先日
布施明さんのコンサートに行って来ました。

シャンソンを習っていた期間にYouTubeなどで見て
ファンになって10年

感じたことです。




もちろんコンサートは素晴らしくて
言うまでもありませんが

いくつになっても青年のように美しい声。
歌だけじゃありません。
すごく踊る布施さん
リズム感がピカイチ
トークで笑わせて
お芝居もありました。

歌手歴60年になるそうです。
私が生まれた頃からプロとして歌ってらっしゃる
それなのに
本当に努力を惜しまない。

お客様を喜ばせるためにたくさんの努力をしてらっしゃることを伺えました。

今回
舞台の上の1人のアーティストをずっと見続けて
コンサートの最中にふと思ったのですが

昨年の秋にとあるアーティストのコンサートに行きました。

あの時と何かが違う…

アーティストの素晴らしさはを比べるものではなく
そのコンサートには
大きなスクリーンがありました。

今私たちは、スクリーンや映像を見ることにとても慣れてしまっていて
最近の映像の中では必ずと言っていいほど歌には歌詞が表示されています。

アーティストが見えにくいとき
大きなスクリーンに映像が流れていて

それはとても便利なのですが、
向こう側に行ってるから見えないと思ってスクリーンを見ているのに
いつの間にか目の前に来ていても、スクリーンを見続けてしまうことに何度も気がついて

なんてもったいないことをしてるんだろうって言う気持ちになったり
歌詞が表示されていると
ずっと文字を追ってしまって
歌を聴いてるのか文字を追ってるのか
ちょっと疑問に思った時がありました。

それに比べて
布施さんのコンサートは
スクリーンも字幕もありませんでした。
そうなると1人の人をじーっと見続けるわけで
そして歌声に
その言葉や姿に集中するんですよね。

なんだか
これってものすごく違う!

字幕が出てないって
そのアーティストから受け取るものが
受け取る量がすごく違うかも!と感じました。

パンフレットの中に
布施さんの文章があり

「AIは人の心に訴うことができるか?」

「生き様で訴えるのがミュージシャン」

と言うコラムというか
エッセイのようなものがありました。



私たちは今便利な時代に生きていて
よく注意して聞かなくても聞き取れなくても、文字を読めばいいし
今目の前にいなくても姿が見える世界に生きていますが

例えば歌詞の意味がちょっと不明瞭でも
遠くてはっきり見えなくても、
それを感じようとする力があるはず。

便利な代わりに
いろんな力を使わないでいるのだと。

今回のコンサートでは
生き様
佇まい
刹那
思想
今の自分
見えないもの
などを

強く感じさせていただきました。

何度も感動の涙があふれた
素晴らしいコンサートでした。



*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*


「もう充分やったじゃないか
なぜまだやるのだ」と
思われるかもしれませんが
やりきっていないのです」
お話しされていました。



とても励まされました。




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