普通の子供と、アダルトチルドレン
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確信。

この話は、事実に基づいたフィクションである。


もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、

申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。


これは、私の過去の清算の意味以外になく、

誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。


ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、


繰り返す、これは事実ではない。


私の話では、ない




ずいぶんと間が空いてしまったもので、

過去に随伴して思い出すには、それなりの時間を消費するようだ、

12歳から19歳まで、その19歳の一年をここのところずっと思い返しては解釈しなおし、

また新しい目で、と思いながら何度も反芻しながら

そのころの私の感情をまた経験し、何度でも同じ答えになる、と諦観するにいたる。






兄が救急車を呼んだのは、経験によるものだと思う。

以前に、兄が殴ったとき、ちょうど私はタンスの横にあった雑誌置きに激突し、

目を強く打った。

目の前が真っ赤になり、ただただ涙があふれた。

帰ってきた父が見たのは、両手で目を押さえて痛みに泣き叫ぶ私と、

呆然とした母と兄だった。


母は、「大丈夫よ、きっと」と言い、

自身も呆然としながら、事の重大さに震えていた兄を庇っていたところだった。

「女の子なのに・・・あとに残ったら・・・」

と同情するように私を見ていたところだった。


父は無言でその場を離れ、電話のある台所に行った。


私はその間、助かったような、このまま発見されずにいて欲しかったような、

複雑な気分でいた。

母は、呆然と「あなた、あなた、娘が」と突然半狂乱になったようにわめき始め、

兄は、黙って涙をこぼす。

白々しい、と当時の私が言葉を知っていたなら、そうはき捨てたものを。


彼らは、呆然と私を見ていたのだ、

父が来たとたん、慌てて取り繕うように、騒ぎ始めた。

私は血の色に染まっている半目の視界と、まともな視界とで、彼らを見ていた。



兄が呼んだ救急車に乗せられるところから、

私の記憶は非常にあいまいだった。

胃洗浄しますからね、と言われうなずいたが、余りの苦しさに、理不尽なものを感じた。

放っておいてくれればよかったのに。


白い、と印象に残っている部屋で、母は、神経質そうに眉を寄せていた。

何かに怒っているときに必ず見せる表情だった。

「このことは、」

母はいい、一瞬舌を噛むように見せ(これも怒ったとき特有の母の癖である)

「お父さんには、言わないから」


私は黙っていた。

この母の、一部のからくりがわかったような気がした。

恩着せがましく娘を育て、娘を否定してでしか、持てない母親という自覚。

母であるからには、娘を支配する立場でなければ彼女自身自分の価値を認められなかったか、

あるいは、何がしかのストレス、今の私のような柔らかな不幸に、彼女自身方向を見失っていただけかもしれない



ただ、それこそ私の不幸だった。

抜け出せる、と人はいう。

考え方を変えれば、見方を変えれば。


母は、私にとって母だったのだ。

他の人が言う、愛してやまない母像ではない、それが私の母だった。


愛してやまない母でないのは、ただひとえに「いけない子」だからだ、

と思ってすごした二十何年かを、

ずっとすべてだと思ってきた視界を、簡単に塗り替えられるものだろうか?


今でも思い出す、

半面が血の色で、半面が、兄を庇う母だった。





核心

この話は、事実に基づいたフィクションである。


もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、

申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。


これは、私の過去の清算の意味以外になく、

誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。


ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、


繰り返す、これは事実ではない。


私の話では、ない







書いていながら、一つ思い出すごとに、わたしは改めて傷つくことに気がついた。

ここ何回か、飲んで、神経を麻痺させながら書いている。


幸せだ、と人は言うのだ、私のことを。

わがままだ、と。


けれど、わたしはそうは思わない。

幸せだと感じられない自分は、

何が幸せなのかもわからない自分は、

なにをどうしたらそう感じるのかを知らないわたしは、


不幸なのかもしれない、と思う。




五体満足が幸せの術だとは思わない。

そうでなくても、幸せはきっとあるのだから。


むしろ、困らぬ程度に持っていながら、それを持て余している方が

場合によっては、解決できない。



人からは恵まれていると言われ、

誰から見ても困ることない生活。


これが不幸であると?




わかっている、

自分がきっと甘えているのだ、

わかっている。


けれどわたしは辛い。


辛くて仕方ない。



こんなのが幸せだと言われるくらいなら。




そう言う目に合ったことがないからだ、

とよく言われる。

あなたの捨て身な態度は、なくしたことがない故だ、と。


違う。



そう思われることが、一番に辛い。

むしろ、無くしてしまいたい。




兄が亡くなったとき、

当時家を出ていた私が一番に思ったのは、

「ああ、とうとうやったか」とそれだけだった。



兄は苦しんだと聞く。

最後の最後、ベッドの上で、腰が痛い腰が痛い、とうめいたそうだ。

母は、「変な格好で寝ているからよ」と叱った、と言っていた。

そのままじゃ汗で汚いから、お風呂に入りなさい、とも。


兄はお風呂場で、ピンク色の嘔吐をし、

ダイニングの椅子に激突し、

それでも、救急車を拒んだ、と言う。




これにはわたしは覚えがある。

私が以前大量の安定剤を飲んだとき、吐いて吐いて止まらなかったとき、

母は、もうろうとする意識の中でただ叫んでいた。


「どうするの、仕事行くの?!休めるの?!いいの?!仕事は?!」

その声がわんわんと頭の中で響き、

病院に着き、胃洗浄をされているときも、何度もこだました。


救急車を呼んだのは、兄だったらしい。

母は、最後まで、「単なる食中毒かもしれないから!」ととめていた、と


あとで兄は笑った。


認めて

この話は、事実に基づいたフィクションである。


もし、なんらかの理由で予期せずこのページを開いてしまった方には、

申し訳ないが、即座に閲覧をやめることをおすすめする。


これは、私の過去の清算の意味以外になく、

誰かに不要な感情を持たせるつもりはない。


ここで公表するに自分自身が救われるだけだ、


繰り返す、これは事実ではない。


私の話では、ない




話は戻る。


兄に殴られる、これは日常茶飯事で、

彼は妹であるわたしを、人だとは思ってなかったんじゃないだろうか?

小学校に入って2年めに、引っ越したとき、

彼は中学校で、体も大きくとても対抗できるような相手ではない、とわたしは思っていた。


母は、見て見ぬ振りをしていた。

多分、自分にとばっちりを食らうのがいやだったのではないかと思う。

兄に嫌われるのがこの母にとっては何よりも避けたいことだったのかと思う。


殴られて、泣いて逃げ回る私を見ないかのように、

母はアイロンをかけていた。

掛け終わると、丁寧にそれをしまい、長いことタンスのほうを向いたまま、

振り向きはしなかった。

父が帰るまで、わたしは自分の部屋とされたところに逃げ込んで、引きづり出され、

兄の気の済むまで殴られ続けた。


正直、殴られることは、当たり前のように思ってしまっており、

母親が怒らない=なにかどこかに原因があるのだと思っていた、

母は一度も私を庇わなかった。


そうは考えながら、どこかでこの兄を殺してやりたい、と思い、


ある日、部屋の前に画鋲を撒いておいた。

兄が入ってきたら、これで進めないだろうと、思ったのだ。


結果、兄は病院に行き、

母は、わたしをカウンセリングに連れて行った。

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