エアポケット
ついこのあいだの戦争がもうじき終わる頃に10代とか20代を過ごしているひとたちのこころのなかの状態と、ここ最近20年くらいにやはりお年頃みたいな時期を迎えているひとたちの状態にはひとつの共通点があるのかもしれないとふと思った。
なにかを積みあげてゆくことに対する諦めのような、この先長くほかでもない自分自身をどうにか将来につれていかなければならないはずなのにまったくその像が浮かんでこないような。
昔はそれがせまりくる直截的な死とか崩壊だったかもしれなくて、今はめまぐるしすぎる新生が産む、とどまらなさかもしれない。
友達と、両極端なものは結局おなじだね、という話をしたけれどまさにそういうことかも。
死や停滞と、あまりにもめまぐるしい進化はこの場合同じなのかもしれない。
今起きている事件とか今の若者はどうのこうのとか、そういうことがらを定義しようということではなくて、ほんとうにふと。
このあいだ行ったカンボジアで仲良くなったタクシーの運転手さんやガイドさんが言っていたのだけれど、みんな働きに行く前の朝の1時間、語学学校に通っているそうだ。
勉強すればいい仕事につける。
そうしたらお金を稼げて家族を養っていける。
こういう、自分を駆り立てる動機のようなものがいつのまに日本では霞みたいに稀薄になっちゃったんだろう。
国が豊かになるってそういうことかもしれないし私は彼らの内情をなにも知っているわけでもないから(カンボジアの彼らだけではなくて、日本の彼らのことすら)こんなふうに感じるのは少し変かもしれないけど、なんだかすこしこのまっとうなエネルギーを羨ましいとも思った。
頑張れば報われる、なんて単純すぎるし現実にはなかなか叶わないことのほうが多いのだけれど、それを信じてみたら踏張れたりすることもあるのになぁと思う。
前提からそこが抜けていたら…しかもそれが徐々に失われたのではなくて生まれたときから身近な世界がそれを諦めていたら…。
やっぱり足を動かすことも知らずにいるのではないかなぁ。
ひとはすりこみみたいなものに影響されやすい反面、ある状態から脱却するちからや想像力ももちろんあるから、そのことをあなどってはいないけど。
だから私も含めた今のわりと若い世代からこどもたちが、なんかあまり使い物にならない、みたいなことを考えているわけではないです。
ほんとうにふと。
なんだかこれからつやつやとはちきれそうに生まれてくる希望そのものであるこどもたちを私はどうしてあげたらいいのかなぁ、と。
なにかを積みあげてゆくことに対する諦めのような、この先長くほかでもない自分自身をどうにか将来につれていかなければならないはずなのにまったくその像が浮かんでこないような。
昔はそれがせまりくる直截的な死とか崩壊だったかもしれなくて、今はめまぐるしすぎる新生が産む、とどまらなさかもしれない。
友達と、両極端なものは結局おなじだね、という話をしたけれどまさにそういうことかも。
死や停滞と、あまりにもめまぐるしい進化はこの場合同じなのかもしれない。
今起きている事件とか今の若者はどうのこうのとか、そういうことがらを定義しようということではなくて、ほんとうにふと。
このあいだ行ったカンボジアで仲良くなったタクシーの運転手さんやガイドさんが言っていたのだけれど、みんな働きに行く前の朝の1時間、語学学校に通っているそうだ。
勉強すればいい仕事につける。
そうしたらお金を稼げて家族を養っていける。
こういう、自分を駆り立てる動機のようなものがいつのまに日本では霞みたいに稀薄になっちゃったんだろう。
国が豊かになるってそういうことかもしれないし私は彼らの内情をなにも知っているわけでもないから(カンボジアの彼らだけではなくて、日本の彼らのことすら)こんなふうに感じるのは少し変かもしれないけど、なんだかすこしこのまっとうなエネルギーを羨ましいとも思った。
頑張れば報われる、なんて単純すぎるし現実にはなかなか叶わないことのほうが多いのだけれど、それを信じてみたら踏張れたりすることもあるのになぁと思う。
前提からそこが抜けていたら…しかもそれが徐々に失われたのではなくて生まれたときから身近な世界がそれを諦めていたら…。
やっぱり足を動かすことも知らずにいるのではないかなぁ。
ひとはすりこみみたいなものに影響されやすい反面、ある状態から脱却するちからや想像力ももちろんあるから、そのことをあなどってはいないけど。
だから私も含めた今のわりと若い世代からこどもたちが、なんかあまり使い物にならない、みたいなことを考えているわけではないです。
ほんとうにふと。
なんだかこれからつやつやとはちきれそうに生まれてくる希望そのものであるこどもたちを私はどうしてあげたらいいのかなぁ、と。