Moments '07/Dance theatre LUDENS | アマヤドリ

Moments '07/Dance theatre LUDENS

ベルギーの友達が泊まりにきていたときにすこしだけお会いしたかたの舞台を見に行った。

以前このカンパニーの映像か、岩渕さんの作品をみていたのでなんとなくイメージを持っていたのだけれど実際見てみると、あれ、こっちか、という感触だった。

ひととひと、とか、物体とひとのからだ、といった別のものがお互いに牽制しあったり引き寄せられたり。
その関係のことをずっと感じながら見ていた。
対象は舞台の上空だったり床すれすれのところだったり、体の関節だったり、もしくは舞台上をとびだして、観客だったりもする。時間だったり。
関係、というものが生き物のようにずっとこの作品のなかでかたちやおおきさを変えてうごめいていたような、気がする。

意思とかエネルギーがぱっと鎖されたり、めまぐるしくバトンされていったりする様子をただなんとなく視界に入れていると、絶妙な軌跡が、絶妙なスピードで埋めていっているなあ…ということを頻繁に感じた。
踊りを見ているというよりはなんだか、現象をグラフィックにしたものを見ているみたい。

私はひとのからだの動きの複雑さやからだが発する温度、ひかり、リズムをどうしても求めてしまうのだけれど、こういうちりばめられた記号のような作品も面白いなあ、と思った。

友達とも話したのだけれど、舞台上にからだの軌跡が残る物体をつかう作品って、うまくいくととても美しい。
からだを動かすことで空間にひろがる軌跡は錯覚のように一瞬のものだし、空気の流れとか指し示す方向は見ているひとにも感じられるけれど、それがたとえば砂とか(今回の舞台では砂や空缶だった)絵の具とか障害物とかが線として残ったり押しのけられてかたちになったりすることがその舞台上に残っていることを効果 的に使えたら面白い。
安易に使うと多分面白みよりも「これがしたいのね」という目的の意思ばっかりが目立ってしまっていけないけれど、それを感じさせないかもしくは、それが頭にあるひとをそれ以上にはっとさせるものだと、いいのかもしれない。
難しいけどきっとさもないことでいいはず…なにかわからないけど、まだ。

軌跡をじっさいのかたちにする、というところで友達が作った映像のことを思い出した。
その動きと音を発している本体と、軌跡の質感は繋がっていなくてはならない。
あ、それか、まったく異質にしても面白いのかもしれないけど。

砂だとこまやかだし、缶はノイズもともなって荒い。


笑うところが最初よくわからなかったのだけれど、途中どうしようもなく可笑しくなって笑った部分があった。
変な種類の笑いだったなあ。どこかであの感触はかんじたことあるぞ。なんだっけ。


それにしてもレンガ倉庫はいい。
グレゴリー・コルベールの移動式美術館を思い出した。
テントっぽいからかな。
建物自体に主張がある舞台もいいな、と思う。


公演は本日8日(土)にもあります。

Dance theatre LUDENS HP
http://ludens.at.infoseek.co.jp/index.html