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メンタルの弱い旦那
やんちゃな息子2人、老犬一匹をつれて
認知症の母と少し偏屈な父と同居開始

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先日、ケアマネの訪問日だった

 

 

 

私は仕事で不在だったため、姉と父、母の3人でお話してもらった

 

 

 

 

 

仕事から帰宅後、姉にどうだったか聞くと

 

 

「いや〜、大して話すこともなくてさ。何か話さなきゃ!って頑張っちゃった」

 

 

とのこと

 

 

 

 

最近の母は、少しずつ認知症が進行しているものの

1ヶ月で大きな変化があることもなく

現在はデイやショートも沢山利用していて何とかなっているので

特別に相談したいこともないのだ

 

 

 

 

このブログもそうだけれど

「話すことがない」 「書くことがない」

というのは、それだけ日常に大きなトラブルがないということだ

 

 

 

(とはいえ、最近ブログサボり気味でごめんなさい・・・

母も叔母も元気に過ごしてますにっこり

 

 

 

 

そんな感じだったので、話題作りの意味合いもあったのか

ケアマネさんにこんなことを聞かれたそう

 

 

「もしもの時、どうするか考えていますか?」

 

 

 

我が家の「もしもの時」というのは

父が病気や怪我で母をみられなくなったときだ

 

 

 

 

「毎日デイサービスが使えれば大丈夫」

 

 

 

と姉は答えたそうだ

 

 

 

以前、父が緊急入院したときは

 

朝、母が起きてからデイに行くまでと

夕方、デイから帰ってきた母の受け入れを私がやっていた

 

そして夜は姉が仕事帰りに我が家へ来てくれたので

父がいなくても大丈夫だった

 

 

なので、姉は今でも

母がデイサービスに行ってくれれば何とかなると考えたようだった

 

 

 

しかし、あれから2年半、だいぶ状況が変わっている

 

 

 

前は短時間なら母一人でも大丈夫だった

 

 

 

朝ごはんをテーブルの上に置いておけば

一人で食べてくれていたし

着替えも自分で出来ていた

 

 

しかし、今は無理だろう

 

 

少しでも目を離したら

何をするか分からないという不安がある

 

 

 

家にいるときは夜中でも、ずっと一緒にいてあげないと危険なことを考えると

仕事もあって、小学生の子供がいる私では荷が重い

 

 

 

父に何かあったらショートステイをフルで使いつつ

施設入所を考えなくてはいけないのではないか・・・

 

 

そんな風に考えてしまう私

 

 

 

同じ母を介護していて

お互いに状況も共有しているのに

ここまで違う考えなのだと少し驚いた

 

 

 

もしもの時になったら

私たちが何処まで時間を割けるか

どこまで介護を出来るか

 

そのときの状況を三姉妹ですり合わせて

答えを出すしかないだろう

 

 

 

 

 

私は家族全員で母を在宅介護している今の時間は

母のためというより、自分たちのためだと思っている

 

 

 

「もっと母のために何かしてあげられたのではないか」

「もっと母と一緒に過ごせば良かった」

将来そんな後悔をしないために

母と一緒の時間を過ごしているのだと

 

 

 

なので家族みんなが

 

「もう充分介護をした」

 

「母を施設に入れても後悔はしない」

 

「これ以上、家ではみれない」

 

そう思えたときが

施設に入所するときなのかなぁと思っている

 

 

 

 

「後悔しないために」

そんな風に考えながら

納得できるまで介護ができるのは

認知症の数少ないメリットかもしれない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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