アマヤドリ -149ページ目

結婚式

日曜日は友達Mの結婚式だった。
ずっと一緒に踊っていた友達。同じ師匠について、一緒に泣いたり笑ったり、愚痴を言ったり。
大きな喧嘩もしたな。よく考えたら、喧嘩をした友達なんて私には少ない。


いっぱい心配した。
彼と付き合っていて幸せなんだろうか?彼はMを幸せにしてくれるんだろうか。
おうちのこととか、体のこととか、将来のこととか。彼とMの関係は少しその時の私のそれと似ていたから、自分のことを重ねていたのかもしれない。


でもちゃんと自分で幸せになった。


つらかったとき、私より先に泣いてくれた。泣くこともできないくらいごちゃごちゃ考えてた私はつられて泣いちゃって、それでずいぶんと楽になった。ほっとした。甘やかされたみたいに、そうだ、自分は大変だったんだなあって。今だけは甘やかしていいか、って弱くなった。
いつもほろっとする。
感動やさんで、何も捨てることができなくて、早くもっと楽しいこっち側にくればいいのに、って私がいらいらしてしまうくらいのこともあったけど。
でもそんなだから、この幸せがあったんだなあと思う。

花嫁なのに入場から号泣でみんな大爆笑しながら、泣いた。
花嫁なのにみんなにお酒を注ぎに回ってた。
花嫁なのに踊るし。
笑って泣いた結婚式。

「大好きな彼と一緒になれたことはこれ以上ない幸せです」
って、あの場でなかなかいえないセリフを力強く言う。
強くなったね。


あたたかくなれた。

みくろとまくろ

努めなければならないのは、自分を完成することだ。試みなければならないのは、山野のあいだに、ぽつりぽつりと光っているあのともしびたちと、心を通じあうことだ。
~『人間の土地』サン・テグジュペリ




気紛れに脇道に入ってみたり、このお店は何時頃に開いてどんな様子をしているんだろうと考えながらひたすら歩いていると自分とすべてのものが通じているような気がしてくる。街のどんな些細な光も植え込みも、自分をとりまく空気も、誰もいない静けさも。その時、一番私は自然にそこに存在しているような気がする。自分のことが一番わかるのが、こうしてあてもなく歩いているときのような気がする。

友達のそのことばが、私が踊ることに感じていることまさにそれ自体だったような気がした。
だから歩いてみた。歩いてみたくなった。

目的を持って歩いているときには感じないことがただの散歩にはたくさんあって、私が見たことのない道はたくさんあるんだなと思う。同じ道をあるいてもその日の私の気持ちによってそれはいろんな顔をみせてくれる。
私のなかの小さな細胞が宇宙に似ているように、私が日々感じるちいさなパーツは生きているなかの大きな真実とおなじなのかもしれない。
膨らんだりちぢんだりしてちゃんとそこにある、そのことに、もっと気付きたい。


散歩のあとにこの本を読んだら不思議なことに頭にすらすら入ってくる。
その都度イメージして噛み砕くことを心がけないと何度もページを行きつ戻りつしてしまっていたのに。
いまはとてもふんわりと。
鮮やかに。

毎日積もることをこうして大切に思えるように、やっとなれた。

お散歩日記。

2時間も時間が空いてしまった!
ので、職場から六本木まで歩いてみよう!のお散歩ツアー@ひとりぼっち の巻。

20:13
誰もいないオフィス街はほんとに誰もいないなー。
こんなところにホールがあるって知らなかった。
椿が咲いている。雪が降ったら白と赤とつやつやの緑が綺麗なんだろう。
東京タワーを見失わないように。

21:05
六本木はすぐに通り越してしまった。
ユーロは158円らしい。
西麻布にきて、ちょっとしたことからはまりこんだガードレールの内側。なんだここ。ガードレールは途切れない。延々と私をどこかに運んでゆこうとする。
見切りをつけてガードレールをまたぎ、反対側にわたってわかった。ここは青山墓地だ。よかった…さっき敷地にどんどん入ってゆかなくて。
左の耳が痛い。はやく千駄ケ谷の方へ行こう。



22:43
結局新宿まで歩いてきた。
すご-く長いお散歩だった。
外国でも日本でも、やっぱりどきどきは同じだな。
初めて青山あたりの素敵なお店を眺めたり(もちろんもう閉まってる)ブルーノートってここかぁ!って見つけたり。
すごーく素敵な建物をみつけた。Chloeの隣の建物。プラダだっけ?忘れちゃった。分厚い、昔の潜水艦の窓みたいな(昔の潜水艦のことなんて知らないのだけれど)ガラスに覆われていて光がすごく変わった感じに屈折して反射してる。地球の素材じゃないみたいに見える。夜見ないとわからないかもしれない。よかった。

高校の頃、よく学校から原宿図書館まで歩いた。明治通りをてくてく歩いて、途中代々木体育館を抜けたり。
だけどその道を通りたくなくて脇道をいこういこうとして結局知っている道に出てしまった。
サザンテラスのクリスピークリームドーナツはこんな時間でもまだ行列で、ひとつ買って食べ歩きしようという目論みは見事に崩れた。
新宿についてなんだかほっとした。ずいぶん長いこと歩いたような気がした。


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雨にも打たれたし体もとても冷えた。なのにおなかのなかはあったかい。

帰ったらお風呂にじっくり浸かって明日の結婚式に備えよう。

散歩にいこう


おおくのものごとを呼吸するみたいに深く感じてきた、と思っていた。
ちいさなものごとに目を留め、それがいつのまにかからだのなかの何かを呼び、動かされていると。はっきりと形にできなくてもいい。靄のようでもいちど発生したことを私のなかのどこかはきっと覚えていてくれているから。
だけど私はほんとうは何を見ていたんだろう。ほんとうに届いていたんだろうか。もしかして実はとても、鈍くて浅かったのかもしれない。
おぼろだったのは本当に私がそれをことばやかたちにすることを選ばなかったから、ただそれだけの理由だったのか?

たくさん歩いて、何かのためにではなくてただそこに馴染むように歩いて、ひらめきのように訪れる私のための真実。何かをしなくちゃいけないとかいつまでにどこに辿り着きたいとか、そんなしばりのない、ただ純粋に歩いていたから見つけることが出来た、ほんとうはずっと待っていたそのこと。横からは見ていたけど表面の色を知っていたけどその時はじめてぱかんと蓋が開いて降り掛かってきたそのこと。

まだほんの口先だけでしか語ることが出来ていないことがいっぱいあった。
そのことを素敵だと思う。
曲がれる道がたくさんあるし、見ていない葉っぱにわたしは囲まれている。

信じることにしたんだった。
一歩は立ち止まっていることよりはずうっといいし、産みたいと望めばちゃんとそこに祝福があること。

気付かされ打たれるのは、きっと変われるからなんだろう。

キムチ鍋とパペット版ムーミン

今日は12月の芝居の仲間と演出家宅でおつかれさま&新年あけおめ鍋パーティー。少し遅れていったら美味しいキムチ鍋をすでに用意してくれていて幸せ。いつものトマトジュースまで、ありがとう。
みんなで公演のビデオを観た。
いやぁ…うん、演出家に言われていたことの意味がわかった。私、現実的すぎるなー。もう少しおぼろな感じで存在できている気がしていたのに。生すぎるのは私の元気な身体のせいだろうか。もっと華奢であったならはかない感じになれたのかもしれない…。
まぁでもよしとする。踊りと芝居を合わせようとはじめに語ったところ、意図していたところからそんなに外れていないし、なにしろ結果的にとても照明に助けられて綺麗に見えたから。
Kさんのおかげです。ありがとうございました。
それから撮っていただいた写真も今日初めて手にする。まだ開いていないけどすごくどきどき。
Jさん、ありがとうございました。

一緒に稽古をする期間が短かったこともあって自分が出ないほうの芝居をちゃんと見た回数は数えるほど。なのに驚くくらいよく覚えている。
懐かしい。
1ヵ月前だなんて嘘みたい。

以前から私が狙っているムーミンのパペットアニメのDVDを流しつつ、そちらに気をとられながらぽわぽわと会話をしてとても寛いだ。帰りにまんまと忘れ物をしてきてしまうほどに。


Mちゃん、あいかわらずで楽しかったよー!なでなで。次回の集まりは、おでんでちくわぶだね。
Yくん、私で良ければ何でも相談にのるよ!(語学のこと以外!)ぜーったい楽しいから、いっといでー!
Nさん、楽しい時間をありがとう。いつも朝まで付き合えず淋しい思いをさせてごめんよー。


明日からもそれぞれ頑張って、また集まれますように。