アマヤドリ -273ページ目

なにを話したというわけでもなく

稽古のあとみんなで少しお茶をした。
こんなに長いこと一緒にいたのにお茶するのは初めて。短い時間だったけれど濃い話もできた。振付け家の言ってることがよくわかんないよね!とか個性とか何だかんだ言うけど結局揃えてほしいんだよーとか。そういう勝手な、軽い冗談混じりの意気投合な愚痴も交えつつ。

もちろん、本気で批判しているわけじゃない。

みんな結構振付の先生がすきなのだ。

私も、好きだし。

話しながら、この前稽古場からの帰り、一人の先生とその長年の付き合いの生徒さん(私よりも年上の)が軽い言い合いをしている場面を見たことを思い出した。あまり立ち入れない雰囲気だったし内容はわからないんだけれど、通り過ぎた時に先生が「あたしにむかつくなら怒りなさい。ちゃんと気持ちをぶつけていいから」というような事を言っていた。
私たちがいたにもかかわらず先生もはっきりといらだちというか怒りをあらわにしていて、その本気のぶつかりみたいなものを、ああ、いいなぁと思ったのだ。
この人はいつも本気だなぁって。

レッスンでもいつも本気。本気で怒るし本気で全部教えてくれようとする。相手が私みたいなバレエ素人でも、もっと、ダンス素人でも。いつもちゃんと許されるすべてを。
人に対してすべてでぶつかれることが私にとっては課題だから、あんな険悪な場面だったのに変な感想を持ってしまった。

本気でひとに接すること。きっといつも最後に邪魔をしている変ながんじがらめをときたい。
それがきっとカブトムシの甲羅みたいに、私を守ってくれていると思ってるんだろうな、私の本体は。



お茶したのは小さな可愛い雑貨やさんのお店の中にあるような本当にこぢんまりした素敵なお店。
黒ビールを味見させてもらったが滑らかでおいしかった。
ちょっとはお酒がのめるようになりたいなぁ。

ああ、でもきっと人付き合いはそういうことじゃない。


Yちゃんのいう自分の身体への制限の事を思い出す。
たぶんもうちょっと自分をとかせるはずだ。

さて。
昨日の矯正がこころにも残っているうちに、素敵な一日をはじめよう。

カラダ

出演者のひとりであるYちゃんに体をもともとの能力に目覚めさせてもらった。
なんだか不思議な力みたいだけどそんなんじゃなくて、実際脳に損傷を受けて体が動かなくなったひとに施されるものでもある。
整体とかカイロとかとは違って、じいっと体を触ったり微妙な動きを見てくれてそこに修正を加え、本来のなにかを許してあげる、ような方法だそうだ。

特に今痛いところはないんだけれどみてもらった。
気になるところといえば…私は右肩がちょっとつまるような感じがするし、呼吸するときに左の鎖骨あたりの肺が動いてしまう。それから左の挫骨に負担があるかんじもたまにする。それを伝えてみる。

まずはじめに肋骨に触れられただけで骨が膨らむ感じがして驚いた。これはべつにパワーとか気とかではないのだけれど不思議な感覚。
背中と床の間に手を入れてくれて、胸骨や肋骨をときどき探る。
それだけでいつのまにかすうっと抜けたような、広がるような感じがした。
驚き。

で、立ってみて自分の関節という関節がやわらかに自由になっていることにすごく驚いた。立っていても負担が関節にかかっていず、油がよくささっている部品同士が回転する感じ。緩いから生まれたてみたいにくにゃくにゃしちゃう。でもどうにも崩れちゃうのとは違って、そこにはちゃんと柔らかな軸がある。


人間て、人間の体って、生まれてきてからいろんな事ができるようになる。
でも同時に色んな制限や壁にも出会う。できないことがあったりそれじゃだめよって言われたり、そういう精神的なものが自分の体にたくさん歯止めをかけているそうだ。
きっと順応することも体ってすごいから、だめだ、に対してはその働きをストップさせてしまう。とても頑固に。

でもそうじゃなくてこうしたら楽だよ、こんな風にも動けるんだったよね?って、教えてあげる。
それがYちゃんのしてくれたことだそうだ。


ちょっとうまく言えない。私の文章からだとすごく精神論みたいなかんじになっちゃうけどそうじゃなくて…。
やっぱり一夕一朝にはことばにできないかも…なんとなく雰囲気ではわかったんだけど。

で、私はこの、雰囲気ではわかったんだけどことばにちゃんとできないから覚えておけないんだ…ってことも話した。
せっかくの今のこの気持ちを、感覚やわかったことをなくしたくないんだけど…って。
そうしたら、ちゃんと脳や体は気持ちのいいことを覚えているから大丈夫。それにことばというものに変換しない大きなまるごとで覚えておくほうがいいんだよ、って教えてくれた。


なんだか納得。
深い。体は、すごい。
心と体はつながってるとどんどん感じるようになったけれど、こんなに直結していて…しかも学習していけるものなの?まるでよく言うことを聞くアイボみたいだ。


体を触ってもらったあとにもう一つ大きな変化がある。
青い色が鮮やかに見えるようになった。不思議だけど遠近感も少しおかしい。
これは歪みに対して今まで視覚が行なってきた調整を、新しい体にまた順応させようとしている感覚なのだという。
耳がよく聞こえるようになったりもするみたい。
すごい。
全然不思議ちゃん話じゃなくてね、これは体をよく見つめると当たり前にあることなのかもしれない。
私たち人間はなんて、色んながんじがらめにとらわれてるんだろう。




なにが感動かって、私が何となく感じて追い求めてきたことが、もうYちゃんのなかでは、ことばとして発しひとを納得させられるまでに整理されているということ。
少なからずショックでもあった。けど感動のほうがずっと大きい。

これだ。
最近自分の中で課題である、ちゃんと認識し表現するということ。
まだすごく曖昧で幼稚なこの感覚。
踊りもそうなんだ。
だからこそ自由できっとどうにでも伸びる。だけどすごく粗い。


追い求めてるものが少し見えた。

考えよう。
かんがえよう。

晴れた日に

昨日は9時ごろからお布団に入ってうとうと…微熱のせいでたくさん汗をかいた。
でも早く寝たお陰で少し体はよくなったかな。このまま元気の方向につっ走れますように。

前から気になっている会社のひと(違う部署で、偉いひとたちと仕事をしているのでなかなか接点のないひと)を舞台に呼んでいたのだけれど昨日やっとチケットとお手紙を渡した。妙に照れちゃって(そのお手紙が入っていることを意識してたから)少してんぱり気味だった。
変なの。
“いつも忙しいのに好きなことを頑張ってるHさんに、私の大好きな踊りをみてほしかったので嬉しいです”みたいな、子供みたいなお手紙。
憧れているのがばれちゃうかな。
だって。
ホントだからいいんだもん。
たまには自分から近づいたっていいよね。

最近こうして自分から足を運べるようになった。
やっと私は自我が確立してきたのかもな。

まったく、遅い。

刹那も永遠も

昨日は母も、私のオススメ美容院へ。
ただ、表参道へ着て行く服がない!というので近所の支店のかたを紹介してもらった。

いつもなかなか気に入った髪型にならないと嘆いている母なのだけれど(私よりくるくるのくせっ毛だから)、どうやら気に入った様子で夜遅く帰宅した私に色々報告してきた。
嬉しそうだ。
よかった。


しかしやはり私たちは親子なのだなぁ。
母はちょっとハーフみたいな顔をしている。今はおばちゃんだけれど若い頃は結構美人だった。
私は残念ながら父方に似てあんまり…なのだが(父、ごめん。…いや、どっちかというと謝ってほしいのは私なのだけれど)…。
でもこうして同じ美容院へ行くと髪型の雰囲気が似て、全体の輪郭がやはり似ていることに気付く。
おもしろいなぁ…。



すごく不思議なのだけれど母や父がなにか小さなことで幸せそうにしていると涙が出そうになる。
どうしてかな。何故なんだろう。みんなそうなのかな。
自分が両親の大きな幸せをたくさん犠牲にしながら育ってきたように思うからだろうか。
でも両親も人間だ。私が影響を与えられることもあればそうじゃなくちゃんと独自でいろんなものを獲得もしている。私がすべて動かしてきたわけじゃない。
そんなのわかっているのに。
…なんなんだろう。
不可解な感情。
ただ嬉しいだけなのだろうか。
嬉しいと切ないは似ているだけなのかな。

たぶん喜怒哀楽になんか納まらない感情や感覚っていっぱいある。
…逆か。
ただ名前を付けることができたのがその感情たちだ、というだけなのだろう。
そういうものに突き当たるとちょっと混乱していた。分析することができないというだけで何故かしら不安になるものなんだろう。

名前という安心。
そしてたぶんそれは拘束でもある。


だから私は探すために踊るんだ、って思う。
名前をつけなくてもいいものの間を旅できるように。
じっくりころがしたりまぶたの裏に映せるように。

ふふ。
また踊りか。


今日もチビちゃんたちを踊らせてこよう。

暴れんぼう

そんなわけで所長の夕飯の誘いを断りきれず(もちろん楽しく。)皆で食事をしてから稽古へ。
だいぶ遅刻してしまった。

こんな直前に。

共演者のみなさん、ごめんなさい。


今日はちょっぴり休息したい気持ちだった。たぶん最後の休息。一昨日のお休みで少し緩んだのだろう。ぎちぎちの気持ちが。
踏み切り台の手前のステップ後に空中で止まるような感じ。

でも悪いストップじゃあなかったみたい。稽古や踊りがイヤだったんじゃなくて、ただなにか…気持ちを高めたくて。風邪の予兆の霧が肺にたまっているのも一因かもしれない。
とっくに稽古が始まってるのににこにこ笑って食事をしているのは不思議な気持ちだった。

そりゃあ、心の中でははやく、はやく、とは思っていたけれど。

ちょっとの諦めと。

別れ際みんなに「頑張ってね」って声をかけてもらって、私も「頑張るよ~」ってにっこりしたら急にもりもり力が出てきて、はやる気持ちを移動の電車のなかで押さえつつ稽古場に向かった。

今日は私が紹介した美容院で髪を切ったYちゃんがとても可愛くて(気に入ってくれたみたいでよかった!)、遅くなってもちゃんと来た(ホントは半分さぼってたのにごめんなさい)私を「お疲れさま~よく来たね!」って皆がねぎらってくれたのが嬉しくて。素早く着替えた。

そのせいかな。
やっぱり気持ちが高まって、不思議なことに音楽がいつもよりきこえた。
うねりとか、余韻。
染みてくる感じ。
音を聴いているのに自分から何かを発してそれがメロディーに沿うかんじ。
だめだめ、あんまり楽しい表情で踊る曲じゃないのに晴れやかな顔をしちゃう。
あぁ、もっと踊らせてほしい。
あのパートもあの音も。あの空いている空間を埋めたい。ノイズでいっぱいにしたい。

音楽を聴いているだけで涙が浮かびそうになった。目をしぱしぱして、なんだ?この胸のきゅぅっとする感じは?とはてながいっぱい。
おかしな私だ。


ぱんぱんのこの気持ちは、成就しないままにリハ時間が終わった。

だからなんだか今でもどきどきしている。
私は普通に電車に乗って窓の外の走る暗やみをみつめたり携帯をいじったりしているけれど、本当は爆発みたいに踊ってる。
耳の中がどんどん生まれる前の赤ちゃんのげんこつみたいだし、呼吸はいろんな色を伴った霧だし。
舌も。
おへそのちょっと下も。
膝の裏も。

知らないでしょ、電車に乗っているみなさん。
私は踊っているんだよ。
知らないと思うけれど、私は大音量でうたっているんだ。
そして笑ってる。

耳の穴が開いてるかんじ。


へんなの。
うるさい!
でも楽しいや。

なんだか本番前みたい。
緊張がないのだけが違う。


この感触を本番まで持続…は無理か、本番にちゃんと思い出せますように。
ひとつ私の栄養として永遠に生きてくれますように。
微生物くんくらいのちっちゃさになっちゃってもいいから!


そろそろ人知れぬまま、私もクールダウン。

でも今夜はきっと寝相が悪い。