アマヤドリ -148ページ目

ちゅんづくし/リキッド


今日はちゅんと過ごした一日でした。
昼間はうちのちびちびのちゅんと。夜はうちのみにみにちゅんと…w
って、なんのことやら。

しばらくうちに誰もいない状態が続いたから私がうちにいてちゅんは嬉しかったみたい。べったり離れない。お手洗いにもついてくる。閉鎖された空間が恐いくせに。
私がペットボトルからお水を飲めばくびをのばしてそれを飲ませろと要求する。ビスケット(オレオ)を食べれば口元をつつく。結局苦いから食べないくせにね。
たくさん遊んであげた。歌をうたってあげた。じいっと聴きながら背中を撫でさせてくれた。そして、私をじいっと見つめるとびいろの瞳。
あまりひとがいなくて淋しいときにはこの瞳をしない。もっとただの鳥になっちゃうから。
話し掛けて、落ち着いているときはこの、理性のあるまなざしをしてる。しゃきー。ピントを合わせる様子がほんとにロボットみたい。

夜はちゅん1号も一緒にB級グルメ会番外編へ。
渋谷のディープな場所にあるディープで怪しげな入り口をくぐるとちょうどいい大きさのお店が広がる。豚を堪能した。


すっと、自分のほんとうのことばで話せるっていいことだな。と思った。
私がずっと避けていたこと。
大切なシーンだけにとっておこうとして、いつでも自分はそこに還れるんだと信じていたのに、あまりにも離れすぎていつのまにか錆びついてしまっていた感覚。
逃がしたものは大きいんだけどやっと少し、歯がみしていても仕方ないと力を抜いて、ふかふかと取り戻したり得たりできるような気がしている。

案外単純だったんだなぁとも思うし、そこに含まれるものは膨大で、裏もおもても、と考えると気が遠くなったりもする。


今日読んだ本のなかに、日本人は液体で欧米人は固体だ、という表現があった。だから仲間に入るときも日本人は「まぜて」で欧米人は「join」なんだ、というようなこと。
私はものすごく液体だ、と感じる。そういう意味ではすごく日本人だ。たくさんのことを受け入れて一緒に住まわせることができるのはそういうところ。自分というものの殻が曖昧で行く手がぼんやり流れちゃうのも、そうだな、液体に似ている。
たくさんの色を混ぜて、どこにでもきちんと染み込んでいけたらいいな。
私にはそれが合っている。

横浜歩き


横浜を歩いてみた。

つくづく、影響されやすいと思う。

でも影響されていてもなかなか実行に移せないことが多いからこれはよいことだ。


もしかしたら今、影響されてやりたいことはたくさんあるのに、現時点の私にはまだ届かないことだと感じていることが降り積もってしまったのかもしれない。そんなことたちに恵まれたことはもちろん幸せなことだし何とか掴みたいと思っているから決して苦しい負担ではないのだけれど、ちょっと整理するのに時間がかかるのかもしれない。わくわくしかしてないんだけど、本当は。だって今すぐにこなさなきゃいけないことじゃなくて、しかも好きなことなんだもの。

でも今はちょっと現実逃避、なのかな。もしかしたら。

歩くことはすぐにできる。休憩にもなる。写真も撮れる。

だから自然と、選択してしまった。


横浜はあまり知らない。

おばあちゃんちがあるけれどおばあちゃんちにしかいったことがなかった。

友達が横浜のみなとみらいあたりに詳しくて夜ふらふらしてみたこともあった。

たくさんの余剰スペースがあるのは有明あたりと似ていたけれど、そこをひとが踏んでいるかどうかが違った。

ひとがいなければ街はやっぱり寂しくて、みなとみらいはそういう意味ではそんなに失敗はしていないかもしれない。(東京の埋立地や大阪の埋立地に比べたら)

…とはいえ、このあたりの今後の開発計画のことをちょっと聞いたけど、うーん。

大赤字なんじゃないだろうか。



赤レンガ倉庫。

よくダンスのイベントをやっている。

でも考えたら私、行ったことがない。


木でできた線路みたいな橋を渡ってその延長に凱旋門みたいな建物がある。

あの建物はホテルだと思うのだけれどピロティみたいになっている左右の部分、あそこには窓がなくて一体なにが詰まっているのだろうと不思議だ。贅沢な造り。空調室とか全部を集めちゃったのかな…?分からない。


赤レンガ倉庫は遠くから見るとちょっとヨーロッパみたいだった。

だからヨーロッパ風に撮ってみた。

この中に入っている「カシラ」(CASIRAだっけな)という帽子屋さん、大阪でも見かけた。男の子の帽子がわりと多いから珍しい。



大桟橋にずっと行ってみたかった。

でも大桟橋って何かしらなかった。

橋かと思っていた。巨大な橋。

でもよく話を聞いたら、はしけ、のことだった。船が着くところ。

だから桟橋って言ってるじゃないのね。「大」と「橋」しか印象に残ってないんだから。


大桟橋の麓にある古い建物のままやっている古着屋さん。壁の時計も狂ってる。

ここですごくいい匂いのお香を見つけた。こんなにみずみずしい香りのものって初めて。粉っぽくない。スパイシーすぎない。

私が買ったのは「White Ginger」と「ジャスミン」。

お店に入ってきたちっちゃな女の子が白いポンチョを着ていて可愛らしかった。

店の奥にはジーンズを縫っているお兄さんがいて、友達がお洋服のお店を出したことを思い出す。

遊びにいきたいな。



  


この船はにほんまる、と書いてあった。

ちいさい船がこうして備え付けられている。きっと急に困ったことが起きたときに備えてなんだろうけど、私にはおもちゃのヘリコプターを横付けしているようにしか見えなくてほほえましかった。

大桟橋は驚くべき造りだった。

ウッドデッキをあんなふうに曲線に張るなんてものすごい大変だっただろうな。曲線にあわせて木が色んな大きさ、形に切られている。曲線だし、スロープとか階段とか、もう気が遠くなりそう。工事屋さんは大変だっただろうなあ。


大桟橋は屋根がそんな風に面白いウッドデッキの小道と芝生に覆われているのだけれど、その下は出入国ロビーになっている。

そっか!船で、ここから外国にいくのだ。

当たり前のことなのに考えてなかった。ここはその窓口なんだ。


で、そのロビーを歩きながら天井がものすごい分厚い鉄板であることに気づく。コンクリートじゃなくて、溶接してあったから。

どうして屋根をこんな重たいものにしているんだろう?空港のように広い空間に柱がほとんどないからその意味が分からなかった。よく見ると鉄板は5センチくらいある。

歩き回って気づいたのだけれど、この鉄板は天井でもあり、梁でもあるのだった。

すごい。

デッキを張り合わせる技術や、この鉄板のやりかたは多分、普通の建築じゃない。造船技術に近いみたい。

どこがここを施工したのか調べてみよう。



     


そのまま山下公園の方まで歩く。

関内のこのあたりは可愛いCafeがたくさん。しかもオープンになったそのCafeの軒先には海の男風のおじさんがランチを食べながら煙草を吸ったりしていて、とてもいい感じ。

すんなり西洋が溶け込んでる。いち早く取り入れたからもうそれがすっかり古びて、なじんでいるから気持ちいいのだろうな。


海が見たくなったらここにくればいいんだ。



     


中華街のはじっこのビルに入って素敵な出逢いがあった。

ガラス細工なんだけど初めてあんなガラスを見た。どんなものかは、彼らのHPを今度見てみるのでその時に日記に載せます。

あまりに感動したからその小物屋さんのオーナーに教えてもらったのだけれど。

どうやって創るんだろうと不思議なのでいつか、つくっているところをみせてもらいたい。

本当に不思議に素敵なのです。


そのビルの屋上で中国茶をいただく。

花が開いていくとともに香りが漂ってきて、あたたかい日差しにもつられてそこで30分も居眠りしてしまった。

店員さんが優しい雰囲気の男の人で、きっと私のだらしない寝顔に呆れたことだろうけれど起こさないでいてくれた。

ビルの陰に太陽が隠れて少し空気が冷えて、目が覚めた。



その後は元町をぶらぶら。

もう暗くなっていたし長居はしなかった。

次はこのあたりと、もっと先の丘の方にも足を伸ばそう。

下校時間



揺れ動く影のなかに座り込むランドセルの男の子。
眩しい西日を遮りながら逃げるひとみにすべりこむ。

影はこんなにあおい色をしていたっけ。

口を突いて出て、気付いたこと



もし何かで自分の目標のところまでぽんと飛べたとしても嬉しくないかもしれない。
たとえそれがそんなに濁った道でなくても。
ひとあしとびにそこにいけても戸惑うだけだとおもうし…なにしろ私は、そこにいくてくてく歩く過程が好きなんだ。
ちくちく歩いたり寄り道したり立ち止まったり戻ってみたり…そうしていくうちにだんだん自分が変わっていくのが好き。少しでも膨らんでゆく、成長してゆく自分が楽しみなんだ。

あまりにもあたりまえなことなんだけど。

白鳥と月と


水を眺めることが増えた。

あらゆることがきつきつで空を眺めることすらなかなかできなくて救いを求めるみたいにビルの隙間から見上げていた頃があった。
揺れて流れる水の音を聞きたくて夢でだけ逢いにいった頃があった。

今私はなんて自由なんだろう。
そのことに気付いたから自由になった。
何も変わらない。それだけのことに気付くのにどれだけ時間がかかっただろう。
そしてきっと、この感覚も変化してゆく。今が完全な状態だとはとても思っていないし、その今をも、手放したような気がしてまた苦しくなるのだろう。

少し余計に歩いてお堀まで行ったら月が不安定な格好で空にぶらさがっていた。
ふたりきりでいることを感じようと思ったその時、水を白鳥が滑ってきた。
同じ感覚を保ってその2羽は静かに、私と月とのあいだに入って静けさを破った。何も音がしていないのは変わらないのになぜかよけいに空気がしんと澄む。

白鳥は月に背を向けて音を消しながら私と月の視界から去ろうとする。
私はそれを写真におさめようとして、やはり手を止める。これは私だけの景色でもいい。…いや、この蒼い音を留めておく手段はないと思ったからかもしれない。

友達なのかこいびとどうしなのかわからないけれどその2羽は月を振り向くこともしなかった。
一度も。
きっと必要がないのだろう。
私みたいにいちいち取り入れようとしないでも、すべてそれでいいのだろう。