アマヤドリ -263ページ目

うなずき鳥の一日・昼編

昨日は本当に一日しゃべり(を聞き)たおしだった。頷きすぎで首と顔の境目が細くなったような気がするほど。


昼間会ったお友達は一緒の仕事先にいた時よりも随分雰囲気がソフトに、包むような感じになっていた。話を聞くとやはり自分のなかの精神的に気持ちのいい場所に身を置くことを考える余裕が出た、という。不思議だけれど彼女にも私と同じような流れが今きていて、人生をよりよい方向に転換させる時期なんだろうっていうことを芯の部分で分かっているみたいだった。
以前結構有名な音楽家の方と付き合っていて、もしかしたらそのひとのことを忘れられないのかなと思っていたが結婚してとても幸せそう。社長夫人になったらしい。社長夫人!素敵な響き。

なんだかもともと私を気に入ってくれて声を掛けてくれた人だから(バイト先ではいつもよい子の猫をかぶるからかと思ったけどどうやら他の部分を見抜いてのことらしい)心を許しちゃう。
随分スピリチュアルな話までする。
共感覚のことや神主の血筋であることを言うと、キリスト教の洗礼を受けているのに神社にひかれている、とか、踊りでもフラメンコと和モノを迷ったり、いつも洋と和のふたつの間で引き裂かれるのよね、というおもしろい話も聞けた。

やっぱり“流れ”みたいなものを大事にし、信じているひとで、今日の夜ドイツでお世話になるはずのアパートに入れるかどうかが決まるんだ、と話すと「(入れる方向に)決まるよ」とあっさり。
そうだよね、私もそう思うの、とにっこり。ふふ。

ちょっとそういう精神世界を大事にして、いつもアンテナを張っている人なので、面白い。
色々勉強していて、私もそういうのは生活と密着は全くしていないのだけれど話としては好きだから興味津々。
それに踊りをしているとそういう領域に自分が知らず知らず旅をしていることがあるし。

結構信頼している占い師さんを教えてくれた。
占いには今まで全く縁もなかったし興味もそれほどなかったけれど体験として行ってみようかな?ちょっと面白そうだと思ったから。


馴れ親しんだ新宿の、しかも通学路だったところなのに、気付かなかった素敵なコーヒーやさん。
コーヒーはどちらかというと苦手なのに昨日はおいしくて薫りがよくてブラックで飲めた。
チーズケーキも濃くておいしかったし。

西口のさくらやの近くの但馬なんとか…っていう…
今度暇つぶしにまた行こう。

ガラスケース

いつのまにか一ヵ月が経っていたりする。

前は、一日いちにちを削ぎ落とされるゆびのように感じていたのに。


痛みを感じてもいいからこうして鍵をかけているメッセージ。
たくさん発見があるよ。
たぶん私の中だけのものだけれど。

私は臆病にもなったな。たぶん。
ひどい話は聞きたくない。いまは。

重ねて、歪んだ鏡をみているように感じてしまうから。


今は、ちょっとだけ目を閉じよう。

世界と私とシナプス

昨日は仕事の後、所長とパートナーの女の子と3人でお食事へ。四谷にもある池袋の『むつ』という創作料理屋さんへ。
私のお誕生日をお祝いしてくれた。

昔の現場の話とか、でも殆どは舞台の話。
あの動きはみんな同じ動きが台本のようにあるの?転がったりするやりかたにはセオリーや決まった型のようなものがあるの?と。
いつも可愛がってくれているひとなので安心して話をすることができる。すごく詳しく、振付けの過程やそれをどうやって合わせてゆくか、呼吸を感じたり本当に目や皮膚で相手を感じること。そんな話をした。

今までこういう話をしても興味を持ってもらえないんじゃないかとか私のことばでは伝わらないんじゃないかとか、それに踊りをやっていないひとにはわからないのかもしれないと恐れてちゃんと伝えないことが多かった。何よりこんな話をすると私は楽しく熱してしまって必要以上に話が長くなる。だから。それを飽きずに聞いてもらえるかが不安でいつも無難に終わらせるようにしていた。
でも最近は違うなぁ。
ことばで伝えることは大事だと思うようになったから。まずそこから始まることだって多い。そうやってちゃんとかかわりたい。

私の言ったことが全てわかってもらえなくてもそれはそのひとの中に蕾のように置かれることだろう。私だってそうしてひとの話を受け入れるじゃない?それをちゃんと信じて渡せばいい。
その蕾はいつか何かと繋がってしゅわーって開くかもしれない。

それに。
わからないことなんかないんだなぁ。って思う。わからないかもなんて、びくびくすることなかった。そんなの無駄な侮りだった。
だってみんな今までどんなに違う道を通ってきていても、その道の途中で感じたりすることはそんなには違わないから。というか…道は一本じゃなくて寄り道も多いから。そんなに単純じゃないから。
その過程のなかでいろんなものを吸収する準備をしてきている。地下水脈はきっと自分にも思いもよらないほどの拡がりをみせてる。
だから“自分が触れてこなかったもの”でもなにかの先端に触れて、そこから枝葉がひろがったりする。
そして話していた私にも、そのひとの感じた新しい世界が分け与えられる。


こんなふうにちゃんと自分は発展しているのかな。日記を書くとものすごく有意義で毎日が発見みたいだけれど。実際はそんなにたくさんのことを私は私のなかに詰め込んでいけているだろうかと疑問だ。
ぼんやりしてるしすぐ忘れちゃうし。

繰り返し、私にそれを思い出させてね。



今日は2人の友達と会う。
一人はバレエを教えていた方で以前バイトでお世話になった。できる女性。
もう一人も外資系の会社で10人の部下を持つできる女性。ドイツのことでお世話になる。
ついにドイツのことが現実として動きだす。
楽しみ。

『ディープ・ブルー』

東北新社
ディープ・ブルー スペシャル・エディション


おととい『ディープ・ブルー』を観たのだけれど…
たぶんそのおかげで私は日記が書けなくなってしまった。この感想をどう書いていいか。それから、自分がちまちま作ったような文章をここに書くことがなんだか…ただそこにあるあの美しいものに直面したらなんてちっぽけで煤みたいだなぁって。
卑下するつもりはなくて、そのくらいこの映画には圧倒された。

水が綺麗で重くて青くて無限に生きている。
そこに生きるものたちはやっぱりものすごく美しくて、そこに生きている理由なんて別にないんだ。生きて、食べて、光を受けて、筋肉から電気をだして、子孫を残して、食べられたり、そして死んでいって。
海や宇宙は生命体だなぁ。手塚治虫だ。ダウ゛ィンチもそういっていたな。
大きなその波の中にくじらの波があってプランクトンの波があってわかめの波があって、きりんの波もあって、そしてたぶん人間の波もある。人間の中にもビフィズス菌とかの波もあって。

BBCのドキュメンタリーは好きなのでたまにBSでやっているとビデオにとって観ていた。だから知っている場面もあった。
でも一体どうやって撮っているのだろう?多少色づけとかもしているのだろうか?効果音は入っているけれど。
ほとんどナレーションも入らず説明はない。ただ海の表面から、底の闇に生きるものを追い掛け映し出すだけ。

水はあんなに透きとおっているの?
生きものの体の曲線は無限に美しい。

きっと私たち人間はこれを見たことがなくてもからだの奥底にこの美しいラインが眠っているんだろうなぁ。もしかしたら芸術とかってそこからぴりぴり生まれてくるのかもしれない。
ひとがつくる以前にこんな美しいものがある。
不必要なくらい美しい。

美しいって感じるこの感覚はなに?
動物の赤ちゃんをみると可愛いと思うけれど、赤ちゃんが可愛いのではなくて“赤ちゃんは可愛い”という信号が備わっているのだときいたことがある。
美しい、もそういうことなのかな。
どちらが先なのか。



海のほんの指先にしか私は触れることができない。
でも次に海にいったときには目を閉じて手を浸して、そこに繋がっている世界中を感じよう。

Birthday

今日はお誕生日でした。

去年はなんだか色々くよくよもしたものです。
もちろんいつもお誕生日は嬉しいんだけど、なんだか色々と漂っているときだったから。

今だってなんにも状況はかわらない。相変わらず広いひろい海の中をぱちゃぱちゃ泳いでいるだけ。
陸は見えないし、いつ足がつるかわからないし。

でも。
夜になればほんわりお月さまが照らしてくれるし、泳ぎ疲れたら遠くにつるつるのイルカを垣間見たりする。
ぶくぶく沈んだらくらげが美しく光って私と同じように漂っていたりする。
ぼおっと、もうこのまんま寝ちゃおうかな?って思うとぱしゃん、と波が顔を洗ってくれる。

だから、
こうして楽しく泳ぎ続けます。



お友達からたくさんのおめでとうメール。
会社ではケーキをたくさんいただいて、シクラメンの花をいただいて、それからみなさんににこにこ笑顔とともに「おめでとう」をいただきました。
あ、それから夜空と月と火星のプレゼントも。

なんて嬉しいんだろう。
ほんとにほんとに。


私は一日中、にこにこしていた。


みんなみんな、本当はあの波の向こうで沈んだり小さい珊瑚礁に到達できたりして、
私は決してひとりじゃないし、
そんな当たり前のことが幸せで、よかったなぁと思ったのです。


もし沈没しそうになったら、
今日のこの気持ちをきっと思い出そう。

もっともっと強く、
もっともっと繊細に、私はなりたいな。



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straycatsさん の素敵な詩の幸せを、おすそ分けいただきました。

 ありがとう!!