アマヤドリ -127ページ目

ブレーメン/25.Feb


電車からはいろんな生きものが見える。
ヒツジの赤ちゃん、バッファローのようなもじゃもじゃ牛。
馬はたいていひとりぼっちでいる。
草に囲まれた大きな川、はね橋、朽ちた小屋。
鳥たちが巣をはって集合住宅みたいになった樹。

ドイツに入った。
もう水の都じゃない。どこまでもどこまでも、平ら。
車窓から大地を目に映していると、緩やかな波のようなうねりほどの起伏がせいぜいのところ。
この土地の下にはずっと深いところまで土や岩が根を張っているんだろうと想像する。
ヨーロッパからアジアに続く、大きくてかたい大地。


オランダのGroningenから直接スウェーデンに行きたかったのだけれど、ストックホルムまでの電車を見てみたら24時間くらいかかるようになっていた。
電車に10時間近く乗ることはもう慣れてしまったのだけれど24時間はちょっと長すぎる。
どうしよう。
この先どうしても行かなければならないところ、行きたいところをぐるぐる考えてみたけれど、途中どこかドイツで一泊するのが良さそうだった。
だから、ブレーメン。音楽隊のまち。


ブレーメンについたら雨だった。
ホテルは駅からとても近かったから(ほっとした)ちょっと濡れただけで済み、だけどもうホテルに入ったら全然動く気が起こらなくて引きこもるように本を読んだ。

このころちょっとひとりでヨーロッパにいることが不安でたまらなかった。
できることなら今すぐにでも日本に帰ってしまいたかった。
この先自分がどう動いてゆけるのかちっともわからなくなってしまった。荷物は重たいし、インターネットがないからホテルすらとれないし。

お店に行って何かを食べることを思いつけなくて、ずっと、朝ホテルで包んだサンドイッチだけで一日をしのいでいた。
ただ外に出ることが恐かった。
話せないのに勇気を振り絞って何かを訊くことも、どきどきしながらぱんぱんに何かを詰め込むことにも疲れていた。


私はドイツのプリペイド携帯を持っていて、でもそれはドイツでしか料金をチャージすることができない。
やっとチャージした携帯でSMSを送ると、すぐに友達たちが返事をくれた。
ローマ字のメッセージだけれど、なんだかほっとした。
ものすごく、ものすごく。


 


東京脱出


200705060614000.jpg 恵比寿でもんじゃ焼きを食べた。
0時を回ってから富士山にむかった。
1合半登って引き返し、6時に家について一眠り。
15時からのリハーサルに向かっている。

私も人生でたとこ勝負みたいなところがあるけれど、それ以上だ。

迷子になった。
鹿をみた。
猫くらいの大きさのなにかも目を光らせていた。

だけど富士山はちっとも見えなかった。


遠出できないGWだとあきらめていたのに、東京から100キロも離れ、地上からも1キロも離れることができた。

ほんとうによく笑った夜だった。

まもり

森をずっと走っても恐くはなかった。
幹や枝の先にはまったくひかりの届かない無のような暗がりがあるのに、全然恐いと思わなかった。
頭痛がしないから大丈夫、と思っていたのも確かだけれど、それでも、どうしてだろうとずっと考えていた。
恐さを感じる部分が鈍感なのかな。痛みやつらさを感じることに疎いように。

ふと、こいびとの部屋で眠っていてふと夜中にものすごく恐いなにかが通り過ぎてたくさん汗をかいたことを思い出した。
あのときは、私は寝呆けていてまだ自分がふにゃふにゃの状態だった。
赤ちゃんの頭のてっぺんの骨がまだ塞がっていなくて内部に通じてるように。

そうだ。
その感覚。
恐いのも、不思議なことも、私が守られるのを忘れているときなんだ。

恐くないのはあんまり曝け出しちゃうとちょっとこわいのを知ってるから。なんだな。
大丈夫なときはふたをしていられるんだ。


ときどき、感覚に耳を澄ますのにこれが邪魔だけど。

星の王子さま展



MATSUYA銀座の催事場で行われている星の王子さま展 を見に行きました。

箱根の星の王子さまミュージアムに行っているのだけれどそこでは建物の可愛さと宝探しにこころを奪われていたからもっとじっくり見よう…と思っていた。

展示の中にはセンサーで星を動かしてみたり、またたかせてみたり、といったちょっと最近風のアートとのコラボレーションもあって面白かった。
アートと呼んでよいのか分からないけれど。素敵な工作、といった雰囲気。

前TVでやはり前方からの光をさえぎる事で後ろの壁のセンサーがそれを感じ、影になるべきところを光にする、というものがコンテンポラリーアートとして紹介されていたんだけれど、なんとなくそれは科学とか実験とか図工に似ていて、なにかアートと呼ぶには抵抗があるな、と思ったことがあった。
私の中でアートとはこうあるべき!という確固たる姿が見えているわけでもないし、アートのことを堅苦しく考えてるわけでもないし…言ってみれば何でもアートだと思っているはずなんだけど。
かといって、この工作のような光の実験をなにかより下に見ているわけでももちろんない。楽しくて素敵な作品だと思ったから。
アートって呼んじゃいけないことはないけど、でも無理にアートって呼ばなくてもいいんじゃないかな、と、そんな感じ。
むずかしいな。
現代アート、と銘打ったそのTVの持っていき方が不自然だっただけかも。


この実験風のお星さまきらきらは、だけども星の王子さまに似合っていた。
程よいチープ感。程よくロマンティックで。だけどもちろん手が込んでいた。

もっといっぱい原画やお手紙がみたかったな。

サン・テグジュペリのことがじっくり知りたかったら、箱根のミュージアムに行くといいかもしれない。
そっちは楽しみながらクイズ形式で彼の事が分かるし、砂漠に駐在したときの部屋が残っていたことが感動だった。




…って、松屋から離れちゃった。


訳者の内藤濯さんがご病気だった時に役者が集まって朗読したテープを流していた。
星の王子さま役は岸田今日子だった。
彼女の声はやっぱりいいな。少年だけど、まだ性別のないかんじ。
表面に全ての感情をストレートに表すのではなくて、こころの揺れを丁寧にさぐっているみたいに聞こえる。これだ、とはっきりしたものをつかまえようとして…だけど、つかまらないことを知っているみたい。
達観?
だけれど、一方では彷徨っていて混沌の中にいる?
永遠に。

よく考えたらあんな話し方の子供はいないから、リアルではないのだけれど。
あれをきけてよかった。

ポストカードが欲しかったけれど全てに大きくロゴが入っていたからやめた。


写真はすべて、箱根の星の王子さまミュージアムに行ったときのもの。



『コーヒー&シガレッツ』

コーヒーとタバコを挟んで会話をする、その羅列。

何気ない風景なんだけどとても渋い。役者も揃ってるから、とてもお洒落で間も絶妙。
2人、または3人の会話のその間には温度差がある。コミュニケーションって、微妙な空気感なんだなぁと思う。考えてぴったりくるものじゃないし、善し悪しでもないし。
そういう意味でもちょっと苦い味の残る映画だった。

今回観たかぎりではそんなに胸に響かなかったけど、まあ、やっぱりかっこいい。
出演者をもっと知っていたら感慨深いんだろうな。


一番観たかったケイト・ブランシェットのパートが、ものすごく画像が悪くて観られなかった。

角川エンタテインメント
コーヒー & シガレッツ