アマヤドリ -261ページ目

結晶の重なるように

進んだと思ったらやっぱりちゃんと振り返ったりしちゃって、後戻りもめちゃくちゃしてしまって、
でもそこで自分の気持ちを見つけたら鏡みたいに今の自分が見えて、どんなに後ろに歩いてもそれは新しい自分なんだということがわかった。
恐れるのはただ自分が傷つきたくないからなのはわかっているから、でも本当にわたしひとりのことになるとこんなにも強い。だってそれが自由ということだから。
自由は、孤独。
こどくは、世界の色んな素敵なもののなかに埋まっている自分。
新しい自分だから繰り返していることに何も不安を抱く必要はない。

今日ですべてがおわるわけじゃない。
おわりにしなくたっていい。
区切りなんか付ける必要どこにもない。どこにもなかったのにわたしはそれを潔さだと思っていた。
うん、きっとその時そうしてみてよかったんだろう。だから今それに気付く。

絶対なんてない。
それはすごく悲しい意味にもとれるしでも絶対がないから、そこには可能性や希望がかならずある。
ゼロにならないかぎり。
今見えているところでもしゼロになっても恐がることなんかない。

ずっと持ち続けていればいい。たまには迷惑をかけたりしたっていい。

それだけの価値があると思うから。
だからあたしはこんなに悲しいしこんなに強いしこんなにやさしくもなれる。

ひゃくぶんのいちでいいから、ほんとうはわかってほしい。
だから、だから。
あたしはおわりにはしない。
新しい自分になるたびに繰り返しくりかえし、
つたえるんだ。

仲間との再開、舞台での視界

芝居を一緒にしていた友人から結婚しますというメールが来た。この二人は私がやっていた劇団で知り合った二人。知り合った過程を知っているから(途中の紆余曲折は私が交流をあまりしていなかったせいで知らないのだけれど)本当に嬉しい。もう10年くらい付き合っていてやっと。よかった。
その連絡が来たことでしばらく連絡していなかった仲間に電話をした。私の元彼をもしかして好きだった?男の子に。
話したとたん、なんだか時間がまた縮まる。
なんだろ、この流れ。本当に人と会うことに縁がある。今そういう時なんだろうな。

何もかもうまくずっと進むわけには行かない。
だからこそ大事にしないといけないな…と思う。



師匠の舞台をみたけれど…なんだか複雑。
相変わらずだなぁという感じ。悪くはないんだけれど。

うん。でも観にいけてよかった。これからも頑張ってほしいな。

他にも何人か出演者がいたのだけれどあまり私の好きな感じの作品ではなかった。ダンサーとしては良いのだ。体もできているし表現力もないわけじゃない。魅せる部分もある。でも作品として、あまり好きになれなかった。
もっとシンプルでいいのに。
変にかわったものにする必要ないのに。
かわったものにするならおもしろくしないと…何だかただ…不快なものになってしまう。グロテスクならそれを追求してほしい。極めずに中途半端だから観ていて恥ずかしくなる。もう、そういうのはいいよ、おなかいっぱいだ!と。
いいところもたくさん見つけることができるだけに、そういう部分で不満が残るのは残念。
コンテンポラリーって難しいな…これは本当にちゃんと選ばないといけない。そしてたぶん私が好きな部類のものをやるにはもっとバレエの要素を体に入れなきゃならないだろうな。
そんなこと今更肝に銘じなくてもわかっていることだけれど…実感として。

なにより大切なのはもっと舞台をみて、第三者がどう観るかの感覚を養うことかもしれない。
今はまだ、観てみてどうだ、と自分の中で評価をすることしかできない段階でしかないのかもしれない。いざ自分で創るときにその感覚をきちんと持っていられるか…それにはきっと観たり考えたりだけじゃ駄目で実際の経験も必要なのだろうけれど、今できることはやっておこう。
イメージを磨くこと。
自分の中でなにがよくて何がやりたくないことなのかしっかり見極めること。もちろんそれは変動があってもいい。でも形に起こせるくらいにはっきりと描いておくこと。

もっといい舞台から学ばないとなあ。
いつもいいものを観ると手放しに「すごい!」っていうふうになっちゃう。
うーん、と思うものからは反面教師的に色々授けられるんだけど…
こんな単純なことじゃいけないな。
絶えずもうひとつの目を持たなきゃ。


今日は明日のために早く寝ないといけないのに、やっぱりAちゃんと長話しをしてしまって終電近い帰宅。

明日。
楽しい送別会にしたいな。

下準備はのんびりと

肘が痛くて目覚めた。
携帯を持ったまま眠ったのだ。やれやれ。

今日はお休みをもらっているのでのんびり。そしたら父も体調を崩して会社を休んでいた。
今日こそは、と『トリコロール/赤』を観る。
やっぱりイレーヌ・ジャコブきれいだな。優しい眼差しやくちびるのラインが好き。目が大きすぎるなぁとたまに思うけれど。
いい映画だった。
色合いも『ふたりのベロニカ』に似ていてやはりすきだ。


明日のためのお買物をした。もうすっごい可愛くてかっこいいハーフコート(…?)を見つけて、高かったのに買ってしまった。でもいいんだ…たぶん買わなかったら1週間くらい「買えばよかったなぁ」って思うようなジャストのものだったから。
今年の服ってなんだか難しい。もっとシンプルなのがいいんだけど、いいなと思ったら金色のボタンがついていたりする。
あと胸のところが空きすぎていてだらしなくなっちゃいそうだし。
重ね着がわりと苦手なのだ。おしゃれ上手になりたいなぁ。

本当はブーツを買おうと思っていたけれど予算オーバー。



今から師匠の舞台を観にゆく。なのでちょっとその前にひとやすみ。
久しぶりに見るな。久しぶりに会う。
いろんなわだかまりは私の中でもう解けることはなかなかないかもしれないけれど、ゼロにする必要はない。
それに。守護神Aちゃんがいるから気も楽。

楽しみだな。私に踊りの素敵さを教えてくれた人だから。

元の生徒さんや友達にも会えるかな。それも楽しみ。

17歳バトン

マイミクの8さんから頂きました。

お答えが遅くなってごめんね。

なにぶん、太古の昔のことだから記憶の奥底からひっぱりだすのに時間が…ムニャムニャ


▼17歳の時何をしてた?
 
かなり普通に高校生でした。

高校では、小さいころからの夢だった器械体操部に入って、自分の力も上がってきたころ。

そして恋愛で激動があった年だったなあ。

どろどろから、ちゃんとした幸せに。



▼17歳の時何を考えてた?
 
踊りに出会う前から、何かを創りたいという漠然とした気持ちはあったのだけれど、このころもそんなもやもやを抱えていました。

でもまだ、とってもむじゃきでした。

私は昔から人より3年くらい成長が遅かったので(見た目も心も)まだ本当に無邪気。

中学生男子みたいでした。(中学生男子、ごめん)

でも17歳の一年間でだいぶ変動があった。

本当に人生の転換期でした。



▼17歳のイベントといえば?
 
17歳といえば私が踊りに出会った年です。

高校の学園祭で踊りとお芝居に出会い、そしてそれから踊り人生が始まりました。

それまで自分が踊れるとは思っていなかったから本当にこの出会いには感謝しています。

あとは、恋愛やいろんなことがうまくいかなくて、自分の変な精神をコントロールすることが出来ず、2日くらい夢から覚めることが出来ず延々と眠り続けたこと。

不思議体験みたいなものもあった!

けど、夢かもしれません。


それから、ちゃんとした彼ができたのがこの年の後半だった。

どろどろの恋愛を抜け出して、年上のひとと付き合った、ほんわかやさしいときでした。


 
▼17歳でやり残したことは?
 
もっとすべてに体当たりすればよかった。

あと、もっとこの多感な時期におしゃれを習得すべきだった。



▼17歳に戻れたら何をする?
 
授業をさぼる!

さぼってcafeに行ったり、公園で眠ったり、お友達とあそんだりする。

私はすごくいい子で、無遅刻無欠席、天真爛漫のまじめな元気ちゃんだったから。

先生にしかられたりしたい。

ちょっとタバコすったり。←それはだめか(笑)


あとは…あの時好きだったひとに、もうちょっとなにかちゃんとしたことをしてあげたかなあ。

そういう、無邪気さだけじゃないなにか。

そうしたらどろどろじゃなくできたかもしれない。

本当に、だめな恋愛だったから。

子供すぎた!

なにしろ中学生男子だから(笑)


あとは、ダンスの道のことを真剣に考えます。

あのころから今の気持ちでやれたらまた、別の人生もあったと思うから。

いや、今に満足してないわけじゃなくて、そんな可能性も面白いと思う。



▼17才にもどっていただく人

これはやっぱりとしさん。

あなたの過去を、しりたいです(^m^)

イメージバトン

あいちゃんからイメージバトン 受け取りました。

じっくり、かんがえてみよう☆



テーマ『ノスタルジー』

1.受け取ったイメージに対する私のイメージ


ノスタルジー。

ええと、私、もしかしたらこの言葉をちゃんと正確にわかっていないかもしれません。

「郷愁」みたいな意味よね?違ったらごめんなさい。

でも、自分のイメージで書いちゃっていいかな?

いいよね。


私は見たこともない映像や、においや、雰囲気にノスタルジーをよく感じます。

なんだろう。きゅうって胸が締め付けられてしょうがない。胸の中に涙が流れて、でもそこには熱いじんわり感がある。

もしかしてそれは私の“原風景”みたいなものなのかしら。

そこに近接するものに触れたときにこの感覚がばあってながれるのだろうか。

私がノスタルジーを感じるのは何故か北欧の風景なのです。

北欧とか、寒いところ。

一番わあ、ってそれを感じたのはアンドレイ・タルコフスキーの映画。

もう、そのまんまなんだけれど『ノスタルジア 』という映画があって、これは最初見たときは全然意味がわからず、眠いなあ、でも綺麗、って見ていたのにラストシーンで、ああ、なにこれ?って激しい郷愁に似た気持ちにとらわれた。そのあと見たやっぱりタルコフスキーの『サクリファイス 』も、これは風景というより言葉やそのにおいに、もう胸がいっぱいになりながら見ました。

私にとって、この監督の映画はノスタルジーのかたまり。



あとは、電車でウォークマンを聞きながら窓際に立って、流れる風景を見る。

景色には景色の音がせず、自分の耳元の音楽がまるでBGMみたいについている。

ガラス越しのその景色の、風の音すらしない、でも息づいている光に、ノスタルジーみたいなものを感じることもあります。

これ、ノスタルジーじゃないかもしれないけれど。


ああ、書いていて気づいたけれど私のノスタルジーには音がないことが多い。

後ろから暖かい日差しがあたっていて、とっても無機的なもの、しんと静かなのにささやかに呼吸をしている。

そんなものに、ノスタルジーを感じるみたいです。

これ、発見だ!



2.渡すキーワード

見たことないのに、見たような気がする。

それが私のノスタルジーなので、次のテーマは

「デジャヴ」

にしようかな。


*今までの流れ*

「至福」 → 「無駄遣い」 → 「写真」 → 「アート」 → 「情熱」→ 「家族」 → 「好奇心」 → 「癒し」 → 「本」 → 「父」→ 「掃除」 → 「心」 → 「陽だまり」 → 「子ども時代」→「未来」→「おじさま」→「ノスタルジー」

 

 

3.渡してくれた方へのメッセージ

あいちゃん 、素敵なバトンをありがとう!

ちゃんと気づかなくてごめんね。

バトンって、楽しいのにほら、じっくり考えたいからなかなか積極的になれなかったの。

でもすごく楽しかった。

このバトン、特に素敵だよね。

発見もあったし、今も私の近くにある風景が大切に思える。


あいちゃんはいつもちゃんと自分の心の中の激動みたいなものを素直に受け止めていて、ちゃんとそれに対して行動も出来ているような気がする。

まっすぐで、でもそんな自分に打ちひしがれちゃったり、でもそんなあいちゃんを大好きなみんなに支えられてまた盛り返したり…

とにかく目の離せない女の子です。

すっごく魅力的。

私が男の人だったら、ほれるなあ。

ちゃんとまっすぐもがいて、100%の愛で、これからどんな素敵なひとになるんだろう。

なんだか楽しみなの。

絶対いつか会ってお話しようぜい☆



4.バトンを渡す方

ではでは、もし忙しかったらもうしわけないんだけれど、


マイミクのKzさん。

最近たくさん優しい気持ちと勇気をもらってます。

芯になにか私をひきつけるものがあって、なんだか相乗効果みたいにお互いを元気付けられる、そんな存在!と私は思ってます。


アメブロのコトノハちゃん

コトノハちゃんのデジャヴがとても気になる。

ふとしたときに、ふとした隙間に、コトノハちゃんのことばはすとんと落ちてくるのです。


おふたりとも、もし、いそがしかったらパスでかまわないからね~!



さいごに、あいちゃん素敵なバトン、本当にありがとう!


TRACKBACK

コトノハちゃん がバトンうけとってくれました♪