という目的の意思ばっかりが目立ってしまっていけないけれど、それを感じさせないかもしくは、それが頭にあるひとをそれ以上にはっとさせるものだと、いいのかもしれない。
難しいけどきっとさもないことでいいはず…なにかわからないけど、まだ。
軌跡をじっさいのかたちにする、というところで友達が作った映像のことを思い出した。
その動きと音を発している本体と、軌跡の質感は繋がっていなくてはならない。
あ、それか、まったく異質にしても面白いのかもしれないけど。
砂だとこまやかだし、缶はノイズもともなって荒い。
笑うところが最初よくわからなかったのだけれど、途中どうしようもなく可笑しくなって笑った部分があった。
変な種類の笑いだったなあ。どこかであの感触はかんじたことあるぞ。なんだっけ。
それにしてもレンガ倉庫はいい。
グレゴリー・コルベールの移動式美術館を思い出した。
テントっぽいからかな。
建物自体に主張がある舞台もいいな、と思う。
公演は本日8日(土)にもあります。
Dance theatre LUDENS HP
http://ludens.at.infoseek.co.jp/index.html
以前このカンパニーの映像か、岩渕さんの作品をみていたのでなんとなくイメージを持っていたのだけれど実際見てみると、あれ、こっちか、という感触だった。
ひととひと、とか、物体とひとのからだ、といった別のものがお互いに牽制しあったり引き寄せられたり。
その関係のことをずっと感じながら見ていた。
対象は舞台の上空だったり床すれすれのところだったり、体の関節だったり、もしくは舞台上をとびだして、観客だったりもする。時間だったり。
関係、というものが生き物のようにずっとこの作品のなかでかたちやおおきさを変えてうごめいていたような、気がする。
意思とかエネルギーがぱっと鎖されたり、めまぐるしくバトンされていったりする様子をただなんとなく視界に入れていると、絶妙な軌跡が、絶妙なスピードで埋めていっているなあ…ということを頻繁に感じた。
踊りを見ているというよりはなんだか、現象をグラフィックにしたものを見ているみたい。
私はひとのからだの動きの複雑さやからだが発する温度、ひかり、リズムをどうしても求めてしまうのだけれど、こういうちりばめられた記号のような作品も面白いなあ、と思った。
友達とも話したのだけれど、舞台上にからだの軌跡が残る物体をつかう作品って、うまくいくととても美しい。
からだを動かすことで空間にひろがる軌跡は錯覚のように一瞬のものだし、空気の流れとか指し示す方向は見ているひとにも感じられるけれど、それがたとえば砂とか(今回の舞台では砂や空缶だった)絵の具とか障害物とかが線として残ったり押しのけられてかたちになったりすることがその舞台上に残っていることを効果 的に使えたら面白い。
安易に使うと多分面白みよりも「これがしたいのね」という目的の意思ばっかりが目立ってしまっていけないけれど、それを感じさせないかもしくは、それが頭にあるひとをそれ以上にはっとさせるものだと、いいのかもしれない。
難しいけどきっとさもないことでいいはず…なにかわからないけど、まだ。
軌跡をじっさいのかたちにする、というところで友達が作った映像のことを思い出した。
その動きと音を発している本体と、軌跡の質感は繋がっていなくてはならない。
あ、それか、まったく異質にしても面白いのかもしれないけど。
砂だとこまやかだし、缶はノイズもともなって荒い。
笑うところが最初よくわからなかったのだけれど、途中どうしようもなく可笑しくなって笑った部分があった。
変な種類の笑いだったなあ。どこかであの感触はかんじたことあるぞ。なんだっけ。
それにしてもレンガ倉庫はいい。
グレゴリー・コルベールの移動式美術館を思い出した。
テントっぽいからかな。
建物自体に主張がある舞台もいいな、と思う。
公演は本日8日(土)にもあります。
Dance theatre LUDENS HP
http://ludens.at.infoseek.co.jp/index.html




