『ナチュラルボーンキラーズ』 | アマヤドリ

『ナチュラルボーンキラーズ』

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ナチュラル・ボーン・キラーズ 特別編

ついに見た。

ジュリエット・ルイスが好きで見ようみようと思っていた映画。

ジュリエット・ルイスはあの瞳がすき。なにを見ているの?少年を思わせる。そして地平線みたいな眉。すごく遥かな。


らんぶれったさんの言っていた「世界中の海に生きる」のシーン。すごくすごく素敵だった。私はこんなに激しく、向こう見ずになれたことがあったかな。落ちてゆくヴェールが綺麗。うん、生きていくうちに何気ないシーンってたくさんあって、あんなふうに光って脳裏に焼きつく。

そういうシーンの羅列がけっこうあった。


何の意味もなく人が殺されてゆく。でも、それでも、この二人に酷い結末がこなければいいと願ってしまう。それは映画だから?

アフリカのライオンが鹿をハントする場面を見るとき、そのTVがその雌ライオンの子供たちを守る姿を映しているものだったら、私はその鹿を獲物としてみてしまう。天秤はライオンの方に傾く。
それと、一緒なのだろうか?

あ、うん、それはもちろん違うな。だって人の人殺しは絶対に不必要だと私は思っているから。

でも、感覚って変だ。絶対的なものが自分の中にあると信じているけれど、でも実はそれを純粋に保つことは難しい。
『フルメタル・ジャケット』を見たときにも思ったけれど、ひとはどんな方向にも変わってしまう(し、変われる)のだ。ある一線を越えるとひとをコントロールすることはこんなにも容易い。
怖いな。

でも、だからこそ希望もあるんだ。と、思っているけれど。



ロバート・ダウニーJr.が、本当に気持ち悪いマスコミ側の人間を演じていて、よかった。あのひと本当に演技が上手だよなあ…大好きな俳優さんなのに、途中本当に嫌いになりそうだった。

ジュリエット・ルイスはやっぱりおびえた動物みたいだし、全部を壊す嵐みたいだし、その全部をあのひとみが持っていてすごい好き。



でも本当に、こんな風にあの二人が英雄みたいに祭り上げられてしまう社会が存在するとしたら怖い。だって、人殺しだよ?そこに立ち返る想像力すらない人々がそんなに多く存在するとは思えない。もちろんこの映画が描いているのも一部の人々だというのは十分承知しているつもりだけれど。


多分ひとは生きなければいけないという生き物すべてに存在する本能に加えてたくさんの感情を持ってしまった時点で、生まれながらにして何かを傷つける可能性をほかの動物よりも多く孕んでいるのかもしれない。本当に、ナチュラル・ボーン・キラーズなのかもしれない。
でも、その、ほかの生き物にないこの感情や想像力が、ひとをそうじゃなくしているんだろう。なんだかバグのバグみたい。

ひとなんて、この世界のバグなのかな。

たまにそんなふうに感じる。そして、それがこの世界の進化の過程だっただということになるのかもしれないなあって。

だって愛する気持ちとか憎しみとかってすごく混沌としていて、まるで操作なんかできてない。矛盾だらけですごく原始的だったりもするし天使を見るみたいに崇高な場所に持ち上げることもできる。
なんなんだろう。


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