アマヤドリ -202ページ目

3d-1ch

見事に違う色を出す二人のダンサー。

力強くて、でも動きとはうらはらに緻密な内面を感じさせる動き。

一方は、繊細でつややかなんだけど、奔放を内包している。


軌跡の綺麗なダンサーが好きだ。

しなやかで軌跡をちゃんと印象付けてくれるひと。

螺旋が何処までも続くんじゃないかと思わせる、途切れない音を出している踊り手にいつも目を奪われてしまう。


音もとても素敵だった。

この音を作った方はNoismでも音を担当したりしている方だそうで、私が観たNoism中の作品でとても好きなものもこの方の音だった。

あれって、全部その場で操作しているんだろうか?

多分そうなんだけど、これからはこういうものが当たり前になってゆくんだろうなあと思う。

ほんとうの生どうし。誤魔化しがきかないともいえるし、なんでもアリとも言える。だから生き残ってゆくものは少ないかもしれない。


全体的に、振付も音も、映像も、とてもセンスがいいなあ、というのが印象。

センスがよくってとてもまとまっている。

私はもうちょっとどきどきさせて欲しかったな。

あれが作れる人なら、もうちょっと冒険しても良いのに。って思った。

もっと狂ったみたいに熱中させて欲しかった。

ああ、でも、途中、これだ!って思う瞬間があった。多分あの時、息をしないで観ていた。あんなに目を凝らして観たのにやっぱりああいうシーンは二度と私の中で再現できない。全部奪われてしまうから。


本当はそのまま帰ろうかな、と思ったのだけれど、素敵だったからやっぱり声を掛けたくて終演後中川くんに挨拶をしにいった。

「すごく綺麗だったよ、中川くんの踊り大好きだ。」

と言ったら、

「もう」

と、可愛くタオルでぶたれてしまった。

あんまり素敵な踊りをみたあとだったからうまくお話できなかった。


「また一緒に踊れたらいいねー!あたしも頑張るね!」

と、宣言。



当日はすごく人が多くて立ち見だった。

でも見る価値ありの、良い舞台でした。


勉強しなきゃ。


200607151825000.jpg





飛べなかったひなたち

ヒナが死んでしまいました。
どうしてかわからないけれど突然、どんどん死んでしまって5羽全員。
なんでだろう。

お母さんとお父さん鳥が虫をくわえたまま、向かいの建物にとまってこっちを見ていました。


いつ巣立つんだろう、と大きくなることしか考えていなかったから驚いたし、悲しい。
なにがいけなかったのかな。


「死」って文字にするととても重い。
でも実際に自分のヒナたちを失った親鳥の姿はもっとかなしいし、その心のなかはもっとなんだろうな。


これから毎年この巣に子供を産みにくるんだよ、とお母さんと話していたけれど…どうかな。
もう来てくれないのかな。




あー。
残念で、とっても悲しい。

アジアで襲われる/ハンカチ携帯

今日の夢は長かった。


どこか外国のようなところに住んでいる。
2階建てで木でできたおうち。アジアな雰囲気。
センターには白い、6人乗りくらいの車で行き来するようなことが何回かあった。お気に入りの紅茶やさんがあってそこに何回か通った気がする。

ある時もう一人の女の子とうちに帰る途中、やばそうなひとに声をかけられる。はじめは一人かと思ったからなんとかやっつけられるかなと思い身構えたんだけどそいつの背後にたくさん人が控えている空気に気付き、うまく調子を合わせて隙を伺おうと作戦を変える。
うちのすぐそばだったので着替えたりしたいから待っててほしい、すぐ来るから、と全面的にそいつらを信用したフリをして家に入ることに成功する。
すぐに携帯で友達に警察を呼んでもらおうとするが私の携帯は洗ったばかりでひらひらのハンカチ状態になっていて、ちゃんと畳まないとうまくボタンがプッシュできないかんじになっている。しかも半透明で文字が読みづらいし、どこを押せばいつもどおりの操作ができるのかがわからない。
ハンカチ状の携帯を腿に乗せて一生懸命ボタンを押してみたけれど、やはり携帯としての形状に戻さないとうまく機能しないみたいだった。
焦っているから畳み方もうまく思い出せなくて、電話帳を見なくても思い出せる人の電話番号を押した。
でもそのひとは電話番号を変えてしまったんだった。と、急に切なくなる。

仕方ないから友達の携帯を借りてみるがドイツの携帯みたいに古い感じで画面も白黒だった。
やはり操作に手間取り、うまく電話ができない。

そいつらは10人くらいの集団で、ついにドアを破ってうちのなかに突入してきた。私たちはそれをあえて友達みたいに迎え、支度が遅くてごめんね、みたいに接する。
何とか誤魔化しながらベランダに出て友達に電話することができる。警察を呼んでほしいことと今うちに帰ってきちゃいけないことを伝える。

Rにて。

会社をもうすぐ辞める子が、土曜なのに職場に忘れ物をとりにきた。
おやつの時間だし私も仕事が煮詰まっていたので…というかやる気がなくなっていたのでちょっと抜け出して屋上近くのひといきスペースで話をした。
職場の女の子たちとは仲がよいけれどそんなにつっこんだ話をするわけではない。いつも飲んで、事務所にいる面白いひとびとの話で盛り上がる、ほんとうにそれだけ。個人的なことはびっくりするほどなにも知らない。
でもこの子とは少し個人的に話す機会があって、彼女が彼と別れた話とか今回の転職の話とかをぽそぽそと打ち明けてくれ、少し違う感じで仲良くなれた。
外は暑いけれどその気温だけを遮断して明るい光だけを注いでくれるそのスペースのソファに座って彼女の横顔を見ながらちょっとずつ語られる話に耳を傾ける。
ひとの話を聞くことってなんて難しいんだろう。きっと私次第でいくらでも深くも浅くもなるんだろうと、いつも緊張する。話が分からないことは罪ではない。でもわかったような気持ちになってしまってその勘違いが、せっかくの道行きを閉ざしてしまうことがいやだ。
私はわたしの、本当に少なくてまだ浅い経験や感触のなかでしか友達の話を理解できないことがもどかしい。余計なことを考えずにすっと話を受け入れ、そこから生まれてくる感情をただ大切にすればいいだけなのかもしれないけれどどうしても構えてしまう。変換して、わかろう、わかろうとしてしまう。
私はもったいないことをしているだろうか?

似ているなぁ、と思うのは私が彼女を自分に近付けてしか理解しようとしていないせいなのか。
わからなくなる。

過去や未来の私をひっぱりだしてそこに当てはめる。
読み取る助けにしたくてそれを総動員。
その作業に没頭しすぎて彼女の思考をつくりかえてしまっていないか時々心配になる。
これは、未知なものなのかもしれないのに。


感じることを大事にしているようで、実は、それをうまくできていないんじゃないかなぁ。

考えよう。
ときどき。


なにかを破りたい。
そう思った、今日のおやつのじかん。

へびいちご

小さい時、こんないちごをとって食べたよね、と友達が言った。

でも私はいちごが野原になっているのをみたことはない気がする。

赤い、ぷちっとした実ならたべたけどな。(ぐみの実?)


私は中途半端な都会にしか住んだことがないから、自然の中で駆け回ったとかいう子供時代を聞くととっても羨ましくなる。

釣をしたりへびいちごを見つけたり川遊びをしたり。


うちの近くには造成地区があって、林が切り拓かれるちょっと前に、手ごろな蔓がぶら下がっているのを見つけてターザンごっこをした。今考えるととても危険なのだけれど、ターザンみたいに蹴り出すその先はかなりの絶壁だった。子供ごころにそれは理解していたので弟には絶対その蔓には触れさせなかった。わんわん泣かれたけど。

ある時、その蔓が遥か下の方に落ちているのを見つけて初めてぞっとした。

あんなところにどうして子供が立ち入れるようになっていたんだろう。


フェンスがあればただ避けて透りはしなかった。よじ登ってさかさまにひっくり返りながら降りる。

高圧注意、みたいな鉄条網が張り巡らされた小さな建物の中にも土を掘ってベルリンの壁を抜けるかのように入り込む。

歩道橋の外側を伝って真中くらいで恐くなったり。

高い壁に登りすぎて足が震えて降りられなくなったり。

ずんずん樹の高いところまで登って、毛虫に刺されつついつも見えなかった景色を見たり。

とんぼが、何秒でまた同じ空に巡ってくるかを数えたり。


友達はこけももも食べたそうだ。

私はつつじの蜜は吸ったけれど。



どこに住んでいても子供は、大人の知らないところで遊んでる。