専門学校の演劇科に通っていた頃、当時付き合っていた彼と別れ、どっぷり落ち込んでいた時期があった。
あれは何の授業だっただろう。
演劇論、演技実習だったかな。
授業中、心ここにあらずで、落ち込みと投げやりが同居した態度を講師の先生から叱責された。
よほど私の様子がおかしかったのだろう。
先生は授業終わりに、少し話をしようかと私を近くの喫茶店へ連れて行った。
先生は、鋭いまなざしの矍鑠とした女性で、当時70歳くらいだっただろうか。
普段の精神状態だったら、あの厳しいまなざしが自分に注がれると考えただけでおののき、ましてや喫茶店で向き合う勇気などなかったと思う。
飲み物を注文すると、先生は私におかしな様子のわけをたずねた。
私は問われるまま、付き合っていた彼に振られたことをぼそぼそと話した。
20歳そこそこの娘の恋愛話など、大人から見たら噴飯ものだったに違いない。
けれど先生は真剣なまなざしで、時に頷き、時に詳しく問いながら聞いてくれた。
そして聞き終わると、
「おまえが振られたんだろう?それは良かったじゃないか」
と言った。
え?
...振られて、良かった
...良かったって、なに
理解できずに言葉を失う私に、先生は、
「傷つけられた人間の傷は時間で癒える。けれど誰かを傷つけた人間は、傷つけてしまったことをずっと抱えて生きていくんだ。傷つけた人間の傷は深い。だからおまえは振られて良かったじゃないか」
と仰った。
よくわからなかった。
傷つけられた方がつらいに決まってる、そう思った。
けれど、人生経験の少ない浅はかな反論を躊躇うような、その時の私にはどうしたってわからない境地のような、悲しみ、苦しみ、別れ、たくさんの人生経験を積んだ人の発する深い言葉のように思えた。
時々あの日のことを思い出す。