すべての朝鮮・韓民族、東アジア、全人類の夢、平和と和解の道、それが朝鮮・韓半島平和統一。
はやくわたしの裂かれた二つの祖国が平和に統一されますように。
そして、日本にいる朝鮮・韓民族が和合して分断を克服できますように。
韓青、KEY、朝青、青年会、そしてどこにも所属していない同胞青年たち
若い同胞の力を集めて韓国、朝鮮国内、日本、アメリカなどや祖国内外の反統一、
分断勢力の権力の差別と抑圧と分断工作に抗い、ひとつになれるように。
国情院は邪魔と弾圧をするな。北を南を戦争に巻き込まないで
分断を煽らないで。
継続する植民地主義の暴力と差別と同化圧力に負けずに。
歴史と犠牲者を忘れずに。
責任を果たそう。果たさせよう。うりぬんはな!우리는 하나!
そして、責任を認識し合った後、
東アジアの民衆たち、日本の若い力と分かちあい、連帯しよう。
愛と平和と希望を語り合い、築き合おう。
발해를 꿈꾸며 統一を夢みて(渤海を夢みて)
진정 나에겐 단 한가지 내가 소망하는게 있어 갈려진 땅의 친구들을
언제쯤 볼 수가 있을까 망설일 시간에 우리를 잃어요
切に私にはただ一つ 私が願ってることがあるんだ 引き裂かれた向こうの地の友たちにいつになったら会うことが出来るだろうか ためらっている時間に私たちを見失っているでしょう
한민족인 형제인 우리가 서로를 겨누고 있고 우리가 만든 큰 욕심에
내가 먼저 죽는걸 진정 너는 알고는 있나 전 인류가 살고 죽고
처절한 그날을 잊었던건 아니었겠지
一つの民族である 兄弟である 私たちが 互いに銃を向けて 私たちが作った大きな欲望に私が先に死んでしまう 本当に君はわかってはいるのか 全人類が生きるか死ぬか悲惨だったその日を忘れたわけじゃないでしょ
우리 몸을 반을 가른 채 현실없이 살아갈건가 치유할 수 없는 아픔에 절규하는 우릴 지켜줘
私たちの体を半分に引き裂いて 現実なしに生きていくのか 癒すことが出来ない痛みに 絶叫している私たちを守って
시원스레 맘의 문을 열고 우리가 나갈 길을 찾아요
더 행복한 미래가 있어 우리에겐
涼しげに思いっきり心のドアを開いて 私たちと行くべき道を探しましょうもっと幸せになる未来がある 私たちには…
언젠가 나의 작은 땅에 경계선이 사라지는 날 많은 사람이 마음 속에 희망들을 가득 담겠지 난 지금 평화와 사랑을 바래요
いつか私の小さなこの地で 境界線が消えていく日 多くの人々が心の中に希望をいっぱい満たすでしょう 私は今平和と愛を願ってる
젊은 우리 힘들이 모이면 세상을 흔들 수 있고
우리가 서로 손을 잡은 것으로 큰 힘인데
若い私たちの力が集まれば 世界を揺らすことが出来るし
私たちが互いに手を取り合うことが 大きな力になるから
우리 몸을 반을 가른 채 현실없이 살아갈건가
치유할 수 없는 아픔에 절규하는 우릴 지켜줘
갈 수 없는 길에 뿌려진 천만인의 눈물이 있어
오! 나에겐 갈 수도 볼 수도 없는가
私たちの体を半分に引き裂いたまま 絶望のなかで生きていくのか
癒すことが出来ない痛みに 絶叫している私たちを守って
足を踏み入れることも出来ない道にバラ撒かれた千万人の涙があるよ
オ! 私には行くことも 見ることも出来ないのか
저 하늘로 자유롭게 저 새들과 함께 날고 싶어
あの大空を自由に あの鳥たちと一緒に飛んでいきたい
우리들이 항상 바라는 건 서로가 웃고 돕고 사는 것
이제 함께 하나를 보며 나가요
私たちがいつも望んでいるのは 互いが笑って助け合って生きること
今からは一緒に一つを見ながら歩みましょう
ソテジとアイドゥルの平和統一を願う【발해를 꿈꾸며 統一を夢みて】は
90年代の曲である。
これは南から平和統一を願う曲である。時代をさかのぼって、数十年前、北から分断の悲しみ
を歌った曲がある。
もしかしたらソテジはこの曲に応えて
【발해를 꿈꾸며 統一を夢みて】をつくったかもしれないと
私は勝手にそう思うけど、そう思うのは私だけじゃないと思う。
日本の人々も多く知っていると思う。映画『パッチギ!』でもテーマ曲だった
【リムジン河】※である。
私はこの曲を聴くと思わず涙を流してしまう。二つに祖国、その南で育って
分断と境界と偏見を痛感しながら、日本でも差別と偏見と抑圧を感じながら
生活してきた。強く生きた在日朝鮮・韓国人のこと、さらには悲しくも
分断に甘んじて、憎しみ合っている同胞たちをみながら、いろんな思いが込みあがる。
もっと同胞たちと分かりあいたい、そして、もっと日本の人とも分かりあいたい。
想像して欲しい。
大日本帝国が私たちの民族と私たちの地を植民地にしたこと。そして、冷戦構造に
巻き込まれて分断し、大国の代理戦争として、血で血を洗うように同じ民族どうし
殺し合ったこと。
敗戦国日本は、朝鮮戦争にアメリカ主導の連合国に協力し、特需で経済を立て直したこと。
もしかしたら、日本もまた南北に分かれて、ぼろぼろの上で日本人どうし血で血を洗う多くの犠牲が生まれるようなことが起きたかもしれない。
太平洋戦争と原爆の犠牲の上に何も反省できない(今もできていない)まま
徴兵制で多くの民衆の自由を奪って、抑圧し続けたかもしれなかったかもしれない。
想像して欲しい。
分断にアメリカとソ連に責任があるなら、大日本帝国にも、反省もせず
改めなかった今の日本国にもその責任があるということを。
継続している帝国主義、植民地主義に責任を自覚し、
歴史と犠牲を忘れず、連帯し合おう。そして、抵抗し合おう。
世界を生きやすい世界を築きあげよう。
日本の人々にも聴いて欲しいから、その北からの統一を願う、分断の悲しみを歌った曲を日本語で歌ったフォークルの【リムジン河】※を最後に埋め込んでこのエントリーを終わりにしたい。
近々朝鮮・韓国語バージョンの訳詞をこのブログに載せたい。
※ ザ・フォーククルセダーズの【イムジン河】の表記は南の読み方
「임진강(イムジンガン)」から、そのように読んでいたし、発売当初
(発禁され再発売された時も)そう呼ばれていたが、この曲は切実に統一を
願う北の曲であり、北のメッセージである。だから、私はあえて北の読み方
「림진강(リムジン河)」から【リムジン河】と読んでいる。
そして、私はこの読み方の違い、ㄹとㅇの違いからも分断の重みと悲しみ
を感じている。
시커먼 먹구름이 날 가린다 곧 비가 내리겠지 비에 날 씻을 수 있을까 우!
쓸데없는 소리 여긴 어디라고 말했지?(죽음의 늪!) 흥! 어디든 좋지 널 택했으니
넌 나만의 새로운 친구야
真っ黒な暗雲が俺を待ってるすぐ雨が降るだろう雨に俺を洗い流すことができるだろうか ウ!
いらぬ心配ここはなんというとこだっけ?(死の沼)フン!どこでもいいさ 君を選んだのだから
君は俺だけの友達だ
난 행복에 빠졌어 나를 쳐다보지 말아줘
알 수 없는 무엇이 계속 날 잡아끌어 아프게
俺は幸せに嵌った 俺をみつめないおくれ
わからない何かがずっと俺を引きずり込んで痛くする
벗어나려 해도 이젠 소용없어 늦어버린거야 야이~~~
다가오는 것은 지저분한 것들 피하진 않겠어 야이~~~
내가 가는 길은 어딜까 앞이 막혀있는 것같아 OH!
난 또 주저앉고 마는가 누가 나의 손을 좀 잡아줘 OH...
抜け出そうとしても、もうどうしようもない遅すぎたんだヤイヤイヤ~~~
近づいてくるものは穢れたものばかり逃げはしないさヤイヤイヤ~~~
俺が行く道はどこだろうか前が塞がっているみたいOH!
俺はまた挫けてしまうのか誰か俺の手を掴んでくれOH…
BANG! 난 듣고야 말았었어 그게 무슨 소린지 난 귀를 기울이고 있어
한 번 더 들려 BANG! 난 밖으로 나가봤어 아무도 없는 새벽거리에서
쓰러져 있는 그를 보고 있는 그는 바로 나였지
BANG!俺は聞いてしまったんだそれがなんの音か俺は耳をすませていた
もう一度聞こえるBANG!俺は外に出てみた誰もいない夜明けの通りで
倒れている彼をみているそれは俺だった
난 예전에 꿈꾸던 작은 소망 하나가 있어
널 두 팔에 안고서 내 마음을 전해주려 했었어
俺は昔夢見てた小さな願いが一つあるんだ
君を両腕で抱いて俺のこころを伝えようしてたんだ
벗어나려 해도 이젠 소용없어 늦어버린 거야 야이~~~
다가오는 것은 지저분한 것들 피하진 않겠어 야이~~~
내가 가는 길은 어딜까 앞이 막혀있는 것같아 OH!
난 또 주저앉고 마는가 누가 나의 손을 좀 잡아줘 OH..
抜け出そうとしても、もうどうしようもない遅すぎたんだヤイヤイヤ~~~
近づいてくるものは穢れたものばかり逃げはしないさヤイヤイヤ~~~
俺が行く道はどこだろうか前が塞がっているみたいOH!
俺はまた挫けてしまうのか誰か俺の手を掴んでくれOH…
管理教育、競争社会、市場原理主義、学歴社会くたばれ!!くそ喰らえ!やさしい社会を、生きやすい社会を!ひとのための社会を!!
서태지와 아이들
ソテジとアイドゥル
교실 이데아
教室イデア
됐어 됐어 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
그걸로 족해 족해 족해 족해
내 사투로 내가 늘어 놓을래
それで満足 満足 満足 満足
私の死闘で私がさらけだすよ
매일 아침 일곱시
삼십분까지 우릴
조그만 교실로 몰아넣고
毎朝7時30分まで私たちを
小さな教室に閉じ込めて
전국 구백만의 아이들의
머리 속에 모두 똑같은 것만
집어넣고 있어
全国900万の子どもたちの
頭のなかにみんな同じものだけ
詰め込ませている
막힌 꽉 막힌 사방이 막힌 널
그리곤 덥썩 모두를 먹어 삼킨
塞がった全部塞がった 四方塞がってしまった君を
そしてまるごとみんなを飲み込んだ
이 시꺼먼 교실에서만
내 젊음을 보내기는
너무 아까워
この真っ暗な教室の中で
青春を送るには
ほんとうにもったいないよ
좀 더 비싼 너로
만들어 주겠어
네 옆에 앉아 있는
그 애보다 더
もっと高級な君に
作り変えてやる
君の隣に座っている
その子よりも
하나씩 머리를 밟고
올라서도록 해
좀 더 잘난 네가 될 수가 있어
ひとつずつ頭を踏みつけ
のぼりつめられるように
もっと偉そうな君になることができるよ
왜 바꾸진 않고 마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
됐어 됐어 이젠 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
그걸로 족해 족해 족해 족해
내 사투로 내가 늘어놓을래
それで満足 満足 満足 満足
私の死闘で私がさらけだすよ
국민학교에서
중학교로 들어가며
고등학교를 지나 우릴
포장센타로 넘겨
겉보기 좋은 널 만들기 위해
우릴 대학이란 포장지로
멋지게 싸버리지
国民学校から
中学校へ入って
高等学校を通って私たちを
包装センターへ送りつけ
私たちを大学という包装紙で
カッコよく包んでしまうでしょ
이젠 생각해봐 대학!
본 얼굴은 가린 채
근엄한 척 할 시대가
지나버린 건 좀 더 솔직해봐
넌 알 수 있어
よく考えてみて大学!
本当の顔は隠したまま
いい子ぶる時代が
過ぎてしまったことをもっと正直になってみて
君は気付くことができる
좀 더 비싼 너로
만들어 주겠어
네 옆에 앉아 있는
그 애보다 더
하나씩 머리를 밟고
올라서도록 해
좀 더 잘난 네가 될 수가 있어
もっと高級な君に
作り変えてやる
君の隣に座っている
その子よりも
ひとつずつ頭を踏んで
のぼりつめられるように
もっと偉そうな君になることができるよ
왜 바꾸진 않고 마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
왜 바꾸진 않고
마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
됐어 됐어 이젠 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
서태지와 아이들
ソテジとアイドゥル
교실 이데아
教室イデア
됐어 됐어 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
그걸로 족해 족해 족해 족해
내 사투로 내가 늘어 놓을래
それで満足 満足 満足 満足
私の死闘で私がさらけだすよ
매일 아침 일곱시
삼십분까지 우릴
조그만 교실로 몰아넣고
毎朝7時30分まで私たちを
小さな教室に閉じ込めて
전국 구백만의 아이들의
머리 속에 모두 똑같은 것만
집어넣고 있어
全国900万の子どもたちの
頭のなかにみんな同じものだけ
詰め込ませている
막힌 꽉 막힌 사방이 막힌 널
그리곤 덥썩 모두를 먹어 삼킨
塞がった全部塞がった 四方塞がってしまった君を
そしてまるごとみんなを飲み込んだ
이 시꺼먼 교실에서만
내 젊음을 보내기는
너무 아까워
この真っ暗な教室の中で
青春を送るには
ほんとうにもったいないよ
좀 더 비싼 너로
만들어 주겠어
네 옆에 앉아 있는
그 애보다 더
もっと高級な君に
作り変えてやる
君の隣に座っている
その子よりも
하나씩 머리를 밟고
올라서도록 해
좀 더 잘난 네가 될 수가 있어
ひとつずつ頭を踏みつけ
のぼりつめられるように
もっと偉そうな君になることができるよ
왜 바꾸진 않고 마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
됐어 됐어 이젠 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
그걸로 족해 족해 족해 족해
내 사투로 내가 늘어놓을래
それで満足 満足 満足 満足
私の死闘で私がさらけだすよ
국민학교에서
중학교로 들어가며
고등학교를 지나 우릴
포장센타로 넘겨
겉보기 좋은 널 만들기 위해
우릴 대학이란 포장지로
멋지게 싸버리지
国民学校から
中学校へ入って
高等学校を通って私たちを
包装センターへ送りつけ
私たちを大学という包装紙で
カッコよく包んでしまうでしょ
이젠 생각해봐 대학!
본 얼굴은 가린 채
근엄한 척 할 시대가
지나버린 건 좀 더 솔직해봐
넌 알 수 있어
よく考えてみて大学!
本当の顔は隠したまま
いい子ぶる時代が
過ぎてしまったことをもっと正直になってみて
君は気付くことができる
좀 더 비싼 너로
만들어 주겠어
네 옆에 앉아 있는
그 애보다 더
하나씩 머리를 밟고
올라서도록 해
좀 더 잘난 네가 될 수가 있어
もっと高級な君に
作り変えてやる
君の隣に座っている
その子よりも
ひとつずつ頭を踏んで
のぼりつめられるように
もっと偉そうな君になることができるよ
왜 바꾸진 않고 마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
왜 바꾸진 않고
마음을 조이며
젊은 날을 헤매일까
바꾸진 않고 남이 바꾸길
바라고만 있을까
なんで変えようとせず心を殺して
若い日々をさまようのか
変えようとせず他人が変えることを
のぞんでばかりいるのか
됐어 됐어 이젠 됐어 됐어
이제 그런 가르침은 됐어 됐어
もういいよ もういいよ もういいよ もういいよ
もうそんな教えはいらないよ
지난해 방북해 참배한 日유족 “조선학교 차별은 부끄러운 일”
去年、訪朝し墓参りした日本の遺族「朝鮮学校差別は恥ずべきこと」
2013년 01월 08일 (화) 15:37:05 이계환 기자 khlee@tongilnews.com
2013年 01月 08日(火) イ・ケイファン記者
朝鮮半島北部で死亡した日本人の遺骨問題と関連して朝鮮を訪問した佐藤和也(81歳)氏が在日『朝鮮新報』とのインタビューで日本当局が「高校無償化」制度において朝鮮学校を除外しようとする動きと関連し「恥ずべきこと」と明かした。
佐藤氏は日本人墓地訪問団の責任者として去年9月29日から10月4日訪朝し、日本人が2次世界大戦以降朝鮮で死亡して埋葬されたピョンヤンのリョンサン墓地を終戦後初めて参拝した。
新聞によると佐藤氏は家族たちとともに1936年、4歳のとき朝鮮に移住し1948年7月まで12年間ピョンヤンで生活していた。1945年8月15日の日本敗戦当時ピョンヤンは旧満州と朝鮮北東部で避難した日本人難民たちで溢れていたという。
解放後、朝鮮では「北朝鮮臨時人民委員会」の指導下、在北日本人技術者たちを各産業部門に動員する政策が実施され、当時、朝鮮で鉱山開発事業で従事していた佐藤氏の父も冶金技術者として残ることになった。
そのようにして朝鮮に残った日本人技術者たちは高い賃金を貰って米配給はじめ生活必需品の支給、住宅まで保障される最高の待遇を受け、日本人学校に通う学生たちには教育費はもちろん、交通費までもがすべて支給された。
これに佐藤氏は「高等学校無償化」制度適用問題をはじめとする日本政府が今も朝鮮学校の学生たちを差別している現象を批判しながら、「UNからも差別をやめろと勧告されている」のに「朝鮮政府が日本敗戦直後に日本人と日本人学校に施した施策と比べると本当に恥ずかしい」と嘆いた。
佐藤氏は「朝鮮政府の人道的な措置によって今回、墓参りできたことに心から感謝している」と謝意を表しては、日朝関係が一日も早く正常化されることを望むとしながら、「ピョンヤンは懐かしい第二の故郷だ。機会があれば何度でも訪れたい」と正直な思いを明かした。
(翻訳:崔檀悦)
〔ハングル原文記事〕
지난해 방북해 참배한 日유족 “조선학교 차별은 부끄러운 일”
2013년 01월 08일 (화) 15:37:05 이계환 기자 khlee@tongilnews.com
한반도 북부에서 사망한 일본인의 유골문제와 관련하여 북한을 방문한 사토 도모야(佐藤知也, 81살) 씨가 재일 <조선신보>와의 인터뷰에서 일본 당국이 ‘고등학교 무상화’에서 조선학교를 제외하려는 움직임과 관련해 “부끄러운 일”이라고 밝혔다.
사토 씨는 일본인 성묘 방문단 책임자로 작년 9월 29일~10월 4일 방북해, 일본인이 2차 세계대전 후 북한에서 사망해 매장된 평양의 룡산묘지를 종전 후 처음으로 참배한 바 있다.
신문에 따르면, 사토 씨는 가족들과 함께 1936년, 4살 때에 북한에 이주하고 1948년 7월까지 12년 동안 평양에서 생활했다.
1945년 8월 15일의 일본 패전당시 평양은 구(旧)만주와 조선 북동부에서 피신해온 일본인난민들로 욱실거리고 있었다고 한다.
해방후 북한에서 ‘북조선임시인민위원회’의 지도아래 재북 일본인기술자들을 각 산업부문에 동원하는 정책이 실시되었고, 당시 북한에서 광산개발사업에 종사하던 사토 씨의 아버지도 야금기술자로서 남게 되였다.
그렇게 북한에 남게 된 일본인기술자들은 높운 임금을 받고 쌀 배급을 비롯해 생활필수품의 지급 그리고 주택까지 보장되는 최고의 대우를 받았으며, 일본인학교에 다니는 학생들에게는 교육비는 물론 교통비까지 모두 지급되었다.
이에 사토 씨는 ‘고등학교 무상화’ 제도적용문제를 비롯하여 일본정부가 지금도 조선학교 학생들을 차별하고 있는 현상을 비판하면서 “유엔에서도 차별을 그만두라고 권고를 하고 있다”면서 “조선정부가 일본패전 직후에 일본인과 일본인학교에 베풀어준 시책과 비교하면 참으로 부끄럽기만 하다”고 한탄했다.
사토 씨는 “조선정부의 인도주의적 조치에 의하여 이번에 성묘를 할 수 있은데 대하여 마음속으로부터 감사하고 있다”고 거듭 사의를 표하고는, 북.일관계가 하루빨리 정상화되기를 바란다면서 “평양은 그리운 제2의 고향이다. 기회가 있으면 몇 번이라도 가보고 싶다”고 소원을 피력했다.
出典: http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=101093
*ブログ記事に関して問題がある場合、ブログ主に直接お問い合わせ願います。
翻訳文はレフトフリーです、原文に関しては原文記事を書いた記者にお問い合わせ願います。
chegewalt@gmail.com
去年、訪朝し墓参りした日本の遺族「朝鮮学校差別は恥ずべきこと」
2013년 01월 08일 (화) 15:37:05 이계환 기자 khlee@tongilnews.com
2013年 01月 08日(火) イ・ケイファン記者
朝鮮半島北部で死亡した日本人の遺骨問題と関連して朝鮮を訪問した佐藤和也(81歳)氏が在日『朝鮮新報』とのインタビューで日本当局が「高校無償化」制度において朝鮮学校を除外しようとする動きと関連し「恥ずべきこと」と明かした。
佐藤氏は日本人墓地訪問団の責任者として去年9月29日から10月4日訪朝し、日本人が2次世界大戦以降朝鮮で死亡して埋葬されたピョンヤンのリョンサン墓地を終戦後初めて参拝した。
新聞によると佐藤氏は家族たちとともに1936年、4歳のとき朝鮮に移住し1948年7月まで12年間ピョンヤンで生活していた。1945年8月15日の日本敗戦当時ピョンヤンは旧満州と朝鮮北東部で避難した日本人難民たちで溢れていたという。
解放後、朝鮮では「北朝鮮臨時人民委員会」の指導下、在北日本人技術者たちを各産業部門に動員する政策が実施され、当時、朝鮮で鉱山開発事業で従事していた佐藤氏の父も冶金技術者として残ることになった。
そのようにして朝鮮に残った日本人技術者たちは高い賃金を貰って米配給はじめ生活必需品の支給、住宅まで保障される最高の待遇を受け、日本人学校に通う学生たちには教育費はもちろん、交通費までもがすべて支給された。
これに佐藤氏は「高等学校無償化」制度適用問題をはじめとする日本政府が今も朝鮮学校の学生たちを差別している現象を批判しながら、「UNからも差別をやめろと勧告されている」のに「朝鮮政府が日本敗戦直後に日本人と日本人学校に施した施策と比べると本当に恥ずかしい」と嘆いた。
佐藤氏は「朝鮮政府の人道的な措置によって今回、墓参りできたことに心から感謝している」と謝意を表しては、日朝関係が一日も早く正常化されることを望むとしながら、「ピョンヤンは懐かしい第二の故郷だ。機会があれば何度でも訪れたい」と正直な思いを明かした。
(翻訳:崔檀悦)
〔ハングル原文記事〕
지난해 방북해 참배한 日유족 “조선학교 차별은 부끄러운 일”
2013년 01월 08일 (화) 15:37:05 이계환 기자 khlee@tongilnews.com
한반도 북부에서 사망한 일본인의 유골문제와 관련하여 북한을 방문한 사토 도모야(佐藤知也, 81살) 씨가 재일 <조선신보>와의 인터뷰에서 일본 당국이 ‘고등학교 무상화’에서 조선학교를 제외하려는 움직임과 관련해 “부끄러운 일”이라고 밝혔다.
사토 씨는 일본인 성묘 방문단 책임자로 작년 9월 29일~10월 4일 방북해, 일본인이 2차 세계대전 후 북한에서 사망해 매장된 평양의 룡산묘지를 종전 후 처음으로 참배한 바 있다.
신문에 따르면, 사토 씨는 가족들과 함께 1936년, 4살 때에 북한에 이주하고 1948년 7월까지 12년 동안 평양에서 생활했다.
1945년 8월 15일의 일본 패전당시 평양은 구(旧)만주와 조선 북동부에서 피신해온 일본인난민들로 욱실거리고 있었다고 한다.
해방후 북한에서 ‘북조선임시인민위원회’의 지도아래 재북 일본인기술자들을 각 산업부문에 동원하는 정책이 실시되었고, 당시 북한에서 광산개발사업에 종사하던 사토 씨의 아버지도 야금기술자로서 남게 되였다.
그렇게 북한에 남게 된 일본인기술자들은 높운 임금을 받고 쌀 배급을 비롯해 생활필수품의 지급 그리고 주택까지 보장되는 최고의 대우를 받았으며, 일본인학교에 다니는 학생들에게는 교육비는 물론 교통비까지 모두 지급되었다.
이에 사토 씨는 ‘고등학교 무상화’ 제도적용문제를 비롯하여 일본정부가 지금도 조선학교 학생들을 차별하고 있는 현상을 비판하면서 “유엔에서도 차별을 그만두라고 권고를 하고 있다”면서 “조선정부가 일본패전 직후에 일본인과 일본인학교에 베풀어준 시책과 비교하면 참으로 부끄럽기만 하다”고 한탄했다.
사토 씨는 “조선정부의 인도주의적 조치에 의하여 이번에 성묘를 할 수 있은데 대하여 마음속으로부터 감사하고 있다”고 거듭 사의를 표하고는, 북.일관계가 하루빨리 정상화되기를 바란다면서 “평양은 그리운 제2의 고향이다. 기회가 있으면 몇 번이라도 가보고 싶다”고 소원을 피력했다.
出典: http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=101093
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翻訳文はレフトフリーです、原文に関しては原文記事を書いた記者にお問い合わせ願います。
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「民族教育の権利を守るぞ!」(崔檀悦インタビュー)
「民族教育の権利を守るぞ!」
黒い彗星、12・4不当逮捕事件を振り返る
排外主義デモに単身抗議
崔 檀悦
2010年12月4日。京都朝鮮初級学校を襲撃した排外主義者たちが、京都他四カ所で一年前の事件を賛美し朝鮮学校解体を叫ぶデモを行なった。そして渋谷で、バナーを持ちデモ隊に立ちふさがった青年が暴行容疑で逮捕された。「黒い彗星」こと崔檀悦さん、本誌174号でも執筆いただいた在日コリアン三世の大学院生である。彼が暴力をふるった事実はない。むしろデモ隊から激しい集団暴行を受け、頭部などに全治三週間の大けがを負った。その傷痕がまだ生々しい中でのインタビューである。(まとめ・文責 編集部)
——早期釈放されて本当によかった。逮捕されてどうでしたか。
ずっと黙ってるのって難しいですね。三日で出られてよかった。俺はいま戦略的にフィールドワークしてる、つまりこの体験は俺にとってためになる、権力来い! と思いながら……三日が限界でしたね。
指紋とられたことで色々思い出しました。もちろん指紋押捺闘争のこともありますけど、大学入りたての時に盗難事件があって……俺が会計課に手渡ししたお金がなくなったと、ただ会計課の誰だかがまとまった金を持ってた、その金が俺が渡したものなのかどうか調べたいってことで、警察から何度も電話がかかってきて。俺そのころ打倒するぞとか糾弾するぞ! みたいな一番熱かった時期だったんですけど、すごいびびったんですよ。俺いま警察に呼ばれてる、なんでこいつ俺の番号知ってんの、って。紙幣に俺の指紋があれば犯人が判明する、関係者の指紋はみんな取ったからって言われて、知らねえよ、俺在日だぞって言いたかったけど、結局仕方がなく応じたんです。自宅の近くにある交番で。指紋、それから掌紋もとられた。
——それで……証明はできたの?
それが事件は闇の中。俺それですごく悩んで。そのころは、どこか冷めた目で自分をみてる自分と、民族性というところでどうしようもない自分と、個人的な問題、コミュニケーションが苦手でマジョリティについていけないという感覚と、それを民族性に還元してはいけないという意識がぐるぐるまわりながら大学生活を送っていて。どう考えていいか分からなかった。親しくしてた大学の先生にそのことを話したときには、泣いてしまった。俺、裏切っちゃったなあと。
けど今回は、ほんと無感情でした。調書にサイン代わりに押してって感じで「サインじゃだめですか?」ってきいたら「指紋でお願いします」「左人差し指です」って、じゃまあいいですよとポンポンと。何かいっぱい押して、書類指紋だらけになっちゃいますけどいいんですか? ってくらい押しました。次から逮捕されるときは印鑑もっていこうかな……印鑑証明も。
——え、じゃ一本だけ?
いや、問題はその後で。これで終わりかと思ったら留置場に入れられる時に全部とられた!へんな機械があって身長とか全部、写真もあっというまに。指紋は機械の上でスキャン。いま笑っていられるのは、たぶん、一回泣いたことあるからでしょうね。あと韓国で運転免許とりたいというだけの理由で住民登録した時にも押してるんです。韓国では国民全員から指紋と掌紋もとる。その時も、最初とられた時は泣いたのに、いまはただ免許とりたいがために指紋とらせてる自分がいるなあ……って。だから公権力に指紋をさし出したのは三回目ですね。
——日本での外国人登録では押していないんですね。
そうです。私たちの世代が指紋とられないで済むのは、先輩たちの指紋押捺拒否闘争の歴史があったから。だからその精神をくみたいという気持ち、それを裏切ってしまったという思いがものすごくあった。けどリスクをしょってでも伝えたいことが優先としてあったから。調書はとられても逮捕されないと甘く考えてたこともありますけど。
——釈放後に、東京地検に呼び出されましたよね。指紋押捺闘争の本を片手に面接に臨んだ。
あれは母親の本借りてきて(笑)出すタイミングはまったくなかったですね。前澤検察官は暴行があったかという事実に関してはどうでもいいみたいで、まず「遵法精神は君にあるのか」って言われたんですよ。「君は合法的なデモを妨害することに対する違法性は感じないの」とかなんとか。私が「彼らのデモは私にとって許せないことを言っているわけでして」と答えたら、「じゃあ君がデモの主催者だとしたらどう思うの」と。で「無視するでしょうね」って言ったら「それで危ない目に遭ったのは分かってるでしょ」って。妨害したかどうかが重要みたいな言い方だった。「そうじゃなくて、私はマイノリティに対するヘイトスピーチが許せなくて……」と言ったとたん「そんなことは聞いていない! もういいよ、キミ出てって!」って。一蹴ですよ。暴行があったかなかったか、暴行を受けると分かっててもなぜデモに反対するか、こんな歴史があってとか、色々話したかったのに、こちらの立場は全くくんでもらえなくて。
——崔さんが在日朝鮮人だということについて、リアクションは?
なーんにもなかったですね。まさに法というシステム原理でしかアタマ動いてないんじゃないかって感じ。ハナから邪魔者と決めつけてて……まあ、立派なイヌですね。あ、スミマセン、シニシズム出てしまいました。
結果、不起訴ということで、証拠映像もあるし起訴は無理と判断したんでしょうけど……なんか俺、中途半端に出されたから被害者ヅラできないんですよ。あと「大人になりなさいよ」とも言われましたね。なんか27歳だったら新卒でサラリーマンやってもう五年めだろ? みたいな感じに聞こえた。「では、私の処分に関して大人の寛大な対応をぜひ勉強させていただきます」とかなんとか、うまいこと言えばよかったなあ。だって、途中でキレて「出てけ」って言ったのどっちだよ!(笑)。あれにはびっくりした。「大人になりなさいよ」って言った人がいきなりキレて「退場!」って、心の壁いきなりシャットダウンですよ……。
——なんかポカーンとした顔で面接から帰ってきましたもんね。「俺、怒られたんですけど……キレられたんですけど……」って(笑)
結果、起訴猶予、「暴行の嫌疑は多少ある」みたいな処分になるっていやがらせだなあって。暴行の事実についての質問なんかひとこともなかったですから。たんに前澤さんは俺のこと気にいらないから起訴猶予にしたんじゃないか。「嫌疑なし不十分」にならなかったことで、応援して下さったみなさんをがっかりさせてしまったと思って。
——東京地検が腐ってるだけ。ネットでは崔さんへの誹謗中傷が続いています。顔写真もアップされている。中には崔さん自身、気にいってる写真もあるようですが。
西村修平(主権回復を目指す会)を投げ飛ばしてるようにみえるやつ、あれ気に入ってます。あまりにもうまく撮れてるんで、何でこんな奇跡の一瞬が撮れたの?っていう。正直、俺その瞬間のことよく覚えてないんですけど、あの写真見せられたら、あ、俺ほんとに修平を倒したのかなって。すかっとする人いるんだろうな、と。俺もあの写真みてすかっとしましたから(笑)。柔道やってるからああいう動きがくせになってるんで、無意識にかわしたんでしょうね。あんなふうに突っ込んでこられたらバランスをとって転がしてあげないと逆に危ない。だからたぶん一番いい形で転ばしてあげてると思うんですよ。自分も多少リンチされても血が出るくらいはしょうがないかなとは思ってたし……。
12月4日は、崔さんにとって忘れられない日だった。一年前のこの日、在日特権を許さない市民の会の構成員が、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、「スパイの子」「日本から出ていけ」などと罵声を浴びせ、地域住民や京都市とも合意の上で長年利用していた公園からスピーカーを無断で切断、演台やゴールポストを勝手に撤去するといった暴挙を繰り広げた。事件をめぐってはこの一年、大きな動きがいくつかあった。在特会側から逮捕者がでると同時に朝鮮学校の元校長が都市公園法違反で書類送検された。現在、朝鮮学校側が提訴。一方で、朝鮮学校の高校無償化排除はいまも続いており、外国人地方参政権も話題にのぼらなくなった。それどころか、延坪島砲撃事件を新たな契機に、朝鮮学校で学ぶ生徒たちにもっとも鋭く報復感情が向けられるという事態が続いている。崔さんはそうした中で署名集めやビラまきといった地道な活動を続けてきた。朝鮮語講師もしており、朝鮮学校での民族教育の重要性を再認識してきたと話す。
——チェさんは基本的に一人で行動してますね。
俺はいつでもピンですよ。友だちいなくて悪かったな、冗談です(笑)。エルファという高齢者施設に在特会が押しかけたときも朝の新幹線で京都に行って、自分は在日ですけど、そこで闘っている人たちとは同胞であるってだけで立場性はちがう。
私の中では、2010年1月24日に起こった出来事が一番大きくて。新宿中央公園で、高校生が逮捕された。私も現場にいたんで。中谷(主権回復を目指す会)に髪の毛むしられたし。mixiの「在特会を許さない市民の会」管理人をやってるんですけど、京都朝鮮初級学校の事件が起こってしまって、その後、池袋で中国系商店に奴らが押しかけた事件で高校生と出会って、1月24日は行かないとちょっと俺しめしつかないなと思ったこともあって行って、結果ボコ殴りにされた。それからですね、京都、蕨、地元・仙台、小平、私の愛する秋葉原も……。
——12月4日は正確にはシットインしようとしたんですよね。バナーしか持っていなかった。
そうです。座り込めば逮捕されなかったのかなあ。公道に一歩出た瞬間、ふっといろんなことがアタマをよぎった。さんざん在特会の問題は日本人の問題と言いながらフライングぽいなとか、運動的に奴らが衰退しようとしてるときに戦略上どうなのかとか……けど、衰退してようがどうしようが関係なく、許せなかった。とにかく。1・24以降、私は在日朝鮮人として久々の強制国外退去者になってやる、っていう覚悟でいたんです。あの日のこと、ほんとうにくやしかったから。
もちろん甘い考えもあったと思います。自分はその日の夜知人と飲む約束してたんで、せいぜい何時間か拘束されて調書とって出られるだろうと思ってた。
私は、在日朝鮮人である前にニートなんで親にもうしわけないという気持ちはもちろんあります。
だけど、私はいわば、幸福な在日なんです。在日の中でもマジョリティで教授の息子で、やっぱり恵まれている。だから在日同胞はまきこまない。単パネで行くしかない。
——崔さんは、在特会の存在は早くから結成当初から知っていましたよね。ネット上で増殖する排外主義を「パラノイア・ナショナリズム」と名づけ、注目してきた。大学院で社会学を専攻したのも、そうした問題意識からですよね。
はい、2003年頃からブログやってて、ネトウヨにめちゃくちゃ荒らされた時期があって。つくる会とかが出てきたころで、本当この現象怖いなあ、どうしようって思ってた。あのころ『嫌韓流』が飛ぶように売れてて、見ていると、アマゾンランキングに『嫌韓流』が一瞬出てないってだけでブログに火がつく、そういう瞬間があるんですよ。自分たちの不満、不満、不満ばかり。被害者意識。
じっさい90年代以降の保守的な言説を口にする人は、他国や左翼を馬鹿にし揶揄するアイロニー言語に長けていて、揚げ足取りばかり。とにかく冷笑的。それで「タブーに挑戦する」ってことになってる。ハァただ構造化した中でのおまえらの差別感情吐き出してるだけだろっていう……。差別の内在化というのは怖いなあと。
そういうことずっと考えてたので、ポスコロ研究者やりたいなあとも思ってたけど、それやってる同胞それなりにいるから、俺はあえて継続する植民地主義の文脈から、2ちゃんねるとかサブカルみたいなのを理解しようと、ネトウヨ分析やろうと思って。
誰もが差別意識を持っているし、持たないと生きていけない構造になってる。そのことが問題だと思っています。その中で冷静に自分の間違いを認めながら反省する、私は自己再帰性と言ってますけど、つまり自らを振り返る力というのが必要で、けど反省しないロマン主義がはやってる。ネタにベタに反応しちゃう。それがネトウヨ現象だと思ってます。まあ、あと何というか、俺こそシニシストだろって感じだったんで。
——シニシストなの?
そうですよ。実際暴言吐きまくりで怒られまくってますよ。昔から厭世的な人間で。きっかけは、差別ですね。高校のときの応援団長が産経新聞が大好きな奴で、そいつに急に「朝鮮へ帰れ」みたいなこと言われて。いきなり。けっこう仲良かったのに。
——仲良かった人なんですか?
よかったですよ、だって俺、柔道部の部長ですよ。応援団長は大会で俺のこと応援しなきゃいけないのに。他にも調理実習のとき同じ班でコロッケつくったときに、うまいうまいって俺が食ってたら、彼が「これは俺とお前でつくったから『日韓併合』って名付けよう」って……もうどう言っていいか分からなくて。それで、理系で彼と同じクラスだったんですけど、文系志望に変えました。本当は、動物学者になってアフリカに行きたかった、野生のチーターとゴリラみるのが夢だったんだけど。
彼に応答しなきゃ、言われっぱなしでくやしいという気持ちがあって。俺がいまここにいることの正当な論理がほしいって思った。大学で最初哲学を選んだのは、やっぱりどこかシニシストなんでしょうね。メタな視線に立ちたかったんじゃないかと。シニシズムってそれ自体が癒しなんですよね。
ある意味ひらきなおれるし。マジョリティ願望もあります。私のところどころ出る問題発言というのもマジョリティ願望であって、差別を内在化してるってことなんですよね。ミソジニーあるし……だから自己再帰性が大事だと。私はみなが自己再帰性を機能させるのが、差別をなくす唯一の方法だと
思っているんです。
在特会のような奴らは、存在論的不安と相対的剥奪感に支配されてる人たち。彼らがいったいどういうメンタリティでウトロや朝鮮学校に堂々とヘイトスピーチをばらまきに行くのか、それは日本人っていうだけで安全圏の中で守られてると信じてる、からだと思う。自分には日本人ってだけでそれ以外の他者をコントロールできる権利があると思っている。けど、実際は、現実にはそうじゃない。
それを認めるのが怖いんでしょうね。そのためには暴力も肯定する彼らの正義は、単により強い者の側につくかどうかで決まってる。そういうの、シンプルに許せないんですよ。
——崔さんが掲げたバナーには「民族教育の権利を守るぞ!/阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!/祖国統一!」とありました。ハッとした人も多いと思う。私もその一人です。最後に「黒い彗星」の由来は?
「黒い彗星」は、2ちゃんねるでゴキブリの愛称を募集しててそこで見つけた名前です。ゴキブリ上等! ……いや、聞かれるたびにいろんな違う理由言ってて、これも後づけですけど(笑)。支援してくれた全国のみなさんには本当に感謝してます。マジRESPECT!
「民族教育の権利を守るぞ!」
黒い彗星、12・4不当逮捕事件を振り返る
排外主義デモに単身抗議
崔 檀悦
2010年12月4日。京都朝鮮初級学校を襲撃した排外主義者たちが、京都他四カ所で一年前の事件を賛美し朝鮮学校解体を叫ぶデモを行なった。そして渋谷で、バナーを持ちデモ隊に立ちふさがった青年が暴行容疑で逮捕された。「黒い彗星」こと崔檀悦さん、本誌174号でも執筆いただいた在日コリアン三世の大学院生である。彼が暴力をふるった事実はない。むしろデモ隊から激しい集団暴行を受け、頭部などに全治三週間の大けがを負った。その傷痕がまだ生々しい中でのインタビューである。(まとめ・文責 編集部)
——早期釈放されて本当によかった。逮捕されてどうでしたか。
ずっと黙ってるのって難しいですね。三日で出られてよかった。俺はいま戦略的にフィールドワークしてる、つまりこの体験は俺にとってためになる、権力来い! と思いながら……三日が限界でしたね。
指紋とられたことで色々思い出しました。もちろん指紋押捺闘争のこともありますけど、大学入りたての時に盗難事件があって……俺が会計課に手渡ししたお金がなくなったと、ただ会計課の誰だかがまとまった金を持ってた、その金が俺が渡したものなのかどうか調べたいってことで、警察から何度も電話がかかってきて。俺そのころ打倒するぞとか糾弾するぞ! みたいな一番熱かった時期だったんですけど、すごいびびったんですよ。俺いま警察に呼ばれてる、なんでこいつ俺の番号知ってんの、って。紙幣に俺の指紋があれば犯人が判明する、関係者の指紋はみんな取ったからって言われて、知らねえよ、俺在日だぞって言いたかったけど、結局仕方がなく応じたんです。自宅の近くにある交番で。指紋、それから掌紋もとられた。
——それで……証明はできたの?
それが事件は闇の中。俺それですごく悩んで。そのころは、どこか冷めた目で自分をみてる自分と、民族性というところでどうしようもない自分と、個人的な問題、コミュニケーションが苦手でマジョリティについていけないという感覚と、それを民族性に還元してはいけないという意識がぐるぐるまわりながら大学生活を送っていて。どう考えていいか分からなかった。親しくしてた大学の先生にそのことを話したときには、泣いてしまった。俺、裏切っちゃったなあと。
けど今回は、ほんと無感情でした。調書にサイン代わりに押してって感じで「サインじゃだめですか?」ってきいたら「指紋でお願いします」「左人差し指です」って、じゃまあいいですよとポンポンと。何かいっぱい押して、書類指紋だらけになっちゃいますけどいいんですか? ってくらい押しました。次から逮捕されるときは印鑑もっていこうかな……印鑑証明も。
——え、じゃ一本だけ?
いや、問題はその後で。これで終わりかと思ったら留置場に入れられる時に全部とられた!へんな機械があって身長とか全部、写真もあっというまに。指紋は機械の上でスキャン。いま笑っていられるのは、たぶん、一回泣いたことあるからでしょうね。あと韓国で運転免許とりたいというだけの理由で住民登録した時にも押してるんです。韓国では国民全員から指紋と掌紋もとる。その時も、最初とられた時は泣いたのに、いまはただ免許とりたいがために指紋とらせてる自分がいるなあ……って。だから公権力に指紋をさし出したのは三回目ですね。
——日本での外国人登録では押していないんですね。
そうです。私たちの世代が指紋とられないで済むのは、先輩たちの指紋押捺拒否闘争の歴史があったから。だからその精神をくみたいという気持ち、それを裏切ってしまったという思いがものすごくあった。けどリスクをしょってでも伝えたいことが優先としてあったから。調書はとられても逮捕されないと甘く考えてたこともありますけど。
——釈放後に、東京地検に呼び出されましたよね。指紋押捺闘争の本を片手に面接に臨んだ。
あれは母親の本借りてきて(笑)出すタイミングはまったくなかったですね。前澤検察官は暴行があったかという事実に関してはどうでもいいみたいで、まず「遵法精神は君にあるのか」って言われたんですよ。「君は合法的なデモを妨害することに対する違法性は感じないの」とかなんとか。私が「彼らのデモは私にとって許せないことを言っているわけでして」と答えたら、「じゃあ君がデモの主催者だとしたらどう思うの」と。で「無視するでしょうね」って言ったら「それで危ない目に遭ったのは分かってるでしょ」って。妨害したかどうかが重要みたいな言い方だった。「そうじゃなくて、私はマイノリティに対するヘイトスピーチが許せなくて……」と言ったとたん「そんなことは聞いていない! もういいよ、キミ出てって!」って。一蹴ですよ。暴行があったかなかったか、暴行を受けると分かっててもなぜデモに反対するか、こんな歴史があってとか、色々話したかったのに、こちらの立場は全くくんでもらえなくて。
——崔さんが在日朝鮮人だということについて、リアクションは?
なーんにもなかったですね。まさに法というシステム原理でしかアタマ動いてないんじゃないかって感じ。ハナから邪魔者と決めつけてて……まあ、立派なイヌですね。あ、スミマセン、シニシズム出てしまいました。
結果、不起訴ということで、証拠映像もあるし起訴は無理と判断したんでしょうけど……なんか俺、中途半端に出されたから被害者ヅラできないんですよ。あと「大人になりなさいよ」とも言われましたね。なんか27歳だったら新卒でサラリーマンやってもう五年めだろ? みたいな感じに聞こえた。「では、私の処分に関して大人の寛大な対応をぜひ勉強させていただきます」とかなんとか、うまいこと言えばよかったなあ。だって、途中でキレて「出てけ」って言ったのどっちだよ!(笑)。あれにはびっくりした。「大人になりなさいよ」って言った人がいきなりキレて「退場!」って、心の壁いきなりシャットダウンですよ……。
——なんかポカーンとした顔で面接から帰ってきましたもんね。「俺、怒られたんですけど……キレられたんですけど……」って(笑)
結果、起訴猶予、「暴行の嫌疑は多少ある」みたいな処分になるっていやがらせだなあって。暴行の事実についての質問なんかひとこともなかったですから。たんに前澤さんは俺のこと気にいらないから起訴猶予にしたんじゃないか。「嫌疑なし不十分」にならなかったことで、応援して下さったみなさんをがっかりさせてしまったと思って。
——東京地検が腐ってるだけ。ネットでは崔さんへの誹謗中傷が続いています。顔写真もアップされている。中には崔さん自身、気にいってる写真もあるようですが。
西村修平(主権回復を目指す会)を投げ飛ばしてるようにみえるやつ、あれ気に入ってます。あまりにもうまく撮れてるんで、何でこんな奇跡の一瞬が撮れたの?っていう。正直、俺その瞬間のことよく覚えてないんですけど、あの写真見せられたら、あ、俺ほんとに修平を倒したのかなって。すかっとする人いるんだろうな、と。俺もあの写真みてすかっとしましたから(笑)。柔道やってるからああいう動きがくせになってるんで、無意識にかわしたんでしょうね。あんなふうに突っ込んでこられたらバランスをとって転がしてあげないと逆に危ない。だからたぶん一番いい形で転ばしてあげてると思うんですよ。自分も多少リンチされても血が出るくらいはしょうがないかなとは思ってたし……。
12月4日は、崔さんにとって忘れられない日だった。一年前のこの日、在日特権を許さない市民の会の構成員が、京都朝鮮第一初級学校におしかけ、「スパイの子」「日本から出ていけ」などと罵声を浴びせ、地域住民や京都市とも合意の上で長年利用していた公園からスピーカーを無断で切断、演台やゴールポストを勝手に撤去するといった暴挙を繰り広げた。事件をめぐってはこの一年、大きな動きがいくつかあった。在特会側から逮捕者がでると同時に朝鮮学校の元校長が都市公園法違反で書類送検された。現在、朝鮮学校側が提訴。一方で、朝鮮学校の高校無償化排除はいまも続いており、外国人地方参政権も話題にのぼらなくなった。それどころか、延坪島砲撃事件を新たな契機に、朝鮮学校で学ぶ生徒たちにもっとも鋭く報復感情が向けられるという事態が続いている。崔さんはそうした中で署名集めやビラまきといった地道な活動を続けてきた。朝鮮語講師もしており、朝鮮学校での民族教育の重要性を再認識してきたと話す。
——チェさんは基本的に一人で行動してますね。
俺はいつでもピンですよ。友だちいなくて悪かったな、冗談です(笑)。エルファという高齢者施設に在特会が押しかけたときも朝の新幹線で京都に行って、自分は在日ですけど、そこで闘っている人たちとは同胞であるってだけで立場性はちがう。
私の中では、2010年1月24日に起こった出来事が一番大きくて。新宿中央公園で、高校生が逮捕された。私も現場にいたんで。中谷(主権回復を目指す会)に髪の毛むしられたし。mixiの「在特会を許さない市民の会」管理人をやってるんですけど、京都朝鮮初級学校の事件が起こってしまって、その後、池袋で中国系商店に奴らが押しかけた事件で高校生と出会って、1月24日は行かないとちょっと俺しめしつかないなと思ったこともあって行って、結果ボコ殴りにされた。それからですね、京都、蕨、地元・仙台、小平、私の愛する秋葉原も……。
——12月4日は正確にはシットインしようとしたんですよね。バナーしか持っていなかった。
そうです。座り込めば逮捕されなかったのかなあ。公道に一歩出た瞬間、ふっといろんなことがアタマをよぎった。さんざん在特会の問題は日本人の問題と言いながらフライングぽいなとか、運動的に奴らが衰退しようとしてるときに戦略上どうなのかとか……けど、衰退してようがどうしようが関係なく、許せなかった。とにかく。1・24以降、私は在日朝鮮人として久々の強制国外退去者になってやる、っていう覚悟でいたんです。あの日のこと、ほんとうにくやしかったから。
もちろん甘い考えもあったと思います。自分はその日の夜知人と飲む約束してたんで、せいぜい何時間か拘束されて調書とって出られるだろうと思ってた。
私は、在日朝鮮人である前にニートなんで親にもうしわけないという気持ちはもちろんあります。
だけど、私はいわば、幸福な在日なんです。在日の中でもマジョリティで教授の息子で、やっぱり恵まれている。だから在日同胞はまきこまない。単パネで行くしかない。
——崔さんは、在特会の存在は早くから結成当初から知っていましたよね。ネット上で増殖する排外主義を「パラノイア・ナショナリズム」と名づけ、注目してきた。大学院で社会学を専攻したのも、そうした問題意識からですよね。
はい、2003年頃からブログやってて、ネトウヨにめちゃくちゃ荒らされた時期があって。つくる会とかが出てきたころで、本当この現象怖いなあ、どうしようって思ってた。あのころ『嫌韓流』が飛ぶように売れてて、見ていると、アマゾンランキングに『嫌韓流』が一瞬出てないってだけでブログに火がつく、そういう瞬間があるんですよ。自分たちの不満、不満、不満ばかり。被害者意識。
じっさい90年代以降の保守的な言説を口にする人は、他国や左翼を馬鹿にし揶揄するアイロニー言語に長けていて、揚げ足取りばかり。とにかく冷笑的。それで「タブーに挑戦する」ってことになってる。ハァただ構造化した中でのおまえらの差別感情吐き出してるだけだろっていう……。差別の内在化というのは怖いなあと。
そういうことずっと考えてたので、ポスコロ研究者やりたいなあとも思ってたけど、それやってる同胞それなりにいるから、俺はあえて継続する植民地主義の文脈から、2ちゃんねるとかサブカルみたいなのを理解しようと、ネトウヨ分析やろうと思って。
誰もが差別意識を持っているし、持たないと生きていけない構造になってる。そのことが問題だと思っています。その中で冷静に自分の間違いを認めながら反省する、私は自己再帰性と言ってますけど、つまり自らを振り返る力というのが必要で、けど反省しないロマン主義がはやってる。ネタにベタに反応しちゃう。それがネトウヨ現象だと思ってます。まあ、あと何というか、俺こそシニシストだろって感じだったんで。
——シニシストなの?
そうですよ。実際暴言吐きまくりで怒られまくってますよ。昔から厭世的な人間で。きっかけは、差別ですね。高校のときの応援団長が産経新聞が大好きな奴で、そいつに急に「朝鮮へ帰れ」みたいなこと言われて。いきなり。けっこう仲良かったのに。
——仲良かった人なんですか?
よかったですよ、だって俺、柔道部の部長ですよ。応援団長は大会で俺のこと応援しなきゃいけないのに。他にも調理実習のとき同じ班でコロッケつくったときに、うまいうまいって俺が食ってたら、彼が「これは俺とお前でつくったから『日韓併合』って名付けよう」って……もうどう言っていいか分からなくて。それで、理系で彼と同じクラスだったんですけど、文系志望に変えました。本当は、動物学者になってアフリカに行きたかった、野生のチーターとゴリラみるのが夢だったんだけど。
彼に応答しなきゃ、言われっぱなしでくやしいという気持ちがあって。俺がいまここにいることの正当な論理がほしいって思った。大学で最初哲学を選んだのは、やっぱりどこかシニシストなんでしょうね。メタな視線に立ちたかったんじゃないかと。シニシズムってそれ自体が癒しなんですよね。
ある意味ひらきなおれるし。マジョリティ願望もあります。私のところどころ出る問題発言というのもマジョリティ願望であって、差別を内在化してるってことなんですよね。ミソジニーあるし……だから自己再帰性が大事だと。私はみなが自己再帰性を機能させるのが、差別をなくす唯一の方法だと
思っているんです。
在特会のような奴らは、存在論的不安と相対的剥奪感に支配されてる人たち。彼らがいったいどういうメンタリティでウトロや朝鮮学校に堂々とヘイトスピーチをばらまきに行くのか、それは日本人っていうだけで安全圏の中で守られてると信じてる、からだと思う。自分には日本人ってだけでそれ以外の他者をコントロールできる権利があると思っている。けど、実際は、現実にはそうじゃない。
それを認めるのが怖いんでしょうね。そのためには暴力も肯定する彼らの正義は、単により強い者の側につくかどうかで決まってる。そういうの、シンプルに許せないんですよ。
——崔さんが掲げたバナーには「民族教育の権利を守るぞ!/阪神教育闘争の精神を受け継ぐぞ!/祖国統一!」とありました。ハッとした人も多いと思う。私もその一人です。最後に「黒い彗星」の由来は?
「黒い彗星」は、2ちゃんねるでゴキブリの愛称を募集しててそこで見つけた名前です。ゴキブリ上等! ……いや、聞かれるたびにいろんな違う理由言ってて、これも後づけですけど(笑)。支援してくれた全国のみなさんには本当に感謝してます。マジRESPECT!

<ハンギョレ>脱原発に賛同しているハンギョレ新聞だが、月曜から今日まで日本の反原発デモを取り上げているのみならず、韓国の李明博大統領の原発推進に批判的な論調を見せている。
昨日9月21日水曜日朝刊一面、
世界は脱原発の流れなのに・・・MBは「原発拡大させる」
国連原子力会議演説予定 日本惨事からたった6ヶ月過ぎて
李明博(イ・ミョンバク)大統領が国連で「原子力発電所を拡大させる」と演説する予定だ。日本福島原発事故以降ドイツ、スイスなど原発閉鎖を決定するなど国際社会は「脱原発の風」が吹いている中で、それとは間逆を行く姿勢である。
青瓦台(大統領官邸)高位関係者はイ大統領が22日(現地時刻)米国ニューヨークで開かれる「国連原子力安全高位級会議」にて行う基調演説内容と関連して最近「国際社会で¥問題になっている原発問題について韓国の立場を明かす予定」であるとし、「福島原発事故が原子力発電を諦める理由になってはいけないし、環境とともに持続可能な成長のために原発安全性を強化しながら原子力発電所を拡大させるという内容になるだろう」と話した。イ大統領の演説によって会議から原発拡大を取り巻く意見対立を呼び起こす可能性と関連して高位関係者は「対立の可能性はある」といいながらも「反原発勢力と親原発勢力の間で韓国が均衡を取る役割を果たすだろう」と話した。今回の会議は3月13日発生した福島原発事故以降6ヶ月が過ぎた時点から対策を論議しようと開かれるものであり、韓国、日本、フランスの政府関係者が参加する。イ大統領は21日国連総会および原子力安全高位級会議基調演説のため20日訪米するため出国する。
日本の野田よしひこ総理は今回の会議にて「安全でより信頼性の高い原子力エネルギー確保が継続する必要がある」という見解を述べると日本のメディアたちは報道した。菅直人前総理が福島事故以降掲げた「脱原発依存」政策方向からかなり後退した内容である。<共同通信>は野田総理の演説内容を報道しながら「脱原発依存から急速に移行しないという立場を明確にする意味」であると付け加えた。
しかし、日本政府の場合、原発の新増設は事実上、全面中断された状態である。最初、2030年まで14基の原発を追加建設しようとしたが今年3月末菅総理がこれを白紙化した。
二つの国の違いは国際原子力機構(IAEA)総会でも表れた。キム・チャンギョン教育科学技術部第二次官は19日(現地時刻)オーストリア、ウィーンの原子力機構本部から開かれた第55次総会演説にて「安全性を高めて原発比重を2030年までに59%まで延ばす予定」だと原発拡大の方針を明らかにした。反面細野ごうし日本原発担当相はこの日記者会見にて「日本では原発に対する依存度を減らさなければいけない一種のコンセンサスがあるが、速度と方法はまだ決まっていない」と話した。19日東京明治公園から6万余名の市民が反原発デモを行うなど調査によっては80%を超える日本内の「脱原発」世論を意識した発言である。
今回の国連国際原子力機構総会では原発安全基準を強化する「実行計画(アクションプラン)」がされたくされた。天野ゆきや事務総長は今回の総会で「実行計画は福島事故以前と比べて原発安全性を強化させるのに重要な前進させるだろう」と明かした。
アン・チャンヒョン、ウィーン/オ・チョルウ記者、東京/ジョン・ナムグ特派員
blue@hani.co.kr
さらに、イ大統領の原発拡大演説が行われた今日(現地22日)ハンギョレは4面において、反原発支持の強い論調で「『脱原発』に逆行・・『親原発』の銃を背負った韓国」というタイトルで韓国政府の原発推進方針、稼働21基、建設7基、推進4基、をアメリカ、フランスと並んで原発大国になる野心的な態度として、EU諸国との対照的であると強い論調で批判した。韓国の原発は2002年から2011年にかけて故障による発電停止件数が82件にのぼり、今年に入っても4件故障停止した。さらに福島第一原発事故移行の各国の原発縮小の態度を示したドイツ、イタリア、スイス、メキシコ、タイ、ベネズエラ、フィリピン、そして日本を紹介(2030年までの14基増設白紙検討中)した。さらに韓国野党、民主党ジョン・ドンヨン(前大統領選候補、元韓国放送アナウンサー)最高議員の「国連会議で親原発国家と脱原発国家が殺伐と対立しているなかでイ・ミョンバク大統領は新原発国家の代表選手と先立つという、日本福島の悲劇にもっとも近い距離にいる大韓民国の国家元首が原発拡大に積極的とは荒唐無稽である」という言葉を紹介し、さらに民主労働党も論評で「イ・ミョンバク大統領は時代的趨勢にも合わない、国民の不安感のみを呼び起こす原発拡大政策を廃棄しろ」と要求し、シン・チャンヒョン副代弁人は「福島原発事故の恐ろしい記憶と恐怖がまだ消えていないのに大統領が先頭に立ち原発を拡大するとことに国民は驚くばかりであり、原発に全面的に依存するエネルギー政策をいま変えなきゃいけない」と話したこと、加えて韓国の反原発運動を牽引してきたジョ・スンス議員の「原発は反環境的であるばかりか経済性も落ちる危険な手段であり、国連気候変化協約でも持続可能ではないという理由で親環境認証を拒否している」と電話インタビューに答えた内容を伝えた。
さらに野田総理の「停止している原発、来年には再稼働」という発言を紹介し、ロイター通信の19日の明治公園で6万人を動員した反原発デモの写真とともに野田総理の方針に日本での世論の反発は必須と紹介した。
文責 黒い彗星
NO NUKES!!脱原発!!
韓国のとある大学の語学院の「韓国語教師養成過程」
ウリマル、韓国朝鮮語を語学的に勉強するのもソウルで一人暮らしするのも
どれも新鮮であり、さらにじっくり自分を省みる時間もあって充実していると思う。
一人で寝る前に焼酎一瓶飲まなきゃ寝れないのは自分の心の弱さか。。。
ツイッターでの右派のひとたちのやりとりは正直心磨り減る思いだが、
それでも元気に韓国での生活をかみ締めてるいいところも悪いところも。
養成過程の授業での話しだが、当大学の「韓国語教師養成過程」の授業のことであったが
とても面白かった。当の韓国語文法論の授業は難しかったが、
先生は当大学の国文科の教授で、教師養成過程をつくった元語学院センター長であり、
ウィットの効いた冗談を交えた授業は彼女の冷静で堅物そうな私の最初の印象からは想像できなかった。
名前がソウォンで、子どもとき「うりへそうぉんぬんとんいる私たちの願いは統一」とクラスの子たちが
彼女の近くを通ると歌ってふざけていたらしい。
また彼女の「多文化はすばらしいもの」や
言葉の由来を研究すると昔の民族間の交流や争いなどさまざまな影響の痕跡がみられ
「本当の単一民族なんてありえない」という言葉にも親近感が沸いた。
とくに興味深かった話は
韓国語には主語にくっつける格助詞が「い/が이/가」がふたつあるのだが、
これは主語の語尾のパッチムのありなしで使い分ける、
この「が」が日本由来ではないかというお話をされたことである。
朝鮮時代の格助詞は基本「い」しかなく
中世朝鮮以前の文献を調べても「が」は少なくとも文語には出てこないという。
それ以降も現代韓国語と違い少なくとも文語での主語につける格助詞は「い」を使うのが通例であった。
しかし、16世紀ある母が息子に?送った手紙で「が」がみつかったという。
文語では使わない、使ってはいけない「が」を使った文献が見つかったというわけは
当時の朝鮮での日常生活での口語では、「が」が使われていたということになる。
しかし、元は「い」しかない格助詞に「が」が広まった理由は彼女の推測では、
16世紀を前後して(豊臣秀吉の「朝鮮出兵」も16世紀)日本人、日本出身者が当時
多く朝鮮にいたから、そこで借用(語学用語)が行われたのでないかという。
確かに当時の朝鮮も他国との貿易など日本人も中国人も
交流が活発だっただろう。それ以降の朝鮮通信使をみてもそうであるだろう。
言葉は国や民族間で影響し合うものであるだろう。
キムチに使われる唐辛子も秀吉の朝鮮出兵と関係あるという話も聞いたことがある。
さらに続けて韓国語で文末につける「~すんにだ습니다」や「~いだ이다」も同様に
日本語言語圏からの借用ではないかという。
朝鮮語固有の文末語尾は「~いら이라」など「ら」が通例であったからだ。
なるほど、それを聞いて私は苦笑いを隠せなかった。
なぜなら、今のネットにはびこるネトウヨと呼ばれる人たちや嫌韓のひとたちは
朝鮮・韓国、コリアンを侮蔑したり、馬鹿にするとき「鮮人」や「チョン」
(「チョン」はいまでもよく散見する)ではなく「ニダー」や「トンスル(糞酒)」と使い、
差別用語を新造しているからだ。
これは皮肉である。彼らが馬鹿にしている、朝鮮・韓国語の語尾の「~だ」が日本語の「~だ」
由来とはネトウヨや嫌韓流の人たちは知る由もないだろう。
ネットでは他の文化圏や国を馬鹿にしたり、皮肉ったり、侮蔑したりする嗤う文化がはびこっているが
語学の歴史や由来を勉強するとそんなものはほんとうに取るに足らないものだと痛感させられる。
とにかく、そりよりも手ごわいのは歴史修正主義者や戦争、植民地被害者を否定する輩である。
ま、今日はネットにどっぷりつかりすぎた。もう家に帰らねば。
ウリマル、韓国朝鮮語を語学的に勉強するのもソウルで一人暮らしするのも
どれも新鮮であり、さらにじっくり自分を省みる時間もあって充実していると思う。
一人で寝る前に焼酎一瓶飲まなきゃ寝れないのは自分の心の弱さか。。。
ツイッターでの右派のひとたちのやりとりは正直心磨り減る思いだが、
それでも元気に韓国での生活をかみ締めてるいいところも悪いところも。
養成過程の授業での話しだが、当大学の「韓国語教師養成過程」の授業のことであったが
とても面白かった。当の韓国語文法論の授業は難しかったが、
先生は当大学の国文科の教授で、教師養成過程をつくった元語学院センター長であり、
ウィットの効いた冗談を交えた授業は彼女の冷静で堅物そうな私の最初の印象からは想像できなかった。
名前がソウォンで、子どもとき「うりへそうぉんぬんとんいる私たちの願いは統一」とクラスの子たちが
彼女の近くを通ると歌ってふざけていたらしい。
また彼女の「多文化はすばらしいもの」や
言葉の由来を研究すると昔の民族間の交流や争いなどさまざまな影響の痕跡がみられ
「本当の単一民族なんてありえない」という言葉にも親近感が沸いた。
とくに興味深かった話は
韓国語には主語にくっつける格助詞が「い/が이/가」がふたつあるのだが、
これは主語の語尾のパッチムのありなしで使い分ける、
この「が」が日本由来ではないかというお話をされたことである。
朝鮮時代の格助詞は基本「い」しかなく
中世朝鮮以前の文献を調べても「が」は少なくとも文語には出てこないという。
それ以降も現代韓国語と違い少なくとも文語での主語につける格助詞は「い」を使うのが通例であった。
しかし、16世紀ある母が息子に?送った手紙で「が」がみつかったという。
文語では使わない、使ってはいけない「が」を使った文献が見つかったというわけは
当時の朝鮮での日常生活での口語では、「が」が使われていたということになる。
しかし、元は「い」しかない格助詞に「が」が広まった理由は彼女の推測では、
16世紀を前後して(豊臣秀吉の「朝鮮出兵」も16世紀)日本人、日本出身者が当時
多く朝鮮にいたから、そこで借用(語学用語)が行われたのでないかという。
確かに当時の朝鮮も他国との貿易など日本人も中国人も
交流が活発だっただろう。それ以降の朝鮮通信使をみてもそうであるだろう。
言葉は国や民族間で影響し合うものであるだろう。
キムチに使われる唐辛子も秀吉の朝鮮出兵と関係あるという話も聞いたことがある。
さらに続けて韓国語で文末につける「~すんにだ습니다」や「~いだ이다」も同様に
日本語言語圏からの借用ではないかという。
朝鮮語固有の文末語尾は「~いら이라」など「ら」が通例であったからだ。
なるほど、それを聞いて私は苦笑いを隠せなかった。
なぜなら、今のネットにはびこるネトウヨと呼ばれる人たちや嫌韓のひとたちは
朝鮮・韓国、コリアンを侮蔑したり、馬鹿にするとき「鮮人」や「チョン」
(「チョン」はいまでもよく散見する)ではなく「ニダー」や「トンスル(糞酒)」と使い、
差別用語を新造しているからだ。
これは皮肉である。彼らが馬鹿にしている、朝鮮・韓国語の語尾の「~だ」が日本語の「~だ」
由来とはネトウヨや嫌韓流の人たちは知る由もないだろう。
ネットでは他の文化圏や国を馬鹿にしたり、皮肉ったり、侮蔑したりする嗤う文化がはびこっているが
語学の歴史や由来を勉強するとそんなものはほんとうに取るに足らないものだと痛感させられる。
とにかく、そりよりも手ごわいのは歴史修正主義者や戦争、植民地被害者を否定する輩である。
ま、今日はネットにどっぷりつかりすぎた。もう家に帰らねば。
今日の韓国の新聞<ハンギョレ>の一面は韓米FTAに関する記事。保守で与党でのハンナラ党議員たちが現代ヒュンダイ自動車から数百万の政治献金を受けた疑惑に関する記事。FTAが実現するとヒュンダイは関税2.5%撤廃により年間2000億オェンの収益が見込まれるという。さらにFTA韓米自由貿易協定批准同意案を与党ナム・ギョンピル外交通商統一委員会委員長が野党協議を無視し、野党の反発のなか、常任委に強行的に直権上程したという記事。さらに南北二次非核化会談、21日北京で行われるということと、大規模停電に関する記事で韓電が需要予測を怠ったのみならず予備電源として待機している発電所3つを稼動させていなかったという記事。
社説のテーマは「危機対応の総体的不備を露呈した『停電事態』」、「日本は『慰安婦賠償協議』誠実に応対すべき」、「釜山貯蓄銀行賄賂事件「全貌明かし」いまスタートである」の三つである。
そのなかで今日は「慰安婦被害者」に韓日政府間協儀提案に関する社説の一部と国際面の記事を翻訳したい。まず2011年9月17日23面の社説一部、「日本は『慰安婦賠償協議』誠実に応対すべき」
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(旧)日本軍慰安婦賠償問題などを解決するため両者間協議をしようという韓国政府の提案を日本政府が事実上拒否した。1965年韓日協定締結のときに請求権問題がすでに法的にすべて解決されたという従来の立場を繰り返した日本の返事は大変遺憾である。
いままで私たち政府は日帝植民地支配被害者の個人的な賠償請求権は韓日協定によって解決されたものではないが、政府が出てきて公式的な賠償要求はしないという立場であった。今回の提案はそんな消極的な政府の対応が違憲であるという先月末の憲法裁判所の決定を受容してのことである。被害者個人が勝手にしろという既存の対処方式を変えると宣言したということだ。しかし、韓国民と国際社会の世論が重くのしかかる今回の提案に日本政府は結局、背を向けてしまった。
日本外務省副大臣の「慰労金」関連発言をみて、もしかしたら被害国からすでに拒否されたことのある「アジア女性平和基金」式の旧態依然な方式をまた出す考えかもしれない。日本政府の責任を避けようとするずる賢い手法である。日本は慰安婦(被害者)のみならずサハリン同胞、原爆被害者などの植民地被害者の賠償要求を徹底的に黙殺してきた。1965年協定のなかでこの問題は議題にものぼらなかったのに、すべて解決したという主張は理不尽(原文、語不成説)であるといことは国際社会の一致した意見である。それにもかかわらず賠償責任にそっぽを向け続ければのちに大きな荷になるしかないだろう。駐韓日本大使は昨日、韓日自由貿易協定の交渉を再開し、将来南北韓と日本をひとつの市場として束ねようといった。しかし、このような日本の姿勢のままでは困難であることは明らかである。
憲法裁判所決定後に動き始めた韓国政府も日本とそれほど違わないだろう。しまいにはそぶりのみで日本側の積極的な反応を引き出すこともできなかったのだ。このままではいけない。ハルモニたちの高齢と健康を考慮してより積極的な姿勢で問題解決に臨まなければ日本政府の責任ある態度を引き出すことはできない。残された時間はないのである。
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そして、国際面9面の記事はデンマーク初の女性総理誕生やアメリカの台湾への武器輸出に中国の機嫌を伺うという記事に、フランスのシャンゼリゼ通りでの「物乞いに対する罰金」が実は移民排除の保守的な政策であるという記事。さらにはマレーシアの保安法が51年の年月を経て廃止になったという記事。韓国もいつ国家保安法が廃止になるだろうか。さらに大きな見出しで沖縄での新しい歴史教科書を作る会の公民教科書が協議会により採択され、教育委員会や住民の強い反発をまねき、訴訟になる見込みという記事である。歪曲教科書を反対し続けた苦難の歴史的背景と伝統を持つ沖縄で起きた事態に、韓国の進歩陣営にとってもショックが大きい。そして最後には、「慰安婦問題」関連の記事である。この記事のみ翻訳したい。上記で翻訳したハンギョレの社説と一緒に読めばより理解しやすいと思われる。
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2011年9月17日
日、「慰安婦請求権、法的に解決 終わったこと」
韓国両者協議提案拒否
日本軍慰安婦被害者賠償問題など論議するための両者協議をしようという韓国政府の提案に対して日本政府が「法的にはすでに解決がなされ終わった問題」だという主張を繰り返した。
16日日本言論報道によると、山口つよし外務省副大臣(次官)は15日開かれた記者会見において韓国が慰安婦問題請求権協議の提案と関連して「1965年国交正常化のとき請求権問題は法的に解決された立場に変わりはない」と「このような立場を韓国側に伝えた」と話した。
山口副大臣はしかし、「(元慰安婦にたいして)なんらかの形で対処できるか、あれこれ方案を検討するかもしれない」と言葉を残した。これは過去に日本政府が推進した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)のような賠償方法を念頭においての発言と思われる。
日本は1995年7月民間募金を基盤としたアジア女性基金を創設し、この基金から慰安婦にされた人々に慰労金を支給しようとしたことがある。しかし、当時韓国では日本政府の責任回避手段に過ぎないとして批判が起き、当事者団体を軸に受領拒否運動が起きた。基金は2007年解散した。 東京/ジョン・ナムギュ特派員
元記事
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/496575.html
>>>>>>>>>>>>>>>>
これは17日土曜日のハンギョレ朝刊である。私の怠惰さのせいで
もう月曜日になってしまった・・・
一日一日を大切しなければ、
「従軍慰安婦」被害者はるもにたちの一日一日はもっと尊い。
私たちは全力で、日本政府の真摯なる対応を求めるのみだ。
現に旧日本帝国による植民地・戦争の被害者は生存している。
そして、訴えている。日本政府の真摯な対応を。
旧日本帝国といまの日本国がつながっていないというかもしれないが、
なら現在の日本国はなぜ元軍属の人々とその遺族に年金を払っているのだろうか。
なぜ原爆被害者に被爆手帳と年金を払っているのだろうか・・・
大島渚の『忘れられた皇軍』をみればわかるが
朝鮮・台湾の傷痍軍人たちは戦後、補償も受けられず街中で「物乞い」をしていた。
国籍が違うからという。
当時、併合は「合法」だといい、「近代化させてやったから文句いうな」といい、
戦後の対応は「外国人だから、知らない」とは大アジア主義的妄言を吐きながら、
被害者を切り捨てる・・
日本政府の責任主体としての真摯で誠意ある対応を期待したい。
「被害者たちは時間がないのだ」。
社説のテーマは「危機対応の総体的不備を露呈した『停電事態』」、「日本は『慰安婦賠償協議』誠実に応対すべき」、「釜山貯蓄銀行賄賂事件「全貌明かし」いまスタートである」の三つである。
そのなかで今日は「慰安婦被害者」に韓日政府間協儀提案に関する社説の一部と国際面の記事を翻訳したい。まず2011年9月17日23面の社説一部、「日本は『慰安婦賠償協議』誠実に応対すべき」
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(旧)日本軍慰安婦賠償問題などを解決するため両者間協議をしようという韓国政府の提案を日本政府が事実上拒否した。1965年韓日協定締結のときに請求権問題がすでに法的にすべて解決されたという従来の立場を繰り返した日本の返事は大変遺憾である。
いままで私たち政府は日帝植民地支配被害者の個人的な賠償請求権は韓日協定によって解決されたものではないが、政府が出てきて公式的な賠償要求はしないという立場であった。今回の提案はそんな消極的な政府の対応が違憲であるという先月末の憲法裁判所の決定を受容してのことである。被害者個人が勝手にしろという既存の対処方式を変えると宣言したということだ。しかし、韓国民と国際社会の世論が重くのしかかる今回の提案に日本政府は結局、背を向けてしまった。
日本外務省副大臣の「慰労金」関連発言をみて、もしかしたら被害国からすでに拒否されたことのある「アジア女性平和基金」式の旧態依然な方式をまた出す考えかもしれない。日本政府の責任を避けようとするずる賢い手法である。日本は慰安婦(被害者)のみならずサハリン同胞、原爆被害者などの植民地被害者の賠償要求を徹底的に黙殺してきた。1965年協定のなかでこの問題は議題にものぼらなかったのに、すべて解決したという主張は理不尽(原文、語不成説)であるといことは国際社会の一致した意見である。それにもかかわらず賠償責任にそっぽを向け続ければのちに大きな荷になるしかないだろう。駐韓日本大使は昨日、韓日自由貿易協定の交渉を再開し、将来南北韓と日本をひとつの市場として束ねようといった。しかし、このような日本の姿勢のままでは困難であることは明らかである。
憲法裁判所決定後に動き始めた韓国政府も日本とそれほど違わないだろう。しまいにはそぶりのみで日本側の積極的な反応を引き出すこともできなかったのだ。このままではいけない。ハルモニたちの高齢と健康を考慮してより積極的な姿勢で問題解決に臨まなければ日本政府の責任ある態度を引き出すことはできない。残された時間はないのである。
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そして、国際面9面の記事はデンマーク初の女性総理誕生やアメリカの台湾への武器輸出に中国の機嫌を伺うという記事に、フランスのシャンゼリゼ通りでの「物乞いに対する罰金」が実は移民排除の保守的な政策であるという記事。さらにはマレーシアの保安法が51年の年月を経て廃止になったという記事。韓国もいつ国家保安法が廃止になるだろうか。さらに大きな見出しで沖縄での新しい歴史教科書を作る会の公民教科書が協議会により採択され、教育委員会や住民の強い反発をまねき、訴訟になる見込みという記事である。歪曲教科書を反対し続けた苦難の歴史的背景と伝統を持つ沖縄で起きた事態に、韓国の進歩陣営にとってもショックが大きい。そして最後には、「慰安婦問題」関連の記事である。この記事のみ翻訳したい。上記で翻訳したハンギョレの社説と一緒に読めばより理解しやすいと思われる。
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2011年9月17日
日、「慰安婦請求権、法的に解決 終わったこと」
韓国両者協議提案拒否
日本軍慰安婦被害者賠償問題など論議するための両者協議をしようという韓国政府の提案に対して日本政府が「法的にはすでに解決がなされ終わった問題」だという主張を繰り返した。
16日日本言論報道によると、山口つよし外務省副大臣(次官)は15日開かれた記者会見において韓国が慰安婦問題請求権協議の提案と関連して「1965年国交正常化のとき請求権問題は法的に解決された立場に変わりはない」と「このような立場を韓国側に伝えた」と話した。
山口副大臣はしかし、「(元慰安婦にたいして)なんらかの形で対処できるか、あれこれ方案を検討するかもしれない」と言葉を残した。これは過去に日本政府が推進した「女性のためのアジア平和国民基金」(アジア女性基金)のような賠償方法を念頭においての発言と思われる。
日本は1995年7月民間募金を基盤としたアジア女性基金を創設し、この基金から慰安婦にされた人々に慰労金を支給しようとしたことがある。しかし、当時韓国では日本政府の責任回避手段に過ぎないとして批判が起き、当事者団体を軸に受領拒否運動が起きた。基金は2007年解散した。 東京/ジョン・ナムギュ特派員
元記事
http://www.hani.co.kr/arti/international/japan/496575.html
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これは17日土曜日のハンギョレ朝刊である。私の怠惰さのせいで
もう月曜日になってしまった・・・
一日一日を大切しなければ、
「従軍慰安婦」被害者はるもにたちの一日一日はもっと尊い。
私たちは全力で、日本政府の真摯なる対応を求めるのみだ。
現に旧日本帝国による植民地・戦争の被害者は生存している。
そして、訴えている。日本政府の真摯な対応を。
旧日本帝国といまの日本国がつながっていないというかもしれないが、
なら現在の日本国はなぜ元軍属の人々とその遺族に年金を払っているのだろうか。
なぜ原爆被害者に被爆手帳と年金を払っているのだろうか・・・
大島渚の『忘れられた皇軍』をみればわかるが
朝鮮・台湾の傷痍軍人たちは戦後、補償も受けられず街中で「物乞い」をしていた。
国籍が違うからという。
当時、併合は「合法」だといい、「近代化させてやったから文句いうな」といい、
戦後の対応は「外国人だから、知らない」とは大アジア主義的妄言を吐きながら、
被害者を切り捨てる・・
日本政府の責任主体としての真摯で誠意ある対応を期待したい。
「被害者たちは時間がないのだ」。
国際一般[このヒト]「朝鮮学校差別は日本憲法に反する」
[ハンギョレ]キム・ドヒョン記者 シン・ソヨン記者
등록 登録: 20110908 20:08 | 수정修正 : 20110909 10:13
在日朝鮮学校「無償教育」排除に反旗を翻した河津聖恵さん
「H氏賞」 受賞の日本代表詩人
尹東柱の詩に接してから在日に関心をもつ
「政府方針・右翼の歪曲とんでもない」
2010年3月18日 日本京都朝鮮中高級学校へつながる小さな坂道を登る一人の日本人女性がいた。
詩の「芥川賞」と呼ばれる「H氏賞」(2003年)を受賞するなど数多くの賞を受賞した日本の代表的な詩人のひとりである河津聖恵(50)であった。
一週間前日本政府が朝鮮学校に対して高校「無償化」対象から除外するという方針が言論から報道されたのをみて衝撃を受けた河津は「世の中のどうしようもなさに怒りを感じながら」学校への坂道をのぼっていった。その次の日、朝鮮学校の風景と子どもたちの姿を目とこころに留めながら彼女は一編の詩をつづった。
「もう一人のあなたは/思わず手のひらを出して/花をもらって、まだ見ぬあなたに会おうとして/立ち尽くしていた」で終わるこの詩はオモニ(母)、ドンム(友)、ウリマル(朝鮮・韓国語)、ウリハッキョ(私たちの学校)、ソンセンニム(先生)、アボジ(父)、オッパ(お兄ちゃん)などウリマル(私たちの言葉)が韓国語の発音そのまま日本語詩語として収録されている。
.
詩を読んでみると「メディア(マスコミ)を中心として(朝鮮学校にたしての)嘘と悪意に満ちた世の中に対抗して彼らの真実を詩でもって証言しようとした」という彼(女)のこころが一枚の水彩画のように伝わってくるようだ。
河津は日本政府の朝鮮学校無償化排除方針が決まった2010年以降、「在日」と呼ばれる在日同胞の文人たちと日本の文人たちとともに反対運動を主導している。去年8月「朝鮮学校『無償化』除外反対アンソロジー」を出版し、その後東京、京都、広島、奈良、東北地方などで朗読会を開いたりもした。また日本文部科学省を訪問し「無償化」除外に対する抗議文を渡した。
2002年キム・ジョンイル北韓国防委員長の日本人拉致認定以降日本からは「反北」世論が強く
無償化排除反対運動を展開することはそう簡単なことではない。日本の有名詩人が世論の逆風に立ちはだかり戦う理由とはなんだろうか。慶尚南道チャンウォン キム・ダルジン文化祭(今月3~4日)参加するため韓国を訪問した河津は5日<ハンギョレ>と会い「『無償化』排除は差別のみならず教育の自由と平等性を謳う日本国憲法にも反する」と話す。彼(女)はまた朝鮮学校の実際の教育内容をみれば右翼の主張は根拠のないものであると強調した。
「朝鮮学校はスパイを養成しているとか人を洗脳していると主張している人たちがいるのも事実だ。しかし、朝鮮学校に訪れてみたら社会教科書は、多少日本に対して強く反発している内容もあったり拉致問題について言及されていない部分があるが全体の教育内容はやはり民族教育、失ってしまった『朝鮮』を取り戻し、守ろうとするものであった」
彼(女)は、朝鮮学校を無くして日本学校に通えばいいじゃないかという日本の右派たちの主張にたいして「日本学校に通う在日(在日同胞)さえも民族名(本文、韓国名)を明かせないのが現実である、そんな状況で朝鮮学校から来たというと子どもたちがどんないじめにあうか想像することもできない」といいながら、むしろ日本学生たちは朝鮮学校にもっと多く通って交流の場を広げなければならないと強調する。
彼(女)が在日同胞問題に興味をもった(本文、目を開いた)のは5年前尹東柱の詩との出会いが大きな契機であった。在日同胞詩人である金時鐘さんが翻訳した尹東柱の詩を読み「切なくとも美しい彼の詩語に、こころを針でさされたようだった」という。それ以降、尹東柱の詩を朗読する集まりに参加し、河津は2009年尹東柱をテーマにした短い詩「プロメテウス―尹東柱へ」を文藝春秋にて発表した。この詩を在日同胞文化家が新聞で紹介したことにより在日同胞たちとの交流がより深まったという。「その前まで在日問題にたいしてまったく分からなかったが、彼らの成長過程(歴史)とこころを知るようになってから新しい世界が開いたというか、彼らの新しい発想など、日本にたいする見方が新しく変わった(本文、近づいて来た)。」
個人的に2004年乳がんで手術を受けた彼女は尹東柱の詩が大きな心の支えになったという。「手術後、時々心が不安にさいなまれたりしたが彼の詩を書き写しなら心の安定を取り戻したりしていた。」
高校一年の時から詩を書きはじめた彼女は心の揺れや孤独感、詩への美意識のようなものをテーマにした超現実主義風の詩を書いていたが「在日」との出会いは他者と自身との関係にテーマを移すひとつの契機なったという。
チェルノブイリ事故を越えた惨事として伝えられている福島原発事故もまた、彼女の詩作の大きなテーマとして近づいている。
「大震災の現場を直接訪問しそれに関する詩を書いたが、原発事故にたいしてはまだ書けずにいる。日本や文明や文化などを全体的に省みなければならないので、力を蓄えなければならない。単純に原発反対ではなくインパクトのある詩を書きたい。」と話した。
文 キム・ドヒョン 選任記者 写真 シン・ソヨン 翻訳 黒い彗星 崔檀悦
元記事
http://www.hani.co.kr/popups/print.hani?ksn=495533
[ハンギョレ]キム・ドヒョン記者 シン・ソヨン記者
등록 登録: 20110908 20:08 | 수정修正 : 20110909 10:13
在日朝鮮学校「無償教育」排除に反旗を翻した河津聖恵さん
「H氏賞」 受賞の日本代表詩人
尹東柱の詩に接してから在日に関心をもつ
「政府方針・右翼の歪曲とんでもない」
2010年3月18日 日本京都朝鮮中高級学校へつながる小さな坂道を登る一人の日本人女性がいた。
詩の「芥川賞」と呼ばれる「H氏賞」(2003年)を受賞するなど数多くの賞を受賞した日本の代表的な詩人のひとりである河津聖恵(50)であった。
一週間前日本政府が朝鮮学校に対して高校「無償化」対象から除外するという方針が言論から報道されたのをみて衝撃を受けた河津は「世の中のどうしようもなさに怒りを感じながら」学校への坂道をのぼっていった。その次の日、朝鮮学校の風景と子どもたちの姿を目とこころに留めながら彼女は一編の詩をつづった。
「もう一人のあなたは/思わず手のひらを出して/花をもらって、まだ見ぬあなたに会おうとして/立ち尽くしていた」で終わるこの詩はオモニ(母)、ドンム(友)、ウリマル(朝鮮・韓国語)、ウリハッキョ(私たちの学校)、ソンセンニム(先生)、アボジ(父)、オッパ(お兄ちゃん)などウリマル(私たちの言葉)が韓国語の発音そのまま日本語詩語として収録されている。
.
詩を読んでみると「メディア(マスコミ)を中心として(朝鮮学校にたしての)嘘と悪意に満ちた世の中に対抗して彼らの真実を詩でもって証言しようとした」という彼(女)のこころが一枚の水彩画のように伝わってくるようだ。
河津は日本政府の朝鮮学校無償化排除方針が決まった2010年以降、「在日」と呼ばれる在日同胞の文人たちと日本の文人たちとともに反対運動を主導している。去年8月「朝鮮学校『無償化』除外反対アンソロジー」を出版し、その後東京、京都、広島、奈良、東北地方などで朗読会を開いたりもした。また日本文部科学省を訪問し「無償化」除外に対する抗議文を渡した。
2002年キム・ジョンイル北韓国防委員長の日本人拉致認定以降日本からは「反北」世論が強く
無償化排除反対運動を展開することはそう簡単なことではない。日本の有名詩人が世論の逆風に立ちはだかり戦う理由とはなんだろうか。慶尚南道チャンウォン キム・ダルジン文化祭(今月3~4日)参加するため韓国を訪問した河津は5日<ハンギョレ>と会い「『無償化』排除は差別のみならず教育の自由と平等性を謳う日本国憲法にも反する」と話す。彼(女)はまた朝鮮学校の実際の教育内容をみれば右翼の主張は根拠のないものであると強調した。
「朝鮮学校はスパイを養成しているとか人を洗脳していると主張している人たちがいるのも事実だ。しかし、朝鮮学校に訪れてみたら社会教科書は、多少日本に対して強く反発している内容もあったり拉致問題について言及されていない部分があるが全体の教育内容はやはり民族教育、失ってしまった『朝鮮』を取り戻し、守ろうとするものであった」
彼(女)は、朝鮮学校を無くして日本学校に通えばいいじゃないかという日本の右派たちの主張にたいして「日本学校に通う在日(在日同胞)さえも民族名(本文、韓国名)を明かせないのが現実である、そんな状況で朝鮮学校から来たというと子どもたちがどんないじめにあうか想像することもできない」といいながら、むしろ日本学生たちは朝鮮学校にもっと多く通って交流の場を広げなければならないと強調する。
彼(女)が在日同胞問題に興味をもった(本文、目を開いた)のは5年前尹東柱の詩との出会いが大きな契機であった。在日同胞詩人である金時鐘さんが翻訳した尹東柱の詩を読み「切なくとも美しい彼の詩語に、こころを針でさされたようだった」という。それ以降、尹東柱の詩を朗読する集まりに参加し、河津は2009年尹東柱をテーマにした短い詩「プロメテウス―尹東柱へ」を文藝春秋にて発表した。この詩を在日同胞文化家が新聞で紹介したことにより在日同胞たちとの交流がより深まったという。「その前まで在日問題にたいしてまったく分からなかったが、彼らの成長過程(歴史)とこころを知るようになってから新しい世界が開いたというか、彼らの新しい発想など、日本にたいする見方が新しく変わった(本文、近づいて来た)。」
個人的に2004年乳がんで手術を受けた彼女は尹東柱の詩が大きな心の支えになったという。「手術後、時々心が不安にさいなまれたりしたが彼の詩を書き写しなら心の安定を取り戻したりしていた。」
高校一年の時から詩を書きはじめた彼女は心の揺れや孤独感、詩への美意識のようなものをテーマにした超現実主義風の詩を書いていたが「在日」との出会いは他者と自身との関係にテーマを移すひとつの契機なったという。
チェルノブイリ事故を越えた惨事として伝えられている福島原発事故もまた、彼女の詩作の大きなテーマとして近づいている。
「大震災の現場を直接訪問しそれに関する詩を書いたが、原発事故にたいしてはまだ書けずにいる。日本や文明や文化などを全体的に省みなければならないので、力を蓄えなければならない。単純に原発反対ではなくインパクトのある詩を書きたい。」と話した。
文 キム・ドヒョン 選任記者 写真 シン・ソヨン 翻訳 黒い彗星 崔檀悦
元記事
http://www.hani.co.kr/popups/print.hani?ksn=495533
