掘出しもの
うちに一眼レフなかったっけ?とどきどきしながら母に尋ねると、そこにあるわよ、とTVの下の台を指した。
こんなところに?
なんだー。もっと早く見つけていたらよかった。
わくわくしながら大きな箱を開けると…
こらっ!って、カメラが好きな人には怒られちゃうくらいの無造作な感じで一眼レフが放り込んであった。
わぁ…
これ、一眼レフだよね?
でも手入れも何もしてないからレンズにも曇りがあるし(傷だったらいやだなぁ)ちゃんと使えるかはまだわからない。
使ってみたいけど今はこれにハマるわけにはいかないから!と自分を宥めて。
30年も前のものだから難しいのかな…
でもぼけちゃってもいいから撮ってみよう。
楽しみ。
スキャナがないからここには直接はupできないけれど。
丁寧に撮ってみよう。
ただなにかに任せるんじゃなくて。
じっくり手のひらに載せて重みを量るように。
適当に撮ってみよう。
光が遊ぶみたいに。
転ぶ途中の景色みたいに。
磨り合い、響き合うものたち
2週間後に公演を控えているが、それに加え1月の舞台の稽古も始まった。
クラシックの方はまだだが今日はコンテンポラリーの振付け初日。
今回はいつものメンバーに加えてずっと一緒にジャズを踊ってきたYちゃんも参加。本当にいいスタジオでいい先生だから、という私の誘いに応じてくれて今回参加の運びとなった。
Yちゃんの存在がすごく嬉しい。あぁ、また共に苦労できるのね!って。
テンション2割り増しな感じで、どこか安心し落ち着きもしている。面白いものだなぁ。
他のメンバーも10ヵ月ぶりのこの空気を楽しんでいる。
私はこのスタジオの生徒の中では唯一のカンパニーメンバーでもある。・・・というか、ちゃんと踊りで仕事をしているのが私だけ、ということかな・・・。なので、ちょっと自分の中だけでなにか意識がある。
「私は特別だ」というその意識は、メンバーから離れてお高いところにとまっている、ということでは勿論ない。皆と一緒に発見したりその場から学んだりしていくことは当然ながら今までと同じこと。
変わったのは水準点があがったこと。
私はもうある程度のところをクリアしているべきなんだ、そこがスタートなんだ、という自分の中でのいっこ上の意識。
だから今までよりもずいぶん高いところがゼロ、なのだ。だからそこに余裕が生まれる。そしてまた底上げができる。
責任、に近い気持ちも多少はある。自分に対するプライドのようなもの…かな?
そうだそうだ、“対、自分”。
これだ。
他の皆と比べることなんかありはしない。
比べたり乗り越えてゆきたいと思うのは今までの自分。今の自分。
踏み台になる相手は常に自分であって、まわりの何かじゃあない。だから“底上げ”なんだもの。
仲間は自分自身と対峙している私の手助けをしてくれたり別の膨らみを与えてくれる、そういう存在なのだ。
そんなふうに思えることが嬉しくて。
たぶんこれは自信、でもあるんだろう。
何度もいうけれど周りとの比較をした時に得る自信などではなくて。
だから嬉しいのだ。
久しぶりに10月の公演とは違う踊りを踊ったらまたまた軽い。
ちょうどこの間友達の結婚式で踊った時に感じたような自由なからだ。
イメージが体の隅まで行き届く。二の腕の裏まで、胸骨がしなるみたいに、つむじまで空気が抜けるように、踊れる。
足の5本の指さそれぞれがちゃんと床を感じている。
うわぁ。
うわー、あたし、踊ってる。
この感覚を10月の公演の稽古で少し忘れかけていた。がんじがらめで自分を使いきっていない感じ。耳を澄ませてばかりで目線は揺らぎ、忍び足になってしまっている。固まった膝は二の足ばかり踏ませる。腕は遠くの空間からは遠く、虚しくぽとりと足元に落ちる。
思い出せ、こうしてのびのびと空間に自分を解き放つことを。軌跡をたきさん置いてくることを。
私は3次元だけで踊るんじゃないってこと。
光や時間。
ざらざらのその重みをともなう空気をかき分け、切り裂いたり押しつ押されつすること。
2つのリハーサルを抱えてゆくのは大変だ…と思っていたがそれは単に時間や体力のうえでのこと(体力は有り余っているみたいだから大丈夫だし)。
逆にこんなよい発見があるなんて。
これを良い方向のまま響かせたい。
低空飛行
疲れているのかな。自分ではあまり感じないけれど。それともちゃんとしたものを食べていないのだろうか。寝不足…もあるかな。それとあと巨峰の食べ過ぎ(葡萄は大好きなのだけれどたくさん食べるとお腹が痛くなる)。
ふと気付くともう3日間くらいずっとお腹が痛い。変なものを食べちゃったかな?という軽い痛さだからそんなに心配してないけど。
ちゃんと寝なきゃなぁ。それからお腹に優しいもの食べなきゃ。本番まであと2週間なのに体を壊すわけにはいかない。
なのに今日は親分と所長と、激辛麻婆豆腐の店に行っちゃった。さすがに麻婆豆腐は食べなかったけど鳥肉とピーナッツの唐辛子炒めを食べた。これ、すごくおいしいんだ。
そのあとドトールでソフトクリーム入りカフェオレを飲んだし…。
…反省。
明日は午前のレッスンでたいなぁ…でも寝ていたい気もする。
なんて。うだうだ独り言。
今日はお腹を冷やさないようにして寝よう。
びびび
今年初めての金木犀の香りはこないだの金曜日、教えに行く途中の道でだった。
すたすた急ぎ足の私の意識を何かが止め、ん?と思った瞬間にその香りがした。
あ!と思って振り向いたとたん、私はそれと目が合った。
きみかぁ、と微笑む。そうしてもう一度香りを確かめる。
遠くから見ると葉っぱばっかりに見えるのにね。
しっかり見つめ合ったままもう一度私は深く息を吸い込んだ。体中の空気と入れ替えるみたいに。
何度もすうはあした。
じゃね、と通りすぎて、しばらくしてからまた振り返った。
彼女はまだこちらを見ていて最後にまた手を振ってくれた。
TRACKBACK
この題名、素敵。
読んでいてちょっと前に書いたきんもくせいの思い出の風景を思い出したので
そちらもTBしちゃおう。
と、思います。
ちいさなトロ ール
ムーミンのビデオを昨日家族のいる所で見たのだが、そうしたら今朝父が新聞を指差し、「これ誕生日祝いに買ってあげようか?」という。
『ムーミンのふたつの顔』
作者のことと、ムーミンがどうやって日本と、それから各国に受け入れられていったか。
作者の、ムーミン後の大人向けの小説のことも書いてあるらしい。
あの可愛くてほのぼのしただけがムーミンじゃない、と大人になってから知ったけど。
そういうことって沢山あるな、なんだか。
童話は童話だけのぽやーんとしたものじゃない。
その作者や世界の背景がどうしようもなくにじんでいるものなんだな。
- 冨原 眞弓
- ムーミンのふたつの顔
