夢/地震、再会、誘拐
半分眠っている状態の夢。
地震だ、と心臓がはねて、それを落ち着けたくてじってしていたらいつのまにかそれが金縛りにかわった。
昨日金縛りみたいになっているときに部屋のドアがかちゃりと開いた音を聞いて、そしてなにかの気配が入り込んできたことを思い出してものすごく恐くなる。
その体のこわばりと金縛りが一瞬区別がつかなかった。
地震だと思っていたけれどもしかして地震ではなくて金縛りのはじめに自分がもがいただけだったかもしれない、だけど地面からのうなりが恐かったな、と思う。大きくないけれど振動に包まれた。
体がびりびりするほどだった。
体をほぐして目を覚ました。
しばらく右と左がわからなくなっていた。というより、見えているものをなぜか裏返しだと考えるのを止められない。全てを感覚的に補修しようとしてしまうから困った。
こんなのは初めての感覚。
またうとうとすると、久しぶりのひとに偶然逢う夢も見た。
夢に出てくるのも久しぶりだった。
私が訊きたいことや望んでいることはわかりやすぎるほどにわかりやすい。
弟が誘拐されていて1ヵ月帰ってきていない夢。
1ヵ月という年月でなぜかもうすっかり母も諦め気味。
私はアジトのようなところに潜入した。アジトよりも帰り道歩道がない道路をなんとか車を縫いながら歩くほうが大変で、冷や汗が出た。
弟はひょっこり戻ってきた。
桜、くすぶり
国語の教科書に載っていたさくらの色のことについてのお話。
作者はそのさくら色の染料を美しいと思って染めているひとに訊ねると、その色は花びらからとるのではなくて樹の幹からとるのだ、と言われ驚く。
鮮やかな色は先端のあの花の部分だけでしか見ることができないのに、でも実はあの薄紅色をさくら全身が内側から燃えるように作り出すのだということに、国語の授業中私も驚きしびれるように感動した。
それ以来ずっと、さくらをみるたびに連動してその感触を思い出す。
同じお話のことを友達が日記に書いていて、朝、あたたかだけれど澄んだ空気に吹かれながら通勤中のさくらの木々を眺めた。
ここらへんのさくらはまだ咲き始めていなくて、だけど蕾がうんとふくらんで丸々と高まっている。
ねじりあがった幹にはところどころ小さな割れがあったり、小枝を落とされた断面が見えるのだけれど、その部分がみずみずしく濃い紅色に染まっていた。
もしかしたらいつもさくらの幹というものはそんな色なのかもしれないけれど、その日記を読んでさくらの全身から溢れだそうとしているさくら色のことを考えていたからとりわけその色は生き生きと、新しく沸きあがったもののように思えた。
音もないごくごく静かな営みなのに、なんだか炎みたいな光やエネルギーの強さを感じる。
感じているのかただ想像してみてるだけなのか、わからないけれど。
抱き締めて耳を当てるとふつふつとその痺れを感じることができるんじゃないかな。
ふうせん、うらはら

1ヵ月ぶりの出社。
そんなことにも変に緊張して私の腕はじわじわ痺れている。いろんなところに小さな心臓があるみたいにとくとくする。
顔が、のぼせる。
緊張と、だけどうれしいのとでにこにこしてしまう。ご迷惑をおかけしました、と言っているその間も。
みんな変わっていない。
けれど私はわたしの居場所をもっときちんとつくらないといけないと思った。
ここに私の居場所がないからという意味ではなくて、きっと自分自身が宙ぶらりんだと感じているうちはこの寂しさを追い払うことができないのだろうから。
自分がしっかりしていないと自信を持つこともできない。余裕をもってふざけることも、真の気持ちで接することも、本気で悩むこともできやしない。
大切に想ってくれている人、せっかく繋がった縁、あたたかい通じ合い。
そんなものが私のまわりに溢れていて手に取るチャンスにも恵まれているのに、肝心な本人がそれに見合わないでどうする。
理想や希望をふくらませるだけじゃなくて根を生やさなきゃ。
出国のこと/20.Feb
早くから少しずつ準備をしておけばいいのに、というぎりぎり病をうらみながら、ほとんど眠らずに家を出る。詰めた荷物は少ないのにスーツケースが重くて、こんな荷物をどうやって1ヶ月もひきずってゆけるのだろうと本当に心配になる。バスにそれが積まれるとほっとし、だけどそれがまた手元に戻ってくることを考えるとほとんど恐れに近いくらいになった。
去年感じたような引き裂かれるような感覚はなかった。
初めてではないし、行く手には逢いたいひとがいる。そしてなにより誰かに忘れられてしまうと恐れる気持ちも、なかったから。
一度行ってもうなんでもできると思ったはずなのにやはり私はどうやって飛行機に乗るんだっけ、とまごまごする。何度もチケットを引っ張り出し、仕舞い、また広げて確認する。
スーツケースが重い。
筋肉痛になることを覚悟した。
チケットを出したりひっこめたりしているあいだに重要な失敗に気づく。
出発するのは20日で、到着するのも20日だった。なのに私は21日のホテルしか取っていない。
身軽な状態ならどんなに時間をかけてもホテルを探せばいいと思ったけれど、荷物の重さに気が弱くなっていた。1キロだって歩き回れるかどうか。それも、ヨーロッパの石畳を…。
不安を隠しきれないまま友達にメールを打つと、なんと友達は直接21日に予約をしているホテルに電話をしてくれ、20日の予約もしてくれた。すごい…。
これって、すごいことだなあって思う。
私は彼のように英語が話せないから躊躇してしまう気持ちはもしかして勝るのかもしれないけれど、でも多分関係ない。自分のためにすら行動を億劫がってぎりぎりまでホテルのこともほったらかしにしてきた私だから、そうして動いてくれたことがとても嬉しかった。
フライトの直前、いつもぎゅっと胸を締め付けられる。
引き裂かれるような焦り、のような高鳴りは今回は差し引かれていたけれど、それでも。
どうして桜が咲いていないのだろう、と思った。
2月に桜が咲いているはずもないのに。
それはおととしの4月、初めて外国へ旅立つ時の記憶だ。
桜を見ながら、もう誰も私の帰りを待っていてはくれないんだ、ということがかなしかった。私が帰るのは桜が散ったあとだから、桜さえ私を日本で待っていてはくれないんだ、と。
去年のヨーロッパへのフライトの時は桜の季節じゃなかった。けれど1ヶ月という時間は決定的に何かを変えてしまう、待っていてはくれないどころか、消えてしまうなにかもたくさんあるんだという予感がしていた。そして離陸の直前に、4月に飛行機の窓から見た白っぽい桜のことを思った。雨に包まれた、一緒に飛行機を見た丘のふもとに咲いている桜を。
これからずっと、成田から飛び立つたびにあの桜のことを想うんだろう。
そしてずっと、きゅっと胸をつかまれる。
行く先がどこでも、いつの季節であっても。
北海道を過ぎたあたりに海に白く光るものが無数に見えた。氷や魚の跡?波が絡まっているだけ?船はあんなに大きくない筈。
海の青さと自分との間にどのくらいの厚さの空気があるのかがよくわからない。対象物がないから距離が測れない。
だからその白いきらきらひかるものはごく浅い水の中に存在しているように見えた。
水中都市の光のように。
ずっと続く浅瀬にその都市は広がって、いつしか消えた。
ソフィア・コッポラの『マリー・アントワネット
』を機内で見た。
評判どおり、パステル色の印象の深い、可愛らしい映画だった。英語だったし多分最後の方の肝心なところでお手洗いに行ったから深いところまで分からなかったけれど。
くすんだピンクやクリーム色。明るい灰色。そんな色合いが好きだった。そのあと『エターナル・サンシャイン』をやってて、キルスティン・ダンストは綺麗になったなあ、と思う。
フランクフルト経由だったので乗り換え。
空港でメールを確認し、ホテルの予約を確認する。なんだかすごくほっとした。
そうだ、いつも旅はこうして神経を張り詰めてる。きりきり。だから手を差し伸べられるとこんなにもやわらぐ。
フランクフルトの空は立体交差点みたいにたくさんの飛行機雲が入り混じる。
ラインを作っている途中のところも、見た。
飛行機雲に入ると飛行機はがたがた揺れた。
地上が薄い靄に包まれていて良く見えないけれど、早い夕日が川や建物をピンスポットで照らすように、あらわにする。まるで中国とかベトナムとかの楼閣の中のともしびを覗いているような気持ち。
そのおき火のような灯りが移動すると、川は蛇のように近寄り、身をくねらせ、遠のく。
着陸は後ろの車輪から。
飛ぶときも降りるときも頭は上げたままなんだ。
羽根をぎゅうっとのばしてかかとで着地するところはちゅんに似ている、と思った。
1ヶ月もほったらかしにして寂しがるだろうな。覚えていてくれるかな。ちゃんと、30日経ったら帰って来るよ、とは言ったけれど。
アムスは雲が多い。
『Nine Colors』
以前インタビューの写真を撮らせていただいた安岡亜蘭さん の作品展がシブヤ西武で開催されています。
場所:美術画廊B館8階
日時:2007年3月20日(火)~3月26日(月)
参加アーティスト:安岡亜蘭 瀧下和之 阪本トクロウ 芹田紀恵 他
日本画・ミクストメディア・アクリル・・さまざまな色彩による作品が見られるそうです。
特徴的な少しふしのあるような感触の線に鮮やかでぱっと目を奪う色合いを隣り合わせ、それがどこか懐かしい、ブリキのような匂いを感じさせる絵のひと。
私は安岡さんの絵を見てそんな風に思いました。
でも実際の絵をもっとたくさんみたいから、是非足を運ぼうと思います。
