宿屋のおやじ日記 -6ページ目

1084. ドタバタしている間に

何やらドタバタしている内に 二月になりました。


一昨年の夏休みのことでした。 お食事時のごあいさつに回っていて


小さなお子様に お父様、お母様の お風呂での背中流しの体験を


聞いてみましたら これが随分と少なくて 正直驚いた次第。


何せ僕自身が四十才過ぎまで たまにお風呂で父に会った時には 


子供時分からの癖で「 やろうか。」 「おう、すまんな。」 の挨拶で


当然のように 今はもういない父の背中を流していましたから ( 


これはもったいない )と思ったのですよ。


一方でこれは、お客様にとっては大きなお世話で( わずらわしい・・


・ )と感じられる方もあるはずとは十分に想像できました。


されど( これは旅先の思い出というだけではなく、ご家族にとって


大切な思い出になるはずだ。)と勝手に且つ一方的に思い込んで


信じ込んでしまったもので とにもかくにも 今日まで 親子様に


それのお願いを続けております。


「 かわいいいボク( お嬢ちゃん )がおられるんで、おじちゃん


からのお願いをひとつ聞いてもらえるかなぁ。」と話し始めますと


ほぼ百パーセント その場がシーンとなります。


「 あのね、もう一回 お父さん ( お母さん )とお風呂に入って


もらってね、その時に ゴシゴシって お背中流して差し上げて


欲しいんだけどなぁ。」って続けますと、とりあえず ご両親が「 


な~んだ。そんなことか。」ってな感じで笑われます。


すかさず「 ボク やったことある?」って聞きますと 一割くらい


の割合で 「 うん、やったよ。」  そのうちのこれまた二割程の


ご家族に「いつもやってるよ。」がつづきます。


「 あのね 最初は照れくさい。」って思うはずなんだけど 周りに


知ってるひとなんていないからね、それに泡があちらこちらに飛び


ちっても平気だからね、ぜひやってみてよ。」ってひたすら粘ります。


長すぎる挨拶もいけませんから ここ一年は淡々と話すようになり


ましたが。


とにもかくにも「 うん わかった。やってみる。」との返事をもらって


も翌朝のご出発時には 僕を避けるように車に急ぐ子供さんがいる


のを拝見したときには 「あのね 今度は おうちでやつて差し上げ


てね。」という傍ら ご両親様にも「 ぜひ 上手に誘ってあげてくだ


さい。」とお願いしております。


残念なのは 父上の方が照れられて 「 いや、お酒を飲みすぎちゃ


って寝てしまった。」という言葉は 心から残念・・・というかもったい


ないって感じますね。


「 おじちゃん、やったよ、できたよ。すげー 面白かった。」と飛び


跳ねられながら乗車される子供さんに会った時には 正直 僕の方が


こころから感動してしまいます。



いつものように 長い文になります。


以前こんなことがありました。  お子様への僕の願いを聞いて


おられた母上が ご一緒にご旅行中だったお母様、お嬢ちゃんに


とってはおばあ様の背中を流されたそうです。


翌朝 「 いい体験をさせてもらいました。 いろいろな思い出が


次々に出てきて 背中を抱いて声を出して泣いちゃいました。」と


涙を浮かべて話して下さった時には 「 やっぱり 間違っちゃ


いないのだ。いいことをしているのだ。」とこれまた一本筋が入った


ものでした。


『 親御さんの 背中流しデビュー は 当館から 』 も楽しい


フレーズですね。


またまた またまた 長文 ありがとうございました。 


ではでは、 宿屋の おやじ からでした。

1083. 葬儀まで

美容院に・・・なら良かったけれど、病院に着いた時には心肺停止状態。


ただ病院の皆様のお蔭で、とにもかくにも一日生かせてもらえて、親族


一同 肉体人間としての母への別れをさせていただけたことは幸せ


でした。


葬儀までの日に 本人の孫である ボクの娘二人が「 おばあちゃんに


お化粧していいか。」と聞いてくれて おだやかな普段の顔のまま送る


ことができました。


この・・おばあちゃん・・という呼び方にも思い出がありまして、しばし


お付き合いを・・・。


わが家では、母方の方も偶然に、昔から 両親 祖父母の呼び方は


「 お父様、お母様、おじい様 おばあ様 」 なのでした。


僕が結婚して二か月ほど過ぎたころに 二人のところに「 ちょっとお願い


が。」と訪ねてきました。



「 いずれ私にとって初孫ができると思うんだけれど、私は『 おばあ様』


より『 おばあちゃん 』って呼ばれたい。ずっとそれが願いだった。父様


にはまだ確認していないけれどたぶん反対はしないはずだからよろしく


たのむ。」という申し出でした。こちらは なんの反対理由もありませんし、


すぐに承諾した次第。


それからは 内孫 外孫 それぞれに 場所がどこであろうと 周りに誰が


いようと 笑い顔と 大仰にも思える大きなハグで孫たちを迎えたの


でした。


一方でこの父も我が家では かなりのマイペース。


長女の まどか という名はすぐに覚えてしまったのに、末娘の まき と


いう名はなかなかスマートに出しにくかったようで、


「 え~っと、ほら、あの う~んと・・・ほら『 小さいまどかさん。』・・・。」


等とのたまいて僕を爆笑させてくれていたのでした。

1082. 寒中おみまい申し上げます

またまた、またまた、また長いお休みをいただきました。


実は 昨年の十一月に母が突然に逝ってしまいました。


二年前にそれまでの一軒家に一人住まいから、客室の一つを終の棲家


として住んでほしいと懇願して引っ越してもらいました。


それからは、館内に二十四時間常に誰かの目はありますし 母の寿命


が九十なら九十歳まで、百なら百歳まで生きてもらえるものと確信して


おりましたので、なんとも残念な出来事でした。


とにもかくにも 中陰での心づもりも満ちたであろう期間が過ぎまして、


またぞろこのページに向かった次第です。


まだ大女将として元気な頃に お客様をエレベーター前までご案内して


きちんと手を差し出して 「 どうぞお客様、冷蔵庫にお入りください。」・・


・・・・しばらく お客様と大笑いをしているような・・・いろいろ過去の


ページに載せていますが・・・・そんな母でした。


いずれにしても これは我が家の順番だからと自分を納得させながら


これから書き進めます。どうぞ 気長な 気楽なお付き合いをお願い


しまして 久しぶりの投稿とさせていただきます。


どうぞどうぞ 皆様お元気に、今日も素晴らしい一日でありますように。


  山口 長門の湯本温泉、宿屋の おやじ でした。 



1081. 台風の進路

この僕の 主たる活動範囲である湯本温泉は ほとんど災害というものに


縁がなくて、雨につけかぜにつけ 各地のニュースを聞くにつけ、しみじみ


とありがたい感謝感謝の毎日です。


小学校の頃に 湯本の中央を流れる 清流 おとずれ川が増水して 橋の


橋脚に流木が巻き付き絡まりあって橋の上にまでしぶきが上がるように


なり 取り外し式の欄干が外されて通行止めになり怖い思いをしたことが


数度ばかりありましたがそれくらいの思い出ですんでおります。


消防団に入ってじきの頃 今度は その欄干を取り外す立場になって某


先輩と「 何やら 大人になった気がしますねぇ。」と笑いながら話したのも


随分と前のことになりました。


今は旅館組合の青年部、地元商工会議所の青年部などに所属する若手


やここに住まいする若い彼らが この地域の防災の守りに立ってくれて


います。

          時の流れを感じつつ しみじみとありがたいことです。


早く この台風が東のほうに逃げてくれて また穏やかな秋の空が広がり


ますように。


今日一日、また素晴らしい一日でありますように。


            すてきな出会いがありますように。  ではでは。


  山口県 長門市 湯本温泉、宿屋の おやじ でした。


                                ではでは。

1080. 杉孫七郎 子爵 展示会 最終日

山口県立博物館で「 長州ファイブより早く ヨーロッパを見た男 」という


テーマで 杉孫七郎 子爵の展示がされている・・・というのは 随分以前


から聞いていたのですがなかなか伺えず、最終日の 十四日の月曜日に


それも 後一時間で入場受付終了 という時刻に訪問できました。



子供のころから 特に祖母から「 うちの 枕水・チンスイ・という名前は


杉 孫七郎 とおっしゃる子爵様からいただいたものですよ。」と何度も


何度も聞かされておりました。



それがもとで「 分かったっちゃ、うるさいなぁ。この前にも聞いたし、


まったくもう・・・・。」とけんかの原因にもなっておりました。


ひとつには中学校時分に 辞書で 爵位を調べましたら、侯爵 公爵 


伯爵 子爵 男爵の順で 下から二番目の人だから しいて重要なことに


思えなかったのも原因のひとつでありました。


どうしても大して重要なことに感じられなかったのでした。



それが子供の PTAの手伝いで 柳井の伊藤博文公 記念館に伺い


ました時に明治政府要人・・・という拡大された写真パネルを見る機会が


ありました。


最前列の明治天皇の右隣二人目か三人目に坐っていらっしゃるでは


ありませんか。伊藤公は その隣のそのまたとなりで 端っこに近い


位置でした。


これには びっくりしまして、今までの失礼に赤面した次第。


我社にあった「 枕 水 」の額の発見のドタバタは ホームページトップ


の真ん中左あたり・・・あるいは「 980 」のページに書いていますので、


興味のおあり方はどうぞお読みになってください・・・・。


                              は、ともかく。


昨日の鑑賞で 三十四歳で 山口県令 に つまり 県知事 になられて


いるのも知りました。選挙じゃなくて 明治政府からの推挙ですから、


改めてすごい方だとしらされました。


まだいろいろありましたが 全出展り品が 寄贈されたものだとの事で


したので、また日記その他を詳細に書かれているので いずれ 我社の


御額をいつ書かれたものか、なにか 我が家で聞いていた 曰く因縁


以外の意味があるのか 調べさせていただきたい・・・と強く思いつつ


館にお暇申し上げた次第。


 なにやら 僕の日記替わりで失礼いたします。  ではでは。


今日も一日、素晴らしい一日でありますように。


            すべての皆様に素敵な出会いがありますように。

1079. 内田からの電話一報

一昨日のこと、ぺったん・・・こと内田君( 高三のクラスメートの誰もが、彼


が日本のシーカヤック界の第一人者であることを認めたがらない、ほら、


あのパリダカで死んだ・・・という噂のあった・・・、そして高三の夏休みに


ボクにコン○ームを買いに行かせる原因を作った・・・ブログ「 高校時代」


ご参照願い )から電話が入りまして フェイスブックを再開することに


いたしました。


「 お前も FBをやっちょったんじゃのう。」のコメントの後に 電話が


入りまして、またまた またまた いろんな話で盛り上がりました。


コメントの入れ方も少々不確かで 途中で送信して 訂正の仕方も


わからず二通ほどほったらかしにしていますが そのうちに きちんと


復帰するつもりです。   しばしお待ちを。


それにしても まだ長袖では あついですね。


一週間ほど前に 駅にお送りした方が「 うちは 今月いっぱいクール


ビスなんですよ。」と言われていたのが正解でしたね。


とにもかくにも 十月半ば 毎日を楽しく 明るく 過ごしましょうや。


          ではでは、 


昨日 板持界隈をジョギング中の 白沢センセ( ほら あの 深川中


の国語のセンセ・・・・湯本温泉納涼盆踊り大会では 毎年Fストリート


というバンドで盛り上げてもらう・・・ほら ご葬儀の時に「御仏に


抱かれて」を高らかに斉唱される・・・という噂の ほら あの人 ) 


から「 やぁ 」と声をかけられて うろたえた 宿屋の おやじで


ございます。           改めて       ではでは。

1078. 長門女子会・・・発行の冊子

いつどこで手に入れたのか記憶がないのですが 昨日 運転席のシートの


下にあるこの小さめの冊子を見つけて ペラペラと眺めておりました。


「 ながと女子旅ガイド 」などと時代を追いかけて、まぁ・・・と強いて興味


もわかず冷やかし半分に「 ながと女子旅企画編成会議 」編集とやらの 


一、二ページを開いて読みましたら これが意外や意外なかなか よく


できた冊子でございまして、ついには そこのサービスエリアでコーヒー


片手にじっくり読むことに相なりました。


長門市全域の観光スポットの紹介冊子なのです。


つかみが ダイビングの写真でございました。


もう七、八年前になりますか、ふとしたことで 当時のNHKの


某女性アナウンサーが「 ライセンスホルダー 」であることを知った、か,


白木屋グランドホテルの専務に教えてもらった、か、忘れちゃい


ましたが、彼と 友人のダイビングショップのオーナーと四人で青海島に


潜りに行きました。


以前から 潜水を開始する沖まで出かける途中の「 道行 」の景色と 


「 洞窟 」が人気のスポットであることは聞いていましたが まだ


僕にとって未体験エリアだったのでした。


いい天気に恵まれて、オーナーが飛び上がって喜んだ 珍しい魚にも


出会えて いい思い出になっています。


またまた おいおい 感想を続けてまいります。


ただ おいしい食事のお店のほぼ半分を知らなかった・・・のは大いに


反省しなければ、の宿屋の おやじ でございました。

1077. 1076の追伸

いつもは、思いつくまま書きっぱなしで 読み返しもしないのに、なぜか


心がざわめいて 1076を読み返しました。


つい、「 お前 」と彼が言ったように書いちゃいましたが 彼はそんな


呼び方をする奴ではなかったと はたと気が付きました。


高校までの同級生は ほぼ全員が「 ちんすい 」でいまだにそう呼ばれて


いますが、大学時代は 「 すいづ 」が半分くらいいましたかね。


この彼・・・、一つのことに熱中すると ものすごいパワーを発揮いたし


ます。


野球を知らないことをばらされて、クラスメートに笑われた後には 神宮


球場に通いつめ そのうち 「 月に向かって打て 」の大杉選手に寿司を


ごちそうになる仲になったり、ヤクルトの次には なぜか ジャイアンツ


びいきに鞍替えし、こちらもそのうち あの長嶋さんから 「 おう 田村君


。」と呼ばれて クラスメートをのけぞらせたり あの集中力には脱帽


でした。


その彼が 当時の ニコンの最高級一眼レフのカメラを 多摩川の練習場


に行くときに履くシューズと 同じボストンバッグに入れていたのでした。


「 ねーねー、このカメラ 振るとさー、ガサガサ音がするんだけれど。」と


いう質問に誰も原因が特定できず、カメラやさんで分解してもらったら 


大匙一杯ほどの砂が出てきた、という剛の者でした。


この彼が ここ数年前から 住所がわからないのです。もしどちらさまか


ご案内の方がおられましたら どうぞ ご一報くださいませ。


      
ついあれこれの思い出話にて 本日失礼いたします。

1076. ローマの休日 追加

三日後には 世田谷 上町のアパートを引き払って、伊豆熱川のホテルに


移動しなければならないという日に、田村たいじ 君という 幼稚園からの


成城学園組だろうな、というにおいがプンプンする しごく識別簡単な


同級生のマンションで飲んでおりました。


「 いよいよ。お前ともお別れか。記念にお前の好きなポスターをやるよ。」


と「 旅情 」「 旅愁 」「 ひまわり 」「 哀愁 」「 カサブランカ 」等々の


映画のポスターを部屋一面にばらまきました。


ものすごく映画界に詳しい、といいますか 母上が 高峰三枝子さんを筆頭


に銀幕の女優と親しくされていて、彼からいろいろなネタももらったり


洋画の勉強もさせてもらいましたが、彼には 貴重なものを乱雑に扱う、と


いう悪癖がありまして、「 ねー、好きなの持っていきなよ。いいからさ。」


と一言。


「 ローマの休日 」通いは 誰にも言わない僕だけの習慣で 彼も知って


はいないはずで、すかさず「 じゃあ、これもらうぞ。」と ヘップバーン


のポスターに手を出しました。


「 あはは、水津らしいなあ。わかるわかる。」とニヤニヤしたので もしや、


と少し不安になりましたが 杞憂だったみたいで、今も大切に保管して


おります。


思えば もう三十五年が経過しております。


本日ここまで。今日から三連休ですね。皆様どうぞ お元気にいらして


ください。


素敵な一日になりますように。             ではでは。

1075. 南条踊りと なぜか「 ローマの休日 」

無事に 四ケ所での奉納を終えて、当日夕方には ホテル西京さんでの


総員参加の直会・なおらい・にも参加してまいりました。


やはり若いメンバーとあれこれ話をしながら一杯やるのは いいもの


ですね。長男の同級生もそれぞれ この長門湯本に帰ってきてくれている


ようで 中には親子鷹で参加の家族もあって 少々うらやましくもあり・・・


といったところでしようか、楽しいひと時でした。


さて昨夜は久しぶりに レンタルビデオに行きまして 三十五年ぶりに


「 ローマの休日 」を鑑賞いたしました。


新宿 歌舞伎町の古い建物の二階の何とかいう・・・椅子席が30程しか


ない・・・名画座でしたかね・・・バスターキートンもここで知ってよく通った


ものですが、それはともかく ここで初めて観た時に、多くの方が思われ


たと信じますが、( この世にこんなきれいな・・・高校一年の時に感じた


天地真理さんのかわいさとは まるで別ものの・・・破壊力の違う・・・


異質の・・・美しい女性がいるのだろうか)とびっくりしましたねぇ。


現在の総合イベント情報誌と違い・・・そういえばすでに廃刊になって


しまったのでしたっけ・・・当時の「 月刊 ぴあ 」は 東京近郊の映画館


の上映情報だけが掲載されている ペラペラの雑誌でございました。


毎月購入後には 最初からとにかくこの「 ローマンホリデイ 」だけを


探し出して、同時に地図も眺めながら( たぶん僕の人生でもう二度と


来るはずもない )と確信できる千葉や埼玉のとある 独特のにおいの


映画館にかよったものでした。


受付の 左右、場内入口の周りには 任侠物のポスターや 数年前に


スタートした日活ロマンポルノ路線のものがべたべたと貼ってあり、


こりゃ ヘップバーンとは似合わないというか申し訳ないと思いつつ


その狭い窮屈な硬い椅子に陣取って 慣れないたばこをふかしながら


楽しい時間を過ごしました。


ただ一か所、彼女が理容院での長い髪をぱっさり切り落としてショート


カットになった瞬間の画面に出会うためだけのお出かけでした。


不思議なことに この名画が 東京一円で一館も上映されなかった


月は 四年間の在学中 二、三度しかなかったと思います。


ので都合 四十回はオーバーにしても 三十回前後は 彼女のためだけ


に映画館に行った 宿屋の おやじの 思い出でございました。


       ではでは、今日も素晴らしい一日になりますように。


                     素敵な出会いが ありますように。