ダヴィンチ展
ダヴィンチ展に行ってきた。
貴重なレスター手稿を楽しみに行ったのだが予想以上に作られた展示会だった。ダヴィンチの科学者である部分をすごく大きく取り上げている。
部屋の真ん中に月の模型が下がっていてそれに光を当てて三日月に見えるのを体験させてくれたり、波紋や水流の実験ができたり。
知らなかったんだけどダヴィンチは水のひとだったんだ。
流れる水がどんな風に岩に当たり、どんな渦を作り出すか。その渦の影響はどのように水底にとどくのか。波紋はどのように干渉しあうのか。水面だけでなく球状に広がっていくこと。
そしてそれは声、音も同じと考えた。
そしてさらに発想は進む。地球の地下水と人の血管との類似。毛細管現象みたいなもの?
そういう科学のことはダヴィンチの描く絵のなかに生きている。
水をあんなに詳しく観察すること。そしてなにより想像すること。
物理学とかってもしかしたらすごく想像することが必要なのではないかと思う。
科学と芸術はたぶん近い。
私が踊るうちに光と時間が似ているなぁと思うのと同じように。勘みたいなものもそう。
タルコフスキーを思い出した。水への思い入れ。やっぱり彼も水を人の体に流れるものとしてとらえているような気がする。だからあんなに生々しくて、でも時に胸を涼しく浸すみたいな自然さがあるのかなぁって。
レスター手稿はとにかく、狂っていると思うくらい細かい。でも本当に見ていて飽きない。
MYSTみたいにわくわく。
あんなに細かい文字で、…狂ってる!って思うくらい絵も細かい。
やっぱり狂ってなきゃいけないよね、すごいひとは。
何だか全然うまく言えない。すごすぎて。
このコレクションを大事に保管できる施設のあるビル・ゲイツもすごいなぁ。
たぶんふつふつといろんな感想がまた生まれるだろう。
帰りに六本木ヒルズを見てきた。
あのお庭を。
久しぶりに見たけれどやはり嬉しかった。ちゃんと写真を撮ってメールしてあげた。
表の道路ももうクリスマスバージョンになっていてすごく綺麗ではしゃいでしまう。
R。
…と、噴水。
水の行き場とか教えてもらった。
ダヴィンチ展でも思ったけど建築って本当に興味深い。
六本木ヒルズを仰ぎ見たところ。
なんでこんなでかいものを、まっすぐにつくれるんだろう?
ひとってすごい。
東京タワーとクリスマスイルミネーションが一緒に見えたので。
青色発光ダイオードが発明されて本当によかった。
ひかりの中庭
私はその雲を山だと思うことにした。
ヒマラヤにも負けないくらいの大きな、延々と連なる山。
すごい。
大きいなぁ。
夢にも見たことのないような風景。
コンビニで買ってきたパンに野菜ジュースの朝ご飯だったけれど、その景色だけでもう特別。
仕事を終え今から六本木ヒルズのダヴィンチ展に行く。
アマンドで友達を待つ。アマンドなんて久しぶり。
おととし、こいびとの誕生日は六本木でおそくまで仕事をしていた。終電ぎりぎりでしか帰れなくて、でもどうしてもお祝いのケーキを買いたかったから仕事が始まる前にアマンドに駆け込んで「何時までやってますか?」と訊ねた。アマンドは深夜2時ごろまで開いていたから、仕事が終わってからバースデーケーキを買うことができた。
わくわくしたな。
あれから2年。
こうして思い出を反芻することはもう辛くない。
優しい気持ちになれる自分が嬉しい。
だけどやっぱり懐かしいな。あの頃の私が。あれから降り積もっていった時間たちが。
隣に座った御夫人とちょっとおしゃべり。若い頃はこの近くで働いていたのよ、と笑う。もうおばあさんだけど、と言うその笑顔は今でも美しい。
六本木ヒルズの中庭はこいびとが図面を描いた。
まだこいびとでないときに連れていってくれた、あのときの嬉しそうな顔。私の手を引くその体温。
こうして自分の仕事が万人に見えるかたちになることに私はちょっぴり嫉妬した。
私はなにを残せるのだろう。一瞬のあの光のなかで。
ビルの根元から蒼い照明を見上げて私は少し泣いた。
私はこれからどうしたいんだろう。この隣にいる子と、どんなふうに歩いて行きたいんだろう。それとも。あの暖かい、しましまのあの子のいる場所に戻りたいのだろうか。
なにも残らないなんてそんなことない。
わかっていたから、なんだか余計に切なかった。
私のこころが一番不確かみたいだったから。
あのひとは今年バースデーケーキを食べるのかな。
一緒にお祝いをした、二人の誕生日の境目に。
今日きみの描いたRを見てくるよ。
『ナチュラルボーンキラーズ』
- ワーナー・ホーム・ビデオ
- ナチュラル・ボーン・キラーズ 特別編
ついに見た。
ジュリエット・ルイスが好きで見ようみようと思っていた映画。
ジュリエット・ルイスはあの瞳がすき。なにを見ているの?少年を思わせる。そして地平線みたいな眉。すごく遥かな。
らんぶれったさんの言っていた「世界中の海に生きる」のシーン。すごくすごく素敵だった。私はこんなに激しく、向こう見ずになれたことがあったかな。落ちてゆくヴェールが綺麗。うん、生きていくうちに何気ないシーンってたくさんあって、あんなふうに光って脳裏に焼きつく。
そういうシーンの羅列がけっこうあった。
何の意味もなく人が殺されてゆく。でも、それでも、この二人に酷い結末がこなければいいと願ってしまう。それは映画だから?
アフリカのライオンが鹿をハントする場面を見るとき、そのTVがその雌ライオンの子供たちを守る姿を映しているものだったら、私はその鹿を獲物としてみてしまう。天秤はライオンの方に傾く。
それと、一緒なのだろうか?
あ、うん、それはもちろん違うな。だって人の人殺しは絶対に不必要だと私は思っているから。
でも、感覚って変だ。絶対的なものが自分の中にあると信じているけれど、でも実はそれを純粋に保つことは難しい。
『フルメタル・ジャケット』を見たときにも思ったけれど、ひとはどんな方向にも変わってしまう(し、変われる)のだ。ある一線を越えるとひとをコントロールすることはこんなにも容易い。
怖いな。
でも、だからこそ希望もあるんだ。と、思っているけれど。
ロバート・ダウニーJr.が、本当に気持ち悪いマスコミ側の人間を演じていて、よかった。あのひと本当に演技が上手だよなあ…大好きな俳優さんなのに、途中本当に嫌いになりそうだった。
ジュリエット・ルイスはやっぱりおびえた動物みたいだし、全部を壊す嵐みたいだし、その全部をあのひとみが持っていてすごい好き。
でも本当に、こんな風にあの二人が英雄みたいに祭り上げられてしまう社会が存在するとしたら怖い。だって、人殺しだよ?そこに立ち返る想像力すらない人々がそんなに多く存在するとは思えない。もちろんこの映画が描いているのも一部の人々だというのは十分承知しているつもりだけれど。
多分ひとは生きなければいけないという生き物すべてに存在する本能に加えてたくさんの感情を持ってしまった時点で、生まれながらにして何かを傷つける可能性をほかの動物よりも多く孕んでいるのかもしれない。本当に、ナチュラル・ボーン・キラーズなのかもしれない。
でも、その、ほかの生き物にないこの感情や想像力が、ひとをそうじゃなくしているんだろう。なんだかバグのバグみたい。
ひとなんて、この世界のバグなのかな。
たまにそんなふうに感じる。そして、それがこの世界の進化の過程だっただということになるのかもしれないなあって。
だって愛する気持ちとか憎しみとかってすごく混沌としていて、まるで操作なんかできてない。矛盾だらけですごく原始的だったりもするし天使を見るみたいに崇高な場所に持ち上げることもできる。
なんなんだろう。
- ワーナー・ホーム・ビデオ
- フルメタル・ジャケット
ブラックホール
きっとリアクションがないから。
どんなに重要なことを伝えても、きっとお返事はない。たとえそこにどんな気持ちが生まれたとしてもそれを私に伝えてくれることはない。だからそこから私が読み取れることはゼロ。
100の気持ちをぶつけても、全部その隙間に吸い込まれてしまう。
きりきりする胸を私は無視する。
そうしてまた。
こんなの手紙じゃない。ただの、日記だ。
あたしに何があって、あたしがどう感じて。
それを、ドラえもんポケットの向こうの四次元空間にぽんぽん投げ入れているだけ。
それが悲しいうちはいい。
つらいのは覚悟してるって言ったもの。
でも、
それでわたしのなかのあなたへの気持ちがゆがんじゃうのがいやで。
だからもうすぐあなたの誕生日なのに、メッセージを送ることすら躊躇していた。
でもね。
やっぱり私はいつでも精一杯でいるよ。
計算なんてできないから。
駆け引きなんて、できない。したくないの。私は全部でいる。ずっと。
それだけが私の武器なんだ。
だからドイツに行く前に、ちゃんとお話しよう。
期待したような反応がなくても、もういいから。
侵入
昔の彼のおうちに潜入する夢。
女の子2人と、なぜか前の前の彼のうちにこっそり忍び込む。やめようよ、と止める私だが聞いてくれない。
久しぶりに入る彼の家。(実際とはだいぶ違うのになぜか懐かしいと感じる)
とくにいたずらをする目的でもなかったと思う。ただいる場所がなかったから入っちゃおうか、という感じ。悪意は全然ない。
かなり長いことその部屋にいた。私はびくびくしていて、早く帰らないと彼が帰ってきちゃうんじゃないかと言う。
ベランダから外を見ると彼が友達と歩いて帰ってくるところを見かける。しかも一番やっかいな怖い友達といるではないか。
(実際の彼はそのやばい彼とは距離を置いた友達であったけれど)
あわてて部屋に引っ込む私だが見つかる。
彼らの激しい足音が玄関に近づく前に私はベランダから飛び降りる。飛び降りるのには何の躊躇もなかった。そのくらい恐れている。
2階なのに着地はスムーズ。狂ったように走る私。
何故か彼はものすごい怖い人になっていた。冷たい狂気をはらんだような目と、長い髪。
ものすごい必死に逃げて自分のうちのそばにたどり着くが、家が鳥小屋のようになっていて階段がない。仕方がないからそばの柱に足をかけて、反動で上半身を振り上げ、家に入る。ほっとする…が、そこはエントランスホールに過ぎず、あえなくそこで彼に捕まる。
どういうことだ、と詰問する彼に、「本当に全然悪いことをする気はなかった、でもごめんなさい」と必死で謝る。確かに悪いことなんだもの。
彼は許さない。拳骨で顔と、おなかと、膝を思い切り殴らせないと許さないという。私は、それを受けることにするが、やっぱり踊りのことを考えて、膝は勘弁してほしいと言う。だって逆に折れるくらい殴るっていうんだもの。
んー、で、顔とおなかをなぐられるけれどこのときにはちょっと夢だとわかっていたようで、痛みはないので演じていればいい感じだった。
★ ★ ★
なぜ彼がこんなひどいひとみたいに出てきたんだろう。彼は人を殴ったりするようなひとではありませんでした。念のため。
見かけが派手なひとではあったけど…美しいものを愛するやさしい優しいひとでした。
懐かしい。
元気でいるかな。
私と猫を大事に大事に育ててくれたひと。




