私は秋田出身で、珍しくも地元で

フラメンコのカンテ(歌)

を15年ほど続けているのですが、

何でフラメンコを歌うようになったのか❓

の経緯を書きたいと思います。



(昨年秋、名古屋でプロの方と共演のチャレンジ)


小学4年生の夏

夜の猪苗代スキー場のステージにてプロの長嶺ヤス子さん率いるフラメンコのステージがあって、なぜかそれに母が子ども達を連れて行ってくれたんです。(普段はお金もないし遊びに出歩くことなんて一切無かったんです)

 長嶺ヤス子さん以外は全てスペイン人でした。

それが私のフラメンコとの出会いです。

ずーっと心の中にフラメンコへの憧れがありました。

秋田の進学校に入ったら、やりたいこと何でもやらせてあげると母に言われ、それが目当てで高校に合格!

それならおねがい!と

「東京にフラメンコを習いに行きたい」

と言ったけど、何言ってんだか!と速攻却下。勉強なんかさらさらやる気になれませんでした。 

なんとか大学生になり、バンドのサークルに入った私はバンドのボーカルとして活動。

当日は珍しいファンク、ソウル、ACIDJAZZをやっていたので、ソロライブをやるほど珍しがられていました。

 ところが大学4年の時、

なんと母の口から

「やりたかったフラメンコがやっと秋田でできるよ❗️」

と、カルチャースクールにフラメンコのクラスを見つけて教えてくれたんです。私よりも喜んでいるようでした。

 習い始めたのも束の間、私の妊娠が発覚。妊婦になった私はもちろん、フラメンコを踊ることを諦めました。

 予想外の妊娠結婚。途中仙台に転勤。もともと付き合って間もなく結婚した相手とは最初から上手く行かず、もちろん、バンド活動も否定的、仙台に行ってからは歌うことを禁じられました。

日々怒った顔で、欠点を責められ会話もない日々。

「私が我慢すればいい」

「私が至らないから怒られるんだ」

と、12年間、恐怖に怯えて暮らします。私が大切にしているものを壊されたり投げられたり捨てられたり、心が崩壊しかけ、もう耐えられない。国外に逃げよう。と、スペイン語を習い始めていました。

初めて私が意を決して自分の辛さをぶちまけ決定的な夫婦喧嘩があり結婚生活に終止符。親が迎えに来て

子ども2人と私は実家に連れ帰らせられました。

 すると、大学時代からのバンド仲間が、待ってたよ!と。早くまた一緒にやりたかったよ!と声をかけてくれて


 そのための練習をしようと何年かぶりに歌を、声を、思い切り出した時、その振動を身体で感じ、頭が痺れ、身体の細胞という細胞が振動し、

歓喜で震えるというとはこういうことかと。冷たく無言で固まっていた細胞たちが、やっと息を吹き返したかのように血が通っていくのが分かりました。涙が溢れて流れて流れて、私はこんなにも歌いたかったんだと初めて認識しました。自分の声を身体に響かせることが、こんなにも身体を喜ばせるんだと初めて知りました。

喜びと感謝と生きてることを感じてわんわん泣いてました。


そうして始まった実家シングルマザー生活ですが、これがまた地獄でして…。

朝1から罵声で起こされ、私は仕事に行く、ヘトヘトで帰ってくるとずーっと母の愚痴、朝から溜まった鍋類を含めた茶碗の洗い物、(うちの母は料理早いし美味しいけどめちゃくちゃ周りを汚しまくる)それ全部綺麗にして米研ぎまでしないと罵声、夜中まで子どもたちや父への愚痴。

仕事があるからと途中で切り上げて部屋に行っても追いかけてきて気がすむまで話し続ける。それから、私は持ち帰りの仕事をするのです。。

休みの日くらい眠っていたくても、朝1から罵声で起こされ、休みの日くらい家のことやりやがれ‼️とシンデレラよろしくこき使われます。

(母なりの正義だったんでしょう)


歌うことだけが私が私でいられる時間でした。

 

そんな時、「フラメンコのライブをスパニッシュナイトと言ってやってるよ!」と妹が。

なんと‼️

妹の彼氏が経営しているお店でスパニッシュナイトという日を月に1回設けてるとのこと。

それはぜひ行ってみたい!

と顔を出すと、

なんと‼️(2回目)

私のバンドのギター君が、そこでギターを弾いていました!ギターくんと知り合いだと知った踊り子さんが、

なんと‼️(3回目)

「踊りの伴唱してくれる人を探してるの。フラメンコ歌ってくれないか?」フラメンコ歌ったこともないし!不安がよぎりましたが、あれ?私、スペイン語習ってたな…。

そう、なんと‼️(4回目)

仙台で国外逃亡しようとしてスペイン語習ってた!もしかして、歌えるかもしれない。

これが、フラメンコの歌を歌うようになった経緯です。

(ふー、長かった)


(2023年9月、直近の秋田でのステージ)


歌い始めて知ったことは、

ロマ、ジプシーから始まったフラメンコは歌が最初だったので、歌詞の内容が

自分たちのお金の無い暮らし、迫害された苦しみ、何くそで生きてる、自分たちのルーツを誇りに小さいことを幸せにして生きてる、みたいな内容なんです。

私の抱える苦しみととても重なり、私はフラメンコを歌うことで、普段口にはできない

葛藤や悲しみを吐き出すことができて、救われていたと思います。