±0 | アマヤドリ

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何かに映ったことでしか、自分のことは見えないのかもしれないなぁ。
踊ることで、
本や映画を観て考えることで、
友達と話すことで、
散歩をすることで。
ひとりきりで、何も私の影が映らない場所にいたら私の想像力はただ曇っちゃって、自身の像はがらんどうになる。
なにかにぶつかって苦しんだりためいきを吐かされることですら、私と世界との距離やどう食い込めばよいか、その柔らかさ、鋭さの加減を測る材料になる。

私は文字に色が決まっている、という共感覚を持っているみたいで人の名前からそのひとの色を感じることができるけれどどういうわけか自分のことは分からない。自分のことはたぶん、まるっきり客観視するわけにもいかないからだろう、字面から当てはめようとしてもしっくりこない。
いつだったか友達のともだちに「影のある白」とイメージされたことがあって、自分の感じていたこともなんとなくそういう虚の感じに近かったから不思議だとおもった。


こういうことを考えていると、ひとや精神はものすごく単純な光の信号みたいに感じることもあれば、
深い、経験や時間に基づいた説明のできるもののように感じることもある。

今もその都度組み替えられている迷路みたい。


なにをため込んできたか、は思ったより強力な力を持っている。
こころってやはりすごい。



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ダンボ耳で飛べ! さん。