アマヤドリ -77ページ目

鴨川にすむとりたち


たくさんのカモメやはとやすずめやカモ、とんびや白と黒の燕尾服を着たとりたちがいる。


朝は鳥たちがさかんに動いている時間で、すずめもカモもはとも一生懸命地面をつついたりしきりと水の中に首を突っ込んだりしてみていた。

お寺や林のちかくではヒヨドリがきいきい朝から騒いでいたけれど、川の近くにヒヨドリはいなかった。
すずめはみんなでさわいでいても声が高くて微かだから、とても可愛い。
ヒヨドリはほんとうにうるさいよなあ。
自己主張が激しいんだから。

友達に、可愛がっているヒヨドリと散歩をしているおじさんの話を聞いた。
そんなことが可能なんだったらちゅんに外の世界を体験させてあげたい。


そしてこいつです。


手前のかもめちゃんじゃなくて、そのずうっと奥の灰色のやつ。
コンクリートにまぎれようとしてるんだかなんだか、じいっとしてる。
目だけはきょと、と私に注がれているに違いない(私が見ていないときだけ)。


目黒川でもみはっていたししつこいやつだ。
どこまでも先回りしてる。

なんだかこうやってズームで撮って何枚も貼ると、探偵が撮った浮気証拠写真みたいだなあ。

鴨川にすむひとびと


川の向こう岸を眺めると、お店や旅館のようなものの裏側がずっと川のぎりぎりにあって面白かった。


こんなような家と赤い草とか


なんだか立派そうな料亭かなにかの裏とか。
夏の夕方、ここから鴨川を見るのも素敵だろうな。
花火とかもあるのかな。


走る男の子たち。
川沿いを走ることは気持ちがいいだろうな。
何部だろ。

ひととすれ違うとき、どうしても下を向いたりどこか遠くを見ようとしてしまう。
けれど今回は帽子をかぶっていたから自分の目線に戸惑うことがそんなになかった。


つりびと。

釣りをしているひとのうしろにはたいてい、すっごく一日を暇にすごしていそうなおじさんが口をあけて立っている。
声をかけるでもなく何が釣れるのか積極的に見ようとするわけでもべつだんなく、ただ後姿を眺めている。
この時も入れ替わり立ち代り、そんなおじさんがこのふたりの後ろに立った。

地図を失って川を見つけた


地図を忘れたのだけれどなんとか勘で東に歩いて川を探す。
鴨川だ!
と駆けつけたらこんなに小さな川だった。
ぽつぽつとちいさな波紋が浮かぶ川のそばで、傘を貸してあげようか、と話しかけられた。


本当の鴨川にであった。

川にはたくさんの鳥や虫や草やごみや枯れ木や石や藻が思いのままに棲んでいて、そのすべての時間があちらからこちらに横たわっている。

福岡に住んでいた頃によく川を眺めた。
うみねこにパンの耳をあげたり虹色に浮いたあぶらの形が変わってゆくのを見ていた。
潮風で橋は錆び、薄暗くなってから響く汽笛は霧をともなった。


地図を失って、川を見つけた。

しばらく朝日を眺めながらどこかに座りたかったけれど雨で濡れてしまうのでときおり、振り返ることにした。

夜明けの京都


早朝の京都駅付近。
街が暗闇から冷たいあおに刻々と変わる中、地図もないしなあ…とせかせか歩いていた。
あ、地図は大きい荷物と一緒にロッカーに入れてしまったから。


目の前に車が停まって降りてきた女の人が開店前のパン屋に入った。
私もとてもお腹がすいていたような気がしたので一瞬立ち止まったけれど、開店前だから無理だろうな、と通り過ぎる。

シュークリーム屋さんでバイトをしていたことを思い出した。
5時の電車に乗って5時半から、大きなボールにミルクや砂糖や卵を流しいれてミキサーにかけたりシューを解凍させたりした。
一緒に働いていた女の子と色んな話をしたな。
話をすることが楽しくてその子とシフトに入るときは早起きが苦痛じゃなかった。
どうしているんだろう。
シュークリーム屋さんが財政難に追い込まれて早朝のバイトがなくなってもしばらく連絡を取っていたけれど、あるとき旦那さんの会社が倒産したかなにかで生活が大変になって、その後連絡が取れなくなってしまった。

今でも時々あの子に逢いたくなる。


東本願寺の塀ぞいをずっと門に向かって歩いていたら中から庭を掃く竹箒の音が聞こえた。
早朝だからきっと修行中の小ぼうずさんがお庭を掃いているのでは…!とわくわくしながら歩く。
塀の上には小石川公園で見かけた太古からの植物と同じ色に色づいたメタセコイアがあった。
塀が途切れて小さな門から覗くと、しゃっしゃっと庭を掃いているのは普通の警備員さんだった。
「あの…」
おぼうさんは…?
と訊きたかったけれど、私ががっかりしたことにもしこのおじさんが気づいたら可哀想だなあと思って「あの、ここは入り口ですか?」と話しかけた。

はすとはすの実が立ち枯れている光景はちょっとどきんとさせられた。
なんだろう、この気持ちは。

月虹、双子、終わらない話


イブの日、夜遅くに帰ってきていつものように空を見上げたら月に大きなひかりのわっかがかかっていた。
思いがけぬプレゼントのように、その景色はわたしから冷たい空気も重たい荷物も一瞬のうちに奪っていった。
できることなら友達に電話をかけて、今の月を見て、と言いたかったけれど封印されたみたいにそのことに満たされて閉じ込めてしまった。
神々しくて同時にほんのりまがまがしい、なのに堂々とひろげられた秘密みたい。

あとでわかったのだけれどこれは月虹と呼ばれるもので、昼間の虹よりもずっと見られる確立が低いものなだそう。
今夜も見えるかなとあおいだけれど、火星がぽつんと見下ろしているだけだった。

***

明け方にうなされた。
はっきりと起きているのに思考が絡まって夢のような妄想がとまらないことがまれにある。
バスでの窒息もその仲間。
今日私を困らせたのは赤毛のふたごの50歳くらいの女性で、ふたりは同時に私のなかから出てゆこうとして出られず、なのに私の忠告をききやしないのだった。


守りたいひとに守るものを送り、創ってほしいひとにちいさな世界を送り、ふたごのかたわれに秘密をおくる。

どんなふうに変わってゆくのかな。

今は恐れない。
ずっとずっとつよく、やわらかになりたいと、ただ願うだけ。