殴られたら殴り返せ、と言われて本当に殴り返すと自分だけ悪者になる、という意味のことをよく書いています。このことを主題に置いて今日は書こうとしているのですが、今日の記事の文脈での「殴る」は比ゆ表現です。実際の暴力行為とは異なります。
また、法律に抵触することに関しては日本の法律に従うことにしていますので、この記事で主張しているのは法律で裁けない範囲のことと受け取って下さい。
殴られたら殴り返すよりも、ただ殴りかかってくる方が圧倒的に罪が重い気がしますが、ネットでも書籍でも現実でさえも、
「相手にそうされたから自分もそうするというのはよくないこと」「仕返しはいけない」
と言われます。先に殴る方が悪いに決まっているではありませんか。先に殴る方に、
「他者を攻撃する以上、倍の報復を受けることを覚悟しなさい」
と呪いの予言をかけるべきです。
こんなこと言っているからいじめられても抵抗できずに自殺する子が出るのです。そうすると、弱くてはいけない、強くなれと言われます。強くなれはすなわち我慢しろ なので、ただ我慢していないといけません。意味を取り違えて殴り返すと悪者にされます。
いじめの連鎖を止めようという意図があるのはわかりますが、それならなおのこと、先に殴った方が悪いはずです。自分を殴ったのとは別の相手を殴ったら悪 いだろうけど、同じ相手を殴るのもいけないのでは相手はやりたい放題です。100歩譲って責められることだとしても、先に殴った方が200倍くらい責めら れないとおかしいです。キリストじゃないんだから。
なぜ殴り返した方が悪者にされるのか、ずばり、これは説教族の陰謀と解釈しています。(この世にある理不尽なルールは全て説教族の陰謀によるものです)自分は攻撃し放題だけど仕返しされるのは防ごうと企んでいるのです。
こんな陰謀に引っかかってはいけません。私が一番引っかかりそうなんですが。
「厳しいことが本当の優しさ」「耳に痛い助言ほどためになる」
というのと一緒です。
あとは、先に殴りかかるような人を改心させるのは容易ではないけれど、殴られて初めて殴り返すような人の方が注意しやすく、注意する側の自己顕示欲を満足させるのでしょう。
こんなことを書く私は確実に悪党に見えますね。(ぐふふ)気の弱そうな人を選んで頼まれてもいないのに助言に出かけ、嫌がられると逆ギレする人の方が私から見ると悪の枢軸ですが。
1月18日の記事。やりたい放題なのは私です。
また、法律に抵触することに関しては日本の法律に従うことにしていますので、この記事で主張しているのは法律で裁けない範囲のことと受け取って下さい。
殴られたら殴り返すよりも、ただ殴りかかってくる方が圧倒的に罪が重い気がしますが、ネットでも書籍でも現実でさえも、
「相手にそうされたから自分もそうするというのはよくないこと」「仕返しはいけない」
と言われます。先に殴る方が悪いに決まっているではありませんか。先に殴る方に、
「他者を攻撃する以上、倍の報復を受けることを覚悟しなさい」
と呪いの予言をかけるべきです。
こんなこと言っているからいじめられても抵抗できずに自殺する子が出るのです。そうすると、弱くてはいけない、強くなれと言われます。強くなれはすなわち我慢しろ なので、ただ我慢していないといけません。意味を取り違えて殴り返すと悪者にされます。
いじめの連鎖を止めようという意図があるのはわかりますが、それならなおのこと、先に殴った方が悪いはずです。自分を殴ったのとは別の相手を殴ったら悪 いだろうけど、同じ相手を殴るのもいけないのでは相手はやりたい放題です。100歩譲って責められることだとしても、先に殴った方が200倍くらい責めら れないとおかしいです。キリストじゃないんだから。
なぜ殴り返した方が悪者にされるのか、ずばり、これは説教族の陰謀と解釈しています。(この世にある理不尽なルールは全て説教族の陰謀によるものです)自分は攻撃し放題だけど仕返しされるのは防ごうと企んでいるのです。
こんな陰謀に引っかかってはいけません。私が一番引っかかりそうなんですが。
「厳しいことが本当の優しさ」「耳に痛い助言ほどためになる」
というのと一緒です。
あとは、先に殴りかかるような人を改心させるのは容易ではないけれど、殴られて初めて殴り返すような人の方が注意しやすく、注意する側の自己顕示欲を満足させるのでしょう。
こんなことを書く私は確実に悪党に見えますね。(ぐふふ)気の弱そうな人を選んで頼まれてもいないのに助言に出かけ、嫌がられると逆ギレする人の方が私から見ると悪の枢軸ですが。
1月18日の記事。やりたい放題なのは私です。