翻訳の話です。
このたび、単独訳として10作目、共訳を合わせると15作目の訳書が刊行されました。わたしの翻訳家としてのキャリアは熊本(山鹿)生活と同時スタート(16年前)なので、ほぼ1年に1作のペースで刊行されている計算になります。
でも実際は、最初の数年間は3年に1作くらいのゆるーーいペースで、自らを「翻訳家」と名乗ることさえ躊躇する状況でした。1年に2〜3作ほど手がけさせていただくようになったのはここ最近の話です。
ということで、そろそろここで、「田舎で出版翻訳のしごとをすること」について、ちょこっと書いてみたいと思います。もしかしたらこれを読まれている方に、出版翻訳をやりたいという田舎暮らしの方がいらっしゃるかもしれませんし、わたしの経験談が少しはお役に立つかもしれません。そうでなくても、ここいらで今の自分が翻訳について思っていることをまとめておくのも、後々役に立つかも、という目論見もあります。
今の時代は、むかしと違って、田舎にいても出版翻訳のしごとをするのは十分に可能です。出版社さんや翻訳会社さんとはメールや宅配便でやりとりできます。翻訳に必要な資料は、書店や図書館以外に、ある程度はネットで入手することも可能です。訳文はワードで、原書や校正はPDFでやりとりし、下手したら紙資料をいっさい使わずに翻訳作業を終えることもあります。
それでも、しごとは結局ヒトとヒトとのやりとり。東京にいらっしゃるほかの翻訳者さんたちを差し置いて田舎暮らしのわたしがコンスタントにおしごとをいただくには、出版社さんや翻訳会社さんにとってなんらかのメリットが必要でしょう。でないと、顔が見えない遠くにいる人間に好き好んでおしごとを振ってくださるとは思えません。
ちなみに、わたしはとくに翻訳の才能があるわけではなく、翻訳者としてはごくごく十人前の腕前だと自認しています。そんなわたしが、このおしごとを細々とでも続けていける理由は? そこを探ることが、田舎暮らしで出版翻訳者を目指しているどなたかの参考になるかもしれません。
1)締め切りを守る。
……「当たり前だろ」とツッコまれそうですね……すみません。でも、田舎暮らしだからこそ、これは最重要ポイントだとわたしは思います。「どうせあちらは余裕をもったスケジュールを組んでるんでしょ」などとタカをくくらず(大御所の方ならそれも可能なのでしょうけれど)、指定された締め切りはきちっと守るのがマナーだと思います、とりわけ、こちらの顔が見えにくいだけに。
2)しごとの選り好みをしない。
たとえば、「小説を読むのが好きだから、小説を翻訳したい。ノンフィクションや実用書はちょっと……」などと、選り好みはしません。自分がやりたい翻訳と、自分が向いている翻訳って、意外とちがっていたりするものです。それに、どんな翻訳にも楽しさがあり、発見があり、学びがあるので、選り好みするのはもったいないです。ただし、どうしても苦手なものがあれば(わたしの場合は数学関係)それはきちんと明らかにしておいたほうが、まわりにご迷惑をかけないという点でよいかもしれません。
3)リーディングをどんどんやる。
リーディングとは、原書を読んでレジュメを書くしごとです。作者プロフィール、あらすじ、章ごとの概要、所感、現地での評価などを、A4で5〜10枚程度(出版社によって異なる)にまとめます。出版社の編集者さんは基本的に原文が読めないので、翻訳者のレジュメを参考にして、その本を自社で出版したいか、つまり翻訳権(版権)を取るかどうかを決めます。基本的に、翻訳が決まったら、リーディングをした翻訳者が優先的に翻訳できます(例外もあります)。ただし、翻訳がしたいからって、レジュメを「盛る」のはNG。実際に翻訳すればウソはバレますし、そうしたらもう信用してもらえなくなっちゃいますしね。もしその本がおもしろくないと思ったら、正直に所感にそう書きます。
リーディング(つまりレジュメ提出)の締め切りは、平均して10日〜2週間後くらいですが、場合によっては「至急、1週間でお願い!」と言われることも。正直、そうとう厳しいです(苦笑)。1日3時間睡眠でくたくたになって仕上げたけれど結局翻訳には至らなかった、ということもザラです。ちなみにリーディングの報酬は、1作につき0円からコンビニバイト1日分くらいまで(あくまで目安)。翻訳が決まった場合は翻訳料に含まれるので0円が基本です。時給換算したらまったく割に合いません。
それでもリーディングをどんどんやったほうがいい理由は、力がつくからです。リーディングは翻訳者にとって筋トレのようなもの(自論です)。1冊の本を読んでその内容をまとめるなんて、最初は「そんなの1カ月あってもできないよ!」と絶望するのですが(15年前のわたし)、慣れると不思議とできるようになっちゃう。原書を読む力、理解する力、それを日本語にして書く力が、やればやるほど確実にアップします。自分に力がついたのを実感するのは楽しいです(その点も、筋トレ好きの人とメンタリティが似ているかも)。それに、リーディングほど1冊の本にみっちり取り組む作業はありません。濃密な読書、という感じ。わたしもこれまで何十回とリーディングをしてきましたが、おもしろかった内容は今でもハッキリ覚えています。本を読むのが好きなら、リーディングも好きになれるはずです。
ちなみにリーディングは、翻訳会社さんや出版社さんから依頼されるのが一般的ですが、自分で読んでおもしろかった原書をレジュメにして売り込むことも可能です。まだ翻訳会社さんにも出版社さんにもツテがない、という方はチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
4)本をよく読む。
自分の専門の外国語の本(わたしの場合はフランス語)はもちろん、日本語の本もなるべくたくさん、いろいろなジャンルの本を読むとよいようです。
5)自分の訳文に固執しない。
話に聞くところでは、翻訳者さんのなかには、自分の訳文を編集者さんに直されるのを嫌がる人がいるようです。でも、訳文は直してもらってなんぼのもの。自分だけの狭い視野で考えた訳文を、新しい視点でブラッシュアップしてもらうのは喜ぶべきことです。それに、編集者さんはこれまで何百、何千という本を扱ってきた百戦錬磨の方たちばかり。日本人読者にとってどういう文章が読みやすいか、どういう訳文が望ましいか、自分なんかよりずーーっとよくわかっていらっしゃる。ただしその上で「でもやっぱりここはこうだよなあ」と思う点があれば、それはきちんと先方にわかるようにお伝えする。編集者さんは、自分の我を通すために訳文を直しているのではなく、よい本を作るために直してくださっているのですから、翻訳者の意見が正しいと納得されれば、すぐに採用してくださいます。よい本を作るために、翻訳者としての自分の役割は何か、を頭に入れながら常にしごとをするのがよいような気がします。
ちなみに「だって原文にそう書いてあるんです」という言い訳は最悪だと、わたしは思っています。ふつうの人が読んだ時にその訳文の意味がわかりにくいのなら、それは訳文に問題があるケースがほとんどです。読んで理解できない訳文は、商品として不完全です。あらゆる書き言葉は、一文ごと、単語ごとに、必ずそこに存在する「意味」があります。その「意味」というか「意義」を、翻訳者は、その本全体から、段落から、その一文から読みとって、しっかり伝えなくてはいけないのだと、わたしは思います。
6)調べものはとことんする。
たぶん、翻訳をやっていると、自然とそういう「体質」になっていくようです(笑)。できることはなるべくやらないと気持ちが悪い。たとえば、かつてトマトの収穫と加工のシーン(原書でおよそ5ページ分)を訳す際、実際の現場を知らなかったわたしは、YouTubeで関連映像を見るのに丸1日費やしました。あるイタリアの田舎の博物館の展示の内容の描写を訳すためには(原書で5行分)、その町の公式サイトから個人ブログに至るまで、半日かけて写真や文章(Google翻訳に頼りながら)をチェックしました。あるファンタジー作品に着想を得たシーン(原書で数行分)を訳すためには、その作品のシリーズ映画7本を観たり、小説6冊を読んだりしました。地球の起源をテーマにした作品の時は、基礎知識がなさすぎて(涙)、訳す作業より膨大な資料を読むための時間のほうがはるかに長かったです。実在する街が舞台になっている場合は、ストリートビューが非常に役立ちます(ホント、助かってます、Googleさん)。
7)翻訳を好きでいつづける。
翻訳に限らず、どんなしごとでもそうだと思いますが、しごとの8割以上は苦しいです。しかも出版不況の今の時代、翻訳書が重版されることはめったにないので、出版翻訳だけで食べていくのはかなり厳しい(ベストセラーが出て儲かった人は氷山の一角の上から1mm程度でしょう)。それでもやりつづけるには、好きではないと無理です。わたしにとっての翻訳は、ゲームやパズルみたいなもの。ピタッとハマった時の快感が忘れられない。そのためにはうんうん言って苦しみますし、1行訳すのに数時間かかることもあるのですが、ずーっと、ずーーーっと考えていると、突然「降りてくる」こともあったりして(いや、ホントに)、それもまた大きな快感のひとつです。何より、著者や登場人物になりきることができる楽しさ。ノッてくると「わたしが著者だ」みたいな、憑依した状態になります。文章で「演じる」気分を味わえるのです。それは、小説だろうが、ノンフィクションだろうが、レシピ本だろうが、変わりません。
ということで、15作目はこちらのレシピ本でした。これもまた楽しいおしごとでした。編集者さんがとても情熱と理解のある方で、やりとりをさせていただくのが楽しかったです。本当にきちんと作れるかどうか、試作までされたそうですよ。携わったすべての人による「よい本を作ろう」という思いが結集された本だと思います。よかったら、書店で手にとってみてください。
あ、なんだか後半は「田舎暮らし」には関係なくなってしまったような(恥)。
ちなみに、アカデミックな場でフランス語の勉強をまったくしていないわたしは(学校で仏語や仏文を専攻したことがない)、恩師から翻訳のノウハウをすべて学びました。わたしの恩師の翻訳教室には通信講座もあります。これからフランス語の出版翻訳をやりたいという田舎暮らしの方に、ぜひともオススメいたします。