アマヤドリ -81ページ目

トヨタカップ


サッカーをスタジアムで観てみたいなぁ。
できればユヴェントスの試合で、デルピエロがFWの試合がいい。
カンナヴァロが体当たりをかけていて、ブッフォンが鉄壁で、ペッソットがひょうひょうとサイドを走り抜けて、ガットゥーゾにはがしがしと転がってほしい。

フランスW杯(わーるどかっぷ、で一発変換できるなんてすごい)の決勝と、5年前のチャンピオンリーグのミランとインテルの試合、去年5月のW杯、それから今回の初戦。
ともだちと観るサッカーはいつも楽しい。

ずっと積もるように。


うちのちゅんもサッカーが好きみたいだ。
ボールも選手の頭も靴下の白も、全部をフルでおっかけまわしていた。
目が悪くならないか心配。

kotoba


ことばについて思うところを交換し、ことばじゃないすべてのひろがりを確かにする。
目玉の奥がふくらみ呼吸をするような、
うしろの肋骨からおおきな翼が突き破り、透明な影を投げ掛けてくれているような。
そこでする呼吸は、甘くて、どこまでも深い。

***

そしてその直後に、色を忘れたことばたちしか生めない場面にも気付く。

にごっているところからまっすぐなことばは生まれない。
とどこおったまま差し出すことはできない。

射てしまったら、あたためかえすことは難しいから。

色に覆われる



絵画館の前のいちょう並木を散歩してきた。

絵画館は、高校の頃たまに部活のジョギングで来ていたところ。
といっても私は器械体操部だったのであまりマラソンの必要性を感じず(本当は必要なのかもしれないけれどなるたけきついことはさぼりたかった)、めったにジョギングはしなかったけど。

けれど今考えてみたらこのあたりを走ることはどんなにか気持ちよいことだろうな、と思う。
広くて、空も大きくて、みどりが覆っていて。

 

懐かしい景色とはいえ、あえていちょうの時期にここを訪れることはそんなになかったことに気づく。
あ、一度あるな。
私がはじめてきちんと、デートらしきものをしたのがここだったような気がする。
銀杏がたくさん落ちていてくさかったことを覚えている。
さらにひどいことに私は、素敵さをかもしだそうとしたのかどうか覚えていないが飲んだこともないハーブティーを飲んで、お腹がものすごくいたくなったのだった。
かっこわるい。

たくさんの人がこの並木を楽しみにやってきていることにびっくりした。
日曜日だということが感覚としてわからなかったのもあるし、でもなによりも、たかだかいちょう並木だよ?という気持ちがあって。
「いちょう祭り」と称して、屋台まで出ている。


 

ふかふかの黄色い光に包まれて、道ゆくひとみんながこのこうふくに照らされていることがうれしくなる。
こころのうちはわからないのだけれど、でもこの柔らかなあたたかみはどこかに染みているはず。

またも焼き芋を食べる。
焼き芋もこうふくのあじ。




ちいさい子もお父さんやお母さんに連れられてたくさんいた。
カメラ小僧くんはあとこのカメラがどのくらい撮れるかということを一生懸命説明していたし、
ベビーカーに降ってきたいちょうの葉をもぐもぐしたがっている女の子もいたし、
カメラを向けると何度でもぴたっと止まってくれるサービス精神旺盛くんも。

紅葉の神社


友達の展示会のあと、時間があったのでご近所の神社へ。
いちょうの神社だったので、今は黄色の神社になっている。
ずっとお祈りをしている女のひとがいた。
いつも神社を通りかかったときに気軽にお参りをしてよいものかわからないのだけれど、今回はそのひとを見たから余計にそのまっすぐな場所には近付けなかった。



夢中でいちょうを撮っていると知らない方が「この神社といちょうの樹は800年もの歴史があるんですよ」と教えてくれた。
そしてちょっと屈み、
いちょうには雄と雌の樹があるんだけどお嬢さんはその見分け方を知っていますか?
と葉をふたつ並べてくれた。
葉の先が割れているのが雄、まあるいのが雌。
ズボンとスカートと覚えればいいんですよ、と。

いいこと聞いたなぁ。
そういえば昔はそのことを知っていたのに、すっかり忘れていたもの。



話し掛けてきたときと同じく、またおじさんは唐突に向こうへ行ってしまう。
(お散歩中の犬をぐりぐり撫でていた)



小高いところにある神社から街を眺めながらJRの駅へ降りる。



写真を撮りながらゆっくりゆっくりその淋しい階段を降りる私を、電車のホームにいるサラリーマンが何となく不思議そうに見る。
私は来た路を振り仰いでもういちどいちょうを撮る。
サラリーマンも、携帯を取り出していちょうを撮っていた。

油断していたら轟音をたてて京浜東北線が行き過ぎる。
タイヤが近いからちょっと恐かった。



トンネルをくぐったら、またひとのいる世界に。

太平洋展


お友達の版画展へ。

私にはめずらしく、予定はつまっているけれど個々に時間の余裕のある一日だったのでたぶんこの日の写真は特にまあるい。


小さな展示会だけれど、だからこそゆっくりと見ることができた。
展示室の真ん中に椅子と灰皿が置いてあって、ひとが入れ代わり立ちかわりする。
ずうずうしく、私も座らせていただく。
私のおじいちゃんと言ってもよいくらいのお年のかたが多くて、いろんな話を小耳に挟む。
入院していた奥さんの意識が戻ったこと。毎日病院に呼び出されることで疲れちゃったよ、とつぶやくと、傍にいた女性が、でもちゃんと看てあげなきゃ自分が後悔するもの、とほほえむ。
最近なんでも忘れちゃうんだよ、と話すおじいちゃんは帰りぎわだったのに上の階にかばんを忘れ、それを取りにいくのに次はたばこをテーブルに置いていってしまった。

そんな光景のなかにしばし紛れる。


お友達の作品はひとめで見てわかった。
それもとても素敵でこころを射るなにかがあったのだけれど、ここにはもうひとつ、素敵だと思った作品を。

銅版画らしい。
この淡くひっかいた感じがいいなぁ。
(あとたぶん、鳥が可愛かったから)

そして私は今、白黒とか、モノトーンの表現にすごく興味があるみたい。
しかも明度を押さえた。
光と影のなかに、色を想像させる表現。

きっと踊りでも。