泣くな、と言う男。
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない
今、思い出すままに書いている。
何がどうでこうなった、と言うより、こう言うことがあった、と
無制限に吐き散らしたい気分だ。
高校のとき、バイトをはじめた、
この頃、わたしは自立しようということに精一杯だった。
けれど母はバイト先に電話をかけてくる。
最初こそ、重大なことかと思った。
「お世話になっております、○子の母です」
それから始まる電話は、「醤油がないから買ってきなさい」とか、「今日はごはんないから、買ってきなさい」
と言うような内容だった。
「やめてくれ」とわたしは言った。
「一応仕事してるんだから、くだらないことで電話しないで」
母は、ケラケラと笑い、
「たかがバイトでしょう?お母さんが挨拶しなきゃいけないものなのよ?
あんたが変なことしてないか、親として聞かなきゃいけないでしょう
それとも何?
聞かれたくないことでもあるの?」
「そうじゃないけど・・・・」
「じゃあ、なに?困るわけでもあるの?」母は笑った。
「でも、お仕事の邪魔・・・・」
母は腹を抱えて笑った。
「お仕事!?・・・・・
お仕事!!、
あんたが言える立場じゃないでしょ?!やあだ、ほんと知ったかぶって・・・
子供のあんたにわかりっこないくせに!!
なにわかった口きいてんの?
こっちが恥かしくなるわ~」
母は心からおかしいようだった。
わたしは、
何も、いえなかった。
愛されるとは?
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない。
またも時系軸が狂う。
高校を卒業する前に始めたバイトが、思いのほかしっくりと来た。
このバイトするに、店長と言う人は私を褒め、至らないところを指摘し、直したときにはまた褒めてくれた。
わたしのために言ってくれている、と思った。
母の言い分は、当時のわたしを混乱させていた。
例えば、夜遅くなることに母は尋常ではなく、わたしを叱った。
けれどそれは、彼女のそうしなければならない、という思い込みであったのではないかと思う。
結局のところ、彼女はわたしが帰ってこなかろうと、面倒くさいと言う前提のまま親としての任務をこなそうとしていただけで、
彼女の意思ではなかった、と言うことだ。
要は、心配でたまらないのではなく、こういう場合、そういうのが親であろう、と言う思い込み。
実際、彼女は心配するでしょう、と言いながらも、帰ると、まことすやすやと眠っていた。
中学に入る直前から、高校に入る前まで、わたしはテレビを禁止された。
いわく、兄の大学受験の邪魔になる、と言う理由で。
特にテレビが好きであった訳ではなかったので、支障はなかったが、
ただ、周りの子たちにテレビの話題でついていけないのが、悲しかった。
父はこの頃、いま考えるに多分、愛人が居たのだと思う。
あまり家にいず、時に母は、わたしに会社へ電話をかけるように言った。
「父がお世話になっております、っていうのよ、お手数掛けます、っていうの、わかった?!」
小学校4年になるかならないかの頃。
わたしはあごを覆うような受話器を抱えて、
「○○といいます、おとうさん、いますか?」
母に脇をつねられた。
「お世話になっています」
電話に出た人は、微笑ましいように笑い、「お父さん、さっき、かえりましたよ」と言った。
ありがとうございました、と電話を切ると、母が眉を三角にして怒っていた。
「おとうさん、じゃないでしょ!?父、でしょ!?ったく恥かしい。
まともに敬語も使えないなんて・・・・」
母は本当にわたしを憎たらしいように睨んだ。
敬語も使えないなんて・・
不出来な子で、ごめんなさい、とわたしは思った。
父は、電話をしてから6時間しない頃に帰ってきた。
その週のある日、父が朝から家にいた。
その頃、まだ粗大ゴミは曜日指定で、予約、費用一切いらなかった。
わたしは粗大ゴミ、と言う意味を知らず、大体、ゴミ、と言う言葉を何となく聞き流していたころだ。
なぜなら、母は屑篭、屑、と言い習わしていた。
わたしは屑=ゴミと即、理解できないでいた。
「今日は粗大ゴミの日だから・・・・、お父さん、これ」
母が言った。
父は面倒くさそうに、
「・・・・」
寝返りを打った。
母は、ふと笑顔になると、私に用意したカルピスを眺めながら、
「お父さん、起こしてきなさい。粗大ゴミにしちゃうわよって」
わたしは逆らえなかったのもあるが、特に何も考えず、とことこと父のところに行き、
「粗大ゴミにして捨てちゃうよ」
と囁いた。
父は私を抱き寄せて、「こらあ!!」と嬉しそうに言った。
「きゃあ!!」とわたしは喜び、捕まえようとしながら、父は起きた。
母は父に朝食の用意をしながら、
笑い転げる私を捕まえ、
「お父さんは、粗大ゴミだって言いなさい、喜ぶのよ」と囁いた。
「お父さん、粗大ゴミ」
わたしは信じて、そう言った。
兄が続けた、
「お父さん、粗大ゴミだ!」
母は「そうねえ、粗大ゴミね」と微笑んだ。
父はわたしの目をしっかりと見ながら、
「お父さん、粗大ゴミかな?」と言った。
わたしはその表情に、母の顔をちら、と見た。母は微笑んで頷いた。
「うん」
父は、その日から帰ってこなくなった。
わたしが会社に電話をすると、
「お父さんとこ、くるかい?」とばかり言った。
母は、「会社に行ったって、あんたつまんないだけよ、帰ってきて、といいなさい」と説き伏せた。
「かえってきて」
「帰ってきて欲しいの?」
「うん」
「お母さんは、なんと言っている?」
ここで、今のわたしは、なんと馬鹿なんだろうと思う。
わたしは正直に、
「そういいなさいって言ってる」
「そうか・・・・・」
父は、この後2、3年に及ぶ時間、家に帰ってはこなかった。
母の思う子供。
この話は、事実に基づいたフィクションである。
もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、
申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。
これは、私の過去の清算の意味以外になく、
誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。
ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、
繰り返す、これは事実ではない。
私の話では、ない。
引っ越して、天候の挨拶も終えた頃、
簡単なテストがあった、同じ市内での引越しだったからか、同じ教科書で、
前小学校では履修済みの項目ばかりだった。
ほぼ満点だった。
転校先の担任は、思いっきり褒めてくれた
(多分一刻も早くクラスに慣れて欲しいと言う配慮もあったと思う。)
その頃のわたしには、そんなに褒めてくれることが新鮮で、心の底から嬉しかった。
家に帰って、返してもらった答案をテーブルに置いた。
この時小学2年生で、兄は中学に入っており、部活だかで家にいない。
しばらくして、母が帰ってきた。
テーブルの上に置かれた答案を手に取り、ゆっくりとそれをみた。
「ふーん・・すごいじゃない」
母が、わたしの頭をなでた。
わたしは、それがとても嬉しくて、嬉しくて
べんきょう、しようと思った。
全部でいい点を取れば、母は褒めてくれる、と思った。
わたしの部屋、とされたそこは淋しくて、台所には母がおり、暖房がつけられていた。
褒めてくれたことで、わたしは有頂天にもなっていた。
だから、夕飯の用意をする母の横で、教科書を読んでいた。
「勉強してるの?」と母が聞くのに、笑顔で、一生懸命頷いた。
「もう、ここ、読んだ」
教科書の数十ページを残したところをさすと、
母は、「そう」とだけ言った。
わたしは続けて読もうとした。
そこで、母は急に、
「もう、邪魔なのよご飯の用意してるのよお母さんは!!
そんなところで遊んでられたら、邪魔なのよ!!」
「べんきょう・・・・」
わたしは母に遊び、と言われたことに遊びじゃない、と訴えたかった。
ごめんなさい、今手伝います、と言える子供だったらよかったのだろうか。
わたしは、母に褒められたことが重要だった。もっと褒められたかった。
べんきょう、と言ったわたしに母は、
「片付けなさい!!」と言った。
「わざとらしい、ちょっと褒められたくらいで慌てて勉強して見せるところが嫌なのよ!!」
「ほんと、調子がいいんだから、お父さんだってね、そういってたわよ」
母は、見事に憎たらしそうな顔だった。
困ったような悲しいような、ゆがめた顔だった。
わたしは、二度と母の前で勉強することはなかった
あてつけではなく、ただ単に、母にそう受け取られるのが悲しかっただけだ。
これは後に、大きな理由ともなる。