例えば100という目標をあげてもたいがいは80しか達成できなくて、挫折感味わって悲しいからと、今度はその80を目標にすると65しか達成できなくて、やっぱり挫折感味わって悲しくなります。
 挫折を抱えて悲しい思いをせずに、なおかつ少しでも高い結果を出すためには、目標を100とか110とか高めに設定して、80~90達成できたら満足するというのが合理的です。
 
 しかし、ええ、ここでしかしです。私の脳内は、達成できなかった20を責める声の記憶で充満します。こういう時は、達成できた分に満足するどころではなく、達成できなかったことばかり言われませんか。
 反省しろ、非を認めろ、今度からこんなことないように、お前は駄目人間だ、社会でやっていけない、と責められると、挫折して悲しいです。こう書くときっと
「2割達成できなかったのは事実なのだから謙虚に反省し、次は気をつけようとするのが人として正しい道です」
「達成できなかったあなたが悪いのではないでしょうか。まずはそこを改めるべきです」
と説教されることでしょう。
 
 怒られたくなかったら目標を小さくしていくしかありません。どうせ1でもマイナスがあればそのことばかり責められるのですから。
 これは日本だからでしょうか。そうだとしたら、日本で成果主義が失敗した一因かも知れません。日本の成果主義は基本的に従業員の報酬を下げるためにあるそうですから、できなかったところを猛烈につつかれそうです。
 
 何が言いたいかというと、今の私の仕事がこの3月でなくなるということです。詳細は次回の記事(予定)で書きますが、ちょうど3年勤めたことになり、正社員ではないので、法的なからみとしてもそろそろお開きにするのが会社としては無難です。
 
 3年前、発達障害の診断を得たばかりで何もかも自信を失い、ちゃんとやっていけるのかという不安に満ちた船出でした。仕事内容はいかにもすぐリストラされそうなものでしたが、当面生活を支えてくれればいい と飛びついてしまいました。3ヶ月もつか、半年もつか、1年もてば御の字、という認識でした。
 だから、3年も勤められるとは思わなかったし、
「自分の見ている世界は他の人の見ている世界とは違う」
というそれまでにはなかった意識を持って過ごしたことで、多くのことを学ばせていただきました。
 
 本当によくやった、と自分では思うのですが、そう書くと
「反省がない、努力が足りなかった、私の言うことを聞かないからだ、すぐ仕事が見つかるほど甘くない、また3年でクビだ、今に雇ってくれるところなんてなくなる、非を認めろ、謝罪しろ」
と説教されるんではないか、という被害妄想が発生して、この記事の前半部分ができた次第です。
 
 説教する人は、こちらが気持ちをプラスに持っていこうとするとマイナス方面に責めるし、それではとマイナスに持っていくと気概が欲しいとかプラス方面に責めるし、たまに混ざっていて何を要求しているのかわからなかったりして、対処に困ります。
 
 
 1月25日の記事。仕事が決まったことを友達に話してその仕事がすぐ終わると
「いい仕事が決まったって喜んでいたくせに」
と言われるので、仕事が決まっても
「ひどい仕事でまたすぐ辞めるかも知れない」
と言わないといけないのです。もう友達に言わないからいいけど。とりあえずパソコンで履歴書作り。
 投票のコメント欄及び気概メモ シリーズから、
「障害を○○」
の○○(社会適応などを意味する言葉?)にあたる言葉がないことを知りました。直す、治す、克服する、乗り越える、どれも少しずつ変です。
 ヘレン・ケラーにしても乙武さんにしても障害を克服した訳ではなく、障害は以前として存在するものの、それを活かした職業で経済的自立を果たされました。
 こういった人が、障害者を説教する時の材料にされているのは残念なことです。並々ならぬ努力をされてきたことは間違いないのですが、普通の雇用労働者に なって、どんな職種においても(つまり得意分野を選ばせずに)健常者の平均値と同等の生産性をあげろと言われたら難しいかも知れません。
 
 説教する人たちはこの辺がゴチャゴチャになっていて自分でも訳わからなくなっているようです。だから、前後で言っていることが変わったりするのでしょう。得意分野を活かせる仕事につけばちゃんとやっていけるみたいなことを書いただけで怒り出されたのですから。
 健常者であっても、乙武さんのように一流大学に合格し、本を書き、スポーツキャスターになり、小学校教師になるということができる人は少ないはずなの に、そういう人と比べて他人を説教するなら自分が全部やれっての。そういう説教をする人に限って、ブログを見ると毎日ゲームばかりしていたりするのは何な んでしょう。
 
天才は99パーセントの汗と1パーセントの霊感である
という言葉を誤って解釈されたお陰で努力の象徴的扱いのエジソンが学校に行っていないことは、子供向けの伝記にも書いてあることです。現代日本であれば
「努力が足りない努力努力努力」
と説教の集中砲火に被弾していたに違いありません。
 努力教信者はなぜか嫌いなことや苦手なことを無理やり努力させようとしますね。同じ楽器演奏が苦手でも、「でも好き」な人と「嫌い」な人とは全然違うのに。
 
 得意なことをする→努力が足りない
 幸せになりたい→努力しようとしていない
 今日は寒い→努力が以下略
 
 障害と共生する、という言葉はいい言葉だなあという話を書くつもりだったのですが、
「こんなことを書いたらきっとあんな説教やそんな説教を」
妄想で、また攻撃的になってしまいました。まともな続編(あるいはまともでない続編)が書けたら後日アップします。
 
 
 1月21日の記事。アメブロには読者登録という制度があります。他のブログを登録するとサイドバーに自動的にリンクが貼られる、はずだったのですが、今は、先方が承認しない限りこちらのリンクにも出ないようです。
 マイページから更新状況はわかるのですが、こちらから登録しておいてリンクに表示されていないと読者登録スパムみたいではありませんか。そういう変更は、せめてスタッフブログに詳しく書いて欲しいです。ここに書くなよと言われるとそうなんですが、たまにここに書くと希望が通ることがある(気のせい)ので書きます。
 殴られたら殴り返せ、と言われて本当に殴り返すと自分だけ悪者になる、という意味のことをよく書いています。このことを主題に置いて今日は書こうとしているのですが、今日の記事の文脈での「殴る」は比ゆ表現です。実際の暴力行為とは異なります。
 また、法律に抵触することに関しては日本の法律に従うことにしていますので、この記事で主張しているのは法律で裁けない範囲のことと受け取って下さい。
 
 殴られたら殴り返すよりも、ただ殴りかかってくる方が圧倒的に罪が重い気がしますが、ネットでも書籍でも現実でさえも、
「相手にそうされたから自分もそうするというのはよくないこと」「仕返しはいけない」
と言われます。先に殴る方が悪いに決まっているではありませんか。先に殴る方に、
「他者を攻撃する以上、倍の報復を受けることを覚悟しなさい」
と呪いの予言をかけるべきです。
 
 こんなこと言っているからいじめられても抵抗できずに自殺する子が出るのです。そうすると、弱くてはいけない、強くなれと言われます。強くなれはすなわち我慢しろ なので、ただ我慢していないといけません。意味を取り違えて殴り返すと悪者にされます。
 いじめの連鎖を止めようという意図があるのはわかりますが、それならなおのこと、先に殴った方が悪いはずです。自分を殴ったのとは別の相手を殴ったら悪 いだろうけど、同じ相手を殴るのもいけないのでは相手はやりたい放題です。100歩譲って責められることだとしても、先に殴った方が200倍くらい責めら れないとおかしいです。キリストじゃないんだから。
 
 なぜ殴り返した方が悪者にされるのか、ずばり、これは説教族の陰謀と解釈しています。(この世にある理不尽なルールは全て説教族の陰謀によるものです)自分は攻撃し放題だけど仕返しされるのは防ごうと企んでいるのです。
 こんな陰謀に引っかかってはいけません。私が一番引っかかりそうなんですが。
「厳しいことが本当の優しさ」「耳に痛い助言ほどためになる」
というのと一緒です。
 
 あとは、先に殴りかかるような人を改心させるのは容易ではないけれど、殴られて初めて殴り返すような人の方が注意しやすく、注意する側の自己顕示欲を満足させるのでしょう。
 こんなことを書く私は確実に悪党に見えますね。(ぐふふ)気の弱そうな人を選んで頼まれてもいないのに助言に出かけ、嫌がられると逆ギレする人の方が私から見ると悪の枢軸ですが。
 
 
 1月18日の記事。やりたい放題なのは私です。
 投票のコメント欄から引き続き、気になるワードをメモ書き。
 
「障害が何だという気概が欲しいということです」は次のうちどっちの意味に近いと思いますか。
A 障害にあたる部分は直す必要はない
B 障害にあたる部分は何が何でも直せ
 
5 くじけるな
 
 この系統の言葉はみんなそうですが
 
くじけるな→私はくじけていたのか? 気にするな→私は気にしていたのか? くよくよするな→私は以下略
 
となって、それまで何でもなくても、気持ちがマイナス方向に向かいます。
 相手からそう見えているのは間違いないので、とりあえずは肯定して
「そう言われてもこんなことではくじけずにいられません」
などと返すとやはり怒られるのでした。おまけにくじけていることを肯定したことで言質取られるしな。
 
6 前後の文脈があってはじめて解釈可能な文章
 
 投票のフレーズを見た時、私も単独ではAに近いと思ったのですが、前後の文脈はBに近い気がして
「???」
ゲシュタルト崩壊 してしまいました。(多分使い方違う)
 このように、一連の文章の中で正反対のことを主張している場合、最後の文が結論であるのが普通です。
「気概が~」が最後の文だったので、これが結論であろうと推測したのですが、間違いっぽいです。
 
7 障害の分を別なところでカバーしろ
 
 私はそうしようとしてきたし、できるとも思っておりますが、それでも説教されて訳わからなくなりました。私よりも社会適応ができていないと思われる人がそうするのは理解に苦しみます。説教する弱者 の根は不快です。間違えました。深いです。
  
8 障害がない人と同じ程度の生産性をあげろ
 
 まず、「同じ程度の生産性」をどこに設定するかが難しいところです。「障害」なのは生産性を下げることだけではありませんが、生産性というその1点だけを問題にするならば、私の生産性は大ざっぱに言って、健常者の平均値に劣り、最小値を上回るでしょう。
 それは、このブログの文章等から期待されるよりも低い値です。だから怠けているように見えるのですが。平均値~最小値であれば、私の所得(の低さ)からいっても生産性という点で大問題ではなさそうですが、
「怠けているように見える」ことが社会生活上の障害になります。社会においては
「できるかできないか」ではなく「努力しているかしていないか」が重要問題だからです。
 多くの方は些細なことと受け取られると思います。私も最初、そう考えていました。何百の記事を費やしてもたどり着かない深淵でした。
 
 
 1月16日の記事。生産性という言葉は新たなキーワードです。健常者と同等の生産性をあげられないことが障害があることだとは言い切れません。車椅子の天才プログラマーとかいそうです。問題は、こういう人を例にあげて天才でない障害者を説教する人がいるということです。
 ここを乗り越えたら楽になるのか、それともさらに高い山がそびえているだけなのか、絶望と迷いの、勤続丸3年。リコーダーの話 で書きましたが、一生懸命練習して、少しだけ吹けるようになって、
「やればできるじゃない」
と言われた時、私をおそったのは達成感ではなく
「この瞬間最大風速を標準レベルとされて常にこのレベルを求められたらどうしよう」
という恐怖でした。(当時の言語能力による表現ではありません)
 
 私は3年以上1つの部署にいた経験は過去に1回しかありません。仕事量も責任も重くなっていくのに、職級はずっと年下で勤続年数も少ない人にどんどん追い抜かれ、なぜそうなるのかもわからないあせり、
「次は何とかするから」「4月まで踏ん張って、その後は人を配置するなりするから」
何度も繰り返される嘘、踏ん張った分だけそれが標準になり、さらなる上を要求され、見返りは返ってきません。
 
 今の職場では2年10ヶ月、昇給は1円もないのに要求水準だけが上がっていき、それにジリジリと追いつめられます。1人の職場で逃げ場もなく、誰も助けてはくれません。
 仕事があるだけでありがたいと思わなければならない身、ぜいたくを言ってはいけません。同じことを繰り返したくもありません。3年という単位で退職する人が多いのも、閉塞感、追いこまれ感はこの時期顕著に発生するのでしょう。
 
 よく、その3年目の壁を乗り越えると仕事がグッと面白くなると聞きます。上記の、過去に3年以上いた職場にはもっと長くいて、ここを乗り越えれば、次こそは、を繰り返しましたが、とうとう閉塞感から抜け出せませんでした。
 私が中核社員でなく使い捨て要員だったからでしょう。それは今も同じです。使い捨てなら使い捨てらしく我慢してしがみつかないといけません。
 
 大企業が3年を目処に人事異動させるのは
「スペシャリストでなく、自社内でしか通用しないゼネラリストを養成しようとしている」
と悪い意味で捉えられることが多いですが、閉塞感を打破させるためかも知れません。
 いったん新人に戻って閉塞感から解放され、新たな経験を積むことでスパイラル式に成長することが期待されているのでしょう。
 
 いわゆる定期異動の制度がない会社だと、異動は訳あり(悪い意味だけではない)か訳ありとの交換が多いです。管理職としての異動でなければ、その人のそ れまでの経験や能力を生かすという文化がなく、ゼロベースという聞こえのよい言葉の元つぶされて辞めていくこともよくあります。 
 仕事を覚える困難さと就職活動の大変さを考えるととても会社を替わる気になれませんが、異動は検討してもいいかも知れません。非正社員の上特殊技能もな く、性格が悪いという評判も立っている可能性があるので希望してもだったら辞めろとなるだけかも知れませんが、ただ辞めるよりましです。
 
 なお、詳細に書くのはヤバイので、漠然とした書き方というか、説得力不足の表現になっていますが、
「何年も勤めれば要求水準が上がるのは当然、不満を言うのは甘えだ甘えだ甘えだ」
「本当にせいいっぱいの努力したのか、したならそれを証明しろ」
などのツッコミはしないで下さい。
 
関連リンク :  3年目の壁    3年目の壁2
 
 
 1月14日の記事。別途エントリーを立てようと思っておりますが、3年以上勤めた派遣は正社員にルールがあるためマジでヤバイであります。