『リリイ・シュシュのすべて』
昨日『リリイ・シュシュのすべて』を読んだ。
壊れた世界のおはなし。でも少し美しく感じるのはなぜだろう。歪んでいて、無臭。すべてを手放しているからなのかな。
岩井俊二は、ニセモノをよく描く。それはほんものより語ってくれることが多いからだろうか。
ニセモノみたいな世界だとずっと思ってた。
でもこうして日記を書いたり交流をしたりする私たちにはちゃんとあたたかい血が流れていて、呼吸をしながら画面を見つめている。戸惑ってキーボードを打つ手が止まる。空を見上げて、友達を想う。
世界は全然単純じゃない。なのに複雑なあみめが張られれば張られる程に、私たちは薄まっていく錯覚に捕われてしまう。そんな呪縛を自らかけているのだろう。
なにかしら記号を付与して…そこに発見するのは…安心?整理整頓なんてできなくていいのに。
でも、否定はしない。
必要なのはやっぱり想像力なんだろうな。
信じればそれが自分の世界だから、だからここから始めるしかない。
こうやって繰り返し立ち上がることだけが自分の強さならば。
- 著者: 岩井 俊二
- タイトル: リリイ・シュシュのすべて
TRACKBACK
▼nataneさん にTBさせていただきました。やはり、映像も見てみたいな。
▼antigood1213 さん、うん、やっぱり映画もちゃんと見たい。
綺麗で残酷で、でもちょっと無垢な哀しみ。このイメージどおりの作品かしら…
ぼく、ひとりでいけるよ
- 著者: リリアン・ムーア, 神宮 輝夫
- タイトル: ぼく、ひとりでいけるよ
あらいぐまのリトル・ラクーンはお母さんから川にざりがにを取りに行ってと頼まれます。
色んな動物に遭いながら暗い森を抜けて、ついに小川に着くと、
小川には道々うさぎに教えてもらった「あいつ」が。
おっぱらおうと怖い顔をすれば「あいつ」も怖い顔。
石を持ってくれば「あいつ」も石を持ってくる。
リトル・ラクーンは怖くなってお母さんのところに走って帰るのですが…
ついに、みつけた。
ずっとさがしていたあらいぐまとざりがにの絵本。
どんなお話かもよく覚えていなくて、ただただ夜、あらいぐまが川にざりがにを取りに行くその風景だけぼんやりと印象にあった。月明かりの感じ、なんだか寂しいような、でも守られているような感じ。なんともいえないその柔らかい暗闇を覚えていた。
そしてざりがにがとっても美味しそうだったこと。
覚えていた印象よりも絵がぱさぱさしていたけれど、いっぱつで思い出した。
ああ、インターネットって何て便利なんだろう。
ちょっと記憶と違って、ざりがにはお母さんと一緒につかまえるのではなかった。
何故か守られているように感じたのは、きっとそのあらいぐまの子供が暗い森を抜けている時にもお母さんのおもいがちゃんとお月さまのように追いかけていることを、子供ながらに感じていたのだろう。
もしかしてこんな風にインターネットじゃなくて、本屋さんで巡り合いたかったのかもしれなかった。
だから積極的に探そうとしなかったのかもしれない。
見つけてから気が付いた。
だけど見つかってうれしいからいいや。
お母さんはリトル・ラクーンに「石を持っていってはだめ。今度はにこにこしてごらん」と言います。
小川まで戻って今度はにこにこしてみると、「あいつ」もにこにこ。
リトル・ラクーンは安心してざりがにをとってお母さんのもとに帰ります。
「あいつってだれなんだろう?」
お母さんはその答えを、そっと教えてくれます。
お友達第1号
お友達ができないなあ、と思っていた矢先、
お友達の申請をしていた
きゃっとてーるさん のところの蒼ちゃん
が友達になってくれました。
これで、お友達はふたりだあ。(ひとりはもぐらおじさん)
友達が増えるたびに書いてゆくつもりなのかな、私。
携帯で日記を読んでくださっている方には全くなんのことやら、だと思うので、ほどほどに。
きゃっとてーるさんのお名前から思い出したことなのですけれど(ごめんなさい)
キャットテイルといえば、やっぱり猫と遊ぶにはこれが一番だと私は思うのです。
色んなおもちゃを作ったけれど
(紙を吹流しのように切って扇風機に取り付ける、とか市販のねずみ君をに長いゴムをつけるとか)
やっぱりねこじゃらし。
草の匂いがするからなのかな。
あの草を食べたくて追いかけていたような気がしないでもないけれど。
だって目の色が変わっていたから。
昔、ねこじゃらしがいっぱい生えている草原で、両手でがしっとねこじゃらしの束を捕まえて、興奮したきらきらした目をしながらじいっとしている子猫を見たことがある。
あんなにいっぱいねこじゃらしがあって、全部自分のものにしたくて、でもまだまだたくさんあって、困っちゃっていたのだろう。
猫は、パーツが全部可愛くて、もう、それはわざとなの?
って思う。
それからまたお友達が。
miwaさん のところのななちゃんです。
ありがとう。
そして
みらとも さんちのプラムちゃんともお友達になれてアンブロシアも心なしか嬉しそうです。
ブログペットは可愛い
新しいテーマまでたてたりして。
親ばかだなあ。
“アンブロシア”とは、食べると不死になり神々の仲間入りが出来るという妙薬の名前。
この名前がとても好きで、ゲームの主人公などには必ずこの名前をつける。
でも長いからつけられないことが多いんだけれど。
まだお話もしないし眠ったりぴょんぴょんしたりするだけ。
広い野原をウロウロしている。
虹とか、彗星とか、他のひとの背景にあるものがわたしのところにはまだないなあ。
どうやら私は可愛い、ということよりも(可愛いんだけど)「たまってゆく」ということが好きみたいだ。
のびてゆく、たまってゆく、増えてゆく…
なんなんだろうな。
観葉植物も、以前書いたように目盛りをうつだけでなく、太陽にあわせて移動させたり、二酸化炭素をあえてかけたり(息をふうふう吹きかけるだけ)する。
植物にしてみればもうほうっておいてよ、っていう感じかもしれない。
分かっているんだけどな。
でもジャングルみたいに伸びて欲しいんだもの。
だからこれは愛じゃないのかもしれないなあ。
はやくお友達ができないかなあ。
是非、アンブロシアとお友達になってあげてください。
まだもぐらおじさんみたいのしか話し相手がいないみたいだから。
垣間見る月よりずっと近くに
なんだ、この出だし。だけどホントにそういう感じ。
仲間と飲んだ。
昔話もいっぱい。
みんな相変わらずで、でもまた積み重ねがあって。掘り下げても足りない。
しょうもない苦労話とかスタジオの文句とかも言ったけれど、大筋としては…なんだったかな。言うなれば信じることについて。自分の核心にあることについて。誰かの核心との行き違いについて。
そこをとらえることが、自分のものであれ他人のものであれ好きな人のものであれ、とても難しくてでも大切だということについて。
そんな小難しいくくりをしなくたっていいか。とりとめなく話しただけだ、つまりは。
時間がかかっても、辿り着かなきゃいけない。
辿り着こうねって。
こうして一緒に歩いてる仲間がいるって幸せだ。
ああ、でも少し前までは今も仲間だという確信がなかったんだった。
本当に私はまだこのみんなと繋がっているんだろうか?私がごちゃごちゃ悩んだり閉鎖している間に私はその糸の一端を離してしまったんじゃないだろうか。あるいは手繰り寄せた先には望んだものはついてこないんじゃないだろうか。そんな風にすごく不安で長いこと勇気がでなかった。行動を起こすエネルギーも自分にはもうない気がして。
思わずそう素直に口にしてしまった。
笑われたけど。
おかしいよね。笑ってくれてありがとう。
一緒に苦労をしてきた人と話すとやっぱり熱くなる。まだ10時くらいかなぁと思って時計を見たら12時。驚いた。
金曜の夜はよっぱらいがとにかく多い。
私が飲んだのは最近覚えたシャンディガフ一杯きりなので、素面だ。
うん、私は強い。
よかったよ強くて。
たくさん迷ったりくよくよしたりしつつも芯がどっかり腰を据えていてくれてよかった。
その受けとめる土台が最終的にはあるから、色んなことを感じたり受けとめたりできる。
強くてまっすぐだ。
ほんとうのほんとうのところは。
ありがたいことに。
こうやって進んでいくだけ。
ちゃんと核心に耳を傾けながら。