アマヤドリ -331ページ目

喧嘩の名残り

こないだ恋人になった夢をみた友人M。引き続き恋人だった夢。

が、何故かすごくお互い憎み合っている。はっきりとは思い出せないけれど私が浮気をしたと彼は思っている。私は潔白なので説明するが頭から聞く気がない。欝屈とした鈍い怒りを覚えている。
私には友人と弟の存在に似た男の子が付いてる。全く彼は聞いてくれなくて狂暴になるばかり。理不尽で人間的じゃないかんじのものが繰り広げられる。
最後にはもう彼をなんとか足止めし、出し抜いて逃げる、というすごい逃走のしかた。

何日か経って彼の芝居を観にいく。
そこで彼に声をかけようか、軽く謝ろうかと迷う。

angel

昨日・今日で森博嗣の『黒猫の三角』と『人形式モナリザ』を読んだ。
トリックも面白いけれどそれ以外の、心や意識の定義みたいなものが面白い。

昨日はお風呂を真っ暗にして、ロウソクとサラ・マクラクランのCDを持って長くお湯に浸かっていた。
炎に照らされたお湯は柔らかくて肌にあたたかい。ひとときもじっとしていない光は飽きずにいつまででも眺められる。頭がからっぽになって…瞬きもしないでいられる。
指の先でお湯をかき回す。バニラの香り。ロウソクに照らされて湯気がすじになって光る。

ずいぶん遠くまできちゃった、と何故だか唐突に思う。
通り過ぎていっちゃったこと。後悔とかかなしみとかそんなんじゃなくて。脱力とか懐古とかでもなくて。からっぽにした頭にたくさんのことがよぎって、そしてただ通り抜けていって…それからからっぽな私が残る。こんな風に瞬きもしないですべてをみているのに。
瞳に映った炎が零れおちる。頬をあたためて、還る。
この私だけを、ここだけを照らしているこの揺れる灯り。
ひとりだなぁと思う。
泣くのも堕ちてしまうのも考えるのも、それから立ち上がるのも。うん、だからこれは孤独ということじゃあなくて。
どうして私たちはことさらにそんなことを思うようになったんだろうか?何を求めて?どうして気付いてしまったんだろう。連鎖反応みたいに、こんな風に止められないところまで。

どうしてなの?
問いかけはひかりへ。
昇って消えてゆくひかりへ。
そのくらい、私たちはひとりだから。


著者: 森 博嗣
タイトル: 黒猫の三角    

著者: 森 博嗣
タイトル: 人形式モナリザ
 



観覧車、軽蔑。

彼の家に行く。状況としてはものすごく久しぶりに訪ねていった私を彼がちょっと困りつつも受け入れてくれている感じ。
しばらくすると彼が用事で出かけなきゃいけなくなる。その間留守番を頼まれる。
表で事故みたいなことがあって私は外に出る。車同士のトラブルなのだけれどうまく私が処理する。何故か車がとても小さくて、それを私が手押しで優しく押し出してあげる場面を覚えている。


その帰り道かな?とても星が綺麗。見たことのない星座がある。北斗七星も、星が20個くらいで構成されている。振り返って南を見るとやはり知らない星座が。そしてその星座がざあっと、まるで花火のナイアガラの滝のように流れてくる。
「あ!」と叫んで空を見ていると隣にいたおじさんも空を見た。
よく観ていると空には観覧車が浮かんでいる。ものすごいスピードで回ったり、水平方向に近くなって回ったり、闇に見え隠れしながら、時に七色に光りながら。遠ざかったり近づいたり、とにかく美しい。私は携帯を出してなんとかそれを撮影しようとする。


天体ショーが終わってはっとなって家に帰る。すると彼とその友達(もうそのころには今までの彼が全部混ざったような存在になっている)が呆れて私を出迎える。私は鍵もかけずに出かけてしまったのだ。
もう、お前みたいないい加減なやつは要らない、と言われる。私は本心から謝る。こんなことであえなくなりたくなくて。でも友達も全然フォローしてくれない。軽蔑したようなまなざし。
もう夜中なのに出ていけの一点張り。「事故があってね…」と言い訳をしても聞いてはくれない。何を言ってもこの子には通じないんだ、と思っているのが伝わってくる。違うと言いたいのに、焦ってどんどんおかしくなる。

空白の技法

帰ってきて服を脱ぎ洗濯するか…とズボンを手にとったところ…

し…しーるが。

子供むけのピカピカの、犬の絵のシールがズボンのふくらはぎ辺りにぴったりと貼りついていた。
小さいものだけれど恥ずかしい。これで階段を上がったりしていたんだなぁ。
でもいつも子供たちが奪い合うあのでっかいシールじゃなくて本当によかった。
…いや、笑われるのも結構嫌いじゃないからでっかいシールだったらよかったのかも…などと下らないことを考える。
多分誰も笑ってくれないだろう。

今日は子供たちに少し高度な遊びをやらせてみた。
今までは芝居の練習でもやるスローモーションとロウソクになったつもりでやさしく地面まで溶ける、という遊びをやっていたのだけれど。走ったりポーズさせたり床にごろごろきゃあきゃあやっていたんだけど、新学期だからということでここはひとつうって変わって地味に。
一人ずつ、誰にも重ならないように最後にならないように、動きだす。
ルールはこれだけ。
要は“たけのこニョッキ”なんだけど…
でもこれだけのルールを子供はやっぱり理解できない。当たり前だよなぁ、今までとタイプも違うし、言われたことを順序立ててやるわけでもない。1人は理解していたけれどあとはみんな頭のうえに「?」が浮かんだままだった。
予想は当然していたからいいんだけど。
この遊びは人の気配をうかがったり間(ま)を感じたりするのにいいかなぁと思ったんだけど…。しかもやはりこういう「勝ち負け」感のあるものだとしょぼんとさせてしまっていけない。
導入をもう少し工夫すればなんとかなるかな?背伸びをさせてみよう。


しかし今日の子供たちもテンションが高かった。
私、力持ちでよかったなぁ。

バンビ

あたしのこころの奥のどこかはいつも冷めていて
笑っていても
誰かといても
絶えずからからと音がしている
乾いて冷えたこの何かの正体を
ずっと見抜けずにいた
わかろうとしなくていい
今に満たされるから
満たす方法を知ってるから
でもそれは本当だろうか?
こんな風に安心するほど確かじゃないって
そう
本当は走りたいくらい

詰め込もうとやっきになってるのに
まだまだその音はついてくる


足がとまって、
そうだ、
あたしはこんな風に
空を見上げるのが好きだった、

思い出すなんて