後編〉金沢弾丸旅〜②お茶屋遊び | 【ブログ】裏千家 シュミネ茶道教室 || 大阪・心斎橋 || 西田宗佳

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令和4年(2022年)6月7日:投稿

 
…に続き、こちらは
後編〉金沢弾丸旅~②お茶屋遊び」 です。
 
まだ日の暮れない18時頃、Kボンたちに連れられて、金沢のお茶屋街の一つ「主計町」にやってきました。
「主計」と書いて「かずえ」と読むそうです。
 
主計町(かずえまち)について
 
(この画像・解説文はともにネットから拝借)
明治時代に入って、ひがし茶屋街の前身の「東の廓」が満杯になったことで、新たな旦那衆の遊びの場として、浅野川沿いに形成されました。ひがし茶屋街、にし茶屋街とともに金沢の三茶屋街のひとつに数えられています。

「ひがし茶屋街」「にし茶屋街」ときて、なぜ「主計町」だけ方角が付いていないのかというと、藩政期に公許された「ひがし」と「にし」は、周囲を塀で囲まれた “廓(くるわ)” として発足しました。そして、金沢城からの方角によって「東の廓」と「西の廓」に区分けされました。主計町が花街となったのは明治に入ってからで、その頃には花街の周囲を塀で囲む制度が廃止されていたことから、町名で呼ばれるようになりました。

主計町は、江戸時代の初頭に加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことにちなんで名付けられました。風情のある町名は1970年に尾張町2丁目に編入されましたが、由緒ある町名を復活させたいという機運の高まりを受けて、1999年に主計町の名前が復活しました。旧町名の復活は全国で初めてのことでした。

 
主計町のお茶屋「み笑」さんへ
 
Kボンとケンちゃんと、ここでもうお一方、S太さんが合流しました。
 
 
今年の4月にオープンされたばかりのお茶屋「み笑」さん。一階がバーカウンターで、二階がお座敷になっています。
今日はこちらの二階から、目の前の浅野川をゆく「灯篭流し」が見れるとのことで楽しみです。
 
 
二階のお座敷に上がると、鮮やかなコバルトブルーの壁と赤いべんがらの壁、金色の扇面屏風が何とも華やか。関西とは違う文化を感じます。まずは一献で、金沢の宴の始まり。
 
 
床の花には、蛍袋・下野(シモツケ)・コバノズイナ。お酒を冷やす氷鉢にも花のあしらいが。
 
 
地方のお姉さんは、こちら「み笑」の「笑弥」さん(主計町)、舞は芸妓の「七葉」さん(ひがし茶屋街)。
 
 
 
 
鮮やかな群青色と赤い弁柄の壁
 
このお座敷の青い壁と赤いべんがらの壁、さっき昼間に兼六園の「成巽閣」で見た、「群青の間」と同じです。調べてみると、金沢の伝統的な日本建築のようで、お客様をお迎えする座敷にはこういった塗り壁が施されるんだって。関西の文化しか知らないから、何でも興味深くとても新鮮に感じます。
 
(↓ネットの解説文より拝借)

金沢の伝統的な日本建築では、お客様をお迎えする座敷には弁柄色や群青色など華やかな色の塗り壁が施されています。華やかな色を用いたお座敷はひがし茶屋街の茶屋建築や兼六園の成巽閣、武家屋敷街の野村家など市内にて公開されている観光施設だけでなく、様々な場所でふれることができます。

青色は合成されたウルトラマリンブルーという顔料で、ウルトラマリンは海外から輸入された化学顔料のおそらく最初期のものらしい。

(↑兼六園・成巽閣「群青の間」・写真はネットから拝借)

 

 金沢灯篭流し

 
浅野川の灯篭流しを、お茶屋さんの二階から眺めるのがこの旅の目的でもありました。
川沿いに人だかりができ、暗くなってまだかまだかと待ちかねていたら、ゆったりと時間をかけて灯篭が大橋の下をくぐって流れてきました。
 
 
 
 
 
灯篭を見るために、座敷の明かりを落としてロウソクに。
 
 
 
今回からLEDの灯篭になってしまったと聞いたので、どんな感じかと思いましたが、風情あって綺麗でした。
 
 
これまでは火を灯して流していたそうですが、2018年に開催された灯篭流しでは火事が発生し、1200コの灯篭のうち半分の600コが川面で密集し激しく燃えたそう。その後はコロナにも見舞われ中止が続き、今回からはLEDの灯篭で復活したとのことです。
 
(↑写真は2018年当時のネットニュース記事から拝借しました)
 
 
金沢のお茶屋遊びは「お座敷太鼓」で
 
灯篭を見物したあと、金沢のお茶屋遊び名物、太鼓を鑑賞。
 
 
(↓ネットの解説文より拝借)
お座敷太鼓
金沢の芸妓さんはお座敷で太鼓の芸を披露します。この「お座敷太鼓」は金沢独特の芸で、大太鼓と締太鼓が対で、三味線の音に合わせて演奏します。かつてこのお座敷太鼓を習いに足繁く通ったお客さんがいたことから「散財太鼓」と呼ばれています。今でもお座敷では芸妓さんと一緒に太鼓を叩くこともできます。ちゃんと叩き方を教えてくれます。
 
 
そのあとみんなで太鼓の手解き受けましたが、これがなかなか難しい(汗)
七葉さんが「ドンドン・ツクツクツ・ドン、オーヤ!」と間を取って誘導してくれはるんやけど、私は一番下手くそでした。
「ドンツク・ドンツク・ドン、オーヤ!」がまだ頭から離れません。
 

 
主計町からひがし茶屋街へ
 
夜も更けた頃、お座敷を降りて、次のお店は七葉さんの所属する「ひがし茶屋街」の「照葉」さんへ。歩ける距離なので、ぶらぶらとお散歩しながら移動します。
 
 
金沢の観光スポットとして有名なこの「ひがし茶屋街」ですが、夜は静かで古都の風情が漂っています。時折どこかのお座敷から太鼓が聞こえてきて、いい感じ。
 
 
 
「照葉」さんで飲んだあと、また主計町の「み笑」さんに”ただいま~”と帰ってきて、今度は1階のバーカウンターで。
 
 
祇園もそうですが、お茶屋さんのバーはどこも素敵。
 
 
 
深夜になって、Kボンたちはここから本領発揮。さらにもう一軒歩いてバーに行ったけどもうその名前さえ分からず、夜中1時半頃私はお眠になって、この4軒目で離脱。お別れしてタクシーでホテルに帰りましたが、みんなはさらに次のお店5軒目に行ってはりました。恐るべし。
 
 
夜明けとともに、大阪へ帰る
 
夜中の2時にようやくホテルにチャックインした私は、シャワーを浴びて早速帰り支度。夜中3時から2時間だけ寝て、寝間着Tシャツのまま早朝5時半にはチェックアウト。滞在時間はたったの3時間半…。駅直結のホテルだったので、すぐに金沢駅にスタンバイできて助かりました。
 
 
始発の5:35には乗れず、2本目の6:07発のサンダーバードで大阪へ。
 
 
なんとかギリで9時半には心斎橋の教室に到着し、夕方まで稽古をこなして事なきを得ました。
ドタバタの24時間でしたが、久しぶりに冒険ができて楽しかったです。
いつも豪快に世界を広げてくれる悪友・Kボン、何から何までお相伴に預かり、ほんまおおきに。
 

短い滞在でしたが、金沢の文化を肌で感じた弾丸旅でした♪

 
 

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