【ブログ】シュミネ茶道教室(裏千家) ~大阪・心斎橋

【ブログ】シュミネ茶道教室(裏千家) ~大阪・心斎橋

心斎橋駅上がってスグの、「シュミネ茶道教室」のブログです。
活動日記、お稽古内容の補足、深く掘り下げたい茶の湯の勉強など、地道に学んでもらえるよう、生徒の皆さん向けに徒然書いています。
~ 西田 宗佳 ~


テーマ:
皆さん、こんにちは! シュミネ茶道教室の西田です。
毎日猛暑が続いていますー晴れ
 
さてそんな中、茶友と今年3月にオープンした中之島 香雪美術館に行ってまいりました。
旧フェスティバルホールの建物が、新しく「フェスティバルシティ」として生まれ変わり、高さ200mの超高層ツインタワーとなって、新たな中之島のランドマークとなっています。
中之島香雪美術館は、そのウェストタワーの4F。神戸・御影の歴史ある本館の香雪美術館(旧・村山邸)とはガラッと違う、都会的な雰囲気です。
今週のブログは、そのお出かけ日記と、茶人・香雪(=村山龍平)のご紹介を。
(少し長くなってしまいます。ご興味があればお付き合いを)
 
 
 
(~美術館のホームページ・挨拶文より~)
 

公益財団法人香雪美術館は、開館45周年を記念し、神戸市東灘区御影の本館に次ぐ2館目の美術館として、「中之島香雪美術館」を2018年3月21日にオープンいたします。

香雪美術館は、朝日新聞社の創業者である村山龍平(1850~1933年)が収集した日本と東アジアの古い時代の美術品を所蔵している美術館です。刀剣・武具、仏教美術、書跡、近世絵画、茶道具など、多岐にわたる収集品を紹介し、あわせて、日本の文化財を守ろうとした村山龍平の想いを伝えてまいります。

 
 
なぜ中之島のフェスティバルタワーに二つ目の香雪美術館が?
それもそのはず、ここは朝日新聞発祥の地である大阪本社であり、それを創業した村山龍平こそ、「香雪」その人なのです
美術館運営主体である「公益財団法人香雪美術館」は、株式会社朝日新聞社の発行済み株式の10%(2008年9月時点)を保有する第5位の、また朝日放送の7%(2010年6月時点)を保有する第3位の、テレビ朝日の同5%(2010年9月時点)を保有する第3位の大株主でもあるそうです。
 
村山龍平が活躍したのは明治ですが、2015年の朝の連続ドラマ「あさがきた」でも有名になった、大阪の豪商「加島屋」の「広岡浅子」(あさちゃん)や、「五代友厚」(五代さま)と時代を同じくし、同じ中之島でご近所さんということもあり親交があったようです。
 
明治から昭和初期にかけては、財界からたくさんの「近代茶人」が生まれ、彼らはこぞって美術品や道具を収集し、実際にそれを使って茶会を催し、文化的にもビジネス的にも交流を広げました。
今ほど流儀の(家元制の)茶が主体だったわけではなく、流派の宗匠に付いて稽古する一方で、仲間内で(すごい道具を使って)自由に自宅の茶会に招き合いました。今の時代でいうゴルフ接待みたいなもんでしょうか…。
結果的にそれが、数々の名品が海外などに離散せず、財閥のもとに大切に維持管理され、私たちの時代ではそれを美術館というところで拝めることになりました。
 
 
*村山邸(御影)の茶室「玄庵」(げんなん)
 
近代茶人が財を投じて凝ったのは道具だけではなく、茶室の造営にも執念を傾けました。
旧村山家の邸宅が現在は神戸・御影の香雪美術館になっていますが、そこには「玄庵」(げんなん)という三畳台目(相伴席付)のお茶室があります。香雪(村山龍平)は藪内流の茶をしていたため、これは藪内流家元の茶室燕庵」(えんなん)の忠実な写しです。薮内家では、伝来の茶室「燕庵」を写して建てることは相伝を得た人だけが許される定めになっており、村山邸に燕庵写しが建てられたのは破格の扱いでした。
 
(↑香雪美術館のホームページより、玄庵の写真拝借)
 
↓中之島香雪美術館の売りの一つが、御影にある「玄庵」の復元茶室(実寸大)
屋内でライトアップされ、しかも背景がスクリーンというのは、なんだかやはり撮影セットのようです(´_`。)
今回うちの教室改装をしてくださる田尻工務店さんが、この復元「玄庵」の扁額(へんがく=写真の屋根にある看板)を用意されたそうです。
 
 
 
 
*村山龍平(むらやま・りょうへい)について
 
村山龍平は、朝日新聞社長、茶人、美術コレクター、の他にも、衆議院議員や大阪府・市会議員の経歴もあり、何といっても高校野球を創設した人でもあります。第一回大会では羽織袴姿にて開会式の始球式を務め、以来、高校野球といえば朝日新聞、となりました。
(開幕試合の始球式って、朝日新聞社のヘリコプターからボールを投下するって、知ってました?! 私も知りませんでした…)
 
(↓~香雪美術館のホームページより~)
 

香雪美術館の「香雪」は、所蔵品の多くを蒐集した村山龍平(むらやま・りょうへい)の号です。

村山龍平は嘉永3年(1850)、紀州徳川藩の支藩、伊勢田丸の城下(現在の三重県度会郡玉城町)で藩士の長男に生まれました。明治4年(1871)には大阪に移り住み、翌5年に西洋雑貨を商う「田丸屋」を開業します。

西南の役を境に世情も落ち着き始め、明治12年(1879)1月、龍平29才の時に「朝日新聞」を創刊。以後、共同経営者の上野理一らとともに発展に尽力し、日本を代表する新聞に育てました。

美術にも深い関心を寄せ、岡倉天心達の主宰する美術雑誌「國華」の経営も引き受けています。開国後、多くの価値ある美術品が海外へと流出し始めると、それを食い止めたいという思いから美術品の蒐集に力を注ぎました。刀剣にはじまり、仏画、墨蹟、古筆などの名品の多くを大正に入るまでに集めました。

 

 

朝日新聞を創刊後、村山龍平は実業家達との茶の湯の交遊を通じ、近代の数寄者に名を連ねます。修めたのは藪内流の茶道。当初、藪内節庵に師事し、やがて竹翠(藪内家10代)、竹窓(同11代)について研鑽、「玄庵」の号を許されました。明治35年(1902)、朝日新聞の村山龍平、上野理一、藤田組の藤田伝三郎が発起人となり、大阪の実業界を中心に茶の湯の会「十八会」が生まれます。財閥の住友吉左衛門、豪商の殿村平右衛門、白鶴の嘉納治兵衛らの計18名が参加しました。こうした数寄者達は、蒐集の名物道具を取り合わせて互いに茶会を開きました。

昭和8年(1933)、龍平翁が84歳で没するにあたり、竹窓家元から免許皆伝の証が贈られ、村山紹龍の名を得ています。このように茶の湯に深く心を染めたため、蒐集の茶道具にも数多くの名品が含まれています。

 

  
 
(↓~ウィキペディアより・抜粋~)
 

明治11年(1878)7月に大阪商法会議所(大阪商工会議所の前身)の最初の議員に選ばれる。

明治12(1879)年に朝日新聞の創刊に参加。

明治24年(1891)に第一回衆議院議員に初当選。以後、通算三期務めた。その他、大阪府会議員、大阪市会議員などを歴任。

昭和8年(1933)に84歳で死去。

 
朝日新聞社長時代に、全国中等学校優勝野球大会(現・全国高等学校野球選手権大会)の創設を決断、第一回大会では羽織袴姿にて開会式の始球式を務めた。日本の高校野球発展の礎となった夏の甲子園大会創設の功績が讃えられ、高校野球誕生100周年でもある2015年に野球殿堂特別表彰者に選出された。
 
阪急神戸本線建設当時、ルート上に自宅(現在の香雪美術館)の一部が被ったため、近所の住民を誘って反対運動を繰り広げた。結果的に同線は村山の自宅を避けたため、御影駅手前に不自然なS字カーブができてしまう。
 
 
長いお茶の歴史の中でも、個人的には「近代茶人」(明治~昭和)の時代の勉強が好きで、今回もたくさんの学びがありました。
あまり数寄道具に詳しくないから、どちらかというと道具の展示よりも「村山龍平」に関する展示や説明が興味深かったです。
 
 
 
 
*** === おまけ === ***
 
お茶のレポートと全然関係ないけど、美術館のあと行ったお店の写真も〜
(急に食べログみたいな展開ですいません)
 
★ コンラッドホテルのラウンジ
 
美術館の上は「コンラッドホテル」が入っていて、お茶しに行きました。
地上40階にロビーやラウンジがあり、全面ガラス貼りで開放的です。
スイカジュースを飲みましたが、5口くらいで終わってしまいそうな上品さ、でもスイカ1玉買えるお値段です(笑)
 
 
 
 
 
 
★ 寿司「黒杉」(新地)
 
今話題のいけてる名店ばかりが入ってる新地の「新ダイビル」。その中の星をとってるお寿司屋さん。
白木のカウンターが清潔感あって、シンプルだけど一つ一つ丁寧なお品。
もちろん、めちゃ美味しい。゚(T^T)゚。
 
 
 
 
 
 
 

 
なんだかんだ言っても、やっぱり茶道具よりお寿司だな!
お相伴にあずかって、贅沢な時間過ごさせてもらいました。
ご馳走様でした (*´∀`)
 
 
 
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《 シュミネ 茶道教室 》

~大阪・心斎橋~

(裏千家: 西田 宗佳)

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【TEL】 06-6252-0560

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