アマヤドリ -14ページ目

memo/ロベール・ドアノー展

・パリ・ドアノー Rovert Doisneau~Paris en liberte @日本橋三越新館7Fギャラリー
10/7(火)~13(月・祝日) 10:00~19:30(最終日は17:30)



ドアノーは「パリ市庁舎前のキス」で有名な写真家。

一緒に踊っていた友達が大好きで私もつられて見に行ったら好きになった。
あたたかくてちょっとお芝居がかってるくらいの表情や瞬間がたくさん並んでいて、思わず微笑みながら会場をいったりきたりしたことを覚えている。

けれど私がほんとうにドアノーを好きになったのは雨に打たれるメリーゴーランドの写真 を見たときから。

雨の冷たさとそれに閉じ込められる小さな世界の安心。
止まった時間と、夢の残響。
たたきつける水の音、機械のアコーディオン、誰もいないホテル。
淋しさも愛情も静けさも、
今の音も過去の音も、
全部ぜんぶいっしょくたになってここにある。

いつもなんとも言えない気持ちになる。



レンズは主観的だ。この世界をあるがままに示すのではない。私が気持ちよく感じ、人々が親切で、私が受けたいと思うやさしさがある世界だ。私の写真はそんな世界が存在しうることの証明なのだ。
~ロベール・ドアノー

スクラッチ

10月からは通常に戻る。
今日から出社。
一ヶ月ぶり会社にいくから緊張したみたいでなかなか眠れなかったし朝も目覚ましの鳴る1時間くらい前から5分おきに目が覚める。寝た気がしない。
そのせいか足元がふわふわする。
会社のみなさんにどんな顔で会えばよいかわからなかったのに、みんな「おー!久しぶりだー」ってにこにこしてくれる。よかった。またがんばれる。


どんどん話をすることが下手になっている。
手探りする場所を間違っている。
息を吐ききったあとみたいにいつも不意打ちになる。
茹ですぎたおそばみたいに切れてしまう。
品切れみたいに。
それに気づくとまた怖くなって身構える。
他愛のないおしゃべりがいちばん難しいよ、って思ってるまに重要ことも語れなくなってる。


けれど気持ちのいい空。
秋が好きだ。
そろそろ金木犀のかおりを探すようになる。

夢/亀

ひどい夢。

電車のホームで4年生くらいの男の子二人がそれぞれ亀を裏返しに持っておなかに洗剤の泡を塗っていた。
亀は弱っていてそのうちしっぽのつけね辺りから血がにじんでくる。
我慢できず二人にそんなことやめなよ、と話し掛けるがふてぶてしくて全然やめてくれない。
血が出てくるのが面白いらしい。
その感覚に気分が悪くなる。

そのうち一人が革靴の底を剥ぐみたいに亀のおなかの皮をむきだした。
耐えられなくてその子の腕をつかみ電車を降りる。(いつのまにか電車に乗っていたみたい)
駅員さんにむかって「おまわりさん!」と間違って話し掛け、この子が酷いことをするからなんとかしてくださいと訴える。

男の子の手のなかの亀はもうおなかをほぼ剥がれて安いまぐろの切り身みたいな筋が見えていた。
もうこれじゃあ助からないと奥歯を噛み締める。

トゥーランドット初日終了


無事、初日が終わりました。

今日は舞台終了後にプレミエパーティーがあり、劇場の食堂でわいわい。
私は例のレトロヘアーを洗い流すためお風呂に入っていて出遅れたけれど。

演出のブロックハウスさんはなんと明日ヨーロッパへ帰ってしまうそう。
振付のマリア・クリスティーナさんも次回4日の舞台が終わったらやはり帰国してしまう。
稽古をつけてくれたひとが楽日を迎えずにいなくなってしまう経験をしたことがなかったのでとてもびっくり…それにすごく淋しい。
急にそんなこと言わないでよーって焦って一緒に写真を撮ってもらった。
今回の舞台のことをどう思っているのか、これからどんな活躍をするのか訊いてみたかった。
ありがとうは言えたけれど。

駅で友達と別れてひとりになったら急に淋しさがこみ上げてきた。
あと5日踊れるけれどそれで終わってしまうんだなあ。
舞台って時間と同じだから過ぎてしまうのがかなしい。
でも記憶だから、消えないんだけど。


電車を降りてもうコンタクトも取ってたから星も見えない真っ暗な空を見上げながら歩いて、急にコペンハーゲンを一日中歩いたことを思い出した。
自分にとって踊ることがこんなに大事なことになってしまったことや、自分をこんなところまで連れてきてしまったことがぐっと喉のところまでこみ上げてきていて、だからずっと口を閉じて泣かないように歩いてた。
しずかに孤独で、でもちっとも悲しくはなくて。
日本からも友達からも離れて、慣れないブーツで。
雪が降り積もるのとおなじ速度でどこかからだの底の方に足跡をつけて確認しているみたいだった。

日本でも外国でも同じ。
上手におしゃべりすることができない。
私の口から飛び出すことばはなんだか時々しっくりこない。
温度も色も、やわらかさも。
だけどいつもごちゃごちゃと胸の奥に絡まるやもやしたうずうずをからだから出してあげたい。

きっと私は今それを全部踊りにあずけようとしてるんだろうな。
その欲だけがある。
もしかしてかたちにならないのはことばの場合と同じかもしれないのにな。
もどかしくて、大切で、やっと誰かとを繋いでくれる。
それが今の私には、踊ることなんだろう。

+

写真はドイツから友達が送ってくれたはがきと紙着せ替え人形。
彼女は1ヶ月の夏休みプラス1ヶ月のクランケンシャインののち、本番直前のたった2時間でプレミエを覚えて踊りきったすごいひとです。
相変わらずのミラクル!って本人は笑い飛ばすかもしれないけれど、どんなに場数を踏んでいるダンサーだってこんなことがさらっと平気でできるわけじゃない。
本番をたくさん迎えても緊張しなくなるなんてことはないしひとつひとつの舞台をこなせるようになど絶対にならない。
きっとこわかっただろうな。
そんなこと考える余裕もなく「これ無理!足の皮むけちゃったし!」とか言いながら稽古したのかなー。
でもいつも絶対やりとげるんだよね。
どんなこともとにかくもがいて、最後には輝いちゃうからすごいと思っている。
あんなに細いのにどれだけエネルギーを燃やせるんだろ。
私、踊ることや舞台が好きだーなんて言ってて、甘いなあって思う。好きとか、当たり前だし。

ちょっとでもあやかりたくて、楽屋に飾った。

+

こんな長い日記を書いているのは例によって本番が終わって淋しいせいです。
いつも胸がわさわさして眠れなくなる。
今すぐ踊るか、わんわん泣くか、どっちかをしたい。
夜中だしおとなだからしないけど。


最後になりましたが、本番初日を見てくださった方、ほんとうにありがとうございました。
素敵ななにかをお届けできたならいいな。

ゲネプロ終了、明日は初日です

28日にゲネプロと呼ばれる本番と全く同じリハーサルが行われました。
お客様や関係者も見てくれるリハーサル。写真やビデオ撮りもこのときに行います。
お客様の感想が新国立劇場のHPに載っていました。→こちら
こちらのページ の右のほうからはその時の様子をムービーで一部見ていただくこともできます。

私もゲネプロには両親とお友達を呼んだのですが、楽しんでくれたようでよかった。客観的な感想を聞けたこともとても参考になりました。

コントラステに入ってから私は自分よりもずっとたくさんの舞台を踏んだ先輩に囲まれて踊ることに慣れていたのだと思う。
もうすでにかたちとして成されている世界や価値のなかに入り込んでゆき、私はその中で懸命にひとつのかがやきとして燃えてみればよかった。
そしてカンパニーの方もそれをぐんぐん吸い込んで色を変えていってくれる。
私はまるで初めて現場に当たり、ただ吸い込むことばかりしか知らないダンサーのようだったのかもしれないと思う。

けれどこのオペラの現場を経験してみて、それだけではもちろんいけなかったのだということを体感した。
ゲネプロが失敗だったわけではないけれど。
せっかく色んなダンサーが集まったのだから得意とすることも、ダメを見つめられる目もそれだけあるという利点をいかさなきゃ。

このメンバーで踊れるのはあと本番の6回だけ。
ああ、そう思うとすごく淋しい。
だってこの1ヶ月毎日顔を合わせて一緒にご飯を食べて一緒にぐだぐだしてきたんだもん。
どうして終わりごろにならないと私は本気になれないのかな。
スタートダッシュが遅くて、困る。


明日からついに本番が始まります。