もしあなたが
高い高い塔の上に
閉じ込められていて

通信手段が何もなくて
助けを呼びたいそんな時
今の自分の状況をどうやって知らせるでしょう。

まずは窓から大きく身を乗り出し
手を振って「ここにいるよ」を表現するでしょう。

そして大きな声を出して助けを求めるでしょう。

私たちは究極の事態に持てる全て使って
自分を助けようとするではないですか。

からだを使うことと声を出す事は
人間にとって最終手段だと思うんです。



昨年から、声を出すお仕事の方々とコラボをさせていただいています。

4月20日の岩手開催の
ダンスとボイスのコラボレーションの
講師に来ていただく


恐怖に耐えて暮らした12年
大切にしているものを壊されたり、捨てられたり、心が崩壊しかけて、離婚
いよいよ自分の生活を取り戻
歌を歌う機会に恵まれた彼女は
こんなふうに感じました。

「何年かぶりに歌を、声を、思いっきり出したとき、
その振動を体に感じ、頭がしびれ、体の細胞という細胞が振動し、歓喜に震えると言う事はこういうことかと
冷たく無言で固まっていた細胞たちが
やっと息を吹き返したかのように
血が通っていくのがわかりました

囚われの身だった彼女が
自分の声で自分を救い出した瞬間です。

平和に暮らしているだけでは、人は
本当の意味で自分を取り戻してはいないと感じます。

声が教えてくれた。
本当の生きる喜び。

その彼女はそんな辛い経験をしたとは思えないほど、太陽のように明るく、母のような包容力を持つ素敵な女性です💖



さて、岩手大祭といえば、

もう1人大切な人がいます。

主催の小泉志保さんです。


なぜ私がこのコラボワークを

岩手でやらせてほしいと

お願いしたかと言うと

彼女の生い立ちに関係がありました。


しほさんは子供の時に

実のお母さんが精神病を患うと言う経験をしています。

小さな弟さんや妹さんの面倒を見ながら

大切なお母さんが明日はどうなってしまうのか、これからの生活はどうなってしまうのか、不安でいっぱいな幼少時代を過ごします。


そんな彼女は今

幼児教育室などで、子供たちやお母さんの心を癒しながらいろんな活動しています

会った人は、必ず彼女の明るくて、優しい姿に癒されてます。


私は不思議でならなかったんです。

なぜなら

そんな幼少期を過ごしてきたのに、

彼女は親を恨んでいないし

とても明るく面倒見の良い人です。

どうしてそんなふうになれたのか聞いたことがあります。


辛かった時

寂しかった時

どんなふうに自分を慰めていたの?

彼女は教えてくれました。


うたを歌っていた、と



少女は安心の源となるお母さんに頼ることができない寂しいとき

不安な日々も

歌うことで、自分を保ってきたのです。

歌うことで

自分を救ってきたうちの1人だったんです。


私はこのお二人と、そこに集う皆さんで

大切な空間を作りたかったんです。




高い高い塔、と言うのは

あくまで象徴。


人は皆何かに、誰かにとらわれて

救いを求めているのではないでしょうか



いろんな状況のために、

自分を守るために

閉じ込めたのもあなた

だから

救い出せるのもあなたしかいないんです。


道具は何も入りません。

その囚われから

解き放たれ

生身の命を感じたときに


あなたの中に何が見えるのでしょう


上手に歌うためのクラスではありません。

きれいに踊るためのクラスでもありません。




ダンスは満席

ボイスはあと2名ご参加可能です。


お問い合わせお申し込みは

こちらから


高橋智恵子公式LINE




子供のとき
写真を撮られるのが嫌いで
いつも写真は膨れっ面でした

いつしか
笑顔で人を喜ばせることを覚えて
楽しくなくても笑うようになり

辛い時も笑って
誤魔化すことを覚えて

笑顔に隠れて
生きていた時もありました。


伝えることに一生懸命になっていた
ある日

ふと振り向いたら
そこには
たくさんの笑顔がありました。




死んでもいいくらい幸せだと
思った瞬間

あなたの人生に
テーマをつけるとしたら
何ですか?



私の人生のテーマは
色んな意味で
「笑顔」です。




先日
布施明さんのコンサートに行って来ました。

シャンソンを習っていた期間にYouTubeなどで見て
ファンになって10年

感じたことです。




もちろんコンサートは素晴らしくて
言うまでもありませんが

いくつになっても青年のように美しい声。
歌だけじゃありません。
すごく踊る布施さん
リズム感がピカイチ
トークで笑わせて
お芝居もありました。

歌手歴60年になるそうです。
私が生まれた頃からプロとして歌ってらっしゃる
それなのに
本当に努力を惜しまない。

お客様を喜ばせるためにたくさんの努力をしてらっしゃることを伺えました。

今回
舞台の上の1人のアーティストをずっと見続けて
コンサートの最中にふと思ったのですが

昨年の秋にとあるアーティストのコンサートに行きました。

あの時と何かが違う…

アーティストの素晴らしさはを比べるものではなく
そのコンサートには
大きなスクリーンがありました。

今私たちは、スクリーンや映像を見ることにとても慣れてしまっていて
最近の映像の中では必ずと言っていいほど歌には歌詞が表示されています。

アーティストが見えにくいとき
大きなスクリーンに映像が流れていて

それはとても便利なのですが、
向こう側に行ってるから見えないと思ってスクリーンを見ているのに
いつの間にか目の前に来ていても、スクリーンを見続けてしまうことに何度も気がついて

なんてもったいないことをしてるんだろうって言う気持ちになったり
歌詞が表示されていると
ずっと文字を追ってしまって
歌を聴いてるのか文字を追ってるのか
ちょっと疑問に思った時がありました。

それに比べて
布施さんのコンサートは
スクリーンも字幕もありませんでした。
そうなると1人の人をじーっと見続けるわけで
そして歌声に
その言葉や姿に集中するんですよね。

なんだか
これってものすごく違う!

字幕が出てないって
そのアーティストから受け取るものが
受け取る量がすごく違うかも!と感じました。

パンフレットの中に
布施さんの文章があり

「AIは人の心に訴うことができるか?」

「生き様で訴えるのがミュージシャン」

と言うコラムというか
エッセイのようなものがありました。



私たちは今便利な時代に生きていて
よく注意して聞かなくても聞き取れなくても、文字を読めばいいし
今目の前にいなくても姿が見える世界に生きていますが

例えば歌詞の意味がちょっと不明瞭でも
遠くてはっきり見えなくても、
それを感じようとする力があるはず。

便利な代わりに
いろんな力を使わないでいるのだと。

今回のコンサートでは
生き様
佇まい
刹那
思想
今の自分
見えないもの
などを

強く感じさせていただきました。

何度も感動の涙があふれた
素晴らしいコンサートでした。



*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*


「もう充分やったじゃないか
なぜまだやるのだ」と
思われるかもしれませんが
やりきっていないのです」
お話しされていました。



とても励まされました。




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