アマヤドリ -76ページ目

あたらしい年のはじまりに


久しぶりに家族と過ごす年越し。
ほんと、何年ぶりだろう?

去年はオープンカーでドライブ。寒いから毛布にくるまってかっこ悪かったかもしれない…けどすごく楽しかった。流れる空をずうっと見ていた。
おととしは渡独直前の運をおみくじに託したらあまりにひどい内容で大笑いした。旅には行くな、勉強は実らず、仕事は得られず、というような。
懐かしい。

新年の鐘のかわりに船の汽笛がきこえる。
八景島で花火があがっている。
おばあちゃんちで年を越すのは初めてなんだ。


去年も多くのものをいただいた年でした。
ことばや、頑張りを見せてくれること、思い出もただそばにいてくれることも、感動を分けてくれることもともに感じたことを共有できることも。
いつもいただくことばかりです。
いつもありがとうございます。

こうしてさもないことを書き留めることは私にとって大事なものになっている。
感覚のバランスをとることとしても、世界とつながる手段としても。



今年も仲良くしてください。

素敵な1年でありますように。

夕空、光で満たす、醤油味



横浜と東京では雲がちがう。
海にちかいからかな。
空に空気がよく通って澄んでいて、雲は分厚く密度がある。だから夕焼けがながく濃く映えていつまでもそこにある。
光が通過しない側は藤色に深く沈んでいる。
その対比があじさいのようだ。
橙色の夕焼け雲と薄紅色の夕焼け雲、それから地上近くを這う染めものの薄い藍のような弾力のありそうな雲。
そんなたくさんの色彩が同時に視界にはいるなんてぜいたくだなぁとバスからカメラを向ける。

夕焼け空ってたまにしか意識していなかったけれど、実は毎日、それがどんなに短い時間であっても空や雲が紅く染まる瞬間はあるんだよ、と友達が教えてくれた。

飛行機が強く光を放ちながら空を横切る。
空からはどんな色が見えているんだろう。


私たちは、何かに満たされてこころがいっぱいになるということがありますよね、と先生は言う。
けれどそれはそんなにたくさんは訪れないですよね。
けれど踊りの動きによって私たちは日常でそれを感じるよりももっと数多く、体験することができるんです、と微笑む。
ああ、とじんと目が熱くなった。
私が踊ることに求めることを、このひとはこんなにさらりと知っている。
こんなにかんたんなことばにしてはっとさせてくれる。
留めてくれる。

ある動きに到達しようとする過程にはなにか光をみたそうとしたり、空気の温度を変えるような感触がある。
または日常のそれよりも増幅させた感情。
それは自分自身で生み出せることだから、どこまでも高めることもできるし…けれどすごく微妙な、からだと感じることのずれですぐにぶれてしまうものでもある。
だから気持ちだけじゃだめで、稽古を積むのだけれど。

踊ることはそんなに特別なことじゃない。
踊りに求めているものは、何からもかけ離れてはいない。
いつも生きてきて感じていることの延長。
それを記号にしたり、呼び戻したり、時間を弛緩させたり…あらゆる方法でもういちどかたちにしている。かたちにしながら再体験して、同時に新しい体験として見いだしている。

***

今日初めて知ったのだけれどカンロ飴にはおしょうゆが入っている。
そういわれてみれば、おしょうゆ味だ…けど気付かなかった。
この飴をずうっと食べているおばあちゃんも、今日それを知ったんだって。

思い出す、キリアン、盲点

ワークショップ一日目。

バレエの稽古からはじまる。
自由に動けるためには細くて強い芯が必要…なのに、からだのあちこちがぼんやりとあいまいになっていることを感じ、奥歯を噛む。
身につけてきた時に意識したからだの部分をまた思い出したのは、せっかく無意識にまで高めたものを手放してしまった証拠だ。
…けれどごにょごにょ悔やむ前に頑張ってみよう。

2時間のバレエレッスンのあとにキリアンの作品の一部を習う。
『Whereabout Unknown』という作品。
独自の文化を現在でも保ち続けている民族のアイデンティティと、まさしく今現在、私(たち)がどこに存在しているのか…ということを重ねたかたちで表した作品みたい。
そのさわりの部分を3日間で仕上げることになる。

***

帰り道友達と話したことが胸にとても響いた。
私にはたくさん欠点はあると思うけれど(こう書くことでそれに甘えるつもりもないのだけれど)、こうして指摘してくれることはほんとうに得難いこと。
なのに、話してくれたことが私にはほんとうには理解できなかったような気がする。
気付いていないことに少なからずショックを受けたし、ピンとこない自分の感覚の鈍さにも焦りを覚える。

けれどこころに留めて考え続けよう。
そうするしか、ない。


朝から春のようなあたたかさと、つつむ空。
稽古にいってきます。

12:43


両親がおばあちゃんちへ行ってしまい、そうなると私の生活はいっきにこもったものになる。
別に普段そんなにお話するわけじゃないのに、変なの。
広いうちにちゅんとふたり、なのにちゅんは昼間仕事で家を空ける私に対して厳しい。
今朝もまだ暗い居間で、ステルス戦闘機みたいな低い姿勢で私を待ち構えてた。恐いよぅ。

ネロリの香りのするオイルをあたためながら録りためていた新日曜美術館を見る。
尾形乾山の回と、花やミジンコの絵を描く堀さんの回。
青い芥子の花の美しさがまだぼんやりと風をつくっている。
あおが好きだ。
あおの持つ透明感も、とおくに抜けるかおりも、狂気も。

絵を描きたくなる。
何を描きたいか、がみつからないけれど。


雪の国に旅立つひとにメッセージを送る。
インドに旅立つひとにも。
旅がしたい。
けれどここにいて、たたんだり、分別したり、濁りをおとしたり、端をそろえたりも、今のわたしには必要なのだろうとわかってもいる。

どこにいても、あたたかに眠ってくれますように。

鴨川にすむひとびと-番外編-

川の橋のくらがりに住んでいるひとたちのおうちの横を通り過ぎるとき、ちょっと緊張する。
壁が薄い分むこうも気にするような気がするから、そしてやっぱり、そのくらがりがこころに不安をもたらしているんだと思う。
けれどアンテナ付きのうちを見て可笑しくなった。
うちの中はどんな風にものがそろっているんだろう。

懐かしい形の壊れたラジコンとかちいさな金色のラッパ。
どこからともなくラジオが流れてくるけれどその出所はわからない。


小さいときに傘をたくさん集めてきて重ねて、こういうふうに基地を作った。
外の光が傘の記事に浸透して私たちの顔を照らすまでにはさまざまな色が空気を染めている。

でもこの遊びをするのはひとりきりのときだったような気もする。
なぜなら、この基地の中で誰かと並んで座ったりおしゃべりしたりということを全く思い出せないからだ。
見上げていると自分の白目に映った色が目玉の近くに反射しているのが分かった。

口をむすび、雨が降ればいいのにと願った。


閉所恐怖症なのに、自分から閉じこもることは好きだった。
押入れやダンボールや傘の基地。
二段ベッドのカーテンの中、クローゼットのスカートの後ろ。

怖いのは私の意思でそこからでることができなくなるかもしれない、というそのこと。