アマヤドリ -13ページ目

マリアさんへの手紙


振付家のマリア・クリスティーナさんへ贈ったカード。

マリアさんは契約外の日にも日本に残って見てくれた。
一説には京都へ行くために残ったのだといううわさもあるけれどうわさということにしておこう。
それはそれとして、観に来てくれたことが嬉しいし。

その最後の日に。

これを見て「あの子たちには苦労させられたわー」って苦笑いとともに時々思い出してくれたらいいなべーっだ!

本番3日目終了、たったいちど


最初の本番を迎えてからやっと本番3日目。
随分長いことこのオペラに携わっているような気がすると同時に残るところあと3回しかないのかと思うと寂しい。

2日目の公演がとてもよいものになってお客さんの反応も良かったのに対し、3日目は平日の昼間だということも加わって中だるみしたのか、いろんなことが上滑りしているような気がした。
音楽も声も。
ダンサーたちもどこかぽかんとした隙間を感じながら演じていたんじゃないかな。
必死で取り返そうとしてもどうしてもすかすかな空気が消せない日がある。
きっとお客さんもそれを感じていたのではないかという気がする。
万全に準備をしてもこうしてぴったり満ちることができないこともあって、不思議なことにそのリズムは舞台全部を支配する。
もちろんさすがそこはプロで、大きな空隙にはならないのだけれど。

もう自分の踊るところは全部終わってあとはお客さんに挨拶をするだけという段になって私は下手袖からラストシーンを見ていた。
袖から照明に当たっている歌い手さんを見ていてふと、ここにいるひとたちはみんなこの今日しかないこれだけのことのために集まっているんだなあ、という思いにとらわれた。
この物語もつくりものだし、この舞台のうえのものも全部つくりもの。
1ヶ月という稽古を重ねて、たった6回、そのことを演じるためにここにいる。
今日見に来てくれたお客さんはもうこれっきり、この場所で逢うこともない。
今日演じたこのことは二度と再現できない。
まだ3回あるけど全てが同じじゃないから。
まるで道を歩いていて知らない誰かと一瞬すれ違ったくらいのあっというまの、なんの現実的な役に立つでもない、物語をみせるということ。
そのためだけに私たちはここにいて、そのことをみんながやり遂げようとしているんだなあ、と。
そうしたら全ての横顔の輪郭がとてもきらきら見えて、いとおしいような気持ちになった。
もしかしたら今日はうまく声がでなかったなあとか、バランスがとれずにぐらぐらしちゃったなあとかいう物思いがその頭の中につまっていたかもしれない。
でも最後までどうにか折り合いをつけてそこに立ってる。

レベランスのためにお客さんの前に立ちながら共演者や客席を全部できるだけ見回した。
笑ってるひとも神妙な顔をしているひとも表情からは心情の読み取れない人も、去ってゆく後姿も、立ったけれど扉付近で拍手をしてくれているひとも、長く頭を垂れているカラフさんも(カラフさんは今日珍しくあちこちを歩き回っていた。どんなことを考えていたんだろう)。
そうして眺めていたら急に大粒の涙がひとつだけぽろっと流れてびっくりした。
舞台上なのにどうしたんだろうと手でごしごし。

次の本番は10日。
きっといいものになるはず。

金木犀



金木犀のかおりが大好きなのでキンモクセイのかおりの香水を持っています。
芳香剤ぽくない、ほどよい甘さのやさしいかおり。

けれどやっぱり本物の金木犀には叶わない。

夏が終わって肌寒くなる頃、
あのかおりにふと出くわすのを心のどこかで待ち望む。

その年一番のその瞬間はいつも、曲がり角で迎えるように思う。





もう出会いましたか?
どんなふうに?
よかったらみなさんの今年の金木犀との初対面の瞬間を教えてください。





劇場について外の空気を吸いに行ったら今年初めての金木犀に出会えました。
建物と建物のほんの隙間に木があって、やっと逢えたような気がした。
くんくんしてるとクラウン役のジョンさんが来たので、挨拶をしてつたないことばで花のいい匂いがしない?と伝えたら、日本は香りが少ないね、フランスやイタリアではもっとすごく香るよ、と教えてくれた。
向こうのことばではポリションっていうんだって。

『frozen time 』

昨日は友達の作品を見に六本木のsuper deluxへ。
とても素敵な空間でこんな場所で踊るなんて!とまずどきどき。
オペラのリハーサルでずっと稽古をお休みしているから2ヶ月ぶりのみんなとも逢えてほっとした。
緊張させちゃうかな?と考えつつもかぶりつきで見たい!と自分の欲望を優先させてど真ん中の一番前を陣取って見てしまいました。
ごめんね裕子ちゃん。

彼女とは最初に話したときから何故だかふわっと馴染んで、なんだか仲良くなれそうなうれしい予感がした。
不思議と長く知っていていろんなことを話してきたみたいに。
それが彼女の持つ才能のひとつなんだろうなあって、だんだんわかってきたけれど。
人懐っこくて程よい距離で自分を表現する。
程よい距離で見せてくれると私も見せたいなあってつられちゃう。
その交換が自然にできることが心地いい。
作品や踊りにもそれが出ているなあと思いながら見ていた。
素直で、けれど洗練されてもいる。
大切にしている動きがあってただぽんとそれを雑に投げ出すようなことをしない。
じっくり大事にあたためてきたことが会場を包んでいた。
シュワルツで初めて舞台に上がった彼女を見たときにも思ったけれど魅せかたを知っているなあって。
どきっとさせたり光にまぎれこんだり、はっとこころに留まるラインや表情がそこここにちりばめられていた。

客席と舞台が近くてレベルも近い舞台の場合特に衣装が難しいなあといろんな公演を見てて思う。
形の美しさや質もからだとの関係も怖いくらいに見えてしまうから。
衣装もすごく綺麗だった。
似合ってたし動きを引き立ててた。
特に最初の衣装がとても好き。

音楽もよかった。
ピアノの音が柔らかくて素敵だった。
歌の方の声も優しくて。


自分には何ができるのかなあ。
新しいことをしなくてもいい。
たいせつにしてきたことに目を向けさえすればいいんだろう。

トゥーランドット2日目、馴染む準備


トゥーランドット2日目。

オペラは歌い手さんの喉のため1日とか2日おきに舞台があります。
今までこんな風に飛び石風にある本番を経験したことがなかったからすごく変な感じ。
ただでさえ2日目のマチネはどういうわけか感覚が妙に軽くて、張り詰めたものになりづらい。
意識しすぎると表面だけにテンションが集まってしまうし。
いつもよりも少し早く到着して長い一息をつき、下地を塗って髪を整えてもらいいつもよりも念入りにバーレッスンをした。
芯にみなぎるように少し強めの動きで。

暗い袖でもくもくとそれぞれがからだを作っていくこの時間が好き。
舞台の前のこの作業にはそれぞれのダンサーがこれまで何千回もしてきたレッスンや舞台経験からのエッセンスが詰まっている。
どうしたらからだが整うか、関節があたたまるか、芯が通ってくれるか。
それぞれのやり方があって見ていると楽しい。
無心のうちに流れ出す動きたちは創られた劇場ではないどこかと繋がっている。
照明の下には決して出てゆかないしんとした美しさに耳をすます。

毎日からだは驚くほど違う。
何もしていないのに重くて硬かったり、不思議と充実して何でもできそうだったり、やわらかすぎてバランスが取れなかったり。
調子が良かったら目を閉じてもっと研ぎ澄ませて行けばよい。
調子が悪いときにはあがいて探して、なんとか保とうとする。

今回はそういうことはできないのだけれど、客席でバーレッスンをするのが好き。
このときに緊張のシュミレーションとか、空間の高さに慣れたり、客席から見える自分を想像しておいたりする。
呼吸が決まってきて汗をかいたころ、自分が劇場の景色に馴染んだと感じる。
照明や天井や後ろの扉と自分。
ひかりやここの空気とか椅子の匂いとか…この空間全体のなかに自分というコマが受け入れられたような。
準備が整ったものにしか劇場はうなずいてくれない。



初日が終わったあとにインターネットで検索をかけていくつか今回の感想を読んでみた。
思ったとおりの賛否両論。
『トゥーランドット』の中に、もしかしたらそこに潜んでいるかもしれないプッチーニ自身のドラマをかけあわせた演出。
情熱やかなしみを映しとると同時にどこかチープに見えるのはブロックハウスさんのいたずらな皮肉心、なのかな。
一風変わったトゥーランドットだから色んな感想があるんだろうな。
ふふ。

今日はアンコールまでお客さんが殆ど席を立たず、あたたかく拍手を続けてくれた。
嬉しかった。