アマヤドリ -131ページ目

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視界のすみずみまでをおおっている空は小さな爆発をおこし、いくども流れる。
一瞬を刻むようにしてそのありかを探ろうとするけれど、ひとつも、いちども、つかまえることができない。

さっきまで波は耳を洗っていたけれど深く潜ることにしたので今は静かだ。
潮の呼吸なのか、耳の底の血液のおとなのかわからない。音のすべては今見えている青い空気の流れや、よぎる鳥の羽音とはまるで無関係なのだ。
そのことをなじませてゆくと自分のからだだけがすっぽりとこの水と空気からくりぬかれたような気持ちになる。

こんなに広くまあるい空を初めて見た。
さかなはいつもこんなふうに空を感じているのだろうか。
大きすぎるものやたくさんすぎるものを見るとかなしくなるのはたったひとつだけの自分を知るからだろうか?

あおくそまってしまう、とおなかのなかがしんと冷える。
どこまでも深く足先がおちてゆくような気がする。根が底をめざすように、細く分岐しながら。
闇のなかを、冷たさをかきわけて青白くとけるように。

まるでばらばらに漂い続けているようだ。
わたしが触れているものはなに?
わたしのひとみに映るのは?
なにを語ろうとしてくちびるは震えるのか?

ちからまかせに揺すられ、なんどもなんども洗われて奪われる。
からころと音をたてる真っ白な骨になってしまう。

全部息を吐ききると、啜り哭きのようなふるえとともに慌てた空気がさしこむ。
わかってる、すぐに安心するのは無理だ。
やみくもに平面をよそおって鈍感へ陥らなくてもいい。

そのまま、
震えながら呼吸する。
たぐりよせる必要もない。
泳がせておけ。

無防備さに怯えて泣けばいい。


透明になるまで。

助手席


タクシーに乗るといつも胸がきいんとする。

赤いランプが過ぎていくのを、高速道路の丸い囲いを、みどりに光るインターの看板を眺めていると、この痛みが完全に消えることはないんだろうなぁと思う。
運転手さんが黙っていてくれれば私はいくらでも飽きずにあの残像を見つけだそうとする。
夕方にはこれをかけるんだ、と言っていた私には新しすぎてついて行けなかった曲や、なじみの交差点。

こころだけがその交差点を向こうにまがっていってしまう。
和菓子屋さんをぬけ、和食レストランをまがり、新しい道路をまっすぐ走る。

もどってこい、もどってこい。

ひとりの夕方も、ひぐらしのこえも。

ガラス、灯、金魚

この上着はからだじゅうを痛くさせる、と分かっているのにもこもこが気持ちよくてみずいろのフリースを着て寝てしまう。
もう5時すぎくらいにもこもこに押された背中が息苦しくて目が覚めた。
家族はみんな(ちゅんも)目を覚ましている。まだ布団にくるまっていられるのは私だけ。

おとといは品川で食事。
10メートルくらいの高さのガラス張りのワインサーバがあってうえの方のワインは飾りか、それとも立体駐車場のように降りてくるのかずっと考えていた。
会場にはおすもうさんのグループもいた。まだ髪の結えないくらい若い子から、小結くらいの感じのひとまで。…って、小結がなんなのかよくわからないけど。
そこはビュッフェになっていたんだけどおすもうさんだったら最初の5分で元がとれるなぁ、と頼もしい気持ちになった。

ここの水族館はプレオープンに呼んでもらっていてその時にイルカくんがまだまだ訓練中だったのだけれど、看板を読んだらまだ技がへたなようだった。
じゃああしかくんは、ばけつをうまく被れるようになったのかな。

地下に山手線の駅名が部屋名になったカラオケがあって、そこにぎゅうづめになる。
もう50歳くらいなのにコウダクミとかを歌うおじさんがいて(お世話になったひとだけど)完全に負けているなぁと思いながら私も1曲だけ歌った。

帰りのタクシーで運転手さんといろんな話をする。
外還はタクシーが安いこと、竹橋から渋谷まで、高速を使ったほうが早いし、時には安いこと。
高速道路と普通の道路との渋滞の定義の違い。
タクシーの運転手さんと話すのは楽しい。以前も東京のタクシーは人を乗せているときランプをけさなくちゃいけないけど埼玉タクシーはそうではない、とか教えてもらった。
私が言った道じゃないルートを選んで結局遠回りになった。
だけど運転手さんはきっと自分が最短ルートを通ったと思っているのだろうな。


今日は11月の舞台のリハーサルが夜からある。
六本木の金魚というショーをやる小屋のリハ室をいつも借りているのだけれど、六本木は家から遠いので帰りのことを考えると今から疲れちゃう。

久しぶりのジャズの舞台。

雨と晴れのさかいめ


雨のさかいめ、ということでかかれた文章を読んでいて私も雨と晴れとのさかいめを走ったことがあるなぁということをまた思い出した。

いっとき、姉妹かもしくはこいびとであるかのようにいつも一緒にいたありちゃんと体験したことだから小学校の3年生くらいのことだったと思う。

ありちゃんは大きな瞳の、顎の小さな女の子だった。
真っ黒の髪がいつもつやつや重たげにきらきらする瞳のうえで揺れていて、くるくるした髪の男の子のような私とは対照的だった。
大阪から転校してきて初めての日、ワンピースのチャックをあげてあげようとした私を男の子と間違えて「ちかん!」と叫んだのはこのありちゃんだ。


ありちゃんを思い出すといつもその、雨と晴れとのさかいめを走ったことを思い出す。

ふたりで遊んでいることは何だかすこし秘密みたいな甘さがあった。
あのかんじはいったい、なんだったんだろう。
たぶん、私はありちゃんの瞳のなかを覗き込むのが好きだったのだけれどそれにしても。

そんな時に襲ってきた突然のどしゃぶり。

柵のむこう、急勾配に足をとられないように雨から逃げた。
少しでも油断するとくっきりと定規で切り分けたような雨のゾーンへ入ってしまう。
芝生と土がじょじょに濡れていくにおい、
まるで神様がいたずらをしているみたいにそれは追ってきた。
雨がくっきりフチをもっていることが可笑しくて、そしてみすかされたような気持ちがそこに加わって、笑いがとまらなかった。
そのくせ全力で走っているから肺が苦しい。
心臓の、鉄のにおい。

橋のしたまで辿り着く前に雨は今度は私たちを簡単に追い越して去ってしまった。
日差しを残して。

そんなはずはないのだけれど私の記憶の中ではそのあと服の水分はあっというまにおひさまに奪われてしまった。
湯気のにおいが現実の記憶なのかどうか判然としない。


あのとき、空を見上げなかった。
見上げたら黒い雲と青い空のさかいめがみえたのかもしれない。
ずいぶん長いこと走ったような気がしたけれど橋までの距離を考えるときっと一瞬だから雲はとてもちいさかったのだろう。
だけどどうしてだか私たちはみあげることをしなかった。


あれはほんとうの時間だったのかな。
そう思うくらいに、鮮明に皮膚を叩く雨のちりちりとした痛みやありちゃんの髪のかおりを覚えている。

そして笑い声と雨おと以外にはなにも聞こえず、
ただなにかに包まれていたことも。

落とし物

今、電車の駅で
「枕の落とし物を捜索依頼されましたお客さま、窓口までおいでください」
というアナウンスがあった。

まくら…


確かにすっごく遠くまでゆくのだけれど、この電車。