引越し
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない。
最近、幼稚園のバスを待つ母親が集まっている時間に、ちょうどわたしは出かける。
家事の最中に出てきたのか、エプロンをしたまま、または、ジーパン姿でで小さな子を抱えたまま、
それぞれ思い思いの格好で、歩道の一部を占拠する。
笑いあいながら、寒そうに、自分の子供を待っている。
バスが滑り込み、優しそうなお姉さんに手を振られて、子供は慎重にステップを降り、地面についたとき母の元に駆け寄る。
何のこと無しに、裾に抱きつき、甘え、手をつなぐ。
わたしは、幼稚園のとき、送り迎えをされた記憶がない。
それはもしかしたら、社宅の前にバスが着き、家まで距離が無かったからかもしれない。
もしかしたら、記憶の外で、誰かが送り迎えをしてくれていたのかもしれない。
だが、記憶が無い。
少なくとも、母の姿を認め、バスから降りた記憶は、全くなく、裾にすがった感触すら、知らない。
引越しの準備中は、父はいつになく家におり、
この間は、母も兄も、わたしに対してやさしかったと思う。
当時(今もそうなのだろうか)、引っ越す人は、クラス全員に小さなお礼を配り、その代わり
サイン帳をもらったり、寄せ書きをもらったりした。
わたしは、折り紙をみんなに渡した。
寄せ書きと、みんなのプロフィールを書いたサイン帳をもらった。
母は新しい家に着いたとき、荷物を片付けつつ、言った。
「もらったもの、大切なものよね?渡しなさい」
わたしはもうちょっと眺めていたくもあり、「もうちょっと」と言った。
けれど母は許さなかった。
「大切なものはしまっておくのよ」
強くわたしを睨んで、それを取り上げた。
新しい家は、子供のわたしから見ても、キレイで、広々としていて、
昨日まで住んでいた社宅に比べれば、本で読んで、憧れた屋敷のようだった。
母は、家具一切を揃えたらしい。
同時に祖父母と同居することにもなっていたが、一階と二階にその住居は分かれており、
「お義母さんの趣味、なんとかならないかしら!!せっかく新築なのに、これじゃお客も呼べやしないわよ、
玄関には手を出すな、ってあなた言ってくださいね?!」
母が父に怒鳴っていた。
わたしの部屋、とされたそこには、見慣れないタンス、机、ベッド、
全て母の趣味で揃えられていた。
わたしの嫌いな、ピンク。
「もらったの、どこ?」
せめて、何か小さなものでも、知っているものが欲しかった。
ランドセルや筆箱は、まだほどかれていず、だとしたら、さっき渡したサイン帳などだけでも、
手にとっていたかった。
不安だった、全部身に慣れた物ではなく、
知らないところに放り込まれたような感覚だった。
母は、
「あんなの飾ったら、お部屋の雰囲気壊れるでしょ?!
これで喜ばないなんて、やっぱり、この子、変なのよね・・・・、はあ、もう、いいわ、
勝手にしなさい。せっかく揃えてあげたのに、本当、どこかおかしいんじゃないかしら」
そのまま、部屋とされたそこのドアを閉め、行ってしまう。
わたしはもじもじとそこにいた。
出て行くのも怖かった。自分のうちではないその家を勝手に歩くことが出来なかった。
怖いながら、そこにいた、
夕飯の頃、母はわたしの腕をひっぱって部屋からだし、
「おそば取ったから。
何にも手伝わないあんたの分も。
本当なら、あんた食べる資格ないのよ」
出されたそばは、わたしの大好きなとろろそばだったが、
母の言葉が引っかかって、わたしは、手をつけることが出来なかった。
母は、
「本当にふてぶてしい子ね」
とため息をついて、「いいから食べなさい!」とわたしを叱った。
引越し。
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない。
時系軸が狂うのを、お許しいただきたい。
私が小学校2年のときに、うちは引っ越した。
それまでは社宅で、ちいさな2DKだった。
引っ越す前に通っていた小学校で、
「テスト」があった。
わたしは教科書を読むのが好きな子だった、特に国語は。
故に、その「テスト」で、クラスのなか唯一、満点を取った。
何度も読んだその内容と漢字の問題、
みんなが、何故出来ないかがわからなかった、けれどわたしは黙っていた。
母に見せたとき、母は、口の端を曲げて、
「誰でも取れるんでしょう?」と言った。
「わたし、ひとりだって、先生、言った」
わたしは言った。
母はそれを丁寧にたたみ、テーブルの上に置いた。
わたしはそれを母が父に見せてくれることを願い、
「おとーさん、帰ってくる? ゼリー、食べたい」
この時、わたしはきちんとしゃべることが出来なかった。
教科書の文章が理解できたし、ともだちの言っている内容もわかっていた。
けれど、家に帰ると、単語でしか言葉をつなげなかった、
たぶん、誰が誰に、と言うことを、表明できなかったのだと思う。
怖かったから。
しばらくして、その一度返した「テスト」を、担任の先生が「持ってきて」と言った。
わたしは、プリントされたわら半紙を持って家に帰る。
母は、それを一度流し読み、連絡帳を出しなさい、と言った。
出すと、怖い顔でそこに何かを書き込み、
「これを明日もって行きなさい」
とわたしのランドセルに入れた。
翌日、それを担任に渡すと、担任は読むなり顔色が変わったのを覚えている。
「あんたのおかあさんは、なんでもしょぶんするの?」
しょぶん、処分の意味がわからなかった。
とりあえず、何を聞かれても「はい」と答えなさい、といわれていたわたしは、
「はい」と答えた。
何度かやり取りがあった、
連絡帳を介し、彼女らは何かを話し合っていた。
2、3日後の放課後、
担任に呼ばれ行くと、担任は連絡帳を渡しながら、
「あんたのお母さんに言いなさい、馬鹿お母さんって!!」
なんとなく、否定されているのだな、と思い、
「・・・・・」黙って、俯いた。
「いい?いってやんなさい、馬鹿お母さんって!!ちゃんとネジ入れてやれって!!」
意味が、理解できなかったのだ。
そのまま、かえって、母に言った。
母は、それを聞いた途端、
「あんた、お母さんは悪くない、とも言わなかったの?!」
と怒鳴った。
怖かった、
怖くて、黙っていた。
「言うでしょ、お母さんは悪くないって!!
あんた、本当にひどい子ね、お母さんがどう言われてもいいの!?」
わからなかった。
お父さんは、その頃、2,3日に一回帰ってくればいいほうだった。
お父さん、わたしは思った。
帰ってきて。
父が帰ってきたとき、
わたしは泣いたのか、すがったのか、覚えていない。
この頃から、兄が、母の前で私を殴ろうと蹴ろうと、
母は、一切止めなかった。
私が泣いて、口に血の味を感じながら、すがったときも。
「あんたが、ひどい言葉を言うからよ」
ひどい言葉。
わたしは、母の言っていることを兄に、反芻しただけだ。
書く事によって思い出す、
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない。
書く事によって、思い出す過去、
これが、私の求めていたことだろうか、と思う。
思いながら、
過去と言うものは、実証できないことだと改めて思う。
過去は、私の目を通した、私だけのフィルターを通した映像として残るものであり、
いま現在に残ってはいないのだ。
「あのとき、わたしはこう受け取った」
「そんなつもりで言ったんじゃない」
これを実証することが出来るだろうか、
どちらかの認識を改めることが出来るのだろうか。
感情で練り上げられた過去、それは人によって辛く、また人にとって他愛のないことになる。
それを確証すべき術は、どこにもない。
つい最近まで、わたしはアルコール依存症だった。
アルコールを入れると、本来言いたかったこと言える気がするからだ。
最初は、「酔った勢い」だった。
言いたいことを言っても、周りは「酔っ払いの言うこと」と許容してくれた。
ここから、依存が始まったのだと思う。
最後の方には、アルコールを飲まないと不安になり、素面で何かをするのが怖くなった。
酔ったときのわたしと、素面の私、どちらが本当かもわからなくなった。
酒は適量を守るようにしたが、素面のまま人に対するのに、まだ躊躇する時がある。
本音は酔ったときにしか言えない、という鬱屈した感情の末路は、これから、どうなるのだろう、
そう思うと不安で、いっそ大酒をあおって、だれかれかまわず、全て吐露してしまったほうがいいのではないかとも思う。
そうならないために、書くのがこのブログだ。
繰言のようだ、自分に説き聞かせる意味なのか、
わたしは、全く持って不幸ではない、とたまに呟く。
今現在、食うに困らず、五体満足だ。
それを使いこなせないわたしが怠惰なだけで、それは不幸ではなく、不実だ。
わかっている。
言訳のように聞こえてしまうと思う。
どこかに、自分を抑える感情がある。
わたしは、優等生であってはならないのだ。
常に兄が優等生の立場を得、わたしは、その下で、努力もしないできない子でなければならなかった。
ある日、親戚にもらったビーズをつなげ、ブレスレット(当時は腕輪、と思ったが)を作った。
それは、我ながら上出来で、色をグラデーションにし、それを3連にまた色合いを重ね、完成したものだった。
それをくれたおばさんにあげたくて、わたしは持っていた折り紙にキレイに包んで、
おばさんの来訪を待った。おばさんは、そう遠くなく、やってきた。
「キレイね~、ありがとう。本当にありがとうね、おばさん、いっつもつけているから」
おばさんは顔中をしわくちゃにして、幾度も幾度もそれを撫でた。
「おばさんのくれたビーズ・・・・」
わたしはそのころ、はっきりと文章を口に出来なかった。
何故だかは、当時のわたしに聞いてみないとわからないが、いまでも、同じ状況になれば、
今の自分も、きちんとしゃべれそうにないと思う。
理由はわからないが、口ごもってしまいそうに思う。
「また、キレイなのあったら持ってきてあげるからね、何色がすき?もっと大きい粒の方がいいかな?
またおばちゃんにも作ってくれるかな?おそろいで作ってくれるかな?」
わたしは嬉しくて、何度も大きく頷いた。
母は、そこで、
「お姉ちゃん、あんまり褒めないでよ、調子に乗るから」
おばさんは、ちょっと顔を歪めて
「あんまり厳しすぎるのも、ねえ・・・あんたは真面目だし一生懸命だから、わからないでもないけどね。
でも、この子、一生懸命作ってくれたのよ、もしかしたらこういう才能、伸ばしてみたら?絵、習わせてみるとか」
わたしは絵を描くのが好きだった。
だからおばさんの言葉に、おばさんに擦り寄った。代弁してくれて、うれしい、と。
母は、わたしを睨んで、
「離れなさい、おばちゃんに迷惑よ」と言い、
「あんまり言わないで、この子、お姉ちゃんがビーズくれるの知っているのよ、だからおべっか使ってんの。
わたしには一個も作らないわよ、欲しい欲しいだけなのよ、ほんと、嫌になっちゃう、叱ってるんだけどね、
ビーズ欲しいだけなのよ、ほんと、困った子」
おばちゃんは、ただ、わたしの汗ばんだ額を撫でた。
昼過ぎで、台所のやかんが明るい橙色に反射していた。
わたしの記憶力、というのは、たまに周りの人間が驚いたりするときがある。
10年前、20年前、そのときの映像が、まるで再生されるように、明瞭に脳内に浮かぶのだ。
けれど、それは大抵他人にとって都合の悪い記憶であり、敬遠されたりする。
それは限られていて、わたしの中の認証があるのか、
後で全く覚えていない過去もある。
一時、自分を多重人格かと思ったこともある。
昨日の出来事を、全く覚えていなかったりしたからだ。
これは、最近になって、思う。
辛くない過去、普通よりすこしよくできたことは、わたしの中に刻まれない。