アマヤドリ -200ページ目

なごみCafe/てさぐりの。

200607262258000.jpg 友達と中目黒にある素敵なCafeへ。

中目黒って全然縁がなくて来た事がなかった。一度、舞台を観に行ったかもしれない、というくらい。


駅を出て川に突き当たり、川沿いに歩いてゆくと気持ちのよさそうなお店がたくさんあった。やっぱり素敵なところだなあときょろきょろして歩く。


お店は入った瞬間は全然気づかなかったんだけど、とっても和風。べースは日本のただの2階屋。よおくみるとかなり朽ちたかんじなんだけど、入って5分くらいは雰囲気だけ見ていたらしく普通のお家ベースということに全く気が付かなかった。

ぼーっと、素敵なその場所を眺めていた。

テラスも、ちょっと、何故だか蛍を見に行ったときの事を思い出した。

あのときの旅館にも、何にも全然似ていないのだけれど。

川沿いだったからかな。

空気の匂いとか含まれる水分の感じが。



★    ★    ★



やっぱり濡れたみたいに光ってるひとみ。
に、向かってとりとめのない話をしてしまった。
でもとりとめのないことはじんわりじんわりと効いてくる。
知らない、どこかを揺れ動かすには十分。
その揺れをただ感じていればいいんだ、と、またひとつ体感する。忘れたくないけれどきっとすぐ曖昧になっちゃう。でもそれでもよくて、私は色んなことに目的や分類、みたいなものを当てはめすぎだと可笑しくなる。

そんな性分も全部ひっくるめて。

私ももっとだいぶ前にこんなことに気付けたらなあ。
そんな想いがあたまをちらちらよぎりつつ、
いつしか満たされていることに気付く。
繋がっているのは、触れ合わせているのはきっとわたしたちの存在の奥底のもので、包むもの全体なんだ。


あたたかかった。
ひたひた。
私も輝いた。

夕焼けいろの浴衣

浴衣を買った!


いつも私は黒とか灰色とか紺とか暗めな色しか着ない。だから浴衣も紺色か白っぽい色を想像していたのだけれど結局は夕焼けみたいな明るい色のものにした。

浴衣はあんまり地味にまとめようとするとふけて見えちゃいますよ、ということだったし、なにしろ布の色と模様を見た時にぱっと、第一印象でいいなと思ったのがその浴衣だったから。

夕焼けみたいな色に優しいかんじの花がかいてあって、その中心が山吹色で、花びらが白っぽかったり薄い紅色っぽかったり。

なので下駄は鼻緒が紅色のものを選んだ。

それを全体的に引き締めるために帯は黒。裏が赤になっていて、ちょっとそこを見せつつ締めよう、と思う。


母と選びに行ったのだけれど母もそんなに着物の事を知っているひとではないし、私はもっと知らない。

おばあちゃんは着物を縫えるひとなんだけどなあ。

買い物をしたそのお店もとっても若い女の子がバイトで入ってます、というかんじのお店でちょっと不安になった。今風に浴衣を崩して着るというよりはすっきり清楚なかんじで着たかったから、でもそういう引出しがないのでおおむねお店のひとに任せっきりにするしかない。

でもついてくれた子がとても辛抱強く何着も着させてくれて、そしてアドバイスもにこにことしてくれたのでよかった。

果たして本当に似合うのか、分からないけど。


これで花火大会と、来月には初!歌舞伎に行くのだ。

うきうきするな。


21:57

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私の部屋をまあるく香らせてくれているオイル。
竹でできたこの8本の棒が、少しずつオイルを吸い上げて香りを放つ。
吉祥寺で素敵だなーとプレゼントにできるし、と買ったものなんだけど自分で使っちゃった。部屋を綺麗にする意欲がわくように。


★    ★    ★


欲しかったCDや本を取り寄せた。
今聞いているのは『イマージュ 』。
グレン・グールドというピアノ弾きさんの曲集なんだけど1枚目が大好きなバッハで2枚目は有名どころをチョイスしてある。
クラシックは知っている曲しか知らないので、うれしい。
軽快な演奏をするひとだな。歯切れがいい。


★    ★    ★


iPodが欲しいんだ、日常に音楽が不足してる気がするから、と或る友達に言ったら、

ぼくは今は音楽を街に連れていかないな、と言った。
街に溢れている音を感じたいから、そこからインスピレーションを得たいから、と。

高校の時に私がウォークマンを聴くことを嫌がるひとがいたな。
風の音や車の音や人の音を聴け、って。



やはりピアノの音って特別な音だな。
小さく心臓の表面を叩かれる。
チェロはもっと奥底を遠くまで引きずっていってしまう感じ。呼吸に似てる。
ピアノはもっと皮膚の感覚ににている。


グールド(グレン), バッハ
イマージュ

±0

何かに映ったことでしか、自分のことは見えないのかもしれないなぁ。
踊ることで、
本や映画を観て考えることで、
友達と話すことで、
散歩をすることで。
ひとりきりで、何も私の影が映らない場所にいたら私の想像力はただ曇っちゃって、自身の像はがらんどうになる。
なにかにぶつかって苦しんだりためいきを吐かされることですら、私と世界との距離やどう食い込めばよいか、その柔らかさ、鋭さの加減を測る材料になる。

私は文字に色が決まっている、という共感覚を持っているみたいで人の名前からそのひとの色を感じることができるけれどどういうわけか自分のことは分からない。自分のことはたぶん、まるっきり客観視するわけにもいかないからだろう、字面から当てはめようとしてもしっくりこない。
いつだったか友達のともだちに「影のある白」とイメージされたことがあって、自分の感じていたこともなんとなくそういう虚の感じに近かったから不思議だとおもった。


こういうことを考えていると、ひとや精神はものすごく単純な光の信号みたいに感じることもあれば、
深い、経験や時間に基づいた説明のできるもののように感じることもある。

今もその都度組み替えられている迷路みたい。


なにをため込んできたか、は思ったより強力な力を持っている。
こころってやはりすごい。



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『ハウルの動く城』

最初の、城が歩いてくる場面がナウシカの王蟲の場面とイメージが重なってどきどきした。もしかしてすごい重厚な世界観の中の物語なのかしら?って。
進んでいくとそういう期待は裏切られたんだけど。
(でもそれはそれでよかったんだけど)

売出しの感じのわりには派手じゃない。描いているのは成長の物語だし、種明かしは千と千尋の話と同じ、名を呼ぶという魔法のこと。
この魔法にとらわれる話は好きだ。
一番はじめに触れた、そのことを中心に据えた話を覚えてはいないのだけれど。なんだったかな。

ハウルがどうしてあんなにも戦争を憎むのか、特別描いていなかったなぁという風に思った。
それがだめなんじゃなくて。
よくこういう物語には登場人物に何かしら強い動機を起こさせるエピソードが描かれがちだけれど、それがなくてもよかった、と思った。
もしかしたら観てる人によっては消化不良っぽい印象を抱くのかもしれないけれど。


カルシファーとハウルの秘密、それがとかれるシーンが好きだ。
感覚的に分かるというか…ああいう、未来の記憶に縛られる、というようなことにひかれる。なんだろう。
時間を越えた記憶ってあるような気がしてならない。


わかりにくい、と聞いていたけど私にとってはそんなことなかった。子供向けじゃないってこともない気がする。こんな話、小さいとき私は大好きだったと思うから。


ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント
ハウルの動く城 特別収録版

ダイアナ・ウィン ジョーンズ, Diana Wynne Jones, 西村 醇子
魔法使いハウルと火の悪魔―ハウルの動く城〈1〉

いつか読んでみよう。



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世に倦む日日

燃えつづけろ!ライター高田!



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