桜、くすぶり | アマヤドリ

桜、くすぶり

さくらの季節になると思い出すことがある。
国語の教科書に載っていたさくらの色のことについてのお話。

作者はそのさくら色の染料を美しいと思って染めているひとに訊ねると、その色は花びらからとるのではなくて樹の幹からとるのだ、と言われ驚く。
鮮やかな色は先端のあの花の部分だけでしか見ることができないのに、でも実はあの薄紅色をさくら全身が内側から燃えるように作り出すのだということに、国語の授業中私も驚きしびれるように感動した。
それ以来ずっと、さくらをみるたびに連動してその感触を思い出す。

同じお話のことを友達が日記に書いていて、朝、あたたかだけれど澄んだ空気に吹かれながら通勤中のさくらの木々を眺めた。
ここらへんのさくらはまだ咲き始めていなくて、だけど蕾がうんとふくらんで丸々と高まっている。
ねじりあがった幹にはところどころ小さな割れがあったり、小枝を落とされた断面が見えるのだけれど、その部分がみずみずしく濃い紅色に染まっていた。
もしかしたらいつもさくらの幹というものはそんな色なのかもしれないけれど、その日記を読んでさくらの全身から溢れだそうとしているさくら色のことを考えていたからとりわけその色は生き生きと、新しく沸きあがったもののように思えた。

音もないごくごく静かな営みなのに、なんだか炎みたいな光やエネルギーの強さを感じる。
感じているのかただ想像してみてるだけなのか、わからないけれど。

抱き締めて耳を当てるとふつふつとその痺れを感じることができるんじゃないかな。