アマヤドリ -40ページ目

エアポケット

ついこのあいだの戦争がもうじき終わる頃に10代とか20代を過ごしているひとたちのこころのなかの状態と、ここ最近20年くらいにやはりお年頃みたいな時期を迎えているひとたちの状態にはひとつの共通点があるのかもしれないとふと思った。
なにかを積みあげてゆくことに対する諦めのような、この先長くほかでもない自分自身をどうにか将来につれていかなければならないはずなのにまったくその像が浮かんでこないような。
昔はそれがせまりくる直截的な死とか崩壊だったかもしれなくて、今はめまぐるしすぎる新生が産む、とどまらなさかもしれない。
友達と、両極端なものは結局おなじだね、という話をしたけれどまさにそういうことかも。
死や停滞と、あまりにもめまぐるしい進化はこの場合同じなのかもしれない。

今起きている事件とか今の若者はどうのこうのとか、そういうことがらを定義しようということではなくて、ほんとうにふと。


このあいだ行ったカンボジアで仲良くなったタクシーの運転手さんやガイドさんが言っていたのだけれど、みんな働きに行く前の朝の1時間、語学学校に通っているそうだ。
勉強すればいい仕事につける。
そうしたらお金を稼げて家族を養っていける。

こういう、自分を駆り立てる動機のようなものがいつのまに日本では霞みたいに稀薄になっちゃったんだろう。
国が豊かになるってそういうことかもしれないし私は彼らの内情をなにも知っているわけでもないから(カンボジアの彼らだけではなくて、日本の彼らのことすら)こんなふうに感じるのは少し変かもしれないけど、なんだかすこしこのまっとうなエネルギーを羨ましいとも思った。
頑張れば報われる、なんて単純すぎるし現実にはなかなか叶わないことのほうが多いのだけれど、それを信じてみたら踏張れたりすることもあるのになぁと思う。
前提からそこが抜けていたら…しかもそれが徐々に失われたのではなくて生まれたときから身近な世界がそれを諦めていたら…。
やっぱり足を動かすことも知らずにいるのではないかなぁ。
ひとはすりこみみたいなものに影響されやすい反面、ある状態から脱却するちからや想像力ももちろんあるから、そのことをあなどってはいないけど。

だから私も含めた今のわりと若い世代からこどもたちが、なんかあまり使い物にならない、みたいなことを考えているわけではないです。
ほんとうにふと。


なんだかこれからつやつやとはちきれそうに生まれてくる希望そのものであるこどもたちを私はどうしてあげたらいいのかなぁ、と。

あやとり



ほんとうに欲することにたいして内側が苦しむことは仕方がない
でもそれをほかのなにかに置き換えようとしてはだめ

築くことはそうやすいことじゃない
でも時間や手をかけたものは得ても失ってもきっとこころを大きく揺する
簡単には泣いたりしないのにね

長い時間をかけて
やっとちゃんと赦すことができて
それが同時に想いのはしっこでもあったことを知る
もうたたみ返すことはきっとできなくて
たぶん新しいツギをするには違いすぎる


でもこれで信じることもできる
はかない願いじゃなくて
わたしが確かにしたいと望むことそれ自体がどんなに大切かっていうこと

変わってゆくことも変わらぬこともいいよ、って頷いいてあげることも

昭和のまち


川越を歩いたときの一枚。

まるで昔みたいなのにやっぱり、子供の後ろすがたは今、だ。

はな、ひと、


大切な友達に教えてもらったことば。
たぶん引用したものなのだけれど、出所を知らないのでそのままのせます。

*

年年歳歳花相似たり
歳歳年年人同じからず

毎年毎年、花は変わること咲く。
けれど人もまた変わらないようで同じようにはいられず少しずつ変化していくものだ。

変わっていく所、変えなくちゃいけない所、変えちゃいけない所、色々あるので人は大変って花が話してる気がするよ。

*

電車に乗ったら、靴を床にきちんとそろえて座席の背もたれのほうにむかって正座して眠っている男の子がいた。
外をみながら寝ちゃったのだろう。
そっと隣に座り寝顔を見てあんまりまぶたの皮膚が薄いから見入ってしまった。
陽にあてたら破けてしまうんじゃないだろうか。

本を取り出して読む。
静かな寝息が聞こえる。
その子は大きなリュックを背負ったままだ。

memo/蓮のたね


どのくらいの時間がとどまっていたのかはわからない。
そのきっかけがなんだったのかもわからない。
衝動よりさきに、鼓動が踏み出させた。

濃密なその空間のことをわたしは忘れている。
じりじりと押しわける時間のことも。
けれどひとたび動き出すと堰をきったように、めまぐるしく通り抜けていった。

斜めに長くひびが入り、わたしが踏んでいた影はゆるんだ。
膝でまあるくふりはらい、抜け出たばかりの、ちょうどぴったり同じ大きさの収まりに壊さぬよう差し入れる。

一本道と見せかけて、大胆に道を外れる。
ぬくみで溶けたからだをもう一度束縛し、放ち、確かめるように戻す。
なんども繰り返せば通じるだろう。

重みをはかるように、そのひびをつたってゆく。
まだ底のほうの比重が大きいのはわかっている。
とけきらない氷と、それから影までがまだ、離れずにいるから。
しずくを飛ばして右足はその濃さを確かめる。
厚みと。

風が吹いてほんのひとときだけ、影から自由になった。
スピードについてこれなかったみたい。
わずかぎりぎりのところでつかまえられていて、けれどわたしはそれを待ってあげた。
纏いつくのも自由だ。

そのしずくがからだ中に響くのを、聴いた。