一人で過ごす時間は、たくさんの事を考える時間をくれる。
それは有り余るほどの。

そしてそれは、たいてい私を哀しくさせる。
理由はただ一つ。

分かっている。

だけれど、どうしてもそれを取り払う事が出来ない。
今日みたいに、雨上がりに大好きな曲を聴いたりなんてしたらもっと。


誰か助けてって、思いすぎてバカバカしくなってきた。
だって、私の欲しい手のひらは一つしかないんだもの。
そう、たった一つだけ。

許してほしい、与えてほしい、その手のひらで。
私を包むその空気を、すべてすべてのみ込んでしまいたくなる。

その手のひらが良い。
意味なんてない。
自然なこと。
 ふと、台風のような酷い天気が過ぎ去った日に行ったドライブを思い出す。
 あの日、なんとなく目指して入ったご飯を食べるところで、
 彼は残した竜田揚げを申し訳なさそうに眺めていた。
 
 私は私で自分の分すら食べきっておらず、
 他の人の分までかまってはいられなかったけれど、
 それにしても、彼はずっと申し訳なさそうな表情のまま座っていた。

 彼は、好き嫌いが激しい。
 私の言葉で言わせてもらえば、
 偏食ではなく変食だと思う。

 例えば、お刺身にありったけのわさびをのせること。
 例えば、クリーム系の味が嫌いなこと。
 例えば、某コーヒーショップのアイスラテを飲むこと。
 (このお店はアイスコーヒーに牛乳を混ぜているので私は納得しない)
 例えば、極端に野菜を避けたがること。
 例えば、狂ったように一味唐辛子をかけること。
 
 彼の食に対する好み(と言うより、食べたいか食べたくないか)は、
 話を聞くと「母親が作らなかった」とか「母親が嫌いだった」とか、そんな理由。

 これは、きっとよく言われることなんだろうけれども、
 母親の作る料理によって子供の味覚が決まると言うことだろう。

 でも、もういいかげん大人なんだからたまには野菜も食べてみてよ、と少し思う。

 1つのお皿をシェアする場合、
 そしてその中に野菜があった場合、
 たいていは、私のお皿にやってくる。

 そうすると私は野菜を食べなくては、と意味もなく責任を感じてしまい、
 結局メインのお肉やお魚は、食べかけのまま彼のお皿に行くことになる。

 汐留のビルのレストランで、
 隅田川を目下にしたテーブルで、そんなことをしたものだった。
★ちょうど仕事が終わって帰宅の時間、雨が降り出していた。
 普段、多少の雨なら傘を使わないので、
 今日もいいか、と思って自転車をこぎだして少しすると、
 すごい雨になってきた。

 散々降られ、シャワーを浴びたみたいになって帰ってきた。
 なのに、帰ってきたらね、ほら、止むんですよ。

 本当に・・・

 ここ2週間くらいの雨に降られる確率がひどく高い。

 もう、日曜日もそうだったし。

 風邪に気をつけなくちゃ。

 先週から続く頭痛もどこかに捨ててしまいたい。
★父の日の贈り物。
 フラフラ歩いていたら紳士服のお店に吸い込まれた。

 そして私の好きな感じのスーツやシャツのあるお店。
 父に。
 と思いネクタイを見ていたけれど、彼の好みが分からない。

 う~ん、と思い母に電話をした。
 「お父さんにネクタイをと思うのだけど、どう思う?どんなのが良いかなぁ。」
 「お父さんは、かなりこだわりがあるから、ネクタイは難しいよ。お酒とかにしたら?」
 と、買わない方が良いというアドバイスをもらい、
 しかし、ずいぶん長い間うろうろしていたので、
 どうしようかなぁ~と靴下コーナーへ。

 もう、仕方がない!彼に買おう。

 幾つかを手に取りレジへ。
 「贈り物ですか?」との問いかけに、
 確かに父の日が近くタイムリーな時期と言えば時期だけれど、
 靴下ですよ、靴下。

 でもなぁ、せっかくなら・・・と思い、
 靴下を包んでもらった。

 「父の日用ですか?」
 「違います。父にではないので・・・」
 
 お店の人も大変だっただろうが、
 帰り道には彼への贈り物がそこにあった。

 仕事柄、スーツなど着ないし(たま~に、本当にごくたまにくらい)、
 シャツのサイズはよく分からないし、
 でも、靴下ってねぇ。。。

 なんというか、あまりに家族感というか。

 でも、いいや。

 今度会う時にきれいに包まれた靴下を渡そう。
★ここ半年くらい(ちょっと言い過ぎかもしれないが)ずっとシーツを探していた。
 というのも、気に入った色がなかなかなくて、
 いや、探し歩けば、手っ取り早くハンズあたりに行ったら早かったのかもしれないけれど、
 今日、やっと見つけた。

 気に入った色があった。
 でも、店頭には在庫がなく、オンラインショッピング。
 (初めからそうすれば良かったのね・・・)

 柄のない、シンプルなもの。

 そういえば、引っ越しをした恋人の家も似た感じになっていた。

 ベッドもカーテンもネイビー。

 私の好みは男の子っぽいのか?
 まぁ、甘い色も嫌いじゃないけれど、
 ちょっとさっぱりして冷たく、でも深い感じが好きだ。
 あまり女の子していない。

 そのくせ、女である事を楽しもうと、ほんの少ししてみたり。

 中学生の頃に読んだ本の影響なのか、
 いつでも恋に落ちる準備をしようと。

 そう、恋に落ちる準備。
 実際に恋に落ちるか否かは後の事で、
 それよりも自分がどうありたいかが大切だと思う。

 シーツの話はどこに行ったのか、こんな話になってしまったが・・・
 

 シーツが届くのをすっごく楽しみに待っている雨上がりの夜に。
★ここ数日、眠気と頭痛が続いている。

 風邪?の兆しではないだろうけれど、
 どうもこうも怠い。

 気持ちがそう促しているとしか思えない。

 怠惰。

 
★髪を切りたいなぁ。
 長さはあまり切らずに、とりあえず、かたちを変えたい。

★それから、どこかに行きたい。
 車で好きな音楽を聴いて。

 夜中の環七も良いけれど。

★明るい時間。
 お外に出たいけれど、日差しが怖くて出られない。

 目、皮膚が痛くて仕方がない。

 これさえなければ、私はもっと外に出るかもしれない。

 光合成をするかもしれない。
 
 でも、日差しの痛さは、もう本当に避けて生きていきたい。

 私が生活するのは夕方からがいい。

 夜はいつもあっという間で、私に楽しい時間をひと欠片しかくれないけれど、
 のびのびできる唯一の時間。

 そして、恋人との時間。
★やっぱり今日も、恋人の仕事の終わりは遅かった。
 朝。
 疲れただろうなと思いつつ、私はベッドでぼんやりする。

 先週、恋人の家で呼吸が苦しくなり、
 そして彼は仕事に行っていて一人12時間も苦痛と戦った。

 恋人が帰宅した24時過ぎ。

 倒れている私を見て、初めは眠っていると思ったらしく、
 「ベッドで寝なよ」と促された気がする。

 そして、あまりに苦しくて安定剤を飲んだその残骸を見て、
 「何飲んだの!!」とびっくりしていたのも覚えている。

 いつの間にかベッドに移動されていて、
 彼の手を握りしめ呼吸が落ち着くのを待った。

 もう、だいぶ落ち着いてきた頃、
 彼に包まって胸にうずくまり、その安心感に、呼吸は更に落ち着いた。

 多分、初めてわんわんと泣いた。
 苦しくて。

 以前彼の前で泣いた時は、涙がつたうくらいだったのに、
 先週は、子供みたいに泣いた。

 苦しさに疲れいつの間にか寝てしまって、
 朝起きたら、隣に彼はいなかった。

 1階に行くと、リビングの向こうマッサージチェアに座って三国志を読んでいた。
 午前8時前。
 いつもなら寝始めた頃なのに。

 休んだら?との問いかけに「絶対行く」と言って仕事へ行く支度をする。

 彼にマンションまで送ってもらう。

 一日何も食べずに、ただただ荒い呼吸をしていた日の翌日、
 さすがにフラフラというか、足ががくがくして、うまく歩けなかった。

 しばらく時間が過ぎて思い出すのは、
 彼に包まってひどく安心をして眠ったその感じ。

 とてもとても安心した。
 胎児の記憶はないけれど、母のお腹にいるような、そんな気分だった。

 思い出しても安心できるくらい。

 いつの間にか先週の話になってしまったなぁ。
 
 もう一度、眠ろうっと。

 おやすみなさい。
*♪失ったものはみんなみんな埋めてあげる♪って唄があるけど、
 私はそんなもの信じない。だって、失ったものはもう、戻ってきません。
 本当に埋めてもらえるんなら、私の大切な人達を、今、目の前に出して欲しい。
 話したいこと沢山あるし、逢えなくなってから思ってたこと、伝えたい。
 こんなコト言ったら寂しい子って思う人もいるかもしれないけど、
 でも私はやっぱり、そんなことないって思います。
 それは、最初のうちは、記憶も強いし、ずっと私の中に生きてるなんて思ってたけど、
 そう思っているうちに、私の中に生きてるはずなのに、
 どうして今、逢えないんだろうって思うようになりました。
 そのうち、本当は死んでないんじゃないかって自分の中でなってきて、
 本当はどこかに生きていて、いつかきっと逢えるって。
 でも、それこそ本当に哀しいことかも。
 私は、きっと本気じゃなかったと思うけど、
 「私も死んだら、逢えるかな?」って思ったときがありました。
 ほんと、バカみたいだけど。失ったものは、戻ってこない。
 だけど、こうやっていろんなコトを考えているうちに、わかることもある。
 それこそ、本当の意味で埋めるってコトなんじゃないかな?
 それから、あの曲は嫌いじゃないです。ちょっと使わせてもらったけど・・・。
 そしてまた、私は大切にしていたモノをなくしました。
□それはきっと、探さないこと。
 そう思う。
 なくした「モノ」にもよるのかな?
 本当に「物」をなくしてしまったのなら、
 心当たりのある場所を探すのもいいでしょう。
 でも、物がなくなったことに何かの意味があったとしたら・・・?
 もし「ココロ」をなくしてしまったのなら、それは、ドコにもありません。
 なぜって?
 それは、あなたの中にあるからです。
 もし、恋する気持ちを探しているのなら、それは、
 熱を持った人間の中にしか存在しません。
 猫ちゃんは、別としてね。
 もし「愛する人」をなくしてしまったのなら、その人が本当に愛する人だったのなら、
 もっともっと探す必要はありません。
 なぜって?
 その人は、あなたの中で生きているからです。
 それでも探したい人は、本当に見つけたい人は、
 精一杯、探してください。
 何日も何時間も、探してください。
 その結果が、もし哀しい結果だったら、
 その時に、自分の中に話しかけてみてください。
 きっと、答えは、そこにあるから。

 だけど、無理する必要なんてないんだよ。
 体中に、なくしたものの記憶があるんだから
手紙を書くのが好き。
誰かに宛てた手紙を。
小さな頃は、私宛に来る郵便物が好きだった。
そしてママからのお使いで、仕事関係の郵便を出すときにも、
私がおじいちゃんやおばあちゃんに宛てた手紙も、
何でもかんでもポストに入れるときは、手をパンパンと叩いて、
おまじないのようなお祈りのような、そんなことをしていた。
何をお願いしていたのかは、今ではもう思い出せないけれど、
とにかくポストに向かってよく手を合わせる子供だったことは覚えいる。
そういえば、お墓参りもそうだった。
ある時期に家族に教えてもらう前までは、
お墓の前でお願いをするんだと思っていた。
だって、小さい頃から家族がするのを見てきたけれど、
思っていることまでは見えないでしょ。
だから私はいつも手を合わせては「家族が幸せでありますように」とか、
「~が欲しいなぁ」とか思っていた。
今思うと、何をしていたんだか・・・
そうそう、でね、私は手紙が好きなんですが、
最近は本当に前のようには書かなくなってしまって、
中学生や高校生の頃は、毎日でも書いていたくらいなのに。
郵便物が届くのが楽しみで、書くのも楽しみで。
母に毎日聞いてたこと。
「今日のご飯、なぁに?」
「サトミに何か来てた?」
よく母は毎日そんなくだらない質問に答えてくれたモノです。
毎年誕生日にお手紙をくれる友達や、近況を報告しあう友達。
恋人や家族。
手紙を書くことの出来る相手がたくさんいるんだなぁと思うと、
何だかしあわせな気持ちになる。
どこかで誰かが私からのお手紙を待っていてくれたらいいな。
もうすぐお祈りしながらポストに入れるからね。